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Black File  作者: 葱鮪命
88/196

File050 〜ラッキーマン〜

「地球上のラッキーを掻き集めた男って......すごいなあ」


 資料の最後のページに書いてあったのは、最近見つかった超常現象、「ラッキーマン」。


 SNSで話題になるほどの人気ぶりというが、B.F.に居るとそういった情報は入ってこないのでバレット・ルーカス(Barrett Lucas)も、エズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)も、当然今知ったのだ。


「ラッキーって具体的に何だ?」


「えーっとね......交差点を通過している時に赤信号無視のトラックに轢かれそうになったのに、トラックが目の前でエンストして止まったんだって」


「信号無視しようとしているにしたら、それなりのスピードは出ていたはずだよな」


「でもラッキーマンは無傷で横断歩道を渡りきったって書いてあるよ」


「すごいな」


 バレットは「他にも」と例を上げた。


「工事現場の下を歩いている時に鉄骨が事故で落ちてきたんだって。その時に数センチズレていたら死ぬくらいの場所に立っていたとか、窓から身を乗り出しすぎて転落したけど下にたまたま敷いてあったシートで助かったとか、危機一髪を何度も経験してきたみたいだねー」


「もはや人間じゃないだろ。予知能力でもあるんじゃないのか?」


「まあ、普通の人間っては書いてるけど......超常現象だったら納得行くよねー。で、その人が働いてるところが......」


 バレットが足を止めた。二人がやって来たのは中央区の書店だ。ノースロップでもかなり大きな店で、人の出入りも激しい。


 資料によれば本日の外部調査三つ目の超常現象は此処、中央区の書店で店員をしているらしい。


 こう聞くとごくごく普通の人間であるが、さっきの資料を読む限りでは、彼が超人的な力を持っているということが明らかになっている。

 実際に噂程度で、資料に載っていることはその噂をブライスがまとめたものなので、B.F.職員で実際に会うのは二人が初めてだ。


「えーっと、シフトによればそろそろ仕事終わって出てくる頃かなあ」


 バレットが腕時計を見て言う。普通の人間的な暮らしをしている人なので仕事だって終わる時間がある。ちょうどその時間から五分過ぎた頃だった。店から写真で確認した人物が出てきた。


「あの人だ」

「行ってみるか」

「すみませーん」


 バレットが声をかけると、すぐに気づいたようだ。茶色の髪をした、30代半ばの男だった。


「どうかしたの?」

「あー、ちょっと聞きたいことがありまして」


 *****


 ブライスから、このように話すようにという台本のようなものは事前に渡されていた。あくまで世間には秘密の職業なのでバレないようにしなければならない。


 しかしその男はバレットとエズラが一体どういう目的で自分に話しかけてきたのかを理解している様子だった。


 話を聞くなりすぐ、


「実際に見せよっか?」


 とニコニコと聞いてきた。


 まさかそんな簡単にラッキーな場面を見せられるとは思ってもいなかったので、バレットもエズラも面食らったが、すぐに撮影用のカメラを見えないように取り出した。


「是非お願いします!」

 バレットが言うと、ラッキーマンは「ついてきなー」と歩き出した。


 彼が向かったのは公園だった。彼はバレットとエズラを公園に生えているもので最も背の高い木の下に連れてきた。背中を反るくらいして見上げなければならないほどで、ラッキーマンはそれの幹にしがみつくと猿の如くひょいひょい登っていく。


「え、え!?」


 あまりにも何も言わずに登っていってしまうので二人は動揺したが、ラッキーマンは慣れているのか簡単に最も上の枝に到着した。しなる枝にバレットもエズラも顔を真っ青にした。


「おい、助けた方がいいんじゃねえのか」

「一応故意でやってるし......でもエズラ、俺、嫌な予感しかしない」

「同感だな」


 ラッキーマンは枝に完全に二本足で立った。片手で幹に掴まり、もう片方を肩と水平になるくらいにあげた。それは今まさに飛び降りようとしている人間の合図だった。


 バレットは彼が立っている位置から見える自分たちの姿を想像して足が震えた。高所恐怖症からすればあんな高さ、失神ものである。


「だ、大丈夫ですか!?」

 見せてくれと言った自分に責任を感じて、バレットは彼がいつ落ちてきても良いように下に立つ。


「あー、大丈夫、大丈夫! じゃあ行くよー」

 ラッキーマンはぴょん、と枝からジャンプした。まるで数十センチの段差を飛び越えるような軽いジャンプだった。バレットもエズラも、また周りで心配げに見守っていた者も全員が悲鳴をあげた。


 ラッキーマンが地面に叩きつけられる_____ことはなかった。


 彼は上手く服が途中の枝に引っかかり、それが折れると今度はまた少し下の枝に......と言った具合で呆気なく下まで降りてきた。最後は途中の枝に着地し、体操選手のように華麗な技を決めながら降りてきた。


