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Black File  作者: 葱鮪命
77/196

File042 〜丸い時間〜

 エズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)は星4のB.F.研究員だ。ペアは同じく星4のバレット・ルーカス(Barrett Lucas)。喧嘩ばかりしているペアで有名だったが、ある超常現象の実験を行った日からあまり喧嘩はしなくなった。


「食堂のスイーツ、新作出たって!!」


 エズラがオフィスで仕事をしていると、昼飯を買ってきたバレットが嬉しそうに部屋に飛び込んできてそんな報告をした。


「へえ、どんなのだ?」


 エズラは根っからの甘党で、食堂の新作スイーツは欠かさず買って食べるのだ。一旦作業の手を止めてバレットを振り返る。


「プディングだってさ! でもテイクアウトの列が長すぎて断念しちゃった。買うのはまた今度かなー」


 バレットは買ったものをエズラに渡しながら残念そうな顔でそう言った。


「ま、新作の最初はそんなものだよな」


 何も一番に食べたいという精神ではなく、食べられるだけでいいので明日や明後日にでも買いに行こうとエズラは頷く。


「食いたかったけどなー」


 バレットは椅子に座り、買ってきたサンドイッチを食べ始める。

 エズラは一旦目の前の仕事を片付けようと受け取ったものをデスクの端に寄せた。すると大量の資料の下敷きになっていた、先程書き終えた報告書を見つけた。


「そういや、この前の実験の報告書の提出期限、今日までだったな」

「えー、そうだったっけ?」


 バレットが口をもごもごさせながら振り返る。


「俺、全部書いておいたから後で出してきてくれるか?」

「んー、いいよ」


 昔ならこのやり取りの途中でもすぐ喧嘩が起きたが、彼らの間に流れる空気は本当に穏やかなものになった。まだ時々喧嘩はするが、ペアとしてはそれなりに良い距離感で仕事ができている。


「よし、食い終わったし行ってくるよ」

 バレットがサンドイッチが入っていた紙袋をクシャクシャに丸めてゴミ箱に放り込むと、エズラのデスクから報告書を取っていった。


「ああ、頼む」

 バレットがオフィスを出ていくと同時にエズラも仕事を片付けた。早速昼飯にしようか、とさっき彼から貰った昼食に手を伸ばしたその時、彼の背後でコンコン、と扉を叩く音がした。


「はい」

 エズラは昼食に伸ばしかけていた手を引っ込めて立ち上がり、扉を開いた。そこに居たのは彼の同期であるケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)であった。


「ケルシーじゃねえか。どうかしたか?」


 ケルシーは何やらにんまりした顔をして、手を後ろに隠している。エズラが眉を顰めて「何だよ」と言うと、その手をゆっくり前へと持ってきた。その手には紙袋がぶら下がっている。食堂でテイクアウトをする時に貰えるものだ。


「新作のプディング食べたい人〜〜?」

「......!!!!」


 その言葉にエズラが反応したのは言うまでもない。彼女は確かにプディングと言った。しかもそれは、彼がさっきバレットから聞いた食堂のプディングなのだろう。


 顔を輝かせ始めているエズラに、ケルシーはくすくすと笑って、


「実は朝から並んでやっと手に入ったんだー! 四人分買っておいたから、みんなで食べようよ!! 私のオフィス集合でいい?」


 とそう聞いてきた。


 断る理由などまず存在しない。昼食すら食べていないエズラだが、このプディングの味をまず確かめてから食べても問題ないだろうと判断した。


「ああ、バレットが戻ってきたらすぐに行く!!」

 エズラが興奮気味に頷いたのを確認して彼女は、

「わかった、待ってるねー」

 と戻っていく。


 エズラは彼女が見えなくなってもその場から動けなかった。ソワソワと体がどうも落ち着かない。


 長蛇の列ができていたとのことで、バレットが諦めたプディング。まさかケルシーが買っていたとは。明日、明後日で食べようと考えていたのに、突然目の前にワープした幸せの扉にエズラは今にでも飛び跳ねそうなほどだった。


