File044 〜君の死に顔を拝みたい〜 前編
コーデル・ローチ(Cordell Roache) はB.F.星3研究員だ。同期のアーバン・ライルズ(Irvin Ryles)とは入社当時から仲が良く、オフィスを行き来したり、自室を行き来したりしていた。
コーデルは後にバレット・ルーカス(Barrett Lucas)の先輩となる人物だが、これはバレットは愚か、ノールズでさえB.F.に入社していない頃の話である。
その日もコーデルは朝起きるとアーバンと自室を出た廊下で合流し、共に食堂へと向かった。
将来はペアを組むのではないかと周りから言われるほど、二人は仲良しだった。飯もよく二人で食べて、時々お互いの先輩も交えて四人で食べることもあった。
「あー、今度の星4の試験、俺どうなるかなー」
朝食のベーグルにクリームチーズを塗ってレタスや生ハムでオシャレに仕上げているコーデルがため息混じりに言った。彼の向かいでアーバンもベーグルにジャムを塗っていた。
「まあ、何とかなるでしょ。ああいうのってよっぽどの事がない限り落ちないようにできてるだろうし」
アーバンがそう言った。
二人の星4昇格の試験は一か月後に迫っていた。
「アーバンは星4になったら独立するのか?」
「んー? いや、俺はしないつもり。まだ先輩のところに居たいし」
アーバンの先輩、マシュー・ウォーレイ(Mathew Warleigh)は星5研究員だ。40代前半のかなりベテラン研究員で、この会社での地位もそれなりである。
「アンタ先輩大好きだもんなあ」
アーバンがマシューのことを「先輩」と呼んで強い尊敬を抱いているのをコーデルはよく知っている。
マシューは博学で、超常現象に対して慎重に接するので、ブライスにも重宝されている人材なのだ。それにマシューは雰囲気が柔らかい。初めてコーデルが出会った時は親戚に一人くらい居そうな優しいおじさんという印象を受けた。それほど親しみやすい研究員なのだ。
「否定はしない。先輩のもとでもっと自分の腕を高めたいんだ」
アーバンはコーデルの言葉に照れ笑いを浮かべて言った。
「で、コーデルはどうするのさ。デビットさんからの独立は考えてるのか?」
「俺? ちっとも?」
コーデルがとぼけた顔で言うとアーバンが吹き出した。
「なんだ、お前もか」
コーデルの先輩、デビット・フィンチ(David Finch)はマシューと同期の星5研究員だ。此方も同じく優秀な研究員で、マシューと歳は三歳しか変わらないが、多くの研究成果を収めている。
「40代近いとやっぱ一人は寂しいかなあって。おじさん一人のオフィスとか近寄り難いじゃん? だから俺が居てやるんだよ」
コーデルがうんうん、と頷きながら偉そうに言うとアーバンが「あ」と謎の母音を漏らしてコーデルの後ろを指さした。コーデルは全くそれに気づいていない。
「デビットさんってさ、最近老眼なのか文字読めなくてさ。俺が代わりに資料読んでやることもあるんだわ。それに食堂にご飯買いに行ったりね? まあ、都合の良いように使われてるけど、それもまた_____って、なんだよアーバン。後ろになんかあるわけ?」
コーデルがピクリともしなくなったアーバンにようやく気づいて後ろを振り返る。そして魔王のような覇気をまとった自分の先輩が背中に立っていることにようやく気がついた。
「やっべー、デビットさん、おはようございまーす」
コーデルがにっこりと笑うと、デビットも笑い返してきた。
「さっさと飯を食べてオフィスに来なさい」
「はあい」
それだけの会話だった。にっこり顔で返事をしたコーデルだったが、彼が居なくなった途端、
「やったわ」
と顔を青くして机に突っ伏した。
「お前は声が大きいんだよ」
アーバンが呆れ顔でコーデルの頭を軽く叩く。
「アンタは良いよなあ。マシューさんはあんなことじゃ絶対に怒らないし」
「歳に関するネタはどう考えても失礼だろ」
「ちょっとからかっただけじゃんか......」
なかなか真面目な自分の先輩には、ああいった冗談めいたことは伝わらないのだと、コーデルは改めて感じたのであった。
*****
「じゃ、またな、アーバン」
「ああ、お昼にね」