 驚いたことに服は無傷で、体にも傷一つ付いていない。顔には満面の笑みを浮かべており、「あー、楽しかった」と感想まで言ってのけた。


「すげー......」

「ね? 大丈夫だったでしょ! 俺はどんなことしても死なないから大丈夫なんだよ!」


 えっへん、と腰に手を当てて胸を張るところは子供らしいが、たしかに凄いことだ。


「これを逆手に色々なことをしてるよ。例えば火事の現場で取り残された人を助けたり、深い穴に落ちた子供を助けたり。その際だって一切怪我はしないし、死ぬこともないんだ!」


「それって、子供の頃からずっとそうだったんですか?」


 エズラが眉を顰めて問う。ラッキーマンが「いやー」と首を横に振った。


「それがいつからかは定かじゃないんだよ。ネットで有名になったのは本当に最近だけど、この力はずっと前からあったしね? いつからかは分からないけど、子供の頃にはなかったなあ」


「どうしてそうなっちゃったんだろ?」


 バレットは首を傾げた。


 理由をつけられない超常現象は多いが、その反対に理由がきちんと存在するものだってあるのも事実だ。

 ラッキーマンのこのラッキーすぎる体質が何かがきっかけで起きているとすれば、何が考えられるだろう。


「子供の頃にものすっごく運が悪かったとか?」

「ふーむ、否定はできないかな? これでも交通事故と水難事故を八つほど経験しているんだ」

「八つ!?」


 二人の裏声が重なった。


「それも全部俺が悪いって言うよりはその時の状況が原因でね。他にも些細なアンラッキーは人よりも多かったイメージだよ。まあ、今のこの体質が手に入ったのは案外そのおかげかな??」


 はっはっはっ、と大きな声で笑うラッキーマンを見てバレットもエズラも納得はしていた。


 子供の頃のアンラッキーが積み重なってラッキーしか寄せ付けない体になってしまったのだ。そうなるなら是非とも自分だってなりたい。事故に自ら進んで巻き込まれたいわけではないが。


「でもねえ、あんまり良い事でもないんだよねえ」

「え? ラッキーな体質が良い事じゃないんですか?」


 どう考えても良い事ずくめで幸せそうなのに、良い事じゃないなど存在するのだろうか。


 ラッキーマンはポリポリと頭を掻いた。


「何でも上手く行くから困ってるんだよ」

「なんだ」

「ただの自慢じゃないですか」


 白けた顔をする二人を、ラッキーマンは「ちょっと待って!!」と手で制す。


「違うんだ!! 聞いてくれ! 俺の悩みを!!」


 *****


「あの子だよ」


 三人は書店に戻ってきていた。ラッキーマンは書店の入口に最も近い本棚に身を隠すように立つと、そこから数メートル離れた棚で本を整理している女性の書店員を見つめた。


「成功する筋道しか見えないんだから、いいじゃないですか」

 バレットがうんざり顔で言う。


 ラッキーマンの悩みというのは恋が深く関係していた。彼は自分が働いている書店の女性店員の一人に思いを寄せているらしい。


「恋愛なんて、今まで自分が思ってすらいなくても誰かに話しかけられてきたんだけど......」


「贅沢な悩みですね」


「羨ましい」


 ラッキーマンの自慢話だと思ったが、彼は本気で悩んでいるらしい。聞いていて嫉妬でどうにかなりそうなバレットではあるが、これも調査の一環なので途中で投げ出すわけにはいかない。


「俺が望んでいるのは勝手にこの体質が進めちゃうような未来が分かりきった恋じゃなくて、もっと展開が読めないドキドキ具合を味わえるやつなんだよ!! わかるだろ? 君たち若いんだから恋の一つや二つ、経験はあるはずじゃないか!」

「つっても、俺は分からないですよ、恋愛とか。こいつは詳しいとは思いますけど。現在進行形で恋してますし」


 バレットがエズラを指した。エズラが見えないところでバレットの膝に蹴りを入れたが、ラッキーマンはエズラの両手を取った。


「お願いだ、この通り!! 俺に本の中みたいなドキドキワクワクの恋をさせてくれ!!」

「んな事言われても......」

「エズラ、俺らでどうにかしようよ。折角お願いされてるんだからさ」

「赤髪の兄ちゃんの言う通りだ!! 折角お願いしてるんだ!!」

「お前が言うな」


 エズラがため息をついて、腕を振り払った。


「だいたい話しかけたことあるんですか、あの人に」

「ないっ」

「ないならまず、話しかけるところから始めたらどうですか。話さないことには始まらないんじゃないです?」

「そうかもしれないけど......」


 ラッキーマンは肩をがくんと落とした。


「俺が話しかけるともうそこから恋愛が始まっちゃうんだよ......あの子がつまづいて俺に倒れてくるとか、後ろから客さんがぶつかってきてあの子に接触するとか......」