 早くバレットは帰ってこないだろうか。彼が戻ってきたらすぐにケルシーのもとに行かなければ。


 *****


 やがてバレットが戻ってきた。さっきの話を伝えると、彼も顔を輝かせていた。


「まじで!? ケルシーが!?」

「早く食いに行くぞ!」

「うん!! 行こう!!」


 二人は早速彼女のオフィスに行った。オフィスに入ると、ケルシーは紅茶を用意しているところだった。彼女のペアであり同じく同期でもあるビクター・クレッグ(Victor Clegg)はパソコンと睨み合いをしている。


「来たね!! そこに座ってー」


 ケルシーは仮眠用のベッドに二人を座らせてプディングを渡してきた。透明なカップに入った柔らかい黄色が美味しそうなプリンだった。ツヤツヤの表面にケルシーはそっとスプーンを刺す。


「マジで食っていいの!?」

「うん!! その代わりちゃんと味わって食べてよー?」

「もちろん!!」


 二人はプディングを同時に口に運ぶ。優しい卵の素朴な甘さとほろ苦いカラメルの相性が二人の表情を蕩けさせている。


「うっまああ......」

「美味い......」


 ため息をつくようにそう言う二人を見てケルシーはふふ、と笑った。


「良かったねえ、二人とも。ほら、ビクターも!」

「ん、ああ」


 ビクターがパソコンから顔を上げてケルシーからプディングを受け取る。そして特に反応も示さずにパクパクと口に運んだ。


「本当に美味そうに食うよな、お前ら」

 そう言って完全に蕩けている二人を見た。


「ビクターは何でこんなに美味しいもの食べて平気なわけ!!?」

「味分からないなら半分寄越せ」


 バレットはいつも通りだが、エズラはいつもよりもかなり興奮しているようだ。甘いものを目にすると自我を保っていられなくなるのだろうか、とビクターは最後の一口を何の躊躇いもなく口に入れた。


 二人も少しして食べ終えて、甘くなった口に紅茶を含んでいる。


「はあ、美味しかった〜」

「朝から並んだ甲斐があったよ〜。こんなに美味しいプディング初めて食べたもん!」

「うん、ありがとうケルシー!」

「はーい、どういたしましてー」


 ケルシーは二人から空になったカップと紅茶のカップを回収して頷いた。

 バレットとエズラは何度もお礼を言って部屋を出た。


「はー、本当に美味しかったなー」

「ああ、美味しかった」


 エズラが頷くと、バレットが何かを思い出したのか「あ、そうだ」とエズラの方を見た。その顔にはにんまりと悪い笑みが浮かんでいる。


「報告書の提出に行った時、今日の受付係がリディアさんだったよ」

「だから何だよ」

 エズラがぶっきらぼうに返す。


「別にー? もし分かってたらお前が行けば良かったのになー」

「......うざ」


 エズラはB.F.星5研究員のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)の元で仕事をしてきた。報告書の受付を担当するのは基本的に伝説の博士のブライス・カドガン(Brice Cadogan)かナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)なのだが、リディアはブライスに思いを寄せているので、彼との接点を増やそうと自らその仕事を請け負うことがある。大抵はブライスやナッシュがどちらも会議や出張で居ない時だ。今日もきっとそういうことなのだろう。


「俺ちょっとトイレ〜」

「あ、おい」


 エズラの機嫌を察したのか颯爽と逃げていくバレットをエズラは呼び止めようとしたが、逃げ足がどうも早い。エズラは大きなため息をついた。


 勘違いされやすいが、自分はリディアに好意など抱いていない。ただただ先輩とその助手という立場なだけだ。何故あんな煩いやつに恋などする必要があるのか。


 エズラはオフィス前に戻ってきて、扉を開いた。オフィスに入ると、彼は妙な違和感を覚えた。


「......ん? あいつ、報告書置いてきていないのか?」


 エズラは自分のデスクの上に書き終えたはずの報告書を見つけた。しかし、それはさっきバレットに届けてもらったはずだ。リディアが受付係だったという彼の言葉がそれを証明している。まさか、リディアと話だけして肝心の報告書を提出するのを忘れてきたのだろうか。

