File040 〜鍵探し〜 前編
「今日は日曜会議、結構長いみたいだから先に部屋に戻っててもいいからね」
オフィスでB.F.星5研究員のノールズ・ミラー(Knolles Miller)は日曜会議の準備をしつつ、後ろのデスクで作業をしている助手のラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)に言った。何気なく言ったつもりであったが、助手の彼が作業の手を止めて振り返った。
「遅いんですか」
そんな問いが返ってきてノールズは振り返る。
「あれれえ? どうしたあ、寂しそうにして......ラシュレイも一緒に行く〜?」
嬉しさが込み上げてきたからか顔が綻んでしまうノールズを、ラシュレイはじと、とした目で見たあと、すぐに作業に戻った。
「一言も言ってないです。さっさと行ってください」
「わは〜、照れてやんの〜」
ニヤニヤして彼はラシュレイの顔を横から覗き込む。ラシュレイはうざったそうに目を細めた。
「行かないとこの前あげたプレゼント、回収しますよ」
「あ、それはダメっ!!」
ラシュレイの言葉にノールズは慌ててネクタイを抑えてラシュレイから離れた。彼の誕生日にお揃いのネクタイピンをあげたラシュレイ。ノールズは予想以上に喜んでくれて、毎日のように付けている。
「これは俺の命と同じくらい大事なもんなの!!」
「そうですか。行ってきてください」
「冷たい......」
ノールズがガックリと肩を落としてオフィスを出ていった。同じような会話を毎日繰り返しているのに、よく飽きないな、とラシュレイは思いながらコーヒーを淹れるために立ち上がる。コーヒーメーカーを作動させる際に自分の胸元が目に入った。そこには、きちんと彼と同じものが付けてある。
先輩とペアというのもどうかと思ったが、ノールズは喜んでいた。あまりネクタイというものを付けないラシュレイだったが、彼からは「毎日付けて!!」としつこく言われているので、最近は仕方なく付けている。これを付けて歩くのは少し恥ずかしいのだ。
コーヒーが溜まったのでその場で口に含みながら、ラシュレイは壁にかけてある時計を見上げた。そろそろ夕食の時間である。日曜会議の間は空いているので、ぱぱっと済ませてこよう。
ラシュレイはカップを置いてオフィスを後にした。
*****
食堂はやはり空いていた。居るのは基本的に星4以下の職員だけ。ラシュレイはトマトスープとチキンサンドをトレーに乗せて、いつもの如く壁際のカウンター席に座った。此処はあまり人が座らないので彼の中では安全地帯なのだ。
目の前は壁なので目が暇である。黙々とサンドイッチを頬張りながら、彼は残っている仕事を頭で数えていた。すると、
「あ、あの、お隣よろしいですか」
目を壁から声がした方へと移す。小さな少女が座高の高い椅子を引っ張っているところであった。
「カーラ」
ラシュレイは彼女の名前を呼ぶ。
「ラシュレイさん......!!」
少女は星2研究員のカーラ・コフィ(Carla Coffey)であった。B.F.に最年少で入社した研究員である。
どうやら気づかなかったらしい。ラシュレイを見上げて驚いている。
「ご、ごめんなさい、食事をお邪魔するつもりはなくて......」
「いいけど、別に」
ラシュレイは椅子を引いてあげた。周りを見るが空いている席も見当たらない。
「あ、ありがとうございます!」
カーラは礼儀正しくそう言うと、椅子に登った。座高が高いので景色も違うのだろう。物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回している。
「ドワイトさんも会議だもんな」
ラシュレイはトマトスープをスプーンでかき混ぜながら言う。
「はい、ノールズさんもですね。今日は長くなると言われていたので先に食べてほしい、と言われました」
彼女はそう言って夕食のスパゲティをフォークで巻いている。
彼女のペアであるドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)は伝説の博士と呼ばれる、B.F.の歴史を築き上げてきた三人のうちの一人である。優しい笑みや声、性格が職員らには大人気で、カーラも彼の魅力にとらわれたその一人だった。
どうやらカーラも自分と同じようなことをドワイトに言われたようだ。どこの先輩も同じことを言うものなのだろうか。オフィスに遅くに帰ってきて助手が腹を空かせて泣いていたら、確かに心は痛むのかもしれない。
助手というものをとったことがないラシュレイには分からないが、ノールズやドワイトは少なくともそう考えていそうだ。
ラシュレイがトマトスープにサンドイッチのパンを浸けていると、
「そのネクタイピンって、ノールズさんとお揃いのものですよね」
カーラがそう言った。ラシュレイはスープから目線を上げて彼女を見る。彼女の視線は自分のネクタイに注がれていた。
「ノールズさんの誕生日にラシュレイさんがお揃いのものをプレゼントしたと......ドワイトさんからお聞きしました」
「ああ......」
ラシュレイは顔色も変えずに飲み物に手を伸ばす。
「ドワイトさんが手伝ってくれて良いプレゼントもできたし、ノールズさんも喜んでくれたから成功だったな」
彼の誕生日からもう少しで二週間だ。長く使えるものをプレゼントしようという発想に至ることができたのは、ドワイトのおかげである。
彼はラシュレイのプレゼント選びを手伝うためにわざわざ外出の許可をブライスにとってくれたのだ。ブライスもブライスで許可をしてくれるとは思わなかったが、おかげで今までで一番ノールズを喜ばせることが出来ただろう。
ラシュレイの言葉にカーラは微笑み、食事を進める。ラシュレイはストローで飲み物の氷をかき混ぜながら、
「ああ、でも......」
と、ある事を思い出した。
「俺、ドワイトさんに何もお礼してない......」
*****
「今回見つかった超常現象はかなり規模が大きい。恐らく一般市民も気づいている程のものだ」
ブライスの声がたんたんと会議室の中に響く。日曜日に開かれる日曜会議は主に星5、星4の研究員らが出席するもので週単位で情報共有をする目的を持って作られた会議である。今回の議題は最近見つかった超巨大超常現象についてであった。外部調査の班をいくつも出さなければならない規模のもので、いつにもまして会議室には緊張した空気が流れていた。
