離反
ノールズ達は会議室に集められていた。目の前には三人の男性。ブライス、ナッシュ、ドワイトだ。
「取り敢えず今話したことが、ブライスさん達が来るまでのお話です」
ひと通り話し終えたノールズがそう言うと、書記をしていたドワイトがふむ、と唸る。ブライスも険しい顔をしていた。
「なかなかに非道だな」
「本当だよ。死人が出なかったのが不幸中の幸いだ......」
ナッシュもブライスの隣で顔を曇らせている。
言葉にして並べてみるとかなり酷いことをされていたことを自分たちも痛感した。
ノールズは暴力で情報を吐かされようとした。カーラもまた、ドワイトが飛び込んでこなければ死んでいた可能性が十分にある。
ノールズらがエスペラントに誘拐されてから一日が経過した。まだB.F.内は騒がしいが、ノールズ達には大きな怪我はなかった。会議室に呼ばれたのは、ブライスらがエスペラントの施設に到着するまでの出来事を聞くためだったのだ。
「研究員ファイルは回収できなかったんだな」
「はい.......回収された部屋が何処なのか分からなかったんです......。おそらく、ベルナルドさんの部屋にあるとは思うのですが......」
「まあ、そう考えるのが妥当だろう」
ノールズの言葉にブライスは頷く。
「大体のことは把握した。忙しい中協力してくれたことを感謝する」
「いえ......こちらこそ、助けに来てくださってありがとうございました」
ノールズが慌てて立ち上がって頭を下げたのでイザベル、ラシュレイ、カーラ、キエラが続いた。
感謝を述べたところでノールズは少しだけ気になったことを聞いた。
「あの......ベルナルドさんとブライスさん達はお知り合いで?」
控えめにそう問うノールズに、ブライスは「まあな」とため息混じりにそう言った。説明をくれたのはナッシュだった。
「元々は同じ大学に通っていたんだよ。彼らは僕らが担当していた文書001の内容がどうしても知りたかったようでね。僕らはベティと、もう一人の仲間五人でその解読を進めていたんだけれど......。政府からあまり人に知られてはならない、って忠告を受けていたから、研究に参加できる人数は限られていたんだよ」
「そうだったんですか......」
初耳だった。文書001の研究はベティを含む四人だけで行っていたのだろうと長年思い込んでいたのだが、まさかもう一人いたのか、とノールズは内心驚いていた。
「死が怖いだけの団体だ。気にするな」
ブライスはそれだけ言い、立ち上がる。
「今日は解散だ。各自オフィスに戻れ」
「あ、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
キエラとカーラ、ラシュレイが会議室を出ていく中で、イザベルとノールズはその場からなかなか動こうとしなかった。
「どうかしたのかい?」
書き留めた書類をファイルに閉じようとしていたドワイトが首を傾げる。
「イザベルさん、戻らないんですか?」
キエラ、カーラ、ラシュレイは不思議そうな顔をして二人を会議室の入口で待っている。
「ああ、うん。三人は先にオフィスに戻ってて」
「はーい......?」
ノールズに言われて三人は会議室から完全に出ていった。ノールズとイザベルは目配せをしている。
「何かまだ話し足りないことがあるようだな」
立ち上がりかけていたブライスが二人の様子を見て椅子にかけ直す。
「はい......実は......」
口を開いたのはイザベルだった。
*****
「イザベルの妹がエスペラントに居る?」
ナッシュは目を丸くして彼女の言葉を復唱した。
「はい、気づいたのは本当に見えなくなる瞬間だったので、絶対にそうだとは言いきれないのですが......」
イザベルにしては珍しく歯切れの悪い言葉を並べている。
「イザベルの妹か......」
ブライスは目を伏せて手元の資料を捲っている。そして、あるページでピタリと手を止めた。
「チェルシー・ブランカ(Chelsey Blanca)か」
「はい」
イザベルの妹。ノールズも知っている。というのも、イザベルの妹、チェルシー・ブランカは元々B.F.の研究員だった。面識はないのでどんな顔なのかノールズには分からないが、イザベルと同じ髪色をしているようだ。そしてそんな研究員を自分はエスペラントに誘拐された時にその施設で見てきた。
