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Black File  作者: 葱鮪命
86/196

File048 〜シエスタの旋律〜

「次は何です?」


 B.F.星4研究員のコナー・フォレット(Connor Follett)があがった息をベンチで整えながら、右隣の銀髪に問う。


「この辺りで行方不明者が増えているんだってさ」


 ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)が携帯電話の地図アプリを見て言う。


「はあ、行方不明者」


「ブライスがくれた資料では、今のところ四人って言ってたね」


「うん。しかも全員午後一時から四時の間で消えているよ」


 コナーの左隣に居るドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)が腕時計を見た。今は一時を少し過ぎたくらいだ。超常現象の調査ということで、昼飯も食べず前の現場からそのまま来たので、コナーは腹が空いていた。


「何か食いましょうよ。俺の腹、もう限界なんですが」

「僕はまだ空いてないよ。根性の問題だね」

「何適当なこと言ってんですか」


 ナッシュの言葉にコナーがすぐさま返す。ナッシュは集中しているのか何も返さない。地図アプリを見つめて一人でブツブツ呟いている。


 長年付き合っていると、こういうところが彼の相棒のブライスに似てきたな、とコナーは思う。本人はまるでそれに気づいていないみたいだ。


 ドワイトはそんなコナーとナッシュのやりとりを微笑ましげに見つめて、


「お昼ご飯買おっか。私もお腹空いたんだ」


 と立ち上がった。


 コナーは賛成して彼に続いて立ち上がる。ナッシュを振り返ると全く気にしていない様子で地図と周りの景色を確かめている。


「ナッシュさん、行くっすよ」

「ん? ああ、お昼かい? 僕はいいから、二人で食べてくるといいさ。もう少しこの辺りを確認してみたいんだ」


 ナッシュはそう言って立ち上がったが、二人とは反対方向に歩いて行った。


「ほんと、自分勝手ですよね」

「仕事熱心でいいじゃないか。何だかブライスみたいだね」

「それ俺も思いましたよ。熱中すると話聞かないんですよね」


 コナーが肩を竦めるとドワイトが笑った。


「さあ、私たちはお昼ご飯を食べよう。何食べたい?」

「軽いのでいいですよ。時間無いんすよね?」


 今日の外部調査で調べなければならない超常現象は三つある。


 一つ目は「透明な家」というもので、これはコナーとナッシュがたまたま見つけた不可解な事件と絡み合っていたことが分かり、無事解決に至った。だが午前中を全てその超常現象に使ってしまったので時間は押している状態だ。


「ゆっくり食べたって大丈夫だよ。外部調査は間に合わなければ次の日に伸ばして続けることも出来るからね。前の班はそんな感じだったよ」


 ドワイトはおっとりした声で言い、「何を食べようかなあ」と遠くの方を見ている。コナーはそんな彼の隣を歩きながら、周りの様子を確認する。超常現象がすぐ近くに居るかもしれないので目は光らせておく。


 ナッシュに言われて、そしてさっきの超常現象がまさにそれを強く感じた発見の仕方をしたからか、コナーは意識するようになっていた。


 染まってきたな、自分も、と心の中で苦笑して隣を見ると、ドワイトが居ない。


「えっ!?」


 慌てて振り返ると、彼は少し離れたカフェの前でメニューボードに熱心に目を通していた。


「こっちもこっちで自分勝手だな」


 コナーは頭を搔く。


 類は友を呼ぶという言葉がしかと感じられた。

 ナッシュもブライスもドワイトも全員性格がバラバラだが、案外そんなこともないらしい。夢中になると周りが見えないという点では驚くほど三人とも一致していた。


「ドワイトさん」

「ん?」


 近くに行って声をかけるとドワイトがメニューボードから顔を上げる。


「どうしたの?」

「いや......」


 コナーは言うのもバカバカしいのでメニューボードに目を落とす。サンドイッチを中心とした店のようで、自分でカスタムもできるらしい。デザートも豊富で、オシャレな名前が並んでいる。


「此処、美味しそうだね」

「そっすね」

「コナーは何食べたい?」

「ドワイトさん選んでいいっすよ」


 コナーは素っ気なく返事をして、カフェの中の様子を眺める。外にも食べられる場所を設けているが、休日の午後なので席は空きが見えない。


 ドワイトは「そっかあ」と言って、再びメニューボードに目を落としている。


 カフェに潜んでいる超常現象として考えられるのは何だろう。


 コナーは暇つぶしに考えてみる。コーヒーが気づけばミルクに変わっていたとか、頼んだものが勝手に増えているとか、減っているとか、そもそもカフェではなくて、カフェの姿をした別の何かにすり替えられているだとか_____考えようと思えば、想像の尽きない限り沢山出せる。