 相変わらず抜けているところがあるな、と呆れながらエズラは彼のデスクに報告書を移動させた。そして自分のデスクに戻ると、


「食堂のスイーツ、新作出たって!!」


 バレットが部屋に飛び込んでくるなり、そう叫んだ。エズラは眉を顰めて彼を振り返る。


「何だよ、二つ目か?」


 プディングの他にも新作はあったのか。普通は別々に報告するものだろうか?


 しかしエズラの言葉にバレットはキョトンとしている。


「二つ目って?」

「はあ? プディングならさっき食ったろ。新しいスイーツがもう出たのかよ」

「え!!? ちょっと待ってよ、エズラ新作のプディング食ったの!? ずっっる!!」

「......は?」


 エズラの頭にハテナが浮かぶ。


 何を言っているのだろう、彼は。さっき自分たちはケルシーたちのオフィスでプディングを食べたはずだ。


「馬鹿なこと言ってんなよ。さっきケルシーのオフィスで食ったろ」

「食ってないよ!! えーっ、エズラばっかりズルい!!」


 バレットが頬を膨らませてエズラを睨む。

 一体こいつは何の話をしているのだろう。そんなことよりも、彼には言わなくてはならないことがある。


 エズラは立ち上がった。


「おい、お前、報告書提出に行けよ。何でさっき提出しに行ったのにまだデスクに置いてあるんだよ?」


 エズラはバレットの机に置いた報告書を掴んでバレットに突き出す。バレットが「はあ?」と首を傾げた。


「俺提出になんか行ってないよ?? てか、エズラが書き終えたことすら聞いてないんだけど、俺」

「は?」


 エズラはますます分からなくなる。

 おかしい。さっき確かに自分はこいつに報告書を渡して提出しに行かせたはずである。そして、彼は受付嬢がリディアだと言って自分をからかってきた。


「......俺が間違ってたかもしれない。でも、書き終わったから持って行ってくれ」

「わかった」


 バレットは不満げに口を尖らせていたが、エズラの手から報告書を取って、持っていた昼食の袋をデスクに置いてオフィスを出ていった。エズラはまだ混乱した頭のまま自分の椅子に腰掛ける。


 何だかおかしくないか_____?

 まるで、さっきと同じことを繰り返しているかのようだ。


 そう思ってエズラは時計を見た。


「!?」


 時計が明らかにおかしかった。この時間は、まだケルシーがプディングが手に入ったという報告をしに来る前の時間だ。時計が壊れているのだろうか。だとしても_____。


「......」


 エズラはバレットがデスクに置いていった袋を見る。中身はサンドイッチだった。今日の昼食である。二回目を買ってくるほど彼は食いしん坊ではない。


 エズラは電話を手に取った。そして、ケルシーのオフィスにかけた。それに出たのはビクターだった。


『もしもし』

「ビクターか? エズラだ」

『なんだ、どうかしたのか』

「今何時だ?」

『12時32分だけど......何でだ?』


 エズラは時計を見上げる。きっかりその時刻である。ズレているわけではなさそうだ。


「いや......ありがとう。なんか俺のとこ、時計ズレてたから」

『ふーん』

「仕事中にごめんな。切るよ」

『ああ』


 エズラが電話を置いたその時だった。コンコン、と扉を叩く音がした。エズラは思わず身構える。この感じだと、さっきのようにケルシーが居て、新作のプディングが手に入ったと言うのではないか。