コーデルとアーバンは食堂で別れた。昼食は今日は一緒にとる予定だ。お互い実験は入っていないが、アーバンの先輩、マシューの方が合同実験らしい。アーバンはオフィスで留守を頼まれたらしく、今日はオフィスに一人の時間が多いそうだ。それならば一人の昼食は寂しいし、とコーデルは彼を昼食に誘ったのだった。
お互いのオフィスは仲良くしている。マシューもデビットも同期だからか、それなりに仲良しなので親友同士の子供というのか、アーバンもコーデルも自然に仲良くなったという感じである。
「デビットさん怒ってたなー」
廊下を歩きながらコーデルは独り言を漏らす。デビットの覇気をまとったにっこり顔がまだ頭をぐるぐる回っている。
「一回怒るとなかなか機嫌も治らないしなあ。食堂で何か甘いものでも買っとくべきだったか?」
ぶつぶつと呟いていると、
「コーデル」
前から声をかけられて、コーデルはハッと顔を上げた。
「マシューさん」
それはアーバンの先輩であった。上品な笑みを浮かべて彼は「今からオフィス?」と聞いてきた。
「はい、マシューさんは実験ですか?」
彼の頭にはゴーグルがついている。手にも分厚いファイルとバインダーを挟んでいるのできっと実験室に行く途中だろう。
そういえばアーバンが今日はマシューが実験のためにオフィスに一人になるのだ。となると、今から彼は合同実験の会場に向かうのだろう。
「そうだよ。でもちょうど良かった、これを君の先輩に渡して欲しいんだ」
マシューが手渡してきたのは分厚い紙の束であった。かなりの分厚さでステープラーの限界を超えている。受け取ったコーデルはその重さに顔を顰めた。
「一体何の資料ですか」
「うん、色々だよ。今回の実験、少し難しくてね。お荷物にならないようにデビットのオフィスに置いておいてもらいたいんだ」
マシューの言葉にコーデルはハッとした。しかし、何か言う隙も与えず、マシューは「じゃ、またね」と離れていってしまった。
*****
「おはよーございまーす」
コーデルがオフィスに入ると、デビットは資料棚にて資料を漁っているところだった。
「おはよう、コーデル」
棚からひょっこり顔を出した先輩のにっこり顔からは、やはり覇気が抜けきっていなかった。そんな覇気出してると早くに老けますよ、などと言ってみたいが言ったら最後、クビにされそうなので口が裂けても言えない。
「今日の昼食、アーバンも一緒に食べていいですか?」
「ああ、いいよ。そう言えばマシューは今日実験だったな」
「そうなんですよ。そうだ、これマシューさんから預かったんです。アンタに持っておいて欲しいって」
「え?」
コーデルが差し出した分厚い紙の束を受け取ったデビットが目を丸くする。そして、コーデルの顔を見た。
「何も言ってませんでしたよ。またね、って、それだけです」
「......」
二人の間に沈黙が降りた。
合同実験。人が多く、マシューのようなプロの研究員が派遣される実験ほど、危険で命に関わることはB.F.では誰もが知っていることだ。
マシューがデビットに大量の資料を預けた理由。それは彼の死を意味していると遠回しに二人は気づいている。
しかしそれを言葉に出して肯定すると、マシューがまだ帰ってくるか分からないというのに、完全に死んだと決めつけているようでならなかった。
「まあ、多すぎる仕事に嫌気がさしたんですよ。アンタに仕事を押し付けたら早く終わるとでも思ったんでしょうね」
コーデルが固まっているデビットの肩をぽんと叩いて、明るい声で言った。
「案外そういうところあるんですねえ、あの先輩」
デビットは何も言わなかった。しかし、数秒だけ黙り込んであとは呆れ顔に近い表情を浮かべた。
「お前じゃないんだから」
そう言って彼はデスクに戻っていった。
*****
それからマシューの訃報の電話が二人のオフィスにかかってくるまでそう時間はかからなかった。電話をくれたのはナッシュであった。
デビットが先に電話を取り、彼の声のトーンからマシューの死を悟ったコーデルは真っ先に親友の顔が思い浮かんだ。
アーバンはこの訃報を受けてどう行動するのだろう。その場に泣き崩れるのか、それともすぐに先輩の死んだ実験室に向かうのか。実験室にはまだマシューを殺した超常現象が居るはずだ。