「決めた!」


 コナーの想像はドワイトのその言葉で終わった。


「何にするんすか?」

「ベーコンサンドかな。コナーもそれでいいかい?」

「ああ、いっすよ」

「じゃあ、買ってくるから待っててね」


 ドワイトがその場を離れて行ったのでコナーは近くのベンチに座った。そしてポケットから携帯電話を取り出した。


 他の場所で別れて行動している後輩のエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)とバレット・ルーカス(Barrett Lucas)の様子が気になったのだ。


 あの二人も外部調査は一度経験しているので大丈夫だとは思うが、先輩として近況は聞いておきたい。


 電話をしてみると、出たのはバレットだった。


「ああ、もしもし? 俺だけど。そっち大丈夫?」

『あああ!! コナーさああん!! 助けてくださいー!!』


 コナーはバレットの悲痛な叫びを聞いて思わず立ち上がった。


「どした!?」

『腹がいっぱいで死にそうです......』

「......」


 コナーはそっと電話を切った。


 もう今日は電話をかけないと思った。


 続いて自分の先輩にかけた。こちらの方がよっぽど良い報告が聞けそうである。


 そう思っていたのに、電話がいつまで経っても通じない。コナーはかけ直したが、二度目も同じだった。


「何だ?」

 コナーはメールを送ってみる。


『電話通じないっすけど、無事ですか』


 五分待ってみたが、それに返信が来ることはなかった。彼のことだからまだ夢中になって気づいていないだけかもしれない。


 それにしてもドワイトも遅い。昼時とは言え、もうそろそろ戻ってきても良い頃なのでは?


 コナーは途端不安になってカフェの中に入ろうとしたが、ちょうどカフェの中から茶色の紙袋を持って出てきた彼の姿を見た。


 が、彼は一人ではなかった。


「一人ですか?」

「いや、後輩を待たせているんだ」

「一時間は?」

「予定が詰め込んでいてね。ごめんね」


 コナーはじとっとした目で彼を見る。まさか先輩がナンパをされている現場を目撃できるとは。


 彼は二人の女性を引き連れていた。確かにあの顔なら簡単に引っかかる輩も多いだろう。コナーは助けるか助けないかの瀬戸際で悩んでいた。この様子を眺めているのも面白い。


「じゃあ、また」

 ドワイトがコナーの姿を見て小走りでやって来た。


「ごめんごめん、遅くなったよ」

「今の光景、カーラが見たらもう一生口聞いてくれないかもっすよ」


 コナーはオフィスで今一人で仕事をしているだろう、彼の助手のカーラ・コフィ(Carla Coffey)の姿を頭に思い浮かべた。

 彼女は一生懸命にドワイトに見合う助手になろうと日々頑張っており、コナーはそんな彼女がドワイトに寄せる特別な思いにも気づいていた。


 今の光景をカーラに見せたら泣き出すどころか、もう彼女の方から助手を辞めそうだ。


「内緒にしていてくれ。私も想定外だったんだ」

「ドワイトさん、顔良いっすもんね」

「そうかい? それは嬉しい」


 ドワイトは恥ずかしげに笑う。まだ遠巻きに見ていた女性達がヒソヒソと耳打ちをしている様子が見て取れた。


 目立ってはいけないはずのB.F.職員がナンパされるとは、施設に戻ってからのお土産話がひとつ出来てしまった。


「少し離れた場所で食べようね」


 ドワイトが熱い視線に気づいているのか、カフェからかなり離れるらしい。コナーは面白いなあ、と思いながらそれについて行った。


 *****


 ナッシュは、コナーとドワイトと離れて街を歩いていた。


 資料によればこの近くで四人の人が行方不明になっているという。

 連絡が取れなくなったと分かったのは全員午後で、全員に共通しているのは楽器を演奏するのが好きであるということ。それ以外には年齢も性別もバラバラだ。

 だが、比較的住んでいる場所はこの付近で、本当に昼食を食べてフラリと外に散歩に出ていったきり、という感じらしい。


 楽器の演奏が好きであれば、考えられる場所は大体絞られる。

 まずは楽器屋。これはブライスも考えていたことだった。

 もうひとつはライブハウス。


 しかし、後者の考えはほとんど無いと言っても過言では無い。同じバンドが好きだという共通点は無かったし、この付近にあるライブハウスは小さい。ホームページでライブハウスのここ最近の使用状況を確認したが、四人が居なくなった日はライブが行なわれているということはなかった。そもそもそのライブハウスは夜に開場になるようで四人が失踪した時刻とはかけ離れている。