「はい」

 エズラは扉を開いた。そこに居たのはやはりケルシーだった。


「新作のプディング食べたい人〜〜?」


 彼女はやはりにんまり顔でそう言った。エズラの顔が引き攣る。


 変だ。まるで、時間がループしているようだ。


「......エズラ?」


 何も言わないエズラを不審に思ったようで、ケルシーは不思議そうに首を傾げる。


「おかしいなあ、甘党のエズラなら喜んでくれると思ったのに」

「......ああ、いや、美味そうだな」

「実は朝から並んでやっと手に入ったんだー! 四人分買っておいたから、みんなで食べようよ!! 私のオフィス集合でいい?」


 さっきと全く同じセリフだった。エズラは軽く目眩を覚えた。


「ああ、バレットが戻ってきたらオフィスに行くよ」

「わかった、待ってるねー」


 ケルシーが居なくなって、エズラは頭を抱える。


 みんなが自分を驚かせようとしているのだろうか。だとしたら、こんな事有り得るのだろうか。


「どうなってんだよ......」


 エズラは時計をもう一度見る。問題なく進んでいる。ビクターの部屋のものも同じ時刻を刻んでいるようだ。


「時計は正常なのか......?」


 ビクターの部屋のものもズレていると言うのはありえない話でもないが、全く同じ時刻でズレているという可能性は低い気がする。


 ぐるぐると頭を回転させているとバレットが戻ってきた。とりあえずケルシーの部屋に行くことを伝える。プディングが手に入ったことを言うと喜んでいた。さっきのように。


 *****


 ケルシーのオフィスに着いて、紅茶とプディングをもらった。全員が同じ反応を示していた。エズラは時計を見る。ズレているようには見えない。ビクターもケルシーも、そしてバレットも、皆同じように振舞っている。


「エズラ......? あんまり気に入らなかった?」

 ケルシーが黙り込んでいるエズラを見る。


「え、いや、美味いよ」

 エズラは慌てて言う。


 プディングは同じ味だった。だが、バレットはまるで初めて食べたかのような反応を示している。


「朝から並んだ甲斐があったよ〜。こんなに美味しいプディング初めて食べたもん!」

「うん、ありがとうケルシー!」

「はーい、どういたしましてー」


 この会話も知っている。


 *****


「はー、本当に美味しかったなー」

「ああ、美味しかった」

「あ、そうだ、報告書の提出に行った時、今日の受付係がリディアさんだったよ」


 このバレットの表情も、エズラは二度目だ。黙ってオフィスの扉に向かう。


「あー、俺ちょっとトイレ」


 バレットが少し焦り気味にそう言ってエズラから離れていく。さっきはエズラの返しに危機感を覚えて逃げていく構図だったが、何も返さなかった今、エズラが完全に怒っていると悟ったような逃げ方だった。やはり少し異なるところもあるが、それはエズラの振る舞いに左右されていると考えるべきだ。


 さて、とエズラは自分のオフィスの扉を見た。


 この後だ。


 エズラは扉に手をかけ、ゆっくり開く。そして、


「......」


 自分のデスクに報告書が乗っているのを発見した。思わず頭を掻き毟る。


「くっそ......どうなってんだよ、これ......」


 エズラはオフィスに入って時計も確かめる。きっかりその時間だ。このままでは同じ時間を繰り返すことになる。


 しかしどうしてまたこんなことが急に起きるのだろう。恐らく超常現象だろうが、こんなピンポイントで自分だけが狙われるものだろうか。


 他の人間にはこれは現れていないのか?