だが、コーデルは彼が後者であることを知っていた。
あれだけ信頼している先輩を、彼は焼却するその瞬間まで目に焼き付けたいに違いない。
「マシューが、亡くなったそうだ」
デビットが電話を元の位置に戻して、振り返らずに言った。流石にこの状況で冗談を言えるほどコーデルはおちゃらけてはいない。「そっすか」と呟いて、時計を見上げた。
マシューが死んでナッシュが此方に電話を入れるまで何分かかるだろう。
先に連絡を入れるのは、実験当時にその場に居なければの話だが、ブライスだとして、その後に助手であるアーバン、そしてきっとナッシュはマシューがデビットと同期であるために電話をかけてきたのだろう。
そうなるとマシューが死んでから20分は経過している頃だろうか。
実験室に安全に入れるように超常現象を回収したとして、きっとアーバンはもうオフィスには居ないだろう。
「......俺、アーバンが心配です」
コーデルはオフィスの扉に手をかけた。
「見てきていいですか」
「......そうだね、見てきてくれ」
少しだけ震える先輩の声を背に、コーデルはオフィスを飛び出した。
*****
アーバンは案外オフィスに居た。ただし、様子がおかしかった。電話を持ったままじっと壁を見つめていた。コーデルがオフィスの扉を開けて入ってきたことにも気づかない様子だ。コーデルは声をかける前に彼のデスクの上に目がついた。デスクには何やら封筒が置いてあった。封筒の封は切られていた。その封筒の下に文字がびっしりと書かれた便箋が置いてある。
コーデルは便箋を手にした。
それはマシューからアーバンに向けた手紙だった。遺書とも言うべきなのか、彼が今から危険な超常現象に挑みに行くこと、そしてもし自分が死んでしまったらデビットのオフィスに行くこと、彼には既に資料は預けている、といった節のことが書かれていた。最後の行には、
『私が死んでも誰も恨まないでくれ。優しい君でいてくれることを私は天から願っている』
と書かれていた。
「......天からだってさ」
吐き捨てるような声で、アーバンは言った。彼の背中がぶるぶると震えている。
「優しい俺でいて欲しいんだってさ」
彼が受話器を壁に叩きつけた。
「助手を置いて死ぬバカが何処に居るんだよ」
コーデルは彼のもとに走り寄って、ぐっ肩を引き寄せた。
「先輩のアホ」
彼が子供のように泣き出した。コーデルはプラスチックが割れて中の端子が見えている受話器を見つめていた。
*****
結局、アーバンがマシューの亡骸を見るのは火葬がされるその瞬間までなかった。コーデルもアーバンと共に火葬場に居たが、マシューは体がボロボロになっていた。
対象とされていたのは、獣の超常現象。七人の研究員が殺されたという。マシューも当然その中に含まれていた。伝説の博士のうちナッシュとブライスも実験に参加していたが、二人も大怪我をしたのだとか。
そりゃ死んだって仕方ないな、とコーデルは何処か冷たく考えていた。
デビットは隣で静かに立っていた。彼の手はアーバンに繋がれていた。泣きじゃくるアーバンと静かなデビットはまるで親子のようだ。コーデルはそんな彼らの横に立ちながら、これからアーバンは自分らのオフィスに来るのだな、と近い将来のことを考えていた。
*****
「灰は持っておくか」
ブライスがアーバンに聞いていたのをコーデルは少し離れた場所で聞いていた。マシューの遺灰を手元に置いておくかどうかの話をしているようだ。
「はい、少しだけ持っておきたいです」
アーバンが頷いてブライスから遺灰を受け取っていた。ブライスは右腕を骨折したようで布で首から右腕を吊るしていた。顔にも傷があるので見ているこっちが痛い。ナッシュも同様、足を怪我したようで片足を引き摺るようにして歩いていた。
「終わりました。戻りましょうか」
アーバンが小さな銀色のチェーンを手からぶら下げてそう言った。遺灰を入れたペンダントのようだ。ブライスがくれたのだろう。
デビットは彼の頭を優しく撫でた。
「荷物は明日運ぶことにするよ。今日はもう自室に戻ったらいいさ」