チェルシーはあまり人前に姿を現さなかったという。噂によると、今はもう居ない研究員の元に助手入りしたが、その研究員にいじめを受けていたのだとか。彼女はとある実験を受け持って帰らぬ人となった。生死は不明であるが、今回の誘拐事件で彼女が生きていることが確認されたのだ。
「そのイザベルの妹って......確か、実験で行方不明になった子だよね?」
ドワイトが眉を顰める。
「そうです」
「あいつを飲み込んだ超常現象については謎が多い。チェルシーは超常現象ごとこの施設から行方を眩ませたが......まさかエスペラントに居たとはな」
資料に何かを書きながらブライスが言う。
「超常現象から出てきて生きていた、ということになるが......イザベル、お前はチェルシーとあまり仲が良いようには見えないな」
ブライスの発言に、イザベルは初めて見せるような表情でブライスから目を逸らした。
「......仲は......良くなかったかと」
「......そうか」
「おそらく、これは私の勝手な推測に過ぎないのですが......彼女は私を追ってB.F.に入社してきたようなんです」
ドワイトが首を傾げる。
「イザベルを追ってかい?」
「はい」
「そりゃまたどうして......」
ナッシュも首を捻っている。
「わかりません......昔は仲が良かったのですが、私が家を出る頃にはお互いほとんど口を利かない状態でした」
「喧嘩でもしたのかい?」
「そんなことは無かったとは思いますが......少しずつお互いの口数が減っていったのには間違いありません。妹とは価値観が合わなかったのかと思っています」
イザベルは真っ直ぐブライスを見据えた。
「悪い子ではないんです。ただ、エスペラントに入社している理由が分かりません。もし、機会があれば、私に彼女と接触する許可を頂けませんか」
「それは構わんが、危険だと感じればすぐに下がらすからな」
「構いません」
イザベルは全てを話し終えたのか、一礼をして部屋を出ていった。ノールズは慌てて追いかけようとして、ブライスに止められた。
「ノールズ」
「はい!?」
まさか呼び止められると思っていなかったのか、ノールズは変な声を出す。それを聞いたナッシュが吹き出した。
「ジェイスとは話せたか?」
ブライスの問いにノールズはハッとした様子で、彼の方に体を向けた。彼の脳裏に、ジェイスの優しい顔が浮び上がる。
「......はい」
「そうか」
「全く変わっていませんでしたよ」
ノールズは頬を搔いて苦笑している。
「ずっとお前を気にかけていたようだったからな」
「え、俺を......ですか?」
ブライスの言葉が信じられず、思わず自分を指さすノールズ。
ジェイスは自分が重荷でこの施設に置いていったとずっと思っている。だから、地上に出ればきっと彼は自分のことをすっかり忘れて新しい生活を送っていると思っていた。
「大切な助手を置いていってしまうのは、きっととても辛かったんだよ」
ドワイトの言葉にノールズはグッと唇を噛んだ。ジェイスが自分を置いていったあの日を思い出す。彼はあの日どんな気持ちで施設から出ていったのだろう。彼は最後、自分に向かってこう言った。
『またな』
あの時の彼のなんとも言えない寂しげな表情と声色を、ノールズはまるで昨日の事のように鮮明に覚えているのだった。
*****
ジェイスは助手の星4の試験中、空いた時間で夕食を食べに来ていた三人の元へ歩を進めていた。
「......ブライスさん」
声をかけると、三人は会話を止めて此方を見上げる。不思議そうに首を傾げるドワイト、咀嚼を止めずに目だけ此方に向けるナッシュ、そしてブライスは、持っていたフォークを置いて真っ直ぐジェイスを見上げた。
「何だ」
「......今までありがとうございました。俺、B.F.を辞めることにします」
頭を深く下げ、ジェイスは言う。ドワイトが息を呑むのが分かった。
頭を下げたまま、ジェイスは、
「明日、ノールズが星4になったのを見届けたら、出ていきます」
そう言った。
「何故だ」
彼の声色は相変わらず低く、食堂の喧騒の中でもはっきりとジェイスの耳まで届く。
「何故だ」