「どうしようエズラ、聞いてられない」

「同感」


「見捨てないで!! こんなに真剣に悩みを聞いてくれたのは君たちが初めてなんだ!」

「真剣に聞いてはいないですけどね」


 さて、困ったことになった。

 ラッキーマンの悩みは好きな女性と難儀な恋愛をすることらしい。

 彼の体質から考えるに、今までの恋愛はトントン拍子で進み、彼はそれがつまらないと感じているようだ。

 今思いを寄せている女性とは、そういう恋愛ではなく、きちんと手をかけた恋愛らしい恋愛というものをしてみたいというのが彼の話だ。


 恋愛経験がほぼ0に近いバレットと、リディア・ベラミー(Lydia Bellamy)に密かに思いを寄せるが、全くそんな思いを彼女に告げず、彼女すら他に好きな人がいるという三角関係を展開している二人からすれば、解決する糸口すら見えない難題であった。


「えーっと、じゃあ俺らが何か話しかけてみるとか?」

「そんなことしたら君たちとあの子が結ばれちゃうじゃないか!」


 ラッキーマンは憤慨した。


「全人類の体質があなたみたいなものだと考えたら大間違いですからね」


 エズラが彼を鋭く睨みつけながら言った。


「話しかけるとしても、何て話しかけるつもりだい?」

「まあ、探してる本を聞くとか」

「仮に聞いたとしてそこで終わるだろ。会話を継続させないといけないんじゃないのか」

「君たち、きちんと俺が楽しい恋愛できるように考えてくれているのかい? 俺を置いて結ばれようとしているんだったら許さないからね」

「面倒くさいんで全部一人でやってください」

「見捨てないでくれ!!」


 これでは先に進めない。


 バレットはもう一度棚の影から彼女の姿を見た。彼女は梯子に乗って高所の本を取り出して箱に詰めていた。


 いかにも重そうな箱を片手に作業しているのでなかなか大変そうだ。


 バレットが注意深く眺めていると、やはり彼女は体制を崩してしまった。


「やべっ!」


 咄嗟にバレットが飛び出して、彼女を支えようと床に滑り込んだ。


「バレット!?」


 彼女を何とか受け止めたバレットだったが、上から落ちてきた何冊かの本が頭に降ってくると同時に梯子まで落ちてきた。


「ぐえっ!!」

「バレット!」

「す、すみません!」


 女性が慌てて立ち上がる。バレットは片腕で梯子を支えたが、何とか女性には当たらなかったらしい。エズラとラッキーマンが後ろから走ってきた。


「おい、大丈夫か!」

「大丈夫、大丈夫。お姉さんは怪我は無い?」

「は、はい......すみません、私のせいで......」


 女性は今にも泣きそうな顔で何度も頭を下げた。


「ペルラさん、大丈夫ですか!」

 ラッキーマンがエズラを押しやって前に出てくる。ペルラと呼ばれた女性は目を丸くして、


「マルコムさん、帰ったんじゃないんですか?」


 と問う。


「し、新刊を買おうと思って選んでいたので......」

「そうでしたか......私は大丈夫です。本当にありがとうございました」


 女性がバレットに頭を下げたところで奥から他の店員がやって来た。バレットらは邪魔にならないように店の外に出ることにした。


「ペルラさん、大丈夫かな......咄嗟に前に出られなかった.....」


 外のベンチに座ったラッキーマンは、肩を落としてしょんぼりしている。

 彼処はバレットよりも彼に行かせた方が良かったのだろうが、躊躇していればもっと酷いことになっていたのには変わりない。


 バレットは本に攻撃された頭を擦りながら、あることを思い出した。


「そう言えば、ラッキーマンとあの女の人、会話したけど恋愛に発展してたか?」


 バレットは少し前の会話を思い出す。ラッキーマンとペルラが交わした会話。ラッキーマンは今まで話をすることで恋愛に発展すると話をしていたが、さっきの感じでは発展しているような感じはしなかった。


