バレット・ルーカスの夢
誰かが自分を抱えて走っている。
視界に移るのは、紅葉のような小さな自分の手。そして、迫り来る黒いモヤ、武器を手にした何か。
自分を抱えている誰かの服を強く握る。
「大丈夫だ。アンタだけは絶対に助けてやる」
耳元で声がした。それは男の声だった。
*****
「バレット、おい」
ゆさゆさと誰かに体を揺すられている。
バレットは、はっと目を開いた。よく知る天井が見える。自室だ。時計を見ると、朝が来たらしい事を短針が伝えていた。視界には同室のイザイ・グレゴリー(Isai Gregory)がいた。心配そうに顔を覗き込んでいる。
「イザイ......」
「おお、やっと起きた。平気か?」
「......」
頬に伝うものを感じて、バレットは手を頬に滑らした。泣いていたらしい。「またこれか......」と小さく呟く。
「お前一ヶ月に一回くらいのペースであるよな、それ」
イザイは着替えるためにか、バレットのベッドから離れていく。バレットも体を起こした。ぐしぐしと目を擦る。
「何なんだろうなー......怖い夢ではないんだけどさあ......」
夢を見ていたのは事実だ。なんの夢か。砂漠のような場所にて誰かに担がれて何かから逃げている夢である。
バレットはこの夢を一ヶ月に一度のペースで見ていた。それは研究員になる前からである。小さな頃から、物心がついた頃からだろう。
不思議な夢なのだ。怖いわけでは無いのに涙が出る。一体なんなのだろうか。自分は砂漠になど行ったことがない。
「超常現象かもな」
イザイが言った。着替え終えた彼は洗面所に消えていく。顔を洗っているのか水が流れる音がした。
_____超常現象。そう言えばその説は考えたことがなかった。
バレットは口に手を当てて考える。
これがもし超常現象だとしたら、自分はいつからこれに取りつかれているというのだ。
「うわ、いけね、今日朝一で実験入ってるんだった」
イザイが慌てた様子で洗面所から出てくる。
「じゃあな、バレット。今日もエズラと仲良くしろよー」
彼はそれだけ言うと部屋を出ていった。バレットは未だにベッドの上から動けない。ぼんやり彼が消えていった扉を見つめて、昨夜シャワーを浴びていなかったことに気づいてようやくベッドから出たのだった。
*****
シャワーを浴びながらバレットは気づいた。
自分は生まれた時から足の付け根に痣がある。これは両親も知っていることで、別に病気というわけではないらしい。痛みもないし、放っておいただけのものだ。
バレットは鏡を食い入るように見つめていた。
「夢と痣......」
その二つが関係あるのかはわからない。が、せっかくこの会社で働いているのだ。知らないことを調べてみてもいいのかもしれない。
*****
「あ? 調べたいことがある?」
エズラが振り返った。彼は今日発売のカスタードたっぷりのタルトを頬張っていた。甘いものに目がないので、常に食堂のデザートのメニューには目を光らせているのだ。
「そうなんだよなー......小さい頃から見てる夢なんだよー。超常現象だとしたら、やっぱり調べてみようかなーって」
バレットはエズラに買ってきて貰ったチュロスを咥えていた。
「夢か。でも曖昧だろ。いつ見るかもわからねえのに」
「まあ今日見たから一ヶ月後ってことだろうけどさあ。長期の実験になるかもしれないけど、やってもいい?」
「ああ。個人的なものにはなるだろうな。ま、ブライスさんも止めはしないだろうし。提案してみればどうだ」
「そうするー」
*****
ブライスは会議中だった。こんな朝から会議をしているとなるとまた随分と忙しいのだろう。
バレットは欠伸を噛み殺しながら廊下のベンチで彼が出てくるのを待っていた。
ブライスやドワイト、ナッシュなどの長い経験を持つものならばあの夢について何か知っているかもしれない。実験をせずとも答えは出てしまうかもしれない。
小さな会議室の前でバレットはそんなことを思っていた。すると、
「お疲れ様でしたー」
会議室の扉が開いて研究員たちが出てきた。八人ほど出ていったが、ブライスは姿を表さない。バレットは立ち上がった。そして会議室の中を覗き込んだ。
ブライスは最も奥の席で資料に書き物をしているようだった。邪魔をするわけにはいかないだろう、と再びベンチに戻ろうとしたところで、
「おや、バレット? どうかしたのかい?」
後ろから声をかけられてバレットは飛び跳ねるほど驚いた。背後にいつの間にか銀髪の綺麗な男性研究員が立っていた。ナッシュである。
「あ、や、あの」
ブライスに目を戻すと、彼も当然此方を見ていた。
「どうした」
「えと......相談したいことが......」
「まあ、取り敢えず中に入ろうよ」
ナッシュに背中を押されてバレットは会議室の中へと入っていった。
*****
「ふーん、夢ねえ」
ナッシュが頬杖をついて言った。
「小さい頃から何回も同じ夢を見るんです。定期的に」
「砂漠......黒いモヤ、か」
ブライスは何やら考えているようだった。
「そういった超常現象ってあるんですか?」
バレットは身を乗り出して問う。ナッシュとブライスはちらりと目線を交わらせた。
「あることにはあるんだけれど......」
「ああ。ただ、異空間の超常現象だな。最後に現れたのは......一年前、だな」
二人とも何処か白々しい言い方をするので、バレットは眉を顰めた。
「調査とかはしてあるんですよね?」
「している」
「しているね」
「じゃあ、誰を派遣したんですか?」
「......」
「......」
これにはブライスとナッシュが黙った。
「もし良ければその超常現象に関する資料をコピーしてあげるよ。報告書もね。明日同じ時間に此処に取りに来るといいさ」
「えっ!! 本当ですか!!? ありがとうございます!!」
ナッシュの言葉にバレットはやっとあの夢の謎が分かるのだ、という嬉しさに声を大きくした。
そしてすっかり満足して、お礼を言って部屋を出て行く。
完全に閉まった扉を見てナッシュは苦笑した。
「困ったなあ、こりゃ」
「資料ならまだしも、報告書まで渡すとは何を考えているんだ」
ブライスがナッシュを軽く睨んだ。
「ごめんよ。でもコーデルより先に派遣した子の資料を渡したならいいさ。それか、彼より後のね。......まだ、本当のことはバレットに話すべきではないと思うんだ」
「...... デビットにも許可を貰う必要はあるだろうしな」
「そうだね」
ナッシュが肩を竦めて笑って、遠くを見た。
「でも、不思議なこともあるものだね。超常現象の力って、やっぱり僕らじゃ証明しきれないほど不思議なものだ」
「......ああ」
ブライスが、ペラペラと分厚い研究員ファイルを捲った。そして、とあるページで手を止める。
そこには「砂漠の鎮魂歌」と書いてあった。