答えられないジェイスに、更にブライスは問い詰める。それでもジェイスはなかなか口を開こうとしなかった。ブライス、と何かを察したようなドワイトがブライスを呼ぶが、ブライスは何も言わずにジェイスを見つめている。
「............罪を、償うためです」
彼は頭を下げて短く、そして絞り出すように言った。
「ジェイス君_____」
ドワイトの声がした。
「お前はそれをB.F.から出ることで償えるものだと信じているのだな?」
ブライスの厳しい声に、ジェイスは頷いた。
「はい」
「何もかも綺麗さっぱり忘れて新しい人生を歩めると言うのか」
「......」
「ノールズを置いて出て行くことが新たな罪になるとは思わないのか」
「......」
「もし出ていったとして、お前はもうハンフリーやパーカー、ヴィム達のことを_____。
「俺には」
ブライスの言葉をジェイスが遮った。
「俺には、あいつらみたいに死ぬ覚悟も、ノールズを最後まで育てられる覚悟もありません」
ジェイスは震えた声で言う。さっきから彼の目から鼻のてっぺんにかけて集まる雫があった。それはポタリと床に落ちる。
「こんな最低な先輩に育てられるあいつが可哀想なんです」
だから、とジェイスは言葉を紡ぐ。
「俺は此処を出ていきます」
小心者でごめんなさい、と、聞こえないくらい小さな声も聞こえた。
三人の目の前で自分らに頭を深深と下げる研究員。
ナッシュはいつの間にか咀嚼をやめて彼の方をじっと見ていた。
*****
試験の次の日、発表会場にてノールズは自分の番号を見つけて「よっしゃあ!!」と大きく叫んだ。リディアもイザベルも無事に昇格できたようだ。これで星4になることができたのである。今日はきっとジェイスがアップルパイとドーナツを用意してくれるだろう。
三人は早速自分の先輩が待つ食堂やオフィスに向かい始める。途中までは一緒に肩を並べて歩いた。
「いやあ、筆記自信なかったんだよねえ」
ノールズが腕組をしてそう言うと、大きく頷いたのはリディアだった。
「あー、分かる分かる!! あの三問目おふざけがすぎるよ!!」
「力不足なだけでしょう」
傷を舐め合うリディアとノールズの横でイザベルは冷静にそう言った。
「そういや、リディアは独立するの?」
「えー、どうしよっかなー」
星4になったということは、今いる先輩の元から離れて、誰ともペアを組まない独立した研究員になれるということだ。
「ノールズはどうするのよ」
「するわけないじゃん!! ジェイスさんが寂しがるだろうし、俺が傍に居てあげないとねー」
ジェイスは食堂に居るだろう。入った瞬間、きっと抱きついてくるか、褒めまくってくるかのどちらかだ。
やがてリディア達とは食堂に入ってから別れ、ノールズはジェイスの姿を探した。食堂の中は合格を喜ぶ研究員達でごった返していた。予想は外れてしまったらしい。ジェイスならば飛んでくると思っていたのだが。
そう思って奥の方も探してみようと足を踏み出すノールズの背中に、
「ノールズ」
と、声がかけられた。ノールズは振り返る。そこに居たのはジェイスではなく、ナッシュであった。
「ナッシュさん?」
あまりナッシュとは話す機会が無いので、ノールズは少しだけ驚いてしまう。彼に名前を呼ばれるとなると、自分は何か悪いことをしたのだろうか。テスト中、カンニング行為はしていなかったはずだが。
「えっと、ジェイスさん、知りませんか?」
「まずは報告」
「あ、えっと、合格しました!」
ノールズがはにかんでそう言うと、ナッシュは頷いた。
「へえ、やるじゃないか。筆記の試験、難しかっただろうに」
「そうなんですよ。あれ作ったのってもしかしてナッシュさんですか......」
「当たり前だろう。ま、合格出来たのなら君もちょっとはやるってことだな」
もう少し素直に褒めればいいものを。少し厳しめの性格とは聞いていた。飴と鞭の比率が可笑しいとか何とか。
心の中でそう言っていたはずが、無意識のうちに口から出てしまっていたらしい。
「何だって?」
怖い笑顔が迫ってきた。
「いいえ! 何でもありません!!」
慌てて笑顔を作って見せて、ノールズは後ずさった。流石、伝説の博士と呼ばれているだけある。今まで感じたことの無いほどの気迫である。