 以上の理由により、前者が残された。付近の楽器屋というと、確かに楽器屋があるのだ。ナッシュは楽器の演奏経験は無いので知らなかったが、楽器を演奏する者からしたら散歩がてら見に行くような場所なのかもしれない。


 ナッシュが辿り着いた楽器屋は考えているよりも小さかった。ノースロップの中心部は所狭しと建物が建っているので、街中に店を構えようと思えば、自然と狭くなってしまうらしい。


 ナッシュは店に体を滑り込ませた。


 木でできた床はニスでキラキラと輝いている。その上に並ぶギターやピアノ。


 店はやはり想像していた狭さだった。壁も使って商品を陳列しており、店というより物置部屋に近いような狭さだ。


「いらっしゃいませ」


 店の奥から声が聞こえてくる。カウンターを挟んだ反対側に開け放たれた扉が見えた。ナッシュは目を細めてその向こうを見ようとするが、向こうは真っ暗だった。


 今の声はきっと店員だろうが、随分クリアに聞こえた。店の中には誰もおらず、声の主はあの暗い空間の中に居ると考えるのが妥当である。


 が、その声はくぐもっていなかった。違う部屋に対して声をあげても声はくぐもって聞こえるに違いないのだ。こんなにクリアに聞こえるわけがない。


 性別はおそらく男性だろう。


 もう既に超常現象の中にナッシュは居るのだ。


「ピアノを見に来たのですが_____」


 ナッシュはそう言って、後ろ手に今入ってきた扉のドアノブを回した。逃げ道を確保しておくのは大事な事だ。一人で来たからには危機感はいつも以上に持つべきだ。


 が、扉は開かなかった。鍵はかかっていないが、ドアノブが回るだけで扉は開かない。ナッシュは顔を歪ませて、やられた、と今度はカウンター裏の黒い空間を睨みつける。


「はいはい、どんなものをお望みでしょう」


 黒い空間から出てきたのは40代前後の男性だった。紺色のエプロンを付けた彼は、出入口付近に立っているナッシュに対してニッコリと微笑んできた。


「息子の誕生日にと思って......正直楽器はさっぱりでして」


 ナッシュも負けじと微笑んで肩を竦める。


「ああ、それでしたら良いものがあります」


 男性の店員がそう言って店の奥に行く。ナッシュはその場から動かなかった。電話を取りだし、ドワイトにかけるが電波がない、という声だけが虚しく耳元で響くだけだった。


「此方は子供でも弾きやすいのではないでしょうか。高さの調整ができますよ」


 男性がキーボードに指を乗せた。その瞬間、ナッシュは膝からがくん、と力が抜けたのを感じた。


「テンポの調整も簡単ですし、何より鍵盤の重さを変えられるのが良いんですよ。だいたい子供に弾かせるならこれを購入する方が多くてですね_____」


 男性はもう一音弾いた。ナッシュは体を支えきれず、腕で体を支える。


「難易度に合わせた曲も中に入っているんですよ。仔犬のワルツ、エリーゼのために、カノン......自分で選べますから_____」


 ナッシュが完全に倒れる。男性はピアノから手を離して、倒れた彼にニコリと笑みを投げた。


「是非お買い求めください」


 *****


「ナッシュと電話が繋がらない?」


 ドワイトがサンドイッチを頬張りながら、コナーの手の中にある携帯電話の画面を見る。履歴の欄にナッシュの携帯の番号があるが、繋がらなかったという表示が出ていた。


「大丈夫っすかね。メールも見てないっすよ、あの人」

「確かに妙だね。すぐにナッシュが居た場所に戻ろう。ブライスに電話もかけてみる。彼の方に何か言っているかもしれないし」

「そっすね......」


 二人は昼食を食べ終えてすぐに、ナッシュと別れた場所まで戻った。


 超常現象の調査の時、なるべく数人で調査を行わなければならないのは、こうしたケースが考えられるためである。


 二人で行けばまだ連絡がついたのかもしれない。安易に一人にしてはならなかったのだ。


 ナッシュがいくらベテランと言えども、相手はまだほとんど情報がない超常現象なのだから。


「着いた、此処だ」


 ドワイトが一足先にナッシュと別れたベンチに辿り着く。ベンチには誰も座っていなかった。


 コナーは電話を取り出し、ナッシュにかける。ドワイトは「ナッシュ!」と名前を呼ぶ。


