File039 〜スパイシーシャワー〜
「んま〜」
食堂のあるテーブルで若い男性研究員が上を向いた。彼の正面には年老いた男性研究員。その隣には金髪の綺麗な女性研究員が座っている。
「食堂のカレーは昔から人気メニューだからね」
そう言うのは年老いた研究員だ。彼はタロン・ホフマン(Talon Hoffman)。B.F.の設立とほとんど同時に入社してきたベテラン研究員だ。
「定期的に食いたくなるんですよ〜」
若い男性研究員_____ハロルド・グリント(Harold Grint)はそう言ってカレーを口にかきこんでいる。スパイスが効いており、辛さは五段階のうちから選べるようになっている。トッピングも好きなようにできるので、食堂ではリピーターが多いメニューのひとつである。
「イザベルは食堂のメニューで何が好きなんだい?」
タロンの視線は隣で黙々とパンを食べている女性研究員に注がれる。彼女はイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)。B.F.星3研究員である。
「シチュー......です」
少し考えてイザベルが言う。
「シチューか。美味しいよね。此処のは具材も大きいし」
タロンが大きく頷くとハロルドが「俺も好きです!!」と食い気味に入ってきた。
「イザベルは同じものをあまり食べないよな〜、バランスよく食べてて偉いぞ!」
「そうだね。野菜もきちんととっているし、きっと良いお家で育ったんだろうね」
二人に突然褒められてイザベルは困惑する。こういう時にする表情が良く分からないので、彼女は決まって俯いてその場をやり過ごすのだった。
*****
その後、夕食を取り終えた三人はオフィスに戻って仕事の続きに取り掛かった。もともと二人用のオフィスを、無理やり三人用に改造しているのでかなり狭いのだが、イザベルはこの狭さが嫌いではない。常に近くに誰かがいる安心感がある、ごちゃごちゃしているオフィスの方が楽しいのだ。
三時間ほど経過して、タロンは仕事が一段落着いたので休憩のために立ち上がる。その際に時計が目に入り、随分長いこと作業に没頭していたことに気づく。
「おや、もうこんな時間か」
彼の言葉にハロルドもイザベルも顔を上げた。
「そろそろ終わりにしないとね」
ずっと起きているわけにはいかない。後で警備員の仕事もしている研究員がオフィスに鍵がかかっているかをチェックに来るのだから、早めにオフィスを空けなければならない。
「二人とも、そろそろ終わりにしよう」
タロンは後ろの二人を振り返る。声がかかるまで腰をあげようとしない二人はそこでようやく作業を止めるのだ。イザベルは特にその傾向が強く、ハロルドが立ち上がらないと自分も立ち上がらない。先輩が全てだと考えているような研究員なのだ。
「でも......」
ハロルドはまだ行うべき作業があるのか、ペンを手放すのを躊躇っている。
「明日でもできるじゃないか」
タロンが言うと、「それもそうですね」と彼は案外あっさりとペンを放った。今度はイザベルの番だと二人の目はイザベルを見る。
「さ、イザベルも。今日の仕事は終わり」
「......はい」
イザベルは頷いて、ペンを置いた。
三人は簡単な掃除を済ませて部屋から出た。タロンがオフィスにしっかり鍵をかける。
「よし、じゃあイザベル、また明日ね」
ハロルドとタロンとは此処で別れるのが日課だ。階が違うというのもあるが、イザベルは食堂にて今日の「夜更かしデー」のお菓子を買いに行くのだ。
毎週水曜日、自室に戻って寝る用意をすると始まる夜更かしデー。イザベルと同室の同期の研究員リディア・ベラミー(Lydia Bellamy)がこの施設に住むと決まってから、欠かさず行ってきた小さなイベントであった。
「確かチョコレートが食べたいって言ってたわね......」
同期の顔を思い出しながらイザベルは食堂に向かう。そろそろ閉めるのか、人はほとんど居ない。お菓子をいくつか買って、イザベルは自室に戻った。
「ただいま」
「うわああん!!! イザベルゥウウ!!!」
リディアの声が聞こえてきた。が、何故か部屋の中に姿はない。イザベルは部屋に入ると同時に妙な違和感に気づいた。
カレーの匂いがする。
はて、今日はカレーパーティーでも予定していただろうか。毎週水曜日を夜更かしデーと決めてはいるが、カレーデーは聞いたことがない。
イザベルは取り敢えず荷物を机に置いて、リディアの声がする方へと向かった。
