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Black File  作者: 葱鮪命
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賑やかな日々

 キエラが紛失した報告書を再作成するために、二人は向き合って座っていた。此処は第一会議室。少人数で会議する用のミーティングルームである。


「いやあ......こう見ると、僕って無くし物の天才なんじゃないかって思います」


 キエラは目の前に積み上がる紙の束を見て目を丸くした。


「ほんと、その反省しないあなたの態度が私はどうかと思うのだけれど」


 氷のような冷たい声でそう言うのは、イザベルである。声だけでなく目も冷たい。しかしキエラはそんな彼女に「えへへ」と、まるで母親に褒められた子供のような照れ笑いを向けている。


「でも、何だかんだお手伝いしてくれるんですね、イザベルさん」


「あなたが居ないと実験もできない、資料集めも全然進まない、仕事にならないからよ」


「つまり僕が必要なんですね......!!!」


「嬉しそうな顔をしていないで早く手を動かして」

 ため息をついて、イザベルは目の前の紙の束に黙々とペンを走らせる。


 二人で少しの間作業をしていると、ふと、キエラが思い出したように口を開いた。


「そう言えば、僕が此処に来てから一年以上経過しましたよね!」


「そうね」


 イザベルは一切手を止めない。彼女のペン先が物凄いスピードで綺麗な文字を生んでいく。


「イザベルさんと出会ってこれで一周年......記念に何か食べに行きませんか?」

「何言ってるの。外部調査以外で外に出るのは禁じられているでしょう」


 顔を輝かせて提案したキエラだったが、イザベルの言葉にムウ、と不満げな表情を見せる。


「それは知ってますけど......僕はイザベルさんと出会えたことを盛大に祝いたいんですよ......!!」


「祝わなくていいわよ。出会いと別れはこのB.F.で目まぐるしく繰り返されるものなんだから。一年ずつ意識していたらキリがないわ」


「えー、誕生日だって毎年祝うじゃないですか」


「祝い事を増やしても鬱陶しいだけよ」


「あうう、冷たいです......僕はイザベルさんと記念日を作りたいのに......」


 キエラは恨めしそうにイザベルに目をやる。しかし、それも一瞬だった。次の瞬間には新しい話題に入る。


「イザベルさんには申し訳ないですけど、僕にはイザベルさんの他に心に決めた女性がいるんです!!」


「そう」


「反応!!!!!!」


 キエラはショックで大声を出す。

 しかし勿論イザベルはそんな声に怯むこともない。涼しい顔でペンを走らせている。


「別にあなたに好きな人が居ようが居まいが、私には直接的に関係の無いことだもの。人の恋愛事情なんて尚更自分には関係ないでしょう」


「そう言わずにもっと嫉妬するとかして、話を深く掘り下げてくださいよぉおー......」


「嫌よ」

 スパン、とイザベルは言い切った。


「冷たい!! じゃあ僕が勝手にお話しますからね!!?」


 イザベルの返答を待たずに、キエラは胸を張って語り出した。


「僕がまだ五歳か六歳くらいの時にですね、街中で迷子になったんです。そしたら、きれいなお姉さんが僕のことを助けてくれたんですよ!!」


「ふーん」


 イザベルは心底興味が無さそうだが、キエラは気にせずに続ける。


「無事にお母さんは見つかって、別れ際に、僕はそのお姉さんにメダルを預けたんです!」


「メダル?」


 イザベルは相変わらず手を止めない。


「僕がよく連れて行って貰ったお菓子屋さんに、メダル入りのチョコレートが売っていたんですよ!! それをお姉さんに買ってもらって、公園で食べたんですけれど、その時に結構レアな柄が出たんですよねー! でも、僕はお姉さんともう一度会うまでは、そのメダルをお姉さんに預かってもらっているんですよ!!」


「なんでよ......」


 イザベルが初めて手を止める。


「うーん......顔が変わっても覚えていられるように、ですかね」


「そんなに曖昧な理由で相手にメダルを押し付けたわけ?」


「いや、いやいや!! 僕は今そのお姉さんを見ても分かる自信ありますよ!! すっごく綺麗な人でしたし、優しい人だったんですから!! きっと素敵な大人の女性に変身してると思います」