「......そうですね」
アーバンは頷いて、コーデルを見た。
「無くすなよ、それ」
何を言えばいいか咄嗟に思い浮かばなかった。よってそんなことしか言えなかったが、アーバンは「ああ」と笑った。朝とは違う、弱々しい笑みだった。
*****
「おはよーございまーす」
次の日、コーデルはいつものようにオフィスにやってきた。いや、いつものようというのは少し違う。
今日の朝食はアーバンと一緒ではなかった。彼の自室に行くとルームメイトが、
「まだ寝てる。声はかけたからもう少しで起きると思うよ」
と言って出てきたので、コーデルは彼をそっとしておくことにした。
「そうか......オフィスの引越しは何も今日しなくたっていいからな」
デビットはアーバンの様子を聞いて頷き、仕事に戻った。
コーデルもデスクに向かいながら「そうですね」と相槌を打った。
*****
アーバンが二人のオフィスに顔を出したのはそれから二日後だった。二日ぶりに見た彼はよく眠れていないのか目の下にくまがあった。足元も覚束無い。
「まだ休んでた方が良かったんじゃないのか」
コーデルは彼に声をかけるが、彼はキョトンとした顔をしていた。
「何で?」
「何でって......まだ心の整理が_____」
「あー......コーデル、お前ひどいよ」
何か思い出したのか、コーデルの言葉を遮って彼が口を開いた。
「いつも朝食は一緒に食べてたのに、何で今日に限っては先に一人で食べちゃってんだ」
「......」
コーデルは呆気に取られて彼を見ていた。
「それに、マシューさんどこ? 探してるんだけどオフィスに居ないんだよ。あの人の机の上もまっさらだったし......今日何か実験入っていたなんて、そんな話聞いてないけどなあ」
コーデルは固まったまま動けなかった。
彼は一体何の話をしているのだろう。まるでまだマシューが生きているかのような話し方をする。昨日など彼は自室から出てきてさえいないはずなのに、いつも通り過ごしたかのような言い方だ。
「......アーバン」
「アーバン、おはよう。マシューは実験で数日オフィスを空けているんだけど聞いていなかったのか?」
コーデルの後ろからデビットがやってきた。デビットの言葉にアーバンは、
「そうでしたか......そうだったかも」
と口をもごもごさせながら頷いた。
「まあ、仕方ない。一人は寂しいだろうから、今日は私たちのオフィスに居るといいよ」
「そうですね、そうさせてもらいます」
アーバンは微笑んで、資料を取りに戻って行った。コーデルは未だ動けなかった。
「......コーデル」
デビットに声をかけられてコーデルはようやく動くことが出来た。デビットを振り返ると、彼は何とも言えない顔をして微笑んでいた。
「ショックによる記憶の混乱だと思うよ。まだ彼自身、状況が飲み込めていないんだろう。当然のことだ、ああして突然ペアが居なくなるなんて考えるだけでも恐ろしいことだ」
「......アーバンが元に戻ることはあるんですか」
「まあ、時間はかかるだろうな。シャーロットさんに相談してカウンセリングをしてもらう必要がありそうだ」
「......」
ただただショックだった。親友があんなふうになってしまうことが。何かしてやれるわけでもない。
「いつも通り振る舞うしかないさ」
デビットがそう言ったのが、コーデルには聞こえた。
*****
アーバンはオフィスにやってきていつも通り仕事をした。ただ、ふと彼を見てみると何処か空中を見つめていたり、ペン先を見つめていたりして、全く作業が進んでいない。そういう時の彼は何も考えていないようで、人形のようだった。
コーデルは彼を観察しながら、自分もデビットが死んだらこんなふうになるのだろうかとぼんやりと考えているのだった。
やがて昼食の時間になり、三人は食堂に向かった。何処か食堂の雰囲気が暗いのは、マシューを奪ったあの超常現象の対処によって多くの研究員が怪我をしているからだろう。見回すとブライスやナッシュのような怪我をしている研究員が多い。
デビットもいつか派遣されてしまうかもしれないと思うと、コーデルは自然とデビットの傍に体を寄せた。