それは意外にもバスルームだった。シャワーの音がするが、何だかそこに近づくにつれて匂いが強くなっていく。良い匂いではあるが、部屋でする匂いとしてはどう考えてもおかしい。さらにそれがシャワールームとなると尚更だ。
「リディア?」
イザベルが脱衣所にて彼女を呼ぶと、ばん、と扉が開いてリディアが出てきた。タオルを羽織っているが、イザベルは思わず目を見開く。
「どうしたの、それ?」
彼女の体にはべっとりと茶色の液体が付いていた。頭から思いっきり被ったのか髪から床へとボタボタ垂れている。更には香りが強く、鼻をつくスパイシーな匂いがした。
「カレー......?」
イザベルは彼女の髪にそっと鼻を近づけてみる。
「うう......シャワーの蛇口を捻ったらね、カレーが出てきたの......」
そんな馬鹿なといいかけて、イザベルは彼女の後ろのシャワールームを覗き込む。確かにそこにはぶちまけられたようにも見える茶色の液体があった。壁や天井に跳ねており、リディアが驚いてシャワーを振り回したのだとイザベルは推測する。
「とりあえず体を拭かないと......」
「ええっ!! でも......」
棚には真っ白なバスタオルが積み上がっている。今から体を拭くとなると全て茶色に染まる。この階で共通で使っている洗濯機にもカレーの香りがついてしまうだろう。
しかしこのままで良いわけがない。イザベルだってシャワーを浴びなければ。そしてリディアはイザベル以上に体を洗わなければならない事態だ。
「とにかくこれで体を拭いて」
イザベルはタオルを持ってきて彼女の頭をすっぽり包み込む。
「他の場所もこうなっているのかなあ......」
「さあね。でも今通ってきた限りでは誰の部屋からもカレーの匂いはしなかったわ」
「そんなあ......じゃあ私たちの部屋だけ......?」
「みたいね」
「食堂で何か手違いでもあったのかなあ......」
「手違いでどうして部屋のシャワーからカレーが出てくるのよ」
「それもそうだよねえ」
リディアは落ち着かない様子で頭のタオルを触っている。
「これで夕食には困らないだろうねえ」
「そうね、ほら体も拭いて」
「うう......」
リディアにぱっぱとタオルを渡すイザベル。恐らく超常現象の類なのだろう。それ以外でシャワーからカレーが出てくる場合など、考えられない。
「私、他の部屋でシャワーを借りられないか聞いてくるわ」
「う、うん......」
リディアにタオルを押し付け、イザベルは部屋を出た。しかし、彼女には困ったことに同性の友達というものが居なかった。隣の部屋も、その隣の部屋も、この階は全て女性職員の部屋となっている。シャーロットに借りたいところだが、彼女は確かベティと共に少しの間施設を留守にしていたはずだ。
さて、こうなると異性の誰かの部屋にシャワーを借りに行く必要がある。
イザベルの頭には三人の男性が浮かぶ。一人はタロンである。彼ならば快くシャワーを貸してくれるだろう。
もう一人はハロルドである。ハロルドも同じく、イザベルにシャワーを貸してくれるに違いない。
が、その二人はイザベルにとって尊き存在である。そんな二人にシャワーを借りようなど、イザベルは考えられなかった。
と、なると。
*****
「え!? シャワーを借りたいの!?」
ノールズは明らかに嬉しそうな顔をして聞き返してくる。
「ええ」
「イザベルが!!?」
「と、リディアね」
「イザベルがシャワーを借りに来るの!?」
「と、リディアね」
どうしてもイザベルだけにしか目がいかないようだ。
イザベルが交渉しに来たのは数少ない仲良しの一人であるノールズだった。彼はジェイスという先輩と同室で、そんな先輩は今ちょうどシャワーを使用しているところらしい。
ノールズは暇をしていたらしく、何やらトランプを床に並べていた。シャワーから出たらジェイスと遊ぶようだ。
「ふーん、それは超常現象かもねえ」
話を聞いたノールズは興味深そうに言った。
「そうね。部屋に帰ってきたらカレーの香りがするんだもの、びっくりしたわ」
「イザベルが驚くだなんて......カレーでアタックするのも手なのか......」
何やら外れたことで頭を使うノールズをイザベルが呆れ顔で眺めていると、
「ノールズ、シャワー次いいよー」
と、半裸のジェイスが脱衣所から出てきて、扉の前にいるイザベルと目が合った。
「きゃー、イザベル!! 何しに来たのさ!!」
乙女のように体を縮こませるジェイス。イザベルが説明しようとすると、ノールズが我先にと口を開いた。
「シャワーからカレーが出てきたそうです!!」