「今回の調査に関しては二泊三日以上の地上での滞在を認めることにしている。政府の協力でなるべく公道を封鎖してもらい、我々が調査しやすい環境を作ってもらうよう交渉中だ。先程配布した資料に書いてあるとおりの内容で一般市民には話を通してある」
研究員らは熱心に手元の資料に目を通している。ブライスはプロジェクターに映し出された資料を変えながら、話を続ける。
「この超常現象は移動する。政府が封鎖した範囲に居るのも時間の問題だ。手の空いている研究員は優先的にそっちに仕事を回す予定だ」
ブライスはそこで一度マイクのスイッチをオフにした。そして隣に座っていたナッシュにマイクを手渡す。次に話すのはナッシュのようだ。
「これまで超常現象が起こしてきた被害を説明するから、よく聞くように。まず一か月前の_____」
*****
「お礼ですか?」
カーラはキョトンとした顔でラシュレイを見ていた。彼は「ああ」と頷く。
「あれだけやってもらったのに一言で終わらすのも申し訳ない気がして」
ラシュレイは俯きがちに言った。
ドワイトには本当にお世話になったので言葉だけで終わらせるのは少し違う気がした。
ラシュレイの言葉にカーラは首を傾げる。
「ドワイトさんがもらって嬉しいものって、何でしょうか......?」
彼女はドワイトとは半年経つか経たないかの付き合いになるが、彼は他の人に比べて物欲が少ない。自分のことは基本的に後回しで、周りの心配ばかりしているイメージだ。
「ドワイトさんについて何か知っている情報は無いのか?」
ラシュレイはカーラを見る。
助手の彼女ならずっとドワイトの近くにいるだろうし、自分よりも情報は持っているだろう。
そうですね、とカーラはサラダのコーンを集める手を止めて、空中を見た。そして、彼女はある夜にナッシュから聞いた話を思い出した。それはドワイトには昔、ミゲルという助手がいた、という話だった。
「ドワイトさんの元助手さんのお話なんですが......」
*****
「避難者はおよそ50人。現在はクロックフォード州からセンツベリー州に向かって進行中です。このまま行くとノースロップも通過する可能性があります」
ドワイトの落ち着いた声がマイクを通している会議室に響く。
三人の中で会議の際ドワイトだけは丁寧な口調で話す。寝ている職員に厳しく名指しして注意するナッシュとブライスに対してドワイトは起こさず軽く手で合図する程度だ。疲れているんだ、と彼なりの配慮なのだろう。
ドワイトは優しい声で資料を読み上げていく。
「今考えている行路から対象が外れる場合も大いに考えられます。断言はできませんが、緊張感を持って適切な処理をするしかありません。何か意見や質問がある場合は私たちにお願いします」
いくつかの質問を受けて、会議は時間を少し過ぎて終了した。ぞろぞろと研究員らが出ていく中で、伝説の博士三人は顔を寄せて資料を読んでいる。
「徹底的に調べるためには三グループは欲しいところだな」
ブライスがそう言って難しい顔で資料を捲っている。
「三グループかあ......僕ら三人が一つのグループにつくってことになるのかな?」
ナッシュが言うとブライスが頷く。
「もしくは全部のグループを星5で構成するか......なるべく独立している者を選びたいが、グループを組むには人数が圧倒的に足りないな」
「星5の子たちはほとんど助手をとっているからね」
ドワイトが頷いた。
「そもそも調査はどうやってするんだい? 終末世界のときのように行った子達の情報は戻ってこない方が多いんだろう」
「ああ、今回の超常現象も潜ったものが戻ってこない仕様のようだ。そうなると超常現象の向こう側に行くというよりかは、超常現象の動きを止める必要があるな」
「大きすぎるから此処には持ってこられなさそうだね」
ドワイトが顎髭を擦って眉を顰めた。
「そうだ。動きを止めようにもあれだけ巨大だと機械の力もいるだろうな」
「機械かあ......」
「これまた政府がため息つきそうだねえ」
ナッシュが苦笑した。
*****
「そんな過去があったのか」
ドワイトの過去をカーラから聞いたラシュレイは思わず呟く。
全てを話し終えたカーラは泣きそうな顔をしていた。さっきから声が震えていたのだ。
ラシュレイが考えていた以上に、ドワイトの過去は壮絶なものだった。
彼は最初の助手、つまりカーラの前の助手をかなり残酷なかたちで亡くしていた。
名前はミゲル・イーリィ(Miguel Ely)。現在B.F.星4研究員であるコナー・フォレット(Connor Follett)と同期であり、彼とはとても仲が良かったそうだ。
だが、ミゲルはある実験で命を落としてしまった。彼が死んだと聞いたコナーは、行き場のない悲しみと怒りをドワイトにぶつけた。
仲裁したのはナッシュだったが、彼も同僚の悲しみを背負い込むわけにもいかず、その事件は彼らにとって後味の悪いものになってしまったのだという。
コナーはドワイトと縁を切り、星4になってすぐにナッシュから独立したそうだ。
「たしかに、ドワイトさんとコナーさんがお話しているところを見たことがありません」
カーラの言葉にラシュレイも、そういえばそうだな、と頷く。
ドワイトはあの人柄の良さから誰も敵を作らないように思えるが_____コナーだけは彼のことをよく思っていないようだった。
「あの事件は誰も悪くはありません。私はコナーさんにドワイトさんとも仲良くなって欲しいです」
カーラは俯いて言った。
「俺も同意見だな」
ラシュレイはどうしようか、と思考をめぐらせていた。
*****
「はあー? 今忙しいんだけど」
コナー・フォレットは、部屋にやって来たバレットとエズラにそう言った。
カーラとラシュレイが食堂で話をしてから数日後。久々の大仕事が回ってきたコナーは書類の山の中で迷惑そうだった。
バレットとエズラは、昨日ラシュレイにとあるお願いをされた。
何やら、コナーとドワイトを昔のように仲良しに戻してあげたいのだとか。
二人の仲が悪いことは一部の研究員にはよく知られている話だが、あのラシュレイがそんなプロジェクトを行おうとしていることに驚いた。
「なんでこんな忙しいのに会議に出なきゃないんだよ」
コナーが苛立たしげにそう言う。
二人の話はこうだった。
自分たちが出席する予定でいた会議がやむを得ない理由で出られなくなってしまい、誰か代理を探しているというのだ。
時間が無い中で頑張って考えた二人なりの理由である。
が、コナーはなかなか首を縦に振ろうとしない。
「そんなのケルシーとビクターにお願いすればいいじゃんか」
コナーがペンを握り直した。