「本当だ......!!」

 ラッキーマンも気づいたのか、顔をばっと上げた。


「こういうことは今まであったのか?」

 エズラが聞くと「ないよ!!」と顔を輝かせた彼が答える。


「初めてだ!! あのシーンなら普通バレットさんが助けたとしても俺に対して好意を向けてくるはず!!」

「嫌な体質」

「つか、それはもしかしたらあの人がバレットに恋したんじゃないのか」

「......え?」


 ラッキーマンが石のように固まった。バレットが「おい!」とエズラを見る。


「そんなの有り得ないだろ! ラッキーマンにアンラッキーなことなんて有り得るのか!?」

「好きなやつが他の奴と接触すると効力を失うとかってのも考えられるだろうが。実験的に考えれば」

「そんな......俺の、俺のペルラさんっ......」


 ラッキーマンが完全の目の色を失って遠くを見つめている。バレットが「あーあ」と額を抑えてため息をついたその時、


「マルコムさん!」


 さっきの女性と同じ声が聞こえてきた。書店から店員全員が付けているエプロンを外した姿でペルラがやって来た。ペルラは三人が座っているベンチの前までやって来て、


「お名前を聞きそびれてしまって......私はペルラと言います」

「俺はバレットです。こっちはエズラ」

「さっきはごめんなさい。怪我をしなかったのはバレットさんのおかげです。是非お礼を......」

「あー、じゃあ、ちょっと一言言いたいことがあるんだけど......」


 バレットが立ち上がった。


「は、はい!」

「ちょ、何言い出すんですか!」


 バレットの行動が予測できないラッキーマンが彼の腕を掴んだが、バレットは気にせず彼女の足元にちらりと目をやった。


「犬のフン踏んでません?」


 *****


「大人になってから不幸が降り掛かってくる?」


 ペルラが言ったことを三人は綺麗に声を揃えて聞き返した。


 彼女は犬のフンどころかガムまで足の裏で踏んづけていたようだ。泣きながら靴を洗う彼女を慰めていると、彼女の服の袖に電柱に止まっていた鳥がフンを落とした。


 これはもう、アンラッキーの域を超えている。


 話を聞く限りでは彼女は大人になってから不幸体質になったという。さっきの梯子でバランスを崩したのもそのひとつ、数日前も同じようなことをしたらしい。


 他にもお気に入りのネックレスが飼っている猫に引っかかれて千切られたり、朝ごはんを食べようと準備していたら猫がテーブルに飛び乗って朝ごはんを乗せたトレーをひっくり返したり、イヤリングをカラスに狙われたり、溝にハイヒールのヒール部分が挟まって抜けなくなったり......。


 これらは今日昨日で起きたことだが、細かな不幸はまだまだあるらしい。


 聞いているだけで不幸が乗り移りそうな程の数に、バレットもエズラも「うわあ......」と口から自然に声が出た。


「子供の頃はそうじゃなかったんです?」

「そうなんです、そうなんですよ!」


 ペルラは大きく二度頷いた。


「小さい頃は全く逆でした。本当にラッキーガールでした。ラッキーすぎて周りに妬まれるくらいには!」

「まるでラッキーマンの逆バージョンだな」


 エズラがさっきから黙っているラッキーマンをチラリと見た。彼は顔を輝かせてペルラを見ている。さっきから一言二言ペルラと言葉を交わしているが、恋愛的な要素をひとつも含んでいないことが嬉しいようだ。


「マルコムさんはラッキーマンって呼ばれていますよね、本当に羨ましいです......」


 ラッキーマンが名前を呼ばれてハッと我に返った。


「そそそ、そんな! 不幸体質って寧ろどんな感じなのか俺気になります!! なってみたい!!」

「その返しはまずいだろ」


 エズラが彼の足を軽く踏んずける。バレットも「あちゃー」と顔をそらした。そして、


「ラッキーとアンラッキーって、合わさったらどうなるんだろうね?」


 とわざと声を張った。それと同時にエズラにチラリと視線を送った。


「......たしかに。中和されてちょうどよくなるのかもしれないな」

「......!!!!」


 どうやら気づいたらしい。ラッキーマンがペルラの手を取った。


「ペルラさん!!!」

「へ!? は、はい」

「俺ら、一緒にいればちょうどよくなりますよ!! 俺のラッキー体質がペルラさんのアンラッキー体質を打ち消すかもしれません!! そしたら二人で幸せになれるかもしれません!!」

「で、でも......それでマルコムさんが不幸に勝てなかったら......」

「そんなことはないです!! 決して!」


 ラッキーマンが彼女の手を握るその手にグッと力を込めた。


「俺が幸せで塗り替えてみせます!! 絶対に......だから、一緒にいませんか!」


 ペルラが彼の顔と握られた手を交互に見た。


「......わかりました。よろしくお願いします」


 彼女が笑った。


 バレットがエズラにグッと親指を立てた。エズラもそれを見て口元を緩めた。


 *****


 数日後、SNSにおいてラッキーマンに関する話題が次々とあげられる。


 彼のパートナーは不運に見舞われた女性であるが、彼の幸運体質は無事に彼女の不運を吹き飛ばしたという。


 書店も二人の話題によって利益が大きく跳ね上がり、いずれ「ラッキー夫婦」という名前まで付けられる二人だが、それはまた別のお話。

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