「アーバン、俺あっちの列並ぶな」
コーデルが指さしたのはサンドイッチの列だ。それほど並んでいなかったので早く受け取れるだろうと考えたのだ。
「ああ、うん。じゃあ俺はあっち」
アーバンが選んだのはスパゲティの列だ。デビットもそっちに行くようだ。デビットの目を見ると彼は静かに頷いた。
サンドイッチの列に行くと、前に知っている背中があった。
「ナッシュさん」
背中が振り返る。ナッシュだった。足は相変わらず痛々しい。
「大丈夫ですか、足の方は」
「まあ、そんなに心配しなくたって大丈夫。そこまで酷い怪我じゃなかったしね」
「......そうですか」
「そんなことより心配なのはアーバンの方だ。彼はどうだい? 君らのオフィスに預けるようにマシューには事前に相談されていたんだ」
「みたいですね。でも、やっぱショックだったみたいで......記憶が混乱してるのか、まだマシューさんが生きているって思ってるんですよ」
「そうなのかい......確かに、受け入れ難いことではあるよね」
ナッシュが目を伏せた。この人もこんな顔をするのか、とコーデルは彼を見つめる。
「寄り添いすぎるのも良くないことだけど、出来れば一人にはさせないようにするんだよ」
「はい」
「そういえば、ブライスは何処に言ったんだろう。さっきまでその辺に居たんだけれど_____」
ナッシュが辺りを見回していると、突然誰かの悲鳴が聞こえてきた。食堂内は一気に静まり返る。が、また誰かの悲鳴、悲鳴......。悲鳴が連なった末に聞こえてきたのは、
「暴れてる研究員がいるぞ!!」
という怒号だった。
*****
人を掻き分けて行くと、そこにはアーバンが居た。彼の手にはフォークがあり、彼の足元にスパゲティが散らばっている。
「アーバン!」
彼の手にあるフォークには誰かの血痕があった。そして、彼の傍らで顔を歪ませながら彼を必死に押さえつけている自分の先輩の姿をコーデルは見た。アーバンはデビットの腕の中でもがき、そして周りを囲む研究員らにフォークを向けていた。
「誰がマシューさんを殺したんだ!! 俺の先輩を誰が殺したんだ!!」
彼の声が食堂に響き渡る。コーデルは見たこともない自分の親友の姿に圧倒されていた。
「何で誰も彼を助けなかったんだよっ!!」
アーバンが腕を大きく振るった。その腕がデビットの顔に当たる。コーデルは見ていられず、飛び出そうとした。が、咄嗟に腕を掴まれた。
「今行くのは危険だ」
それはナッシュだった。彼の目はじっとアーバンを見つめている。
「でも、デビットさんがあのままだと......」
「君が出る幕はないよ。怪我人を増やしてどうするんだ」
ナッシュが前に出かけていたコーデルを戻した。
「アーバン、これ以上喚くのは止めろ」
人混みの中から低い声がする。ブライスだ。腕はまだ吊ってあり、顔にも傷跡が残っている。
「お前が、お前が殺したのか!!」
アーバンがブライスに近づこうとするが、それをデビットはしっかりと止めていた。
「確かに、殺したと言えば違いないかもしれん。だが、周りを傷つけることはしなくてもいい」
「じゃあ、お前を殺してやる!!」
アーバンがデビットの腕から抜け出した。彼の持つフォークがブライスを向いた。
「アーバン、やめろ!!!」
耐えられなかった。この状況で飛び出さない親友がいるか。
「こら、コーデル!!」
ナッシュが引き戻そうとするのをコーデルは振り切ってアーバンに突進した。彼のフォークが首を掠め、二人はそのまま床に転がった。
「コーデル!」
デビットが駆け寄ってくる。コーデルは何とか体を起こして暴れるであろう親友を押さえつけようとしたが、
「......アーバン?」
彼はぷつんと切れたように眠りについていた。
*****
「憑依型の超常現象_____」
此処は医務室のベッドだ。怪我した首の手当を受けてから、コーデルはその資料に目を通した。
「最近、地上で不可解なことが起きている。温厚だった人間が突然人が変わったように暴れ出す。その人間はかなりの殺意を持って、周りにあるものを何でも使って、相手を殺そうとする。二重人格というのも考えられるが、地上ではかなりの確率でそう言った人間が現れているようだ」