 キエラがうっとりとした顔で宙を見つめるのをイザベルは呆れ顔で見ていた。


 たった一瞬会っただけの人間にメダルを押し付けるとは......なかなかの事をする子である。


「もし捨ててたりでもしたらどうするのよ」


「その時はその時です!! 確かにおもちゃのメダルでしたけれど、あれは僕とお姉さんを繋ぐ唯一の手がかり!! あんなに優しいお姉さんなんですもん! 捨てるなんてそんなことしないと思いますよ!!?」


 キエラが身を乗り出して熱くなっている。一方イザベルは作業を再開していた。


「お菓子は詳しくないからさっぱりだわ」


「イザベルさんもきっと気に入るくらい美味しいチョコですよ! もう販売中止して売っていないんですけど......レア物はネットで高値で取引されているみたいですよ!」


「メダルのコレクターが居るのね」


「はい! 子供の頃、僕も集めてましたからねー。僕の知っている限りだと取り扱っている店は一店舗しか知らなかったんですけど......。多分集めたメダルはまだ実家に眠ってますね!」


「ふーん」


 イザベルは相変わらず作業の手を止めない。


「イザベルさんは何か忘れられない思い出とかはあるんですか?」

 キエラは語り尽くしたのか満足した様子でペンを握り直した。


「ないわ。過去に干渉しないから」

「あ、そうですか......」


 キエラはほんのちょっぴり残念そうに肩を落とす。イザベルにとって自分が、自ら過去を話せるくらいの親密な関係であるという証でも探ろうとしたのだが_____やはり彼女の鉄壁のガードは今日もきちんとその役目を果たしているらしい。


「イザベルさんの子供時代の話......気になるんですが......」


「別に、特に変わったこともないわよ。大きな病気もしなかったし、特別何かすごい能力があったわけでもなかったわ」


「えーっと......写真とかは......」


「ない」


「あうう......」


 期待の眼差しを向けていたキエラだったがイザベルの一言で、地球の終わりのような顔で肩を落としている。


「見せたところで何になるの」


「必要のないことはとことんやらない主義ですよね......」


「当たり前よ」


 キエラはしょげていたが、ぱっと顔を上げた。今度は何かと、イザベルも顔を上げる。何やらキラキラと顔を輝かせている彼と目が合った。


「じゃあイザベルさんと僕が初めて出会った時のお話でもしません!?」


「初めて?」

 イザベルが聞き返すとキエラは大きく頷いた。


「そうですよ! イザベルさんが僕をどうして助手にしてくださったのか......僕きちんと聞いたことがなかったですよね!?」


「熱量がすごいわね」


「そりゃあ気になりますもん!! それくらいは話してくれますよね!! 一周年記念に!!」


 キエラは満面の笑みで身を乗り出す。


「......はあ」

 イザベルがため息をついてペンを下ろしたのを見て、キエラは心の中でガッツポーズをした。


「わかったわ......」


 *****


 イザベルは星5になりたてだった。独立して、一人の研究員として新しくオフィスを持ったのだが、ハロルドとタロンが居た頃の、三人でギュウギュウ詰めだったあのオフィスが妙に恋しくなってしまう。


 仕事に私情を挟んではならない。


 そう、自分に厳しく、イザベルは毎日仕事に追われていた。そんな孤独と戦うイザベルをいつもに気にかけていたのは、同期のノールズ・ミラー(Knolles Miller)であった。


 彼は独立して一年経つか経たないかで、助手をとった。ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)である。


 彼のオフィスの前を通る度に楽しげな声が聞こえてくるのは、素直に羨ましかった。


「イザベルは助手、とらないの?」

「一人だと仕事が捗るもの」


 ノールズの純粋な疑問に強がって、そんなことを言ってしまった。別に強がる必要など何処にもないというのに。素直に羨ましい、寂しい、と言えばいいのに。


「どうなの、彼は」

 イザベルは質問の対象を自分から彼に移した。


「今回の試験で一番の成績だったそうじゃない」

 彼の助手、ラシュレイは今までに例を見ないかなりの秀才らしかった。噂はイザベルも知っている。


「そうなんだよー。頭が切れるから実験も寧ろ捗るってかさ......俺じゃ考えられないような突飛な意見飛ばしてくるんだよね」


 うんうん、と大きく頷くノールズを見て、イザベルは「そう......」としか言えなかった。


「まあイザベルは昔っから一匹狼なところあるしなあ。君自体頭が切れるんだから助手なんか居なくても平気ですよー、みたいな?」


 イザベルは、「そうね」と適当な相槌を打った。タロンやハロルドはもう居ない。彼らの居るオフィスは何処か安心感があって暖かい匂いがした。何かを呟けば何かが返ってくる。振り返ればそこに誰かの背中がある。オフィスに戻ってくると、「おかえりなさい」と声が飛んでくる。