 一体皆は何処に行ったのだ。いや、自分だけ居なくなった可能性もある。


「......はあ」

 エズラは椅子に座り、頭を抱えた。このままこの空間から抜け出せなければどうなってしまうのだろうか。自分は永遠とこの時間を繰り返すのだろうか。


 その時、バレットがオフィスに戻ってきた。


「食堂のスイーツ、新作出たって!!」


 三度目のセリフだった。


「え、ちょっとエズラ大丈夫か!?」


 バレットが明らかに様子がおかしいエズラを見て駆け寄ってくる、その手には昼食のサンドイッチが入っている食堂の袋がぶら下がっていた。


「ああ、平気。なあ、報告書書き終わったから持って行ってくれ」

「う、うん。わかった」


 エズラのデスクにある報告書を掴んで、バレットはオフィスから出ていく。もちろん、昼食は置いていった。エズラは立ち上がり、どうしたものか、と取り敢えず研究員ファイルを見てみる。


 今までこんな超常現象に出会ったことがない。過去に例がないのではないだろうか。


「くっそ......なんかないのか......!」

 焦る気持ちを抑えて研究員ファイルを乱暴に捲っていると、背後でコンコン、と扉を開く音がした。ケルシーだ。


「......はい」

 扉を開ける。彼女がにんまり顔でいつものセリフを言う。


「新作のプディング食べたい人〜〜?」

「......食いたい」


 正直どうでも良かったが、エズラはそう言った。


「バレットを連れて後で行くから」

「え!? う、うん」


 ケルシーが驚いた顔でオフィスに戻っていく。エズラはファイルをもう一度眺める。


 ヒントは何も無い。時間がループしている。どうやったらここから抜け出せるのだろう。

 きっと、バレットがトイレに行くと言って、あの後にオフィスに入らず他の場所に行ったとしても、この扉を潜ればまた同じ時間に戻されてしまうのだろう。


 やがてバレットが戻ってきて、エズラは彼を連れてケルシー達のオフィスを訪れた。三度目のプディングはもう美味しいとは感じなかった。味わうことも無く平らげて、エズラは考えをめぐらす。


 そう言えば、この後バレットが言うセリフの中に、今日の受付係にリディアがいるというのを教えてもらうが、ブライスらはどこにいるのだろう。

 恐らく会議だろうが、ブライスなら、何か教えてくれるのでは無いのだろうか。

 彼ら伝説の博士ならこの類の超常現象くらい相手にしたことがあるのでは_____?


「エズラ、今日静かだねえ?」

「プディング美味くなかったのか?」


 エズラはケルシーとバレットの質問に答えず、すぐにオフィスを出た。バレットが慌ててそれについて行く。


「何かあったの?」

 バレットが心配そうにエズラの顔を覗き込む。


「......なあ、今日の受付係ってリディアだっただろ」

「え!? なんで知ってんの?」

「いや、それよりブライスさんたち何処に居るか知ってるか」

「ブライスさん?」


 バレットが「あー」と宙を見る。


「たしか、第五会議室が会議中になってたからそこだと思うけど」


 どうやらサンドイッチを買いに行った時に、第五会議室が閉まっているのを見たらしい。そこに助けを求めに行くしか無さそうだ。


「わかった。お前トイレだろ。行ってこいよ」

「え、うん。行ってくる」


 何で知っているのかという顔をされたが、さっきと同じことをしてきたのだから当たり前である。


 エズラはオフィス前で彼が居なくなるのを見届けた。此処で間違っても自分のオフィスの扉を開いてはならない。此処がトリガーになっているのだとしたら、開いたら再び最初に戻されるだろう。


 エズラは会議室へと向かった。第五会議室は会議中という札と共に扉が閉められていた。会議中に入るのは気が引けるが、緊急事態なので仕方がない。エズラは会議室の扉をコンコン、とノックした。少しして、誰かが近づいてくる音がした。


