File025 〜恋する小麦粉〜
B.F.星5研究員のタロン・ホフマン(Talon Hoffman)とその助手である星3研究員ハロルド・グリント(Harold Grint)は食堂で朝食をとっていた。
「小麦粉の超常現象ですか」
ハロルドはたった今、タロンから説明された今日の実験対象の話に首を傾げる。「そうだよ」と頷いたのはタロンである。