「繋がりません......」

「返事もないね」


 ドワイトは予めかけていたのか、自分の携帯電話を耳に当てた。


「ブライス、ナッシュが居ないよ。コナーがさっきから電話をかけてくれているけれど、出ないんだ」


 ドワイトがブライスと話している間、コナーは必死に辺りに目を向ける。


 何か変わったところはないか。何処かおかしな空間、思い当たるものはないか。


 人が四人も消えているこの周辺。超常現象の発生時間が昼の一時から四時の間と考えられる。そして、確か資料には_____。


「コナー!」


 ドワイトに呼ばれてコナーはハッと我に返る。


「近くの楽器屋に行こう! そこにナッシュが居るかもしれない!」


 *****


 二人が辿り着いたのは小さな楽器屋だった。外から見て小さいと分かるのは、隣の建物の壁がその楽器屋を押し潰してしまうのではないかという程に迫っており、楽器屋は肩身が狭そうにその空間で何とか体を保っているような構図になっていたからだ。


「此処が楽器屋っすか」

 コナーは外に立て掛けてある看板を見る。


『楽器屋シエスタ 12:30-16:00』


「随分短い開店時間っすね」


 コナーが首を傾げるが、ドワイトは考え事をしているのかその看板をじっと見つめている。


「どうしました?」

「コナー、此処は昼には来ちゃダメだ」

「え!?」


 コナーが目を見開くと、ドワイトはコナーの手を引いた。


「戻ろう」

「ちょ、ちょ、どうしました!? だって、ナッシュさんこん中なんすよね!?」

「そうだよ。でも、きっと今この中に入ったら私たちは何らかの方法で眠らされる可能性があると思う」

「眠らされる......?」


 ドワイトはコナーをその場から離れさせた。


「さっきの場所に戻ろう。説明はそれからだよ」


 *****


 ドワイトとコナーはベンチに戻ってきた。


「どういうことっすか」


 ベンチに座るや否やコナーはドワイトに説明を求めた。ドワイトは腕時計をコナーに見せてくる。


「コナーはスペインに行ったことはある?」

「へ? スペイン?」


 考えてもいなかった国の名前にコナーが素っ頓狂な声を上げる。


 自国から出たのは、星5のカレブ・リンメル(Caleb Rimmell)とその助手のマヤ・ピアソン(Maya Pearson)が引き受けた、「死の歌声」と名付けられた超常現象の外部調査だ。

 あの時に行った国はヨーロッパのひとつで、確かにスペインもヨーロッパの国に含まれはするが、スペインではなかった。


「ないっす」


 それが最初の海外出張と言われればそうだった。家族旅行でも海外には行ったことがないのだ。


「なら、少し説明が必要かもね。スペインではね、だいたい午後の一時から四時の間、賑わっていた街が一気に静まり返るんだ」

「街が、静まり返る......?」

「そう」


 ドワイトは頷いて、説明を続ける。


「通りを歩いていた人がほとんど居なくなって、しん、としてしまうんだよ」

「何で......?」

「皆でお昼寝をするからさ」

「昼寝?」


 コナーの声はまたも裏返る。


「スペインの伝統的な習慣に、シエスタというものがある。これは、午後の一時から四時の間でお昼寝休憩を挟むというものなんだ。スペインの夏って、昼時のピークが40度になるんだよ。そんな時間に仕事をしていては暑くて大変だから、こうして昼寝をして涼しい時間にまた働き出すというのが習慣になったんだよ」


「シエスタって、あの店の名前じゃないっすか」


 コナーは看板を思い出していた。あの看板には確かにシエスタと書いてあったのだ。


「開店時間もほとんど一致しているだろう。あの店の中に入って、ナッシュが出てこないのはおそらく眠らされているからかもしれない」

「......」


 コナーはドワイトが見せてくれる時計を見る。もう少しで二時。


 つまりあと二時間はナッシュの安否が確認できないということだ。


「四時まではナッシュを助けようにも助けられないね。異変に気づけば彼ならすぐ店を出ただろうから、あの様子だと扉が閉められたか、異空間になっていて迷ったか......とにかく、あの店に入らないことには私たちが得られる情報は少ないし、焦っても待つしかない」