「......アーバンもそれに憑依されたというんですか?」
コーデルは椅子を少しだけ回転させて、カーテンが閉まっているベッドを見た。あの騒動から一時間が経過するが、アーバンはまだ目を覚ましていない。
その憑依型の超常現象に共通することは、殺意のある人格が現れた後、その人間は必ず眠ってしまうという。確かにそれならばアーバンが突然眠りについてしまったのも納得が行く。
「どうして......アーバンが?」
コーデルは信じたくなかった。もう二度とあの親友には戻らないのかもしれない。ブライスの持ってきた資料にはその超常現象を主から取り出す方法は書いていなかった。
「マシューの死が何かしらのトリガーになったのは否定できないな。殺意の人格が現れた時のアーバンも、マシューの名を口にしていた」
「よっぽどショックだったんですよね......彼、短期的な記憶喪失になっているんです」
ブライスに続いて口を開いたのは同じく治療を受けていたデビットだった。
「記憶喪失か......それも関係はあるかもしれないな。アーバンは付きっきりで見張りが必要だな。俺かナッシュ、ドワイトで担当をする」
「それはダメです。ブライスさんはその......またさっきのような殺意を向けられるような気がします」
コーデルは目を伏せてごにょごにょと言った。
マシューの死がブライスのせいだなんて思ってはいない。彼のあの発言は彼がB.F.の最高責任者という肩書きを背負っていることから来るものだ。マシューが死んだのは誰のせいでもないのだ。
「ナッシュさんもあの怪我だと止めるのは難しいと思いますよ」
デビットもそう言ってコーデルの意見に加勢をする。ブライスは少し考えたあと、
「あの超常現象がもしこれ以上暴走を悪化させるなら、最悪の処置も考えねばならん。最も避けたいのは他の職員に手を出されることだ」
「......それって、アーバンを殺すってことですか?」
コーデルが思わず椅子から立ち上がると、デビットが何か言いたげにコーデルを見た。
「そうだ」
ブライスが淡々と答える。
彼の意見は的を射ている。彼の立場からして、部下を傷つけるものはすべて害悪であって、処さねばならないのだ。危険な超常現象だって今までそうやってきたのだ。
だが、アーバンに関してそうされることはコーデルからすればやはり避けて欲しいことだった。きっと起きれば彼はまた普通の状態に戻っているはずなのだ。
記憶喪失は起きていても、彼が親友である事実は変わらない。友達がいくら敵対視されていようが、殺されるのを黙って見ているなどできるはずがない。
「経過観察は必要だ。何も明日や明後日殺そうとしているんじゃない」
「アーバンが元に戻ったら殺しはしませんよね」
「当たり前だ」
「......俺、俺がアーバンの面倒を一日中見ます。もし、アーバンが悪化して、手が付けられないと判断したら_____」
コーデルは息を吸い込んだ。真正面からブライスを見据える。
「俺に殺させてください」
「コーデル!」
デビットが立ち上がった。コーデルはブライスをただ見つめていた。
「そんなに重い責任を部下に押し付けられん」
「でも、俺はブライスさんに殺されるアーバンを見てなんか居られません。本当に仲良しだったんです。最後くらい、楽にしてやるのは、俺にしてください」
「......」
「......私からもお願いしてもいいですか」
今度はコーデルがデビットを見た。彼はいつになく真剣な目でブライスを見ていた。
「私が責任を負います。ブライスさんには絶対に迷惑をかけません」
「......迷惑などかからん。わかった、もしもの時は二人に頼む。その代わり何かあれば必ず言え。人の生死に関わることを自分たちだけで解決するなよ」
「わかりました」
二人の声は重なった。コーデルは驚いていた。
まさか、デビットも共に頼み込んでくれるとは思わなかったのだ。だが、これで自分の親友の最期がブライスによってもたらされることはなくなった。
今までで最も重い仕事を引き受けたが、途中で投げ出すような軽い気持ちでは、コーデルは全くなかった。
後編は明日投稿予定です!