「でも二人も忙しいんです......」
「俺らが頼れるのはコナーさんだけなんです」
バレットが慌てて言ったので、エズラもそれに続く。コナーが反応したのはエズラの言葉だった。
後輩のお願いには誰だって弱いことを知っているのだろう。
思わず手を止めている。
「っ......な〜んで俺なんだよ〜?」
葛藤しているようだ。二人は更に拍車をかけていく。
「コナーさんが一番近くで俺らを支えてくれるからです!」
「一番頼りにしてます」
バレットとエズラが交互に言う。
「う......うぐぐ......はあ、わかった。仕方ないなあ、あ〜も〜......」
満更でも無い様子だ。二人はホッと胸をなでおろし、コナーに見えないところで小さくガッツポーズを決めた。
*****
「コナー君と私が仲直りする?」
ドワイトが目を丸くする。
此処は第三会議室。伝説の博士の三人とラシュレイ、カーラが集まってひとつの机を囲んでいた。
「もちろん、出来なければ出来ないでいいんです......」
カーラが俯きがちにそう言った。
「私はドワイトさんが何を欲しいのかが分からなくて......ラシュレイさんと考えた結果、コナーさんとの仲直りを望んでいるんじゃないかって思ったんです」
「なるほどねえ」
ナッシュが頷く。ドワイトは黙って机に視線を落としている。ラシュレイが口を開いた。
「どうか無理はしないでください。何か他のものをプレゼントします。......この前のお礼を、したいだけなんです」
ラシュレイが目を伏せて言うと、ドワイトはいつもの優しい笑みを浮かべた。
「いいや、嬉しいよ。コナー君と仲良しに戻してくれるんだろう? 素敵なプレゼントじゃないか。私のために考えてくれたんだから、もちろん参加させてもらうよ」
ラシュレイもカーラもほっとした。
やがて二人が会議室を出ていくと、
「良かったのか」
一部始終を黙って見守っていたブライスがドワイトに問う。ドワイトは大きく頷いた。
「うん。私だって昔みたく彼とお話したいんだ。ミゲルの事件以来話をしたことがなかったのは本当だし、何より真剣に考えてくれているカーラとラシュレイ君の気持ちをしっかり受け止めてあげたいからね」
「コナーはなかなか一筋縄ではいかないよ。僕でさえあまり話さなくなってしまったし......」
ナッシュが腕組して言うが、ドワイトは笑みを崩さない。
「じゃあ良い機会だよ。二人でまた昔見たく話せるように頑張ればいいのさ。ブライス、君も力を貸してくれるかい?」
ドワイトは背後のブライスを振り返る。彼は眉を顰めてドワイトを見ていた。
「ああ、構わんが......何をするつもりなんだ?」
「それは皆と話し合わないとね」
ドワイトはニコリと笑った。
*****
コナーは上機嫌で会議室に向かっていた。会議室まではバレットとエズラがついてきてくれるらしい。
「ったく......これだから先輩はなあ〜。お前らもっと俺を頼ってくれていいんだからな!」
今にもスキップをしそうなほど足取りが軽いコナー。
「はい、そうします!!」
「コナーさんさすがです」
バレットがニコニコと笑って頷く隣で、エズラは適当に言った。なかなかちょろい先輩だ。
やがて会議室に辿り着いた。コナーが満面の笑みで扉を開ける。
「げっ」
が、彼はその部屋に漂う異様な雰囲気に顔を歪めた。
会議室の中には伝説の博士三人と、ラシュレイ、カーラの姿があった。特にドワイトが机を挟んで扉の真正面の椅子に座らせられていて、その反対側に空いた椅子がひとつ。
コナーは嫌な予感がし、自分を連れてきた二人を振り返る。
「騙したなお前らっ!?」
「騙すって......会議をするのは本当ですもん」
バレットがとぼけた顔をして頭の後ろで手を組んだ。その隣でエズラも頷いている。
「そうです。それに俺らは忙しいです。食堂に新作のスイーツを食べに行かないと」
「お前らあああ!!」
コナーが二人を睨みつける。
「コナー、さっさと入ってきなよ」
ナッシュが呆れ顔で彼を呼ぶ。
コナーは彼を振り返って部屋の中全体を指さした。
「何なんです、この空間!! ラシュレイ、お前何やってんだよ!?」
コナーは壁際で静かに自分たちの様子を見守っている黒髪の研究員に問いただす。ラシュレイは眉をピクリとも動かさずに、
「サプライズです」
と言った。
「はっ!?」
誕生日でもないし、クリスマスでもない。サプライズで何かされるのだろうが、この面子からしてコナーは良い予感はしない。
踵を返して帰ろうとするのを、バレットとエズラに制された。
「まあまあ、コナーさん、席についてください」
二人に腕を掴まれてコナーはひとつ空いている席へと連れていかれる。
「やめろこらっ!! 離せっ!!」
「静かにコナー」
大声を上げてもがくコナーにナッシュが眉を顰めて注意する。
「何言ってんすか、ナッシュさん!! あ、ちょ、お前らどこ行く!?」
バレットとエズラは部屋から出ていく。コナーは椅子の背もたれにしがみついて部屋の中を再度見回した。
「何ですか此処!! 処刑台っすか!!?」
「コナー」
ナッシュの声が低くなる。コナーは「ひい!!」と震え上がった。
そんな彼の様子を見てカーラが彼に近づく。彼女の手には一枚の紙があった。
「コナーさん、実は私たち、数日前からあるプロジェクトを進めていたんです」
彼女はコナーに紙を手渡す。コナーは紙に目を通して目を丸くしている。
「ドワイトさんと俺の仲を直すだって?」
「そうだよコナー」
頷いたのはナッシュだった。
「君たちの仲が良くないのをラシュレイとカーラが気にして立ち上げてくれたプロジェクトだ」
「だとしても何でこんなこと......」
紙にはでかでかと「仲良しプロジェクト」と書かれている。その下には詳細が書いてあるが、それに目を通すほどコナーの心に余裕はなかった。
「私はコナーさんとドワイトさんに仲良くしてほしいんです。ラシュレイさんもそう思っているんです......」
「んなこと言われても......」
コナーは紙から目を上げて、目の前でさっきから静かな彼を見る。ドワイトは目を伏せて机上の紙を見つめていた。コナーも紙に目を落とす。
仲直りという文字が目に入って、彼は小さくため息をついた。そして静かに立ち上がった。紙を机に置いて扉に向かう。
「残念ですけど、俺はドワイトさんと仲良くしようだなんて気は無いんで。仲良くしたってミゲルが帰ってくるわけじゃないし。だいたい_____」
コナーは嘲笑うようにしてドワイトを振り返った。