 だが、今のオフィスにはイザベルしか居ないのだ。冷たい床と天井の明かり、冷えた机と椅子、空っぽのマグカップ、ホコリを被ったコーヒーメーカー。


 ノールズと別れてオフィスに戻ってきたイザベルは、部屋の椅子に白衣をかけ、報告書を書き始めた。


 助手などいらない。私は一人が好きなのだ。


 呪文のように、何度も心の中でそう呟いた。


 *****


 ある日、日曜会議が開かれた。今までタロンが出ていたこの会議も、彼が居なくなり、さらにイザベルは独立したのだから出席しなければならなくなった。イザベルが星5になって、半年経ったくらいの頃である。


「新しい研究員を50人ほど入れることになった」


 ブライスが大会議室のモニターの前で資料を淡々と読み上げている。


「優秀な人間が多いからな。手が空いている星5、星4の研究員はなるべくこの機会にパートナーを見つけろ」


 パートナー。


 ついにこの時がやってくるのか、とイザベルは何処か他人事のように思って話を聞いていた。眼下のメモに書かれた「パートナー」の文字を彼女はじっと見下ろしていた。


 *****


「そっかあ、イザベルにもついに助手ができるんだねえ」


「そうね」


 会議が終わってぞろぞろと研究員が廊下に出ていく中、少し離れて座っていたノールズがやって来て感慨深そうに言った。


「でも、どう接したらいいのか、私には分からないわ」


「イザベルなら大丈夫だってば! 俺はジェイスさんに教えて貰ったことをそのまま伝授している感じだもん! イザベルなら、ほら、タロンさんとかハロルドさんとかに教えてもらったことを教えてあげたらいいんじゃないかな!」


「......そうね」


 ジェイスさん、というのは、彼の元ペアだ。彼はジェイスがB.F.を脱退したのを機に独立し、そしてラシュレイという助手を持ったのである。


「変に緊張しなくたってイザベルならできる!! 寧ろイザベルを選ぶ子なんて超ラッキーじゃん! 仕事が出来る先輩につくんだから、きっと仕事が出来る後輩に違いないよ!!」


「わからないわよ、そんなの」


 イザベルはファイルを持ち、スタスタと歩いて行く。


 自分は本当に助手をとるのだろうか。


 自分のことだと言うのに、イザベルは今まで感じたことがないほど、それが他人事のように思えた。


 *****


 やがて入試試験に受かった後輩たちが初めて施設にやってきた。研修会が始まると、施設内は賑わいを見せる。初々しい新研究員の姿は日々の実験で疲れている職員らの心を癒してくれた。


「いよいよだねえ」


 研修会の会場の隅にずらりと並んだ星4以上の研究員の中にナッシュもいた。彼は今、コナーの次の星4の助手がいるようだ。コナーとは違い、真面目な性格の男性だったのをイザベルは思い出す。


 ナッシュはイザベルの隣にたまたま並んでいた。無表情で初級研修を受けに来た研究員たちを眺めるイザベルに、彼は笑って言ったのだった。


「そうですね」

「君にしてはいつものキレがないけれど......もしかして緊張しているのかい?」

「......別に、そんなことはありません」


 イザベルは少し遅れてそう答えた。実際のところ、緊張しているのか緊張していないのか、自分では分からなかった。ナッシュはそんなイザベルの内心を読み取ったのか、「ふふ」と声を漏らす。


「いい子が見つかるといいね」

「はい」


 イザベルはナッシュから、視線を若い研究員たちに戻す。真新しい白衣に身を包んだ研究員たちは落ち着きの無い様子で壁際に並ぶイザベル達を見ている。自分の相応しい人は誰だろう、なんて心情が表情から読み取れた。