 焦り気味のコナーの表情に気づいたのだろうか、ドワイトが冷静な声でそう言った。コナーは頷く。


 ドワイトの言う通りだ。時間が決まっているならその時間まで自分たちができることは待つことのみだ。


「シエスタって、最高の習慣っすね」


 昼時なんて一番眠い時間帯だ。そんな時間に昼寝をすることを習慣とされているなんて羨ましいことだとコナーは思ったのだ。


 ドワイトはそれを聞いて笑った。


 そう言えば、さっきから笑った顔を見ていなかったことに気づいた。一緒にサンドイッチを食べた後から彼はずっと真剣な顔をしていた。ナッシュが居なくなればそりゃそうか、と考えるがやはり切り替えが早い。


「でも、シエスタは一応私たちの会社でも形だけは取り入れられているよ」


「へ? そうなんすか?」


「オフィスに仮眠ベッドがあるだろう? 実験が長引いた時に体を休められるという理由とあるけれど、あれは最初は職員たちが最も作業効率が落ちるだろう昼時に少し横になれるように、ってブライスが提案したものなんだ」


 職員のオフィスにはひとつだけ仮眠ベッドが置いてある。実験で疲れた時によく使うコナーだが、そういう意図もあったのか、と彼は驚いた。


「と言っても現地のシエスタは一時間も二時間も寝ることは無いんだって。本当に短い時間で、眠らない人も居るんだ。休憩時間、ってとこかな」


「今度から会議でもっと話した方がいいっすよ。そのこと」


 コナーが言うとドワイトはあはは、と笑った。


「ブライスに提案してみないとね」


 よく笑うなあ、とコナーは思いながら自然とナッシュが居る店の方向を見る。


 本当に眠っているだけならいいのに。


 焦るなとは言われたが、コナーの心臓は自然と早まっていた。


 *****


 ナッシュは閉じていた目をゆっくりと開いた。暗闇の中でぼんやりと光る明かりに、彼は自分が今置かれている状況を徐々に思い出した。


 自分は超常現象の中に取り込まれたのだ。迂闊に中に入るべきではなかった。せめてもと扉を開こうとしたが、閉じたら最後、出られない超常現象だったのかもしれない。


 ナッシュは体を起こした。


 あのカウンターの向こうの暗い空間の中だろうか。だとしたら、行方不明になっていたあの四人が見つかるかもしれない。そう思ったが、自分以外に人が居る気配はなかった。


 では、あのぼんやりとした明かりはなんだろうか。


 ナッシュは完全に体を起こした。そしてポケットの中で震えている携帯電話に気づいた。誰かから電話がかかってきている。出てみようかと手を伸ばしかけていたが、その手は突然降ってきた声によって止まった。