 扉が開かれると、そこに立っていたのはドワイトだった。


「エズラ君。何かあったのかい?」


 会議を中断してしまったのだろうが、ドワイトは柔らかい笑みでエズラに話しかけてくる。


「ブライスさんに用があるんですが、居ますか?」

「ブライスにかい? いいよ、ちょっと待っててね」


 ドワイトが振り返り、ブライス、と声をかけると間もなくしてブライスがやって来た。


「エズラか、どうかしたか?」

「会議中にすみません......助けて欲しいことがあるんです」


 ブライスが怪訝そうに眉を顰めたが、緊急事態であることは伝わったらしい。ドワイトに少し抜けるぞ、と言い残して会議室から出てきた。


「それで、どうしたんだ」

「実は......」


 エズラは事細かに今起こっていることを説明した。ブライスは険しい顔でそれを聞いている。そして、

「タイムループだな」

 と頷いた。


 タイムループ、とエズラは繰り返す。それらしい名前を知ることが出来て内心ほっとした。ブライスにもなればきっと馬鹿にせず話を聞いてくれると信じていた。


「これは......どうにかなりませんか」

「ああ、どうにかするしかない。昔に同じような超常現象について調べていた。この手の現象には必ず何かその原因になっている物体がある。心当たりはないか?」

「心当たり......」


 ブライスに問われてエズラは考えてみるが、そんなものを見た記憶もない。特別変なことがあったと言えば、やはり自分のオフィスの扉を開く度に時間が巻き戻るということだが、その原因の物体というものは検討もつかない。


「......特に......」

「そうか。もしあるとすればそれはタイムループが起こっているお前のオフィスの中に存在する可能性が高いはずだ。もう一度オフィスに戻って考えてみることはできるか?」

「オフィスの中......」


 オフィスに戻るとなると、時間はまた巻き戻ってしまう。せっかく此処まで来てブライスに話をしたが、このこともゼロからになってしまうのだろう。


「同じことを俺に話すのは面倒だろうが、残念ながら今のところそれくらいしか方法が思いつかん。オフィスを徹底的に調べてみろ。怪しいと思えばそれを持ってこい」

「......分かりました」


 エズラは頷く。ブライスとはそこで別れ、自分は素直にオフィスに戻ることにした。扉を開けば、やはり自分のデスクの上にはもう何度見たか分からない報告書が鎮座していた。エズラは一通り部屋を見回した。


 タイムループという名前から考えて、やはり一番最初に思い浮かぶのは時計だった。この部屋の中で唯一時間を示すものだ。


 エズラはバレットのデスクの正面の壁に付いている時計に腕を伸ばした。見た目に変化は無い。いつも見ている時計である。時刻は進んでいないが。


「......あった」

 エズラは時計を外して分かった。時計の裏に、小さなメモ用紙がびっしりと貼り付けてある。


『助けて』『もう嫌だ』『怖い』


 無数のメモにはそんな言葉が書かれていた。エズラはそれを見て寒気を覚えた。


「......全部俺の字だ......」


 自分の字だった。エズラは目眩がした。こんなものを書いた覚えはない。だが、遠くの方で書いたのではないか、という感覚が呼び起こされようとしているような、気味の悪い感覚に襲われる。


 エズラはとにかくメモを全て外した。そして、乱暴に研究員ファイルに挟んで部屋を飛び出そうとした。が、部屋の扉が開かない。鍵がかかっているかのようだ。


「は......!? 開けよ......!!!」


 しかし、どう足掻いても扉は開かない。こんな時間に鍵を締められることなんてないはずだ。

 ガチャガチャと回していると、突然扉が開いた。そこにはキョトンとした顔でバレットが立っている。


「どったの?」


 バレットが首を傾げている。エズラはバレットを押しのけてオフィスを出ようとした。が、何故か戻される。前に透明な壁があるかのように外に進めない。


「え、おいってば!! どうしたんだよ、エズラ!!」


 バレットに落ち着け、と言われてエズラは部屋へと戻される。そしてエズラは気づいた。あの時計がかかっていた場所から次々とメモが生まれて床に落ちてきている。


『出して』『誰か助けて』『逃げたい』『此処から出して』『もう嫌だ』『死にたくない』


 エズラは気がおかしくなりそうだった。頭を抱えて座り込む。頭の中にグワングワンと何かが流れ込んでくる。ひとりぼっちになったオフィスで、狂ったようにメモを描き続ける自分の姿。疲れきった頭で、殴り書きで、発狂しそうになりながらペンを握り続ける自分。