 知っている顔は、当たり前だが一人も居ない。あの中から自分の助手が決まるなど、イザベルは何だかまだ実感が湧かなかった。


 *****


 やがて座って聞いているだけの研修は終わり、昼食休憩を終えると、いよいよ施設内研修である。施設内研修はパートナーを見つけるのに最も適しており、現にイザベルもその時にタロンを見つけた。


 イザベルは志願した当時、彼にはまだもう一人助手が居ることを知らなかった。だが、その後実際にハロルドと合わせてもらい、食事を共にし、やがてイザベルはタロンとハロルドのオフィスに受けいれてもらえることになった。ハロルドには兄妹のように可愛がってもらったし、タロンにも実の娘のように面倒を見てもらった。


 _____懐かしい。


 新入社員が施設内研修のグループ分けをされている間、イザベルはぼんやりとそんなことを考えていた。


 もう一度、彼らに会いたい。


 もう何度願った願いか分からないほどである。


「さ、イザベル、出番だよ」

 ナッシュの声が聞こえてイザベルはハッと我に返った。組み分けが終わったようだ。ナッシュがイザベルに向かって優しく笑いかけていた。


「自然体でね」

「分かってます」


 ナッシュがぽん、と背中を軽く押した。


 自分もこれから実験が入っている。単体実験で、何ら難しいことはしない。


 イザベルは実験室へと向かった。


 *****


 実験室に入って実験を進めていると、早速星4の先輩たちに連れられた新入社員が入ってきた。ガラスの向こうで行われる実験に興味津々と言った様子だが、イザベルは気にせずに自分の世界に入った。とにかく、後輩にかっこ悪いところは見せられない。


 *****


 実験を済ませて、彼女は実験室を後にする。きちんと施錠して、鍵を返そうと歩き出したときだった。


「あ、あの......」


 声をかけられて彼女が振り返ると、大きなぶかぶかの白衣に身を包んだ少年が自分を見上げて目を輝かせているのが目に入った。

 女の自分が羨ましく思うくらいに赤茶色の髪がサラサラで、目はまるで宝物を見つけた子供のような輝きを持っている。


「は、初めまして!」


「......初めまして」


「キエラ・クレインと申します!!」


「......はあ」


「精一杯頑張るので、僕を助手にしてください!!」


 腕を差し出されて、頭を下げられた。


 正直やめて欲しい、こんな廊下のど真ん中で。


 イザベルはくるり、と彼に背を向けた。


「助手になりたいのなら、もっときちんと見るべきだと思うわ」

「え......」

「ひとつの実験で分からないことなんて幾らでもあるんだから......もっと学んでからにしないさい。それに_____」


 イザベルはキエラを振り返り、半分独り言のように言った。


「それに......私よりいい人が沢山いるのよ、この会社には。私なんかに志願したところで何も学ぶことなんてないわよ」


 イザベルはそれだけ言ってその場を去った。キエラという研究員は追ってくる気配はなかった。


 ただ、イザベルは何故唐突にあんなことを言ってしまったのだろう、と歩きながら考えていた。


 *****


 鍵を返してオフィスに戻った。少し作業をしているうちにすっかり時間は進み、イザベルは夕食をとりに食堂に行った。今日はグラタンにする予定なので、グラタンの列に並んでいると、イザベルはふと違和感に気づいた。


 何か視線を感じるのだ。


 正体を探したが、何せこの人混みの中なのでそれらしい人も見当たらない。違和感を感じながらも彼女は取り敢えず夕食を頼み、席を探した。


 この時間帯は混むのを知っていたが、さて、どうしようか。

 座れる席はパッと見見当たらない。


 席が空くのを待ってもいいが、今日はまだ此処に来たばかりの新入社員がいる。入ってきたばかりの研究員は自分のオフィスを持っていない。よって此処でしか食べることができないのだ。


 やはり自分は遠慮してオフィスで食べるべきだろうか。


 イザベルがそう考えているときだった。


「此処空いてますよおぉぉおお!!!」


 食堂に響く高めの声。イザベルはまさかと思ってそちらを見る。あのキエラとか言う研究員だった。あの子が二人がけの席に座って大きく手を振っていた。物凄い笑顔で。


 イザベルは突っ立ったまま、彼を観察していた。


 どうか、自分に話しかけていないことを祈る。きっと彼は新たな先輩を見つけたのだろう。きっと自分の背後にその先輩が立っていて、その人に向かって手を振っているのだろう。