「ナッシュさん」

 それは自分の元助手の声だった。


 しかし、あの橙色の髪を持つ助手ではない。ナッシュがコナーの後に取った二人目の助手。Mr.スクエアという化け物に殺されたあの助手だ。


「......ポーター」


 二人目の彼の助手は、ポーター・イーグル(Porter Eagle)。コナーよりもずっと真面目な、もうこの世には居ないはずの助手だ。


「どうして此処に?」

「ナッシュさんこそ。どうしたんですか? こんな場所で寝ていたら風邪を引きますよ」


 ポーターが手を差し出してきたが、ナッシュは手を伸ばさなかった。


「......ナッシュさん?」

「君は誰だ?」

「え? 誰って......ポーター_____」

「本物は死んでいるんだ。ずっと前にね」


 ナッシュは彼の手を振り払った。


「君がこの超常現象の案内人だとしたらちょうどいいや。説明をくれるかい?」

「......」

「あまり大人をからかうもんじゃないよ。僕は一応はこういうことの専門職だ。あとでたっぷり資料にしてあげないとならないからね。詳しく、ちゃんとした説明を期待するよ」


 ナッシュの微笑みに、ポーターの顔に焦りが見えた。


「......今までの人とは訳が違うみたいですね」


 突然ポーターの体全体が歪んだ。絵の具をぐるぐると筆で混ぜるように、彼の体中心から色が混ざり始め、そしてそれはあの楽器屋の店員の姿になった。


「楽器屋シエスタ_____素晴らしい音でお客様を快適な夢の旅に案内するお店だったのですが......釣るものを間違えましたね、これは」


「何も間違っていないよ。へえ、シエスタだって? 客を眠らせて夢を見せるって? それで四人の人を眠らせて閉じ込めているわけだ」


 ナッシュは立ち上がって真正面から彼を睨む。


「その後はどうするのかな。どうも楽器屋にしてはお客さん四人は少ない気がするよ。今まで何人もの人を君はその体に閉じ込めてきたんだろう」


「ええ、そうですが。人気店にするにはまだまだ楽器が必要でしょう」


「......何だって?」


 店員は笑った。


「そのままの意味ですよ。眠らせた人間をその人が出す声に合わせた楽器にするんだ。まあ、失敗作は_____」


 突然、ナッシュと店員の間にキーボードが現れた。鍵盤部分がところどころ抜けており、足が折れたのかガムテープでぐるぐる巻きに補強されている。


 店員はそのキーボードの鍵盤に指を置いた。ナッシュは思わず体を構えたが、耳を塞ぐよりも先にその音を聞いてしまった。


 しかし、彼の耳に飛び込んできたのはある男性の叫び声だった。苦しげに叫ぶその声が、ナッシュの腹の底から不快感を呼び覚ます。


「こんな汚い音になっちゃうんですが」

「......元は人間ってことか。あの楽器屋の楽器たちは」

「大正解。楽器屋シエスタは国を巡ってその場所その場所で素敵な声の出る人を誘っては楽器にするんです。この辺りはなかなか良い人材が居なくてですねえ。四人しか手に入らなかったんですよ」


 店員はキーボードを撫でて続ける。


「あなたは声も透き通っていて綺麗ですし、丁度在庫不足だったツリーチャイムにでもしたかったんですけど......何せ、目が覚めてしまいましたしねえ」


 店員はいかにも残念そうに肩を竦める。


「こんな失敗作になっちゃいそうです」

「目を覚まさなければ店に売られているってことだね?」

「まあ、そうですね」

「どうすれば元に戻るのかは分からないのかい」

「そんなの知ったところで商売になりませんよ。一度楽器にした人を逃すわけにはいきませんし。案外評判いいんですよ? よく手に馴染むって。そりゃそうですよ。元はヒトですから」


 店員がくすくすと笑っていた。表情がコロコロ変わるが、ナッシュは彼をただ睨みつけていた。


 どうにかしてこの空間から逃げ出すべきだ。だが、一体何処に出口があるのか。そもそも出口は存在するのか。


「逃げようとしてもそう簡単にはいきませんよ。あなたはどっちにしろ楽器になります。叫び声をあげるツリーチャイムなんて、逆に人気が出そうでしょう?」

「悪いけど僕はよっぽどの事がない限り叫びはしないよ。音の鳴らない楽器ができて終わりだね」

「へえ、そうですか。それもありですね。置物でも楽器は楽器だ」


 店員が薄笑いを浮かべてナッシュに近づく。ナッシュは彼の後方に目を向ける。


 あの薄明かりはなんだろう。さっきからずっと気になっている。


 此処がカウンターの裏にあった扉の向こう側、光すらなかった暗い空間だとしたら、あの光は店内の明かりなのではないか。それならば、どうにかしてあの光に触れられれば_____店の中に戻れるのではないか?


「鉄琴でもいいですね。フルートなんかも似合いそうだ」


 店員が手を伸ばしてくる。ナッシュは瞬時に携帯のライトを付けて彼にそれを向けた。自分は反対の腕を目の前に持ってきて光が目に入らないようにする。暗闇で見る光は簡単に人の目を眩ませる。


 ナッシュは店員が怯んだのを感じて、目の前にあるキーボードを抱えて光に向かって走り出した。


「!! 逃がすか!!」


 店員が追ってくるが、まだライトの効果があるのか此方に覚束無い足でやって来る。ナッシュは光に辿り着いた。その光はナッシュの体を包み込んだ。


 気づくと知っている店内だった。これだけ簡単な作りなのか、と少し拍子抜けしてしまう。だが、基本的に連れてこられた者達は皆眠らされているのだから、あの光はただ単にあの店員が空間の出入りをするためだけの扉の役割をするだけのものなのだろう。


「何か無いのか?」


 ナッシュは店員が追ってくる時間を考えてカウンターを漁る。戻ってきたにしてもこの店の扉はまだ鍵がかかっているのかもしれない。その時、ナッシュはこの店の名前を思い出した。