「......あの、ジェイスさんは......」
ノールズはキョロキョロと食堂内を見回す。ジェイスがいつまで経っても来ない。こんな会話をしているうちに自分を見つけて抱きついてくるのではないかと思っていたのだ。
ノールズの言葉にナッシュが思い出したように歩き出した。
「ああ、そうだった。ノールズ、ついてきなさい」
ノールズは慌ててその後を追う。
*****
「え......」
ナッシュに連れてこられた先は、エレベーターの扉の前だった。エレベーターのボタンの横にある蓋が開いており、中の機械に鍵が刺さっている。あれは、伝説の博士だけが持っているマスターキーである。それがあの蓋の下に刺さっているということは、どういうことを意味するのか。
誰かが地上へと出ていく。
このエレベーターは何もしなければ、今ノールズ達がいる地下一階から、一番下の階である大倉庫まで行くことができる。が、あの鍵が刺してある時は地上まで行くことができるのだ。
「此処で......何をするんですか......?」
エレベーターに乗るわけではなさそうだ。そもそもこんな場所に鍵が刺しっぱにしてあるので、ナッシュが居なくなったら誰も鍵を見張る人が居なくなってしまう。
ノールズの問いにナッシュは答えなかった。ただ、廊下の奥の方を見つめている。ノールズは急に静かになったナッシュに嫌な予感を覚えて廊下の奥に目をやる。
「......え」
その奥から歩いてくる三人の男を見て、ノールズは声を漏らした。ブライスとドワイトに率いられるようにしてジェイスが歩いてくる。別にそれだけなら可笑しいことではない。しかし、ジェイスは大きな鞄を持っていた。まるで引越しでもするかのように。
「ジェイスさん......?」
「ノールズ」
ノールズが呆気に取られている間にジェイス達は目の前までやって来ていた。ジェイスは荷物をエレベーターの扉の前に置いて、ノールズの頭に手を乗せた。
「聞いたよ。合格おめでとう。これでお前も晴れて一人前だな」
ジェイスはいつものテンションではなかった。寂しそうに、ノールズの髪に指を滑らせている。
「......え、どういうことですか? ジェイスさん、その荷物、何ですか?」
明らかに施設内を移動するには可笑しい。
「......ノールズ。俺が今から教えるのは大事な事だから、よく聞け」
ジェイスがノールズの頭から手を離したかと思うと、次は彼の肩に手を置いた。そして、ジェイスは深呼吸する。息を吐いた彼の顔は、少しだけ辛そうだった。だが、彼は笑おうと必死になっているのか、口角が引きつっていた。細められた瞳が、微かに潤んでいる。
「仲間は大事にすること。助手は特にな。精一杯の愛情を注いであげること」
ジェイスの手がノールズの頬の湿布を愛おしげに撫でる。
「それから......そうだな......」
ジェイスは視界がじんわりと滲んだことに気づいて、ぐっと唇を噛んだ。目の前にある不安げな後輩の顔を見て、ああ、と思ってしまう。
せっかく喜んであげるべき場面なのに、自分はなんて事をしようとしているのだろう。
本来なら、もっと盛大に星4になったことを祝ってあげたいのだ。
だが、それはできない。
揺れる視界。泣き出す前に言葉を吐き出した。
「絶対に、俺みたいな先輩になるんじゃないぞ」
精一杯の笑顔だった。ノールズが目を見開く。今まで見た事もないほど、悲しげな表情だった。
「ジェイスさん......?」
ジェイスの後ろで、音もなくエレベーターの扉が開いた。ジェイスは荷物を持ち上げてそれに乗り込む。
「出ていくつもりなんですか......?」
そこで、やっとノールズは自分の先輩が何をしようとしているのかが分かった。
「俺を置いて......?」
ノールズの心臓が締め付けられていく。彼との思い出が頭の中に次から次へと流れていく。
「何で......何でですか......?」
彼はよろよろとエレベーターに近づいた。
「いやです......やだ、行かないでください!」
エレベーターに走りよろうとするノールズの腕をナッシュが掴んだ。片腕だけ掴まれているというのにノールズは動くことが出来なかった。
「やだ!! 何でですか、ジェイスさん!! 俺を置いていくんですか!!」