「イザベルさーーん!! イザベル・ブランカさーーん!!!」


「............」


 食堂にいる僅かな人間が怪訝な顔で彼と自分を見比べる。イザベルは観念して彼の待つ席へと歩いて行った。


 *****


「いやあ、食堂ってこんなに混むんですね! 僕初めてでびっくりしちゃって......此処に居る人達は皆さん研究員なんですか......?」


 キエラが物珍しそうに食堂内を見回している。


 イザベルは会話を弾ませる気など更々なく、自分が頼んだグラタンを黙々と咀嚼していた。早く食べ終えて、オフィスに戻りたくてしょうがない。さっき自分の名前が大声で呼ばれたことによって物凄い目立っている。


 しかし、そんなイザベルに構わず彼は興奮気味にさっきから話しかけてくる。


「イザベルさん! 僕、色んな研究員さんの実験をこの目で見てきましたよ!」


「そう」


「イザベルさんが言った通りどの方も素晴らしい研究員さんで、僕の世界は360°変わったと言っても過言ではありません!!」


「それ変わってないわ」


「......」


「......」


「そうですね!? 360°は盛りすぎました!! でも良い経験が出来ました!! 僕を助手にしてください!!」


「嫌よ」


「何で!!?」


 イザベルは皿に付いた焦げ目をスプーンで削り取っていた。


「......さっきも言った通りよ。私から学べることなんて何も無いの」


 そう冷たく言い放つイザベルに対して、キエラは子供のような無邪気な笑みを浮かべた。


「そんなことありませんよ! 僕はこれから学ぶんですから!!」

「これからですって?」


 イザベルは眉をひそめて彼を見る。


「そうですよ!」

 キエラは大きく頷いた。


「まだ知り合ってまもない上にそばに居ないという状態では学ぶことにも無理があります! ですから、助手になることで学びを更に深くしていけるんです!」


 イザベルは素直に驚いた。この子は案外しっかりした意見を持っている。


 ただ、助手にするというのはやはり抵抗がある。きちんと助手を育てられるのか_____。


 ノールズは持ち前のコミュニケーション能力を駆使して、あんなにべらべらと助手を口説けに行けるのであって自分は慎重に相手を選びたい。確かに、もしブライスに今此処で彼を助手に迎え入れろと言われれば、そうする他ないが、やはり自分には助手という存在は重荷だった。


 まだ彼らの将来を背負えるほど自分は成長しきれていない。


 イザベルはそう思っていたのだ。


「私には助手なんていらないの。例えそれがどんなに優秀で、どんなに一生懸命な子だとしてもね。私は一匹狼なのよ。一人で居るのが好きなの。群れを生して生活するのは身の丈に合ってないのよ。諦めて別の人に志願に行きなさい」