「え、なんて?」
*****
取り敢えず、シャワーは貸してもらえることになった。ノールズがシャワーを使った後にはなるが、何とか体は洗うことが出来そうだ。イザベルはリディアを連れて再び戻ってくる。
「うおー、確かにカレーだなあ、こりゃ」
そう言ってジェイスがリディアの髪をワシワシと拭いてあげる。
「こんな変な超常現象聞いたこともないですよ......」
リディアは乾き始めたカレーをカリカリと爪で剥がしながら言う。
「だねえ。俺も初めてだよ。取り敢えずシャンプーとリンスあるから使って。メンズのだけど、大丈夫かな」
「構わないです」
「ありがとうございます!!」
二人はジェイスに頭を下げた。
*****
やがて二人はシャワーを浴びることができ、イザベルが最後に脱衣所を出ると、リディアを含めた三人は床に座ってトランプをしていた。
「お、イザベルもおいでよ!! ポーカーしようぜー!!」
ジェイスがイザベルが座れるように間を空け、ポンポンと床と叩く。
「でも......」
シャワーを借りた上に居座るのは申し訳ない。
イザベルが断ろうとしていると、
「まあ、こんな機会滅多にないしさ。男子だけの階だからこういうの新鮮なんだよー。な、付き合って!」
ジェイスの明るい笑顔を向けられたイザベルは折れる。素直に彼とノールズの間に腰を下ろした。
*****
「ありがとうございましたー!!」
「ありがとうございました」
トランプは盛り上がった。一時間以上居座る形になってしまったが、ジェイスは「久々に楽しかった!」と笑っており、ノールズも「またおいで!!」と、イザベルの方に目を向けながら言っていた。
「カレーの出るシャワーなあ」
ジェイスがトランプを片付けながら首を傾げる。
「やっぱり超常現象なんですかね!!」
「まあ、だろうな。俺らの部屋では被害がないことを願うばかりだな」
ジェイスがコップを洗うために洗面所へと行く。そして、
「うおおおお!!!?」
叫び声をあげた。ノールズが慌てて走っていく。
「カレー!!」
洗面台の中には茶色の液体が飛び散っていた。
*****
「おかしな超常現象だねえ」
次の日、イザベルは報告書を書いてタロンとハロルドに見せた。タロンは顎を撫でて報告書に目を通している。
「昨日はシャワーを浴びることができたのかな?」
「はい、ノールズの部屋で貸してもらいました」
「なんっだってえええ!!!???」
そう言って過剰反応したのはハロルドである。
「イザベルが、あの金髪とジェイスさんの部屋に行ったのか!!??」
「はい」
「シャワーを借りに!!?」
「はい」
「俺だってシャワー貸したし!!」
ハロルドがイザベルの手を握り、自分の胸に当てる。
「ハロルド、イザベルが困っているよ」
「俺の部屋、いつでも貸すからっ!!!」
「ありがとうございます」
「いいよ、イザベル。ハロルドの部屋は散らかっているからね」
「先生!! あれはルームメイトのやつが散らかしているだけですから!!!!」
「君だってほとんど変わらないよ」
「ううう!!」
図星なのか返す言葉が見つからないハロルドは悔しそうに唇を噛む。一方でイザベルはテキパキと今日の仕事を片付け始めていた。
「今夜は自分の部屋でシャワーを浴びられるといいね」
「はい」
*****
夜になり、自室に戻ってきたイザベルはリディアに聞いた。
「今日はどう?」
「ううん、やっぱりダメだよ......カレーだよ......」
どうやら直ってはいないらしい。超常現象だろうから、とタロンに報告書を書くよう言われて、今日提出してきたところである。恐らく今頃ブライスの目に通っているだろう。
「今日もジェイスさん達のところに行くしかなさそうね」
「ううん......そうだねえ」
二人は準備をしてジェイスとノールズの部屋へと向かった。
*****
「実は俺らのところもー......」
ジェイスが申し訳なさそうにそう言った。
どうやら二人の部屋にもついにカレーは侵食してきたらしい。シャワーと、そして洗面台からも出てきてしまっているそうだ。イザベルたちの部屋は洗面台は問題なく使えている。
「そうだったんですか......」
「取り敢えずどうにかして他の部屋を確保してくるかあ。ちょっと待っててな」
そう言ってジェイスは何処かへと走って行ってしまった。その場にはノールズとイザベル、リディアが残される。
「このまま施設全体のシャワーや蛇口からカレーが出てきちゃうのかなあ」
「それが日常になったら大変ね」
顔を真っ青にするリディアとは反対にイザベルはそこまで気にしていなさそうだ。いや、本当は気にしているのかもしれないが、彼女の場合その表情が乏しいのだった。
「ジェイスさん、どこ行ったんだろうね?」
「さあ、知らないわよ」
三人で話していると、
「何かあったのかい?」
後ろから声が聞こえてきた。ナッシュである。手にたくさんの資料やファイルを抱えているところを見ると今から部屋に戻るつもりなのだろう。
「ナッシュさん」
「こんばんは」
三人は丁寧に挨拶をして、状況を軽く説明する。
「へえ、そういえばブライスのもとにそんな報告書が届いていたような気がするよ」
「ブライスさんは何か言っていましたか?」
「僕は特に聞いてはいないけれど......でも、良ければ僕らの部屋のシャワーを使うかい?」
「え!?」
「えっ!」
反応したのはリディアとノールズ。ノールズは顔を真っ青に、リディアは顔を輝かせている。
「と言っても四人は入れられないな......おや」
ナッシュが廊下の反対側に目を向ける。ちょうどジェイスが走ってきているところだった。
「あれ、ナッシュさんこんばんは。どうしたんですか、こんなとこで」
「この子達が困っているようだったからね。ジェイスは何をしていたんだい?」
「俺はハンフリーの部屋に行ってきました。シャワーを借りられないか聞いてて......」
「ああ、そうなんだ。OKはもらえたかい?」
「はい。とりあえずイザベルとリディア_____」
「わ、私、ナッシュさんのお部屋でシャワー浴びてきてもいいですか!!!???」
天井を突き刺す勢いでリディアが腕を伸ばした。ジェイスが「えっ?」と目を丸くする。その隣でノールズがリディアに賛成しているのか大きく首を縦に振っていた。
「俺も賛成です。ジェイスさん、俺はハンフリーさんの部屋でシャワー借りたいです」
「んー、まあ、いいけど......イザベルはそっちでいいの?」
「はい」
リディアが行くなら行くしかないだろう。人数を考えるに中途半端になってしまう。
「わかった。じゃあナッシュさん、お願いします」
リディアとイザベルの肩を掴んで二人をくるりとナッシュの方に回転させるジェイス。ナッシュが「うん、いいよ」と頷いた。
*****
「誰かを部屋に呼ぶって言うのは、ドワイト以外初めてかもしれないなあ」
ナッシュはそう言って扉を開いた。リディアは緊張しているのかイザベルの手をぎゅっと握りしめている。
何故こんなに彼女が興奮しているのか。理由は極めて単純である。
リディアは、この部屋の持ち主の一人であるブライスに想いを寄せていた。彼が生活している領域に入れるのだから、興奮するのも無理のないことだ。
それから、男性が住むこの階にはあまり来る機会がない。あんな超常現象が現れない限り滅多にない機会だろう。
「ブライス、帰ったよ」
部屋の中は綺麗に整頓されていた。考えてみればこの二人の場合、そしてドワイトも含め、伝説の博士は部屋を散らかすようなことはしないだろう。
「ああ。......って、どうした」
ブライスは机で書き物をしていたらしい。扉の方に背中を向けていたので最初は気づかなかったようだが、明らかに部屋に入ってくる足音が多いので流石に気づいたようだ。振り返って少しだけ眉をあげる。
「何がだい?」
とぼけながらナッシュが持ってきた荷物を自分のベッドサイドに置いた。
「どうしてイザベルとリディアが此処に......」
言いかけて気づいたらしい。
「そ。シャワーが使えないから部屋に迎え入れてみたよ」
「何も俺らの部屋じゃなくてもいいんじゃないのか」
「僕らの部屋に女の子が来ることなんて今後あるかないかだよ。さ、どっちから浴びる?」
「え!! 私たちは後でいいですよ!!!」
心做しか頬を赤く染めたリディアが顔をブンブンと横に振る。
「お客さんは遠慮しないで。リディア、入っておいでよ」
「え、じゃ、じゃあ......お借りします!!!」
リディアが顔を真っ赤にして脱衣所に姿を消した。イザベルは立ったままシャワーが開くのを待つことにする。
「イザベル、座って。今飲み物出すよ」
「お構いなく」
そう言ったが、イザベルはナッシュのベッドに座らせられた。また随分とフカフカである。職員全員が同じ寝具を利用しているはずだが、洗濯の仕方に問題があるのだろうか。リディアのもイザベルのもこれよりゴワゴワした感触だ。
「はい、紅茶でいいかい?」
「ありがとうございます」
カップに入っていたのは、よくシャーロットが飲ませてくれるものであった。知らない土地でようやく知っているものに会えたような感覚で、イザベルはホッとする。
「それにしても、面白い超常現象が出たもんだねえ」
ナッシュは自分の分とブライスの分を作り、ひとつはブライスがいる机に置いた。そしてもうひとつのカップを持って反対側のベッドに座る。ブライスのベッドだろう。特にブライスも何の反応も示さない。
「シャワーからカレーなんて。どうしてカレーなんだろうね?」
「はい......」
確かに不思議な話だ。最近のカレーに関することなど、ハロルドが食堂でカレーを食べていたくらいだ。
「取り敢えず明日お前たちの部屋を調べてみる。入っても大丈夫だな?」
ブライスが振り返って聞いてきた。イザベルは「はい」と頷いた。
「それと、私たちの部屋の他にノールズとジェイスさんの部屋も同じような現象が現れたみたいなんです」
「ジェイスらの部屋にか?」
「ああ、それ僕も聞いたんだ。彼らの部屋はイザベル達の部屋とは違って、洗面台の蛇口からも出てきたらしいけれど」
ナッシュが補足で説明を入れる。ブライスは眉をひそめた。
「そうか。ならジェイスらの部屋も調べねばならんな。他にはまだ被害報告は受けていないな」
「みたいだね」
二人が話を始めたので、イザベルは手持ち無沙汰になった。適当に目線を部屋の様々な場所にやってみる。
部屋の造りは何処の部屋も一緒だ。ベッドが二つ、机が一つ、壁にクローゼットがついており、扉の奥にはバス付きのシャワールームがあって、トイレと洗面台が一緒になっている。部屋に個性を出したければ大抵壁に何かを貼ったり、クローゼットの中身をいじったりするしかない。
イザベルはブライスがいる机をチラリと見やった。部屋にまで仕事を持ってくるのだからやはり伝説の博士は凄い。
タロンは決して部屋に仕事を持ち帰らせようとしない。例え持ってきたとしても、リディアがさせないだろう。
この部屋の机は整理整頓がされているが、置かれているものはどの部屋よりも多かった。まず仕事用のファイル。分厚いのできっと研究員ファイルではないだろう。
続いて、飾り棚には誰かの写真とサングラスが置いてあった。目を凝らして写真を見てみると、写っている人物は全部で六人だと分かった。若い頃の伝説の博士だろうと予測できるが、金髪の女性はベティだろうか。
後の二人はそれぞれ女性と男性だったが、イザベルの知っている人物ではなかった。
やがてリディアがシャワーから出てきた。扉を開けた彼女の目は、真っ先にブライスを捉えている。
「シャワーありがとうございます!」
「ああ、いいよ。さてイザベル」
ナッシュがイザベルに微笑んだのでイザベルは立ち上がる。
「リディア、飲み物は紅茶でいいかい?」
「は、はいっ!!」
何処か嬉しそうな同期の声を聞きながらイザベルは脱衣所に体を滑り込ませた。
*****
次の日、
「で、出たー!!!」
イザベル達の部屋のシャワーは特に問題なく使うことができるようになっていた。カレーがこびりついたシャワールームを洗って、二人は早速シャワーを浴びることにする。
「ね、ねえイザベル」
イザベルが着替えを用意していると、リディアがイザベルの袖を引っ張ってきた。
「も、もしまだシャワーが直ってないってことにしたらさ、ブライスさんたちまたシャワー貸してくれるかなあ?」
「......」
「ほら、昨日あまりに緊張しちゃってちゃんとシャンプーの種類とか見られなかったし......ね!!」
「ね、じゃないわよ」
イザベルが呆れ顔で言って彼女の柔らかい頬を指で捻る。
「いででででででっ」
「ブライスさんが好きなのは分かったけれど、発言もほどほどにしなさい」
「わかった!! わかったからもう捻るのやめてっ!!」
リディアの悲痛な叫び声を聞いてイザベルはパッと手を離す。
この同期は......。
彼らの部屋に入れるのはもう止めておいた方がよさそうだ。
イザベルはため息をついた。
*****
そんな中リディアに似た発想を持つ人物がもう一人。
「ジェイスさ〜ん」
「んー?」
ジェイスが部屋のベッドにて仲間から借りた漫画を読んでいると、反対のベッドで髪を乾かしていたノールズが彼を呼んだ。
「またイザベルたちの部屋のシャワーからカレーが出てくるようになったら......イザベル、またシャワー借りに来てくれますかね!?」
「あー......どうだろ......」
類は友を呼ぶというべきか、ジェイスはノールズの将来が心配になりながら、その思考が育たずに終われと心から思うのだった。