「ラシュレイとカーラの力を借りてでしか仲直りできないなら、まず話そうとも思わないっすよ」
「コナーッ!」
ナッシュの鋭い声が飛んだ。コナーは部屋から出ていこうと扉に手をかける。すると、
「昔みたいに戻れなくても......お話できるだけでも、私は嬉しいよ。せっかくだし二人で頑張ってみないかい?」
ドワイトの声が背中にかかる。コナーは扉にかけていた手に力を入れた。
「コナー君が嫌なら強制はしないよ。でも_____」
「何なんですかほんと」
コナーがドワイトの言葉を遮った。その声は震えている。
「何でそんな声色で話しかけてくるんすかっ!」
コナーが踵を返してテーブルに戻ってくると、座っているドワイトの前に勢いよく手をついて彼を睨んだ。カーラがびく、と肩を竦める。
「あんたに殺された同期の話を今更持ち出して、俺が快く和解しようと思うとでも思ったんすか!? 良いヤツぶるのもいい加減にしてくださいよっ!! 勝手に仲良くなったふりでもしとけばいいじゃないっすか!! 子どもみたいに何でもかんでも上手くいかせようとしてんじゃねえぞっ!!」
ドワイトは彼を静かに見上げていた。その顔は何を思っているのかコナーには分からなかった。
ラシュレイはコナーの豹変ぶりに眉ひとつ動かさなかったが、彼らが負った心の傷は、安易に治すことができるものではないことをはっきりと理解した。
ナッシュが今にもコナーに飛び掛りそうだったが、ブライスがそれを止めている。コナーとドワイトの間には、誰にも触れることの出来ない空気が流れていた。
「......ごめんね」
ドワイトが目を細めた。
「そうだよね、私が安易な考えしかできないのは十分承知の上なんだ。そうだね、ミゲルをちゃんと連れてこようと思わなかったのも、私が人間としてとても弱いからなんだよ。彼の動かなくなった姿を、私は光の下で見たくはなかったんだ」
ドワイトは目を伏せてそう言った。コナーは口を噤んで彼を見下ろしている。ドワイトは続けた。
「ごめんなんかじゃ許せないよね。もちろん許してくれなんて言わないよ。私はただ君と話がしたいな。それだけだよ。本当にそれだけなんだ」
ドワイトは再びコナーを見上げた。そして力なく笑った。今度はコナーが目を伏せた。さっきの威勢はどこへやら、机に置いていこうとしたカーラから手渡された紙を見下ろしている。
そして静かに、すとん、と椅子に腰を下ろした。
「......何したらいいんすか」
コナーがドワイトの後ろにいるナッシュとブライスを見上げる。カーラとラシュレイが目配せした。動くタイミングが分からず、目線で二人に助けを求めるカーラに、ナッシュが小さく頷いた。
「コナーさん、えっと......」
カーラとラシュレイが机の脇について、説明を始めた。
*****
「三日間ドワイトさんとペアを組んで過ごすのか」
コナーが呟く。彼の表情はまだ優れないものの、話を聞いてくれるようになっただけで重かった空気は一変した。
「オフィスもドワイトさんと共有で使用してください」
ラシュレイが言うとコナーは目を丸くしてカーラを見上げる。
「え、だってカーラは?」
コナーの疑問にカーラが微笑んで答える。
「私は三日間、ノールズさんとラシュレイさんのオフィスに置いていただけることになりました」
カーラの返答にコナーは「ふーん」と返しながら、ちらりと目の前に座るドワイトを見た。彼は顔を輝かせてさっきから紙を読み込んでいる。
「これ、ラシュレイ君とカーラで考えたのかい?」
と、紙を指さして二人に問う。
「えっと、大半は......。 細かいところはイザベルさんとノールズさんにアドバイスをいただきました」
「あの二人も巻き込んだのか......」
知っている名前が出てきてコナーが呆れ顔で二人を見上げる。
「ありがとう。楽しい三日間になりそうだ。ね、コナー君」
「......そっすね」
微笑むドワイトから目を逸らして、コナーは無愛想にそう言った。
*****
「へえ、考えたじゃないか」
コナー、ラシュレイ、そしてカーラが会議室から出ていくと、ナッシュはドワイトの持つ紙を後ろから覗き込んだ。
「素敵な後輩が居て、私は幸せ者だよ」
ドワイトは愛おしげに何度もプリントに目を通している。そんな彼を見てナッシュは微笑んだが、すぐ表情を暗くした。
「ドワイト、コナーがごめんよ。酷いことを言ってしまった」
「いいんだよ、ナッシュ。それに、彼の意見は的を得ている。何一つ間違ったことは言ってないよ」
謝るナッシュに、ドワイトは優しく微笑んだ。
「それに、私はやっと巡ってきたチャンスを逃がさない。ミゲルのためにも、コナー君との仲を取り戻してみせるよ」
*****
やがてドワイトがコナーとペアを組む一日目がやって来た。
「お邪魔します」
コナーは、カーラとドワイトのオフィスにやって来た。彼の後ろにはラシュレイとノールズが居る。カーラと入れ替わるように、コナーは彼のオフィスに足を踏み入れた。
「ようこそ、コナー君。今日から三日間よろしくね」
ドワイトはニコニコと嬉しそうに笑っている。コナーは「はあ」と適当な相槌を打ち、カーラのデスクに持ってきた荷物を置いた。彼女の机の上は新品のように綺麗で、物は何も無くなっていた。
自分のために片付けてくれたのだろうか、とコナーはカーラを振り返る。
「本当にいいのか?」
彼女はラシュレイとノールズに挟まれるようにして立っている。彼女もまた手に荷物を抱えていた。コナーに対し、彼女は「はい」と微笑んだ。
「ありがとう、カーラ。ノールズ君とラシュレイ君、カーラをよろしく頼むよ」
ドワイトが二人に向かって言うと、
「任せてください!!」
「はい」
ノールズがどん! と胸を打つ隣でラシュレイも頷いたのだった。
三人がオフィスを出ていき、オフィスにはドワイトとコナーの二人だけが残った。
「......で、今日は何をするんですか」
コナーがカーラの机に置いた自分の荷物を整理しながら、後ろのドワイトに問う。
「今日は実験を入れてみたんだよ。良かったら一緒にどうだい?」
「実験っすか......」
突然だな、と思いながらもコナーは持ってきたゴーグルと手袋、バインダーを取り出す。しかし、
「ああ、いや、実は洞窟に行くんだ。だから、軽装備じゃあ厳しいかな」
「洞窟......?」
コナーの表情が変わったのは言うまでもない。洞窟というのはドワイトにとってもコナーにとっても嫌な思い出しかない場所である。
そんな場所に彼は自ら行くというのか。
まさか、あんなに辛い思い出を忘れてしまったのか?