 イザベルはナプキンで口元を拭ってそう言い放つとトレーを持って席を後にした。


 やっぱり自分に助手など必要ない。私に助手ができる未来が面白いほどに見えないんだもの_____。


 きっとこの先どんなことがあろうと作らないだろう。いつか別れてしまう師弟関係なんて、自分にはひとつで十分なのだ。


 *****


 次の日、イザベルがオフィスで作業をしていると、


「イザベル〜」

 ノールズがオフィスに顔を覗かせた。


「何」

「此処の数値確認してくれないかな? なんかズレててさー」

「はあ、数値?」


 イザベルは差し出された紙を受け取ってペンを取り出す。


「そうね......間違ってはいるけれど......あなたのオフィスには天才がもう一人居たはずでしょう」


 ノールズにはラシュレイという助手がいる。彼は昇格試験を星1から星3に飛び級したほどの頭脳の持ち主である。


「それがねー、毎日チェックをお願いしてたらウザイって断られてさあ。最近冷たくてねー、倦怠期ってやつ?」


「恋人なの?」


「まったまた〜、俺の愛する人はイザベルしかいな_____どぅえっ」


 余計なことを言おうとするノールズの腹に、イザベルは計算を終えた紙を挟んだバインダーを勢いよく突きつけた。


「ちゃんとやりなさいよ。責任もって助手を育てる。それが先輩の仕事でしょ」


「もちろん、手を抜くつもりなんて更々ないよ! そう言えば、イザベル......助手はどうしたの?」


「.......」


 イザベルが黙り込んだ。


「ほら、イザベルさ、この前の会議で助手をとるよう言われたじゃん? まだとってないの?」


「......別に。もう誰も残ってないでしょ」


 新入社員説明会から三日は経過した。ここまで時間が経つともう皆助手志願を済ませてしまっているに違いない。


 あのキエラという子だって、きっと。


「あれ? でもほら、食堂でイザベルの名前叫んでた子が居たって......B.F.中で話題になっているよ」


「......」


 まさか、ノールズにまでその話が行っているとは。やはり目立ちすぎたようだ。いや、目立たせたのはあの子である。


「.......あの子は......」


「イザベル、その子とるんじゃないの?」


「私は助手なんていらないわ。私にはあなたやタロン先生のように最後まで責任もって見られる自信が無い。そもそも私みたいな人間が助手なんて」


 イザベルが最後の方は鼻で笑いながら言った。


「......ふーん」

 ノールズが首を傾げた。


「どうしたのイザベル、君らしくないねえ」

 彼は仮眠用のベッドに腰を落とす。


「責任ないって誰が決めるのさ、イザベル? だって今までイザベルが責任なしに仕事してるの見た事ないよ、俺」


「......」


「タロンさんとハロルドさんの件できっと臆病になってるんだよ。またあんなこと経験したくないと思ってるんだ?」


「......」


「一番近くに居た人が居なくなるのって怖いもんね」


 ノールズの声は優しかった。


「でも、だからこそ守ってあげようって思えるんだよ。自分と同じ思いなんかさせたくないから、全力で守ってあげよう、って。助手を守れるのって自分だけなんだもん。守るものがあるって、めちゃくちゃ幸せなことなんだよ。ラシュレイはそれに気づかせてくれた」


 ノールズは微笑んだ。


「もし、イザベルが助手を取るなら俺は全力で背中を押すよ。君には責任感も、最後まで育て上げるような力も十分にあるから。途中で人を投げ出すような人間は、きっと仕事も出来ないよ。それに」


 ノールズが、よっこいしょ、とベッドから立ち上がった。


「俺は、イザベルにこの幸せを経験して欲しい」


「......ノールズ......」


 そうなのだろうか。


 イザベルは考える。


 私は自分に自信が無い。そして、タロン、ハロルドのように助手を上手く引っ張って行けるか分からない。


 だが、それは臆病になっているから?


 あの別れがトラウマになっているから?