「シエスタ_____」


 ナッシュは腕時計を見る。今は15:56を示していた。


「さあ、もうどんな楽器だっていい。店に並べさえすれば、馬鹿は買っていってくれるんですから」


 扉から店員が迫ってくる。ナッシュは咄嗟にカウンターの下にあったものを掴み、彼と距離を置いた。


「よくもまあ、これだけの人を楽器にしたな」


 ナッシュは店内をぐるりと見回す。


 ギター、キーボード、バイオリンから笛......全て人だったのだ。一体この空間に何人の人が閉じ込められているのか。


「ええ、苦労しましたよ。綺麗な声が出る人ほど良い音を奏でる。見る目があったんですね、最高傑作ばかりを集めたんです。今までどれだけの人に買われたか」


「君がやってる事は人身売買だ!!」


「楽器ですから。もうヒトではないんです」


 店員はゆっくりとナッシュに迫る。ナッシュは再び逃げた。ピアノを挟んで、再びカウンターに戻ってきた。


「私も手荒な真似はしたくないんですよ、いい加減楽器になってください」


 店員がキーボードに手をかけた。ナッシュは耳を塞ぐ用意をする。が、彼がキーボードを叩くが、それから音は鳴らなかった。


「くっ......!? なんで......!!」


 彼がまさか、とナッシュを睨む。ナッシュはイタズラっぽい笑みを浮かべて、自分の腕時計の文字盤を覆っている硝子をコンコンと指で軽く叩いた。時計の針は16:00を指している。


「この店の名前、なんだったかな?」


 次の瞬間、店内に冷たい空気が流れ込んできた。それは外に通じる店の出入口の扉が開かれたことを示していた。


「ナッシュさん、助けに来たっすよ!!!」


 店に飛び込んできたのはコナーとドワイトだった。


「ナッシュ、無事かい!」

「ああ、もちろん! 此処からこの楽器たちを出してくれ! これ、全部人間だよ!」

「人間......!?」


 その数に驚愕するコナーとドワイト。店員が再び乱暴にキーボードを叩いたがその音はならなかった。


「何でっ......鍵は確かに閉まるはずなのに......!!」


 店員が悔しげに開け放たれた扉を睨んだ。


「鍵というのは、これのことかい?」


 ドワイトが懐からちゃりん、と音の出る物を出してくる。それは鈍く銀色に輝く鍵だ。店員が呆然とした様子でそれを見つめている。


「一体、どうやって_____」

「僕は一般の人とはわけが違うんだよ。その中でも更にね」


 ナッシュが自分が着ていたジャケットの前ボタンを外した。そして、その内側を店員に見せる。ジャケットの内側には、夜の闇よりも黒いものが蠢いていた。


 *****


 ナッシュはカウンターの下から鍵を見つけて手に取った。


 考えることが出来る現在の状況と、どうにかしてドワイト、そしてコナーに助けを求める方法。


 まずこの店の名前、シエスタは営業時間がスペインの伝統の習慣、「シエスタ」の時間に合わせてあると考える。


 見つからなかった行方不明者が居なくなった時間が午後一時から四時。この店が完全に店として動いているのはその時間帯。その時間帯外での行方不明者は、今のところ確認されていない。


 店は閉店時間があり、そうなれば当然店に客は入れないのだ。


 この店員はヒトを楽器に変えるだけで満足するのではなく、きちんと商売として楽器を売っている。そうなればやはり店に勝手に入られて楽器を盗まれるなどするというのは、超常現象だったとしても普通の商売人と同じ気持ちになるに決まっている。


 つまり、店は営業時間外ならば施錠するということだ。


 カウンターの下から見つかったこの鍵は、考えるにあの空間に繋がる扉のもの、もしくは店の施錠用のものだ。


 ナッシュはそれを自分が着ていたジャケットの中に忍び込ませた。


 彼はかなり昔、まだコナーすら助手にとっていない頃に、ある超常現象に取り憑かれた。その名も移動式空間。


 その超常現象の性質は、自分の服の内側に蠢く黒い空間を、何処でも好きな空間に繋げることが出来るというものだ。


 ナッシュの白衣の内側にはその空間が蠢いているのだが、それは白衣に限らず、ナッシュが着る全ての衣服に取り憑いてくる。当然、今回ナッシュが着ているジャケットも例外では無い。


 ナッシュはそれにドワイトかコナーの元に通じるよう願って鍵を入れた。どうやらその鍵は二人にきちんと届いたらしい。そして、それで扉を開けてもらったのだ。


 *****


「営業時間内なら、扉は外から簡単に開いたけれど、ナッシュが中に入って戻ってこなかったから何かがおかしいと思ったんだよ」


 ドワイトが鍵を指に引っ掛けてくるくると回しながら言う。


「シエスタの時間が終われば、きっとそのまま店には入れなくなる。でも、僕を眠らせた楽器たちの力もまた失われるんだろう? だからさっき、君が鳴らそうとしたキーボードは鳴らなかった」