 その時、エズラは電話の音で我に返った。目の前にバレットは居なくなっていて、扉は閉まっていた。エズラは床に這うようにして電話まで行く。頭が痛い。バラバラと天井かどこかからメモが落ちてくる。


『やめろ』『ダメだ』『電話をとるな』『取ったら殺す』『死にたくない』


 それでもエズラは電話を手に取った。壁に背を預けて呼吸を整えながら、朦朧とした意識で電話を耳に押し付けた。


『エズラ、エズラ、しっかりしろ!』


 その電話の向こうから聞こえてきたのは緊迫したブライスの声だった。


「ブライスさん......」

『いいか、これからお前にとある命令をする。お前はそれを確実に実行しろ。いいな』

「はい......」


 この空間から抜け出せるならなんだっていい。なんだっていいから、とにかく早く出たい。


『ビクターらのオフィスでプディングを食った後、バレットと別れてお前はいつもならオフィスに入るが、それをせずに少し待ってみろ。少ししたら、オフィスから「お前」が出てくる。そいつを殺すんだ』

「......?」


 エズラはよくわからず、電話を耳に当てたままぼんやりとしていた。


『気をしっかりと持て。その世界線にいるもう一人のお前を殺すんだ。そうすればきっと元の世界に戻れる』


 _____はて、では、この電話の向こうのブライスは一体何処の世界線のブライスだろうか。


 もしかして、このブライスは自分を騙そうとしているのでは?


 自分を殺そうだなんて自殺行為もいいところだ。

 自分に銃など向ける勇気がない。いっそこのままこの空間の中で死んでしまおうか。そうすればどうなるのか検討はつかない。他に何人もいる自分が残りの人生を全うするということになるのか。


『......エズラ、俺を信じろ』


 投げやりになりかけているエズラの耳元でブライスの声が力強く、そう言った。


 彼が言うならそうなのだろうと、今は頷くことしかできないのだ。


「分かりました」

 エズラは電話を戻した。


 *****


 待っていると、毎度の如くバレットがオフィスにやってきた。新作のプディングの話をされ、報告書の提出に行かせる間にエズラはビクターに電話をした。


『もしもし』

「ああ、ビクター。エズラだ」


 今度は時計のことを聞くのでは無い。


「武器庫から拳銃を一丁持ってきてくれるか」

『はあ? お前何言ってんだ』

「頼む、どうしても必要なんだ」


 エズラが頼むと、ビクターは渋々承諾した。


 少ししてケルシーがやってきて、新作のプディングが手に入ったと報告してきた。あとでバレットと向かう、と言ってエズラはバレットをオフィスで待った。


 やがてバレットが帰ってくると、二人はケルシーたちのオフィスに向かった。オフィスにはケルシーしか居なかった。


「あれ? ビクターは?」

 バレットが誰もいないデスクを見て首を傾げる。


「武器庫に用事があるって言うから行っちゃった」

「ふーん?」


 三人でプディングを食べていると、ビクターが戻ってきた。手には拳銃を持っていた。エズラがそれを受け取り、バレットを連れてオフィスを出る。そして、バレットとオフィス前で別れた。此処で待っていれば良いらしい。


 エズラは拳銃を持ってオフィスの前で待機した。どのくらい待っていればいいのかは分からない。だが、待っているしかない。


 その時、突然目の前にバレットが現れた。彼は目の前にいるエズラには気づきもしないのか、オフィスに入っていく。


「食堂のスイーツ、新作出たって!!」

「へえ、どんなのだ?」


 最初の会話だった。しかも、おかしいことに自分の声がする。自分は此処に居るというのに。


 少ししてバレットが報告書を持って出てきた。報告書を取りに行ったようだ。続いてケルシーがオフィスにやってきた。彼女もまたバレットのように自分は見えていないようだ。


「実は朝から並んでやっと手に入ったんだー! 四人分買っておいたから、みんなで食べようよ!! 私のオフィス集合でいい?」

「ああ、バレットが戻ってきたらすぐに行く!!」


 ケルシーも部屋を出ていき、バレットが戻ってきた。バレットを連れて、自分が部屋から出て来る。

「......!!」


 あちらはすぐに気づいたようだった。そして、その自分はポケットに手を伸ばしている。そのポケットの膨らみは拳銃の形をしているとエズラは一瞬で分かった。彼も銃を持っているのだ。