「もちろん、もう実験済みの対象で、あの洞窟ではないから安心して。実を言うと私も一度行ったことがあるものでね、ぜひコナー君とも一緒に行きたいと思ったんだよ」
「はあ......」
最後の言葉は取ってつけたような嘘くさいものに思えたコナーだが、ドワイトの表情は本当に穏やかだ。少なくとも、今の発言に関して嘘はついていないようだ。
「なんだかよく分からないですけど、今日これから行くんすか?」
コナーはドワイトの後ろにある時計を見る。10時とかなりいい時間である。
洞窟となると昼飯の時間まで戻ってこられるようには思えない。もしかしたら、夜までかかるかもしれない。
「うん、帰ってくるのは明日かな」
「え、明日っ!?」
コナーがぎょっとして、時計からドワイトに視線を戻す。
「そうだよ。一周するのに結構かかるんだ。でも、準備は事前に私の方でしておいたから大丈夫だよ。実験準備室に探索用の荷物を置いたんだ」
早速行こうか、とドワイトはオフィスの扉を開く。コナーはゴーグルと手袋だけを掴み、彼の後ろを追いかけた。
*****
「洞窟の一番奥にある鍵を拾って、それで出口の扉を開くことができるんだ。危険な場所はそこまで無いし、むしろ楽しめると思うよ」
実験準備室にて、ドワイトはゴーグルを頭につけながらコナーに超常現象の説明を簡単に行った。コナーもゴーグルを装備して、背中に用意されていたリュックを背負う。ドワイトのものに比べて見た目は小さい。中身も軽いのでドワイトが意図的にそうしたようだ。
「洞窟っていうのは、わざとっすか」
コナーが低い声でそう聞いた。
「さあ、どうだろう。でも、他に思いつかなかったんだよ」
「......これで仲良くなれるとでも思ったんですかね」
コナーは毒を吐いた。
「......そうだね。思ってしまったみたいだ」
どこか寂しげな表情を見せて笑うドワイトに何も言えなくなって、コナーは目を伏せた。
「......行きますか」
「うん、そうだね、行こっか」
ドワイトは実験室へと続く扉をゆっくりと開いた。
*****
洞窟の中は、やはりあの超常現象に似ていた。ミゲルを奪ったあの洞窟である。
コナーの足は自然と重くなる。
安全な超常現象とは言え、今にでも子供たちの悲鳴が聞こえてきそうな気がした。
「何か歌でも歌おうか?」
暗いコナーの表情に気づいたのか、ドワイトは明るい声でそう聞いた。
「遠足気分じゃないんすけど」
コナーはぶっきらぼうにそう返す。
「んー......じゃあ、しりとりでもするかい?」
「呑気っすよね、ドワイトさんって」
二人は洞窟を進んでいた。暗くて先は見えないが、道は歩きやすかった。
ドワイトもドワイトなりに仲良くなろうとしているようだが、コナーはどうも気が乗らない。
やはりこんな企画を提案したラシュレイとカーラを恨みたくなる。
自分が彼と仲良くできる日など、きっと来ないのだ。今まで話もしようと思わなかったのに、突然こんな状況にされて何を話せばいいのか全く分からない。
それでも、コナーは何とか頭の中で話題を絞り出した。
「......カーラとは仲良くやってるんすか」
「カーラとかい?」
話を振られたのが嬉しかったのか、ドワイトの声が弾む。
「うん、彼女は頑張り屋さんだよ。最近は報告書も書けるようになってきてね。今度は全部任せてみようかなとも思っているんだ」
「ふーん」
カーラが頑張り屋なことは、コナーもよく知っている。
彼女はドワイトと出会ってから彼に猛烈アタックを始めたのだそうだ。家族を失って、ドワイトを父親のように思っているのかもしれない。
彼女の場合また違う思いも抱いているようだが。まあ、助手が先輩に恋心に近い憧れを持つことは珍しいことではない。
ドワイトは女性受けの良い顔をしていると思うし、頼りがいがないわけではない。
コナーは気づけば頭の中でドワイトを褒めちぎっていたことに気がついて慌てて頭を振った。
こんな変なことを考えている場合ではない。今は実験中である。
「コナー君は、ナッシュとはどうかな」
思考を切り替えようとするや否や、ドワイトからそんな質問が飛んできてコナーはぎょっとした。
「なんすか、別に普通すけど」
「普通かあ......ナッシュはあまり自分のことを話さないかな?」
「......言われてみれば」
コナーは、今までの自分とナッシュの会話を頭に思い浮かべてみる。
たしかに、彼が自分のことを語るという場面は今まであまり無かったような気がした。自分がそこまで知ろうとしていなかったということも関係しているかもしれない。
だが、彼から距離を置いた上で今この質問をされると、気になった。
彼がドワイトらと大学で研究仲間であったことは知っている。しかし、彼は一体どんな若者だったのか、そこまでは分からない。
「気になるかい?」
ドワイトが振り返った。その顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。コナーはハッとしてそっぽを向いた。
「まあ、それなりには」
嘘ではない。あんなことを言われれば誰だって気になってしまう。
ドワイトはコナーの分かりやすい態度に、あはは、と声を出して笑った。
「じゃあ中継地点に着いたら、ご飯でも食べながら彼のお話をしよう。それまでは調査をしっかりしないとね」
「......はい」
*****
静かなオフィスにカタカタとキーボードを叩く音が響く。コーヒーのカップを持って、すっかり中身が空になっていたことに気づいたナッシュは、コーヒーを淹れるついでに休憩を挟むことにした。
時計を見ると、作業を始めてから二時間は経過していた。集中していると時間も忘れる。
時計を見ていると、ナッシュの頭にはふと、二人の顔が思い浮かんだ。