 ナッシュが店員に近づいていく。店員が悔しげに唇を噛んで後ろに下がっていく。


「さあ、此処に居る人たちを元に戻してもらおうじゃないか。それとも、君が楽器になるかい?」

「......」


 店員が舌打ちをした。


「降参だよ。まさか、こんな街で捕まるなんて」

「本当に災難だったね。僕らは超常現象研究組織Black Fileだよ。ノースロップの地下に本部を構える、政府公認の機関なんだ。この街に入ってきたのは間違いだったね」


 *****


 店の中にある楽器は元の人の姿に戻ることができた。確かに皆声に特徴がある人が多く、聞き惚れるほど美しい声を持っていた。


 ブライスが何人かの研究員を連れて店員をB.F.に連行し、行方不明者達の身柄は警察に引き渡された。


「んで、やっと二つ目終了、と」


 すっかり空になった楽器屋の店内を見回して、コナーはため息をつく。


 既に外は真っ暗で街頭に明かりが点っている。完全に日が暮れてしまったが、彼らが調査するべき超常現象はまだひとつ残ってしまっているのだ。


「あ、居たー!!」


 行方不明者の人集りを超えて二人の赤髪と青髪の男性がやって来る。バレットとエズラだ。


「おお、お前ら大丈夫だったんだな」

「コナーさん酷いですよ、何で電話切っちゃうんですか」

「どうでもいいことで電話してくるからだろうが」

「どうでもよくないです!!」


 バレットが頬を膨らませてコナーを見る隣で、エズラは警察に囲まれた建物を興味深そうに見ていた。


「大変だったんですね」

「そうなんだよ。ナッシュさんが勝手に行動するもんだから、苦労したんだからな_____」


 ゴンッ。


 コナーの頭の上に突然拳が落ちてきた。手首から上が無い。バレットとエズラがギョッとしたが、少し向こうで警察と話をしているドワイトとナッシュが見えた。ナッシュの方がジャケットに右腕を突っ込んでいるので、そういうことだろう。


「地獄耳が......」

 コナーが頭を摩ってボソリと言った。


「で、お前らの方は調査終わったのか?」

「バッチリです!! ちゃんと三つ目までやりましたからね!!」


 バレットが得意げにピースサインを決める。エズラが「どこがだよ」と小さく呟いたが、コナーにしか聞こえていなかった。


「俺らの方はまだひとつ残ってるんだよ。これから行くのかな」


 コナーは腕時計に目をやる。夜の八時を回ったところだった。


 今から行くにしたらB.F.に帰るのは12時を余裕で超えるのではないか。


 この超常現象だってこんなに時間がかかると予想していなかったのだ。


「三人ともお待たせ」


 ドワイトとナッシュが戻ってくる。コナーがサッとバレットとエズラの後ろに隠れた。その目はナッシュの拳を見ている。


「そっちは片付いたかい?」

「バッチリです!!」

「そっか、それは良かった。怪我はないかい?」


 ドワイトが問うと、バレットとエズラがチラリと目線を交わした。


「まあ、腹がいっぱいですかね」

「俺もです」

「そうなんだ。見た感じ元気そうだし、大丈夫そうかな?」


 コナーはそういえば、さっきバレットに電話をした時に彼が腹がいっぱいだと嘆いていたな、と思い出した。


「ナッシュさんたちの方は、あとひとつ残ってるんですか」

「そうなんだよ。でも、もうこの時間だと遅すぎるよね」


 ナッシュが空の暗さを確かめて、肩を上下させた。


「帰るんすか?」

「ブライスが言うには、」


 ナッシュがニヤッと笑って三人を振り返る。ドワイトもニコニコと笑っている。


「外泊OKだってさ」

「!!!!」


 三人の顔がパッと輝く。


「まじっすか!?」

「え、え、外泊って、ホテル!?」

「許可貰えたんですか!」


「そ、お金も貰ったし、折角なら一番高いところにしよう」

「後で言われないかい?」

「大丈夫さ、どうせ国のお金だ。外泊費くらい快く出してくれるよ」



 そう言って、ナッシュは歩き出す。ドワイトもそれに続く。三人は親について行く子供のように、その背中を軽い足取りで追うのだった。

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