「させるかっ!!」


 エズラは相手が銃を取り出す前に彼の頭を素早く撃ち抜いた。

 すると、自分の頭も殴られたような強い衝撃に襲われた。エズラは床に倒れ込む。意識が離れていく。目の前では、自分が同じように倒れていた。その顔は、安心したように笑って見えた。


 *****


 エズラが目を開くと、そこは医務室だった。ベッドの上でぼんやりしていると、しゃっ、とカーテンが開いた。


「エズラッ!!」


 バレットが飛び込んできてエズラに泣きついてきた。

「......バレット?」


 頭を動かすと、酷い痛みに襲われた。そっと触れると、包帯のようなものが巻かれている。


「なあ、ほんとのエズラだよなっ!!?」

「......ああ、たぶん」


 バレットがエズラの返答に声を上げて泣き出した。そんな彼を眺めながらぼんやりしていると、


「エズラ」

 ブライスがカーテンを捲って入ってきた。


「よく耐えたな。もう大丈夫だ」

「......はあ......」


 戻ってこられたのかもしれない。それでもまだあの不思議な世界の中にいるのではないかと疑いたくなる。


「お前にどんなことが起きたのかを説明する。バレット、少し落ち着け」

「ううう......」


 ブライスに引き剥がされているペアを、エズラはまだ朦朧としながら眺めていた。


 *****


 ブライスは説明をくれた。


 一人の人間に対して、その人をとある時間に閉じ込めてしまう超常現象があるという。


 逃げ出す方法はただひとつ。一人の自分を殺すこと。どの世界の自分でもいい。とにかく殺す。


 そうすれば、ほかの世界の自分にも影響を与えて、ループを壊すことが出来る。


 もちろん、自分にもその影響は現れるわけだが。


「あの大量のメモは、ほかの世界線のエズラが書いたものだ。怖いだとか、死ぬ、だとか言うのは、すでにこの世界からの出方を知っていたお前が書いたものだろう」


 ブライスがいくつか資料を用意してくれていたようで、エズラはそれに目を通しながら彼の説明を聞いていた。バレットもエズラと共にその資料を覗き込んでいる。


「一応、頭は撃ち抜いたが、本当に弾丸で撃ち抜かれたのはあの世界線のお前だけだったから、お前はただ頭が痛いだけだろう。命に別状はないぞ」

「......そうですか」


 エズラは肩の力を抜いた。


 不思議な超常現象もあるものだ。あんなに孤独な思いをするものには、もう出会いたくはない。まるで悪夢を見ているようだった。


 エズラはそこでひとつ疑問に思ったことがあった。


「ブライスさんから電話がかかってきたんですが......あれはどの世界線のブライスさんだったんですか?」

「その世界線の俺だろうな。そいつがその超常現象に気づいたんだろう。幸運だったな」

「なるほど......」


 では、目の前の彼がかけてきたというわけではないということだ。

 考えれば考えるほど頭がこんがらがる超常現象である。


「同じような超常現象は昔に出会ったことがある。その経験が大きかったな」


 やはりブライスに助けを求めたのは正解だったようだ。


 あのループは壊れたのだろうが、まだどこかの世界線では、あの怯えた文字を書く自分がいるのだろうか。


 エズラは考えたくなくて瞳を閉じた。


 瞼の裏には、あの撃ち殺した自分が最期に見せた柔らかい表情が浮かんでいた。

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