「ドワイトとコナーは上手くやっているかなあ」
ナッシュはまるで独り言のように、マウスを転がしている相棒に問う。
「さあな」
興味が無いのか、作業に集中しているのか、単調な返事が返ってきた。
「心配はいらないだろうけれど......あの二人がもう一度仲良くなったら、夢みたいな話だよ」
「......そうだな」
作業が一段落したらしい。彼はカップの中身を飲み干し、立ち上がる。
「会議に出てくる。豆、買ってくるか?」
ブライスの視線がナッシュの前にあるコーヒーメーカーに注がれる。ナッシュが頷いた。
「ああ、お願いするよ。それから......小腹も空いたなあ」
「......わかった。サンドイッチでいいな」
「うん、ありがとう」
ナッシュがクスクスと笑って、カップをコーヒーメーカーにセットする。ブライスは自分の研究員ファイルを手にしてオフィスを出ていった。
「......大丈夫かな、二人とも」
ナッシュは目を細めて、カップに溜まる黒い液体を眺めていた。
*****
「えっと......此処を越えるんですか?」
歩き始めて五時間ほど、二人の前には巨大な渓谷が現れた。ロープが二人の前から、渓谷の向こう岸へと続いている。
滑車がついているので、コナーは嫌な予感を覚えた。隣のドワイトをチラリと見上げると、彼は顔を輝かせてその光景に見入っている。
「そうみたいだねえ。この洞窟、入る度に中身が変わるんだよ。前はこんなのなかったのに......!!」
「......で、どうやって行くんすか」
そんなの心底どうでも良さそうに、コナーは彼に問う。
「ふむ、そうだなあ」
ドワイトはリュックを下ろした。
彼のリュックには少し太めのロープがついている。彼はそれを取り外そうとしているようだ。
コナーは改めて渓谷を見下ろす。
落ちてしまえば何処まで行くのか分からない。暗闇が静かにそこに佇んでいるだけだ。
「よし、できた!」
ドワイトの声がした。コナーが其方を見ると、ドワイトがリュックから外したロープを輪っかにしていた。
コナーは背筋が凍る思いがした。
「ドワイトさん、考え直してくださいよ!」
思わず彼に近寄って、ロープをひったくるようにして取り上げる。ドワイトはキョトンとした顔でコナーを見上げている。
「これをそこのロープに付けて、向こう岸に行こうと考えているんだけれど......」
「......」
コナーは無言でドワイトにロープを押し返した。ドワイトがニコニコと笑っている。
「コナー君、心配してくれたのかい?」
「なわけないじゃないっすか!!」
ムキになって言うと彼は、あはは、と笑った。
「ごめんごめん、からかいすぎたね」
ドワイトは手に持っているロープを、向こう岸に繋がるもう一本のロープに結びつけた。輪っかの部分に腰を下ろしていることから、ブランコのようにそこに座って滑っていこうとしているようだ。
「ふむ、上手く渡れるかなあ」
「落ちたら怖いんで、命綱とか用意しなくていいんすか」
コナーはドワイトのリュックサックを探ってみる。
ドワイトが腰掛けているものよりは細いロープが中に入っているのを見つけたので、それを引っ張り出してみる。細いがしっかりしている。登山でよく使用されるものだ。
コナーはそれを彼の元に持って行った。
「ああ、そうだね。じゃあこれを私のベルトと繋げよう」
ドワイトはそう言ってコナーから受け取ったロープを向こう岸に繋がれているロープにカラビナで繋いだ。
コナーはそれを見守る。
ドワイトが向こう岸に着いたら、自分も同じことをしなければならないので、手順が覚えておかなければ。
ドワイトは強度を確認するために、命綱や、自分が今腰掛けている輪っか型のロープを軽く引っ張った。
「うん、大丈夫そうだ。さて、コナー君!!!」
ドワイトはキラキラした顔でコナーの方を振り返った。コナーは眉を顰める。
「なんすか」
「私の膝に乗って!!」
「..................はあ?」
コナーは思わず彼を睨みつける。
どうも彼は何か勘違いをしているようだ。自分たちが犬猿の仲であることを分かっての発言なのだろうか。それにしても命知らずの先輩である。
「何言ってるのか分かりませんけど、怖いなら背中押してあげますよ」
コナーが白けた顔でそんなことを言うと、ドワイトは微笑んで返してきた。
「私が何のためにロープにこれだけの隙間を作ったと思う?」
ドワイトが腰掛けているロープにはまだ隙間がある。それはちょうど、コナーがドワイトの膝に座れば間が埋まるくらいのものである。あのロープに乗って一緒に向こう岸に行くという作戦のようだが、隙間があると言えども明らかな重量オーバーである。
「俺重いっすよ」
「たった二人だ。なんて事ないさ」
「俺まだ死にたくないんですけど」
「でも、この洞窟は協力しないと奥まで行けないんだ」
「協力っていいます? これ」
コナーは意地でもその場から動かない。
ドワイトの膝に乗るなど彼のプライドが許さないのだ。いつからそんな仲に自分たちはなったというのか。
「俺は残念ながらパスっすね。ドワイトさんが先に行けばいいんじゃないっすか」
コナーがそう言うと、ドワイトは残念そうな顔をして、自分のリュックを引き寄せた。
「うーん......でもこの命綱、ひとつしかないんだよね」
「......」
コナーは自分のリュックサックを下ろして中を見る。これを背負ったは良いが、まだ中身の確認をしていなかったのだ。
中には、ドワイトのリュックサックの中に入っていた細いロープが入っていなかった。
「あっちに行ったら命綱を君に渡せないんだ」
眉を八の字にしてドワイトは困った顔をしている。いや、あれは演技である。目が笑っているのだ。
というか、全体的に楽しそうな雰囲気が伝わってきた。
彼はこの状況を楽しんでいるのだ。
もしかしたら、自分とこうした会話ができることを楽しんでいるのかもしれない。
コナーはそう思った。
ナルシスト的な考えにはなるが、ドワイトはあの会議室で話せるだけでいい、と言っていた。それならばこの状況は彼にとって満足する状況だということである。
そして、次なるステップに進もうとロープを一つだけにしたのだろう。どうせこのリュックサックを用意したのはドワイト自身だ。楽しそうに荷造りをしている彼を想像して、コナーはため息混じりに頷いた。
「......わかりました」
ドワイトの顔がぱっと輝く。
「その代わり背中を押して俺の事おっことすとか止めてくださいね」
「そんなこと絶対にしないよ! さ、どうぞ!」
ドワイトが自分の膝をぱん、と叩いたので、コナーは恐る恐るそこに座る。しっかり命綱を持ち、ドワイトの腰の綱と自分の腰のベルトを繋げた。
「行くよっ!」
「はい、いつでもいいですけど......」
コナーは目の前に佇む巨大な岩の切れ目に恐怖と嫌な予感を覚えた。此処と向こう岸とはずいぶん高低差がある。
「スピードが出るからねっ」
ドワイトが地面を蹴った。風を切って二人は宙に体を投げた。
*****
「......コナー君?」
「......」
「コナー君!」
「......ちょっと、黙っててください」
上がった息を整えようと必死なコナーは、顔を覗き込んでくるドワイトを睨みつけた。
ドワイトの膝の上とは言え、とてつもない不安定さにコナーは心臓が止まりかけた。カラビナで彼とは繋がっていたが、膝からずれ落ちようものならば体が回転してしまっていたに違いない。
想像しただけで背筋が凍るような気がした。
「......俺もうドワイトさんの膝は信用しませんから」
「そっかあ......じゃあ次は背中にでも乗せようかな」
「ドワイトさんの背中も信用しないです」
コナーが食い気味に言うと、ドワイトは少しだけしゅん、と肩を落として「そっかあ......」と呟いた。
コナーはよろよろと立ち上がる。膝がガクガクいっているので、もう少し休みたいところである。
それにしても、とんでもない超常現象にやってきたものだ。ドワイトは実に楽しそうだが、自分は全くもって楽しめていないことにコナーは気づいた。
そんなことより、さっさと帰りたいとさえ思ってきている。出来れば帰りにはあの渓谷のような場所は二度と越えたくなかった。
「さ、中継地点までもう少しだ。頑張ろうね」
「......はい」
*****
カーラは、ノールズとラシュレイのオフィスで仕事をしていた。仕事と言っても行うのは資料の情報集めや、簡単な計算くらいである。難しい仕事はノールズとラシュレイが行っている。自分が手伝っても余計な仕事を増やしてしまうだけだろう。
「ノールズさん、此処の資料ありません?」
ラシュレイが隣のデスクで仕事をしていて、ノールズを振り返った。
「え、この前ちゃんとしまったよー?」
「でも無いので、多分しまってないですよ」
「そっかあ〜......ん〜、まあ、良い機会だし休憩にしようか!」
「全く理論になってませんけどね」
ラシュレイの呆れた声に続いて、ノールズが立ち上がる音がした。
「さ、夕食にしよう! カーラも一緒にさ!」
「は、はい!」
カーラは慌てて机の上を片付けた。
この三日間のために自分専用のデスクを二人が用意してくれたのだ。置くものは少ないが、自分のためにわざわざ用意してくれたということが、カーラにとってはとても嬉しかった。
「今日は何食おうかなー」
ノールズは机を掃除しながら、そんなことを呟く。
「最近、ノールズさんバランス悪いと思いますけど」
「えっ!! ちゃんと栄養偏らないようにしてるよ!? 今日の朝だって野菜中心に食べてたもん!!」
オフィスを出てカーラは二人の後ろについていく。揺れる白衣を追いかけながら、ドワイトとコナーは上手くやっているだろうか、とぼんやり考えていた。
*****
ドワイトとコナーは中継地点である小さなキャンプへと辿り着いた。
そこは少し広い空間になっており、寝袋が二つと、火が起こせる道具が一式揃っているので、コナーは一目でキャンプだと分かった。
体を十分に休めることが出来そうな場所だったので、コナーはホッと安心した。
リュックを下ろして、中から缶スープや日持ちするパンを取り出す。スープは温めなくても飲むことが出来るものだが、温めた方が体も温まるので火はつけるべきだろう。
「コナー君、お湯を沸かしてくれるかい?」
「ああ、はい」
コナーはリュックから鍋を取り出し、水筒に入っていた水を入れた。火はドワイトがくれた。彼はポケットからジッポライターを取り出したのである。
「ジッポなんてタバコ吸ってる人くらいじゃないっすか、持ってるの」
「一昔前までは私も吸っていたからね」
「えっ」
コナーは驚いてドワイトを見る。彼が喫煙者だったというのは初耳だったのだ。ドワイトが煙を吹かせているところなど想像もできない。
「ミゲルが喘息持ちだったから、タバコは吸わなくなったんだよ」
「へえ......」
ドワイトは缶切りでスープの缶を開けながら、懐かしそうに目を細めた。コナーは彼から目をそらす他なかった。
彼の名前が出てくると、少し重い空気が二人の間に流れる。
それにしても禁煙はかなり大変だと聞くが、ミゲルのために彼はそこまでしたというのだろうか。
助手を大切にする人ではあるんだな、とコナーはスープをかき混ぜながら、パンも開けて黙々と食べ始めた。
ドワイトはロープを片付けたり、ランプに火を灯したりしていた。やはりその時に出てくるジッポの使い方も手馴れているようだった。喫煙者だったという過去はどうやら嘘ではないようだ。
彼の後ろ姿を見ていると、コナーはアウトドアが好きだった自分の父親の姿を思い出した。ドワイトほどおちゃめな性格ではなかったが、彼はやはり父性があるのか、そう見えてしまう。カーラとドワイトなど親子そのものだ。
ミゲルはどんなふうにドワイトの背中を見ていたのだろうか。彼がいたのはいつだってドワイトの後ろだった。誰よりもドワイトの背中を見ていたに違いない。
やがてスープが温まったので、コナーはドワイトと共にそれを飲んだ。具は少ないが、こんな洞窟で飲むのには十分な食事である。
「美味しいねえ」
「......っすね」
ドワイトはスープを片手に、二人の間で燃え続ける小さな焚き火を優しい目で眺めていた。
「火を見ていると何だか落ち着かないかい? こんな洞窟でもこうして焚き火ができるだけで安心するよ」
たしかに、目の前で揺れる橙は不思議と見入ってしまう。暖炉やバーベキューなどもあるが、あれだってこうして火から目を離せなくなる。
「......ほんとっすね。なんでなんすかね」
コナーはスープを啜る。トマトの味が体に優しく染み込んでいく。
「人間は火とずっと昔から一緒に居るからね。火を使い始めてから人間の脳の容積はすごく増えたんだって。人類を成長させてくれた母親、もしくは父親のような存在なのかもしれないね」
ドワイトはそう言って近くに落ちていた枝を拾っては、パキッと折った。それを火の中に投げ込む。一瞬だけ燃え上がる炎は少しして落ち着きを取り戻す。その様子も、コナーはじっくりと見入ってしまった。
「......母親......」
コナーがぼそりと呟くと、ドワイトの目が此方を向いたのが分かった。
「コナー君のお母さんはどんな人だったんだい?」
なるほど、そう来るか、とコナーは思った。
ドワイトはどうしても自分と話がしたいらしい。確かにこの調査の趣旨は、自分とドワイトが前のように仲良くなるというものである。
その点ではこの攻め方は間違っていないのだろうが、コナーはやはり乗り気ではなかった。
「別に、特別なんでもないっすよ。普通の母親ってのも人によって違うし分かんないっすけど、あんまり怒らない、温和な人だったすかね」
「そうなんだ、素敵なお母さんじゃないか」
ドワイトがにこりと微笑む。
「ドワイトさんはどうでしたか」
「私かい? とっても優しいお母さんだったよ。警察官だった。昔から正義感が強いんだ」
「警察官っすか......」
正義感が強いという遺伝子はしっかり受け継いでいるようだ。ドワイトは困っている人が居たらすぐに声をかけるような人だし、誰からも好かれるヒーローのような存在だろう。自分からしたらそれは違うのだが。
「......つか、お互いの親の話をしたって仲は深まりませんよ」
「そっかあ......じゃあ、何の話をしようねえ」
ドワイトがのほほんとした声で言う。
コナーはスープを飲み終えたので容器を軽く水筒の水で洗って、乾かすために石の上に逆さにして置いた。カツン、と小気味の良い音が鳴る。
「......さっきの話」
「ん?」
「ナッシュさんのことについて、聞きたいです」
「ナッシュのことかい? いいとも」
ドワイトが再び枝を火に投げ入れる。
「ナッシュさんって、ドワイトさんたちとは大学生の時に知り合ったんでしたっけ」
コナーは、取り敢えず知っている情報を出してみた。ドワイトが「うん」と頷く。
「卒業までもう少しってところで、ある教授が私たちに、とあるものを持ってきたんだよ。それの解読を頼まれて、集められたのが私たちなんだ」
あるものというのは、きっと文書001だろう。人間の言葉で書かれていなかったそれを、ドワイトらは解読に成功したのだ。
「その時のメンバーにナッシュが居たね。ブライスも、ベティも、そして、リアーナも」
「......リアーナ?」
聞いたことがない名前にコナーは首を傾げる。
「そう、リアーナ・レイン。結婚して、リアーナ・フェネリーに変わったけれど」
「えっ!?」
コナーが弾かれたようにドワイトの方を向く。
「え、待ってください、ナッシュさんって......」
「結婚してるよ」
「えっ」
「子供もいる」
「えええっ!!」
コナーは頭が追いつかない。彼の反応は正しかったようだ。ドワイトはふふふ、と笑って、
「驚いたかい?」
と、聞いてきた。
「そりゃっ......!!!」
コナーは言いかけて、自分がすっかり興奮していることに気づいた。口を噤んで、気持ちを沈めようとする。
前のようには戻れないと思っていたためか、彼と沢山話をするのは何だか違うと感じてしまう自分がいる。だが、今の衝撃の事実を掘り下げないわけにはいかない。
目線だけで彼に話の先を促した。
「リアーナは大学で勉強をしながら、モデルの仕事もしていてね。結構忙しい子だったんだ」
モデルと聞いて思うかべるのは、スタイルの良い人である。きっと顔だって良いに違いない。
コナーは知らぬ間に前のめりになって聞いていた。
「本当にお似合いの夫婦でね。子供が生まれたのはB.F.を創立して少し経ってからだったんだけれど、その子供もまた凄く可愛かったな」
ドワイトは当時のことを思い出しているのか、遠くを見つめてそう言った。
「でも俺......ナッシュさんから子供の話なんか聞いたことありませんよ。奥さんの話も」
「そうだねえ」
ドワイトは少しだけ悲しげな表情を浮かべる。
「実を言うと、彼の奥さんも子供も、もうこの世には居ないんだ」
「え......亡くなったってことですか......?」
「うん......多分、ね。とある超常現象に巻き込まれてしまったんだよ」
ドワイトはぽつりぽつりと話し始めた。
それは全ての始まりの話だった。