「結局はね、イザベル」

 ノールズがニッ、と笑った。


「全部やって見るのが一番なんだよ」


 最近見ていなかった彼のこの笑顔。ジェイスが居なくなって、心の傷はノールズだってまだ癒えていないはず。


 なのに......全てはあのラシュレイという助手のおかげなのだろうか。


 助手をとると此処まで変わるものなのだろうか。


「......そうね」


 イザベルはくるり、と椅子を回転させてパソコンに向かう。


「やってみることにするわ。あなたを信じて」


 ノールズは、うん、と頷き、部屋を出ていこうとする。


「お互い頑張ろ」

「ええ」


 *****


 次の日、イザベルは朝食を買うために食堂に来ていた。すると、


「あ、イザベルさん!! おはようございます!!」


 後ろから声をかけられて、いつもの彼が小走りでイザベルに走り寄ってくる。


「今日は何を食べるんですか?」

「そうね、サンドイッチかしら」

「わあ、いいですね! 僕もサンドイッチにしようかな」


 キエラはニコニコと子供らしい笑みを浮かべてイザベルの横に並んでいる。


「今日も一緒に食べるの」

「当たり前じゃないですか! あなたに助手として認められるまでずっと一緒に食べますよ!」

「そうなの......懲りないわね。本当に居ないの? 私以外に気に入った人は」


 イザベルが問うと、キエラは「ううん......」と腕組をした。


「結構頑張って探してみたんですけれどねー......もう皆さん助手をとってしまっていて相手にしてくれないんですよー。同期も皆ペアを見つけちゃって......」

「そう......」


 イザベルは少しだけ罪悪感を感じていた。自分が彼を拒み続けて、こうして彼が孤独になってしまっているのなら......申し訳無い気持ちになる。


 しかし、キエラはそんなこと全く気にする様子もなく、イザベルより先にサンドイッチを笑顔で受け取っている。


「イザベルさん!! 僕、席確保してますね!」


「昨日みたく大声で喚くのは止めてちょうだいね」


「え、どうしてです?」


「恥ずかしいからに決まっているでしょう。もっと自然に呼びかけて」


「ううん......分かりました、努力します......」


 キエラは眉をひそめて頷くと人混みの中に消えていった。


 イザベルはサンドイッチを注文している間、悶々と考えていた。自分の中ではあの子を助手に取ろうと思っているところだ。だがしかし、そうすると第一声を何と言えばいいのだろう。


 助手になってもいいわよ、なんて上から目線すぎだろうか。


 ノールズの話によれば彼は「助手にならない? 」とナンパするかのようにラシュレイに近づいたのだそうだ。自分がそれを真似するとなるとあの子も流石に引くだろう。


「はい、サラダサンド!」


 恰幅のいい女性に、プレートに乗ったサラダサンドを受け取ってイザベルはカウンターを後にする。


 さて、あの子は何処へ_____。


「イザベル・ブランカさん」

 目の前に白衣を脱いで、黒いベストを代わりに着た、ウェイトレスの格好をしたあの子がいる。手にはきちんとクロスがかけられていて、顔もさっきと比べてキリッとしている。


「......」


「お席のご用意が出来ましたよ」


「............」


「......あれ? 何で睨むんですか?」


 これは_____寧ろ助手にして何もかも1から教えてあげないと将来的に心配になってくるレベルだ。


 イザベルは思った。


「助手になりなさい。取り敢えずそういう基本的なところからみっちり教えてあげるわよ」


「!!! ありがとうございます!!!」


 キエラはぱあっと顔を輝かせて、勢いよく頭を下げた。


 もはや最初から彼の思惑通りだったのではないかと疑うほどに恐ろしく早い切り替えだ。だが、あの冷たく寂しいオフィスにこの彼が加わると思うと、


 イザベルは少しだけ楽しみなのであった。


 *****


「んー......イザベルさんってもしかしてツンデレなんですか」


「どこの辺にその要素があったのよ」


「全体ですよ! 最初は僕を助手にする気もなかったのに、最後はそんなにあっさりと......!!」


 拳を握って感動の涙を流すキエラをイザベルは冷ややかな目で見つめる。


「あなたが社会的に恥ずかしい人間にならないように育てているだけよ。学校の先生のようにね」

「え!? じゃあ僕はイザベルさんの生徒ってことですよね!?」

「何故嬉しそうなのかは分からないけれど」

「でへへ、嬉しいに決まってるじゃないですか〜!」


 キエラは頬を赤くして笑う。


「そう......まあ、あなたが最初と変わったのは身長くらいだと思うけれど」

「え"」


 彼がショックなのか潰れた声を出した。


「僕は成長してますよ!! 日々イザベルさんに抱く尊敬と愛情を育てています!!」

「程々にね」

「それは無理ですね!!」


 そんなに堂々と......。


 嬉しくないわけでは無いが彼に依存されても困る。助手と研究員はそれなりに距離が必要なのだ。と言っても、ハロルドは自分に対して距離が近すぎる気もしたが......。


「イザベルさんには、僕、永遠についていきますから!! 他の助手なんかとっちゃダメですよ!!?」


 キエラが机に乗り上げる程に身を乗り出す。


「あなたが報告書を紛失するばかりなら、それも考える必要もあるかもしれないわね」


 イザベルがわざと深刻な顔を作って、机上に積み重なった書類を見下ろすと、キエラの顔がサーッと青くなった。


「やります!! 真面目にやりますから!! 紛失なんてもうしませんから!! 冗談でもやめてください!!」


「そう、じゃあ頑張ることね」


 必死になる彼から目を逸らして、イザベルは机の上に転がっていた自分のペンを握り直す。


 助手をとって分かったことは沢山ある。だが、その中で一番分かったことは、


 毎日楽しくて仕方がないことだろう。

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