ジェイスはノールズを見つめている。エレベーターの扉がゆっくりと動きだした。両脇から彼と自分の世界を隔てようとしてくる。
「ジェイスさん!!」
ジェイスは下を向いた。何かを言っているようだが、聞こえない。しかし次の瞬間、彼は笑って見せた。両目から溢れた雫が彼に顔の輪郭にそって、床にポタリと落ちていく。
「またな」
彼はそう言った。ノールズが「あ......」と力のない声を喉の奥から絞り出したところで、扉は完全に閉まったのだった。
*****
ノールズはブライスを見つめていた。ブライスの真っ直ぐな目にノールズは負けて下を向く。
「ジェイスさんは、戻ってきたいなどとは言っていなかったんですか.....」
「......俺だってそう言って欲しい気持ちだ」
見ると、ブライスが珍しく目を伏せていた。
「ジェイスらの考察はいつだって我々が実験で結果を出す際の手助けになっていたからな」
ジェイス、ハンフリー、パーカー、ヴィムが伝説の博士と共に実験の結果の考察を手伝うことは少なくはなかった。エスペラントの存在を突き止めた時だって、その場にジェイスとハンフリーが居たのだ。
「あいつもあいつなりに悩んで出した答えだ。戻る気は無いと思うぞ」
まるで自分に言い聞かせるようにしてブライスはそう言った。ノールズは「そうですか......」と小さく呟いて、もう一度お礼を言うと部屋を出た。
昨日の出来事はまるで夢のようだった。自分はいつの間にかジェイスの腕の中で泣いていた。あれだけ泣いたのは久々だろう。ラシュレイの「記憶の焔」の実験以来ではないだろうか。
彼には戻ってきて欲しいと心の底からノールズは思っている。ジェイスがB.F.から出ていく際に言った、
「俺みたいな先輩になるんじゃないぞ」
という言葉が心に引っかかっている。何故あんなことを言ったのだろう。ノールズにとってジェイスは自慢できる先輩だ。心から尊敬している素晴らしい先輩だ。なのに、何故あんな悲しい顔をしてあんなことを言うのだろう。
ノールズいつの間にか溢れそうになっていた涙を白衣の袖で静かに拭った。
*****
「ノールズ君やっぱり寂しいんだね......」
ノールズが出て行った扉から目を離さずにドワイトは小さく呟いた。
「ジェイスはノールズを一番近くで見てきたからな」
「うん......きちんとしたお別れができなかったのが心残りなのかもしれないね」
三人は少しの間黙り込んだ。
誰も悪くは無い。パーカーが死に、ハンフリーとヴィムが戻ってこなくなった。ジェイスの心はきっと想像以上に傷ついていたはずだ。その状態で毎日笑顔でノールズに接するなど、難しかった。
彼の選択は間違っていない。地上に出て、気持ちの整理をつけられるのなら、それでいいのだ。
ブライスは資料を纏めて立ち上がる。
「ところで、お前の怪我は平気なのか」
ブライスの目はドワイトの横腹に向けられる。カーラを庇った際にベルナルドの撃った弾に掠ってしまったのだ。
「痛くないよ。ベティ先生に治療してもらったんだからね」
ドワイトが意味ありげに微笑むと、ブライスは「そうか」と言って目をそらす。
「寧ろ心配なのはドワイトの助手の方だよ。今まで無いくらい甘えん坊になっているんだってね?」
ナッシュがいたずらっぽく笑った。
「そうなんだよ。オフィスを出る時も、廊下で傷が開いたら大変だからとついて来ようとしていてね。可愛くて可愛くて仕方がないんだよ」
愛おしげに目を細めてそう語るドワイトに、ブライスはファイルを片付けながら、
「お前が痛みに苦しむ姿を間近で見せたのが良くなかったのかもしれないな」
とボソリと言う。
「おや、寧ろ甘えたがりになってくれるのは嬉しいから、私は苦でもなんでもないさ」
ドワイトが微笑む様子を見てナッシュはクスクスと笑う。
「まるで恋人じゃないか」
「うん、そんな感じかもしれない」
一通り話が区切れたところで、ナッシュがふと思い出したように、「そう言えば」と呟く。
「ドワイトがあれだけ激怒したところを見たのは初めてだったよ。気持ちはわかるけれど、凄い形相だったね」
「ああ......自分でも驚いたよ。正直、あの勢いが無ければ撃たれていたかもしれない。カーラも私も。今思い返したら少し恥ずかしいけれど......」
恥ずかしげに頬を掻くドワイトだったが、「でも」と目の前の二人を真っ直ぐ見据える。
「ブライスとナッシュが助けてくれた。だから私は今此処に居る。あんなに勇気をだして大声を出したのも、二人が守ってくれると信じていたからだよ。本当にありがとう」
ドワイトがそう言うと、ナッシュとブライスの口元が緩む。それを見て、ドワイトは扉へと向かった。オフィスへと戻るようだ。
「じゃあ、またね」
「ああ、恋人と戯れておいで」
「そうさせてもらおうかな」
ドワイト手を振って部屋を出ていく。ナッシュも手を振り、
「いいねえ、ああいうの」
と、隣に居る相棒を見た。
「......そうだな」
「おや」
まさか共感してくれるとは思わなかったのかナッシュは驚いた顔をする。
「なんだ」
ナッシュの顔にブライス怪訝そうに目を向けた。
「いやあ、君も憧れることがあるんだなあって少し感動してしまったんだよ。羨ましくなったんだろう? 強がらずにベティとよりを戻したらいいのに」
「そういうわけではない。微笑ましいという意味で言っただけだ」
「微笑んでさえいっていなかった気がするけどな......」
資料を脇に抱えるブライスを、ナッシュは今度は呆れ顔で見た。
*****
「やあ、カーラ、今帰ったよ」
「あ、ドワイトさん! おかえりなさい」
オフィスの扉を開くと、飛んでくるのは可愛らしい助手の声だ。ドワイトの助手であるカーラは椅子から立ち上がり、ドワイトを支えようとする。
「お腹の調子は大丈夫なんですか? あまり歩かない方がいいんじゃ......」
「平気だよ。心配してくれてありがとう」
ドワイトは助手の黒髪を優しく撫でる。カーラは昨日の件で神経質になっているようで、自分が痛い素振りを見せてしまうとたちまち泣きそうな顔になってしまう。
「あの......本当に、今日は無理しないでくださいね......」
「そうだね。今日はもう何処にも行かないよ。でも、本当に大丈夫なんだ。昨日、君を抱っこして走れたんだよ? あれだけ動けたら会議室とオフィスを行き来するくらいなんてことないさ」
カーラの黒髪を撫で続けながらドワイトがそう言うと、カーラは顔を曇らせて俯いた。
「でも_____」
彼女の目にじわりと涙が浮かんだのをドワイトは見た。
「昨日、ドワイトさんが撃たれてしまった時、私は一瞬だけ......ドワイトさんが居なくなってしまったらどうしようって......もし、もし、死んじゃったら......」
「......」
ぽたぽたと床に落ちていく少女の涙に、ドワイトは目を伏せる。
確かに、死ぬほどの怪我ではなかったが、今回はかなり危険な状況であった。あの時ブライスが助けに来ていなければ自分は今此処に居なかったかもしれない。助手にとって一番近い存在である自分たち先輩は、命を大事にすることが最優先だ。いつだって彼らを守れるのは自分たちしかいないのだから。
「カーラ」
ドワイトが優しく呼ぶと、カーラは顔を上げた。涙で濡れた鼻と目元が赤くなっており、ドワイトはそれを見て腕を広げた。
「おいで」
カーラは少しだけ躊躇っていたが、やがて小さな足で彼に歩み寄るとその胸に額を押し付けた。ドワイトはカーラの背中にしっかり腕を回す。
「私は何処にも行かないよ。君を守るという大切な役目があるからね」
彼は優しくカーラの髪を撫でて続ける。
「私が一番守るべき存在は助手の君だよ。過去に守りきれなかったものをもう一度失いたくはない」
「......!!」
カーラはハッとした。自分の前にドワイトがとっていた助手、カーラの兄弟子にあたるミゲルは、ずっと前に亡くなっている。ドワイトはカーラをベルナルドから守ってくれた時に、泣きながら怒っていた。きっとミゲルの存在を馬鹿にされたが悔しくて堪らなかったのだろう。ドワイトにとって助手はかけがえのない、大切な存在なのだ。
ドワイトは自分の役目を、その助手を身を呈して守るということにした。ミゲルという助手を失ってから。
「.............それじゃダメかな......」
ドワイトが優しく問う。赤いリボンを付けた小さな頭は揺れる。
「......いいえ、」
カーラの手が彼の背中に回る。
「......充分すぎます」
ドワイトは少しの間、小さな助手の頭を優しく撫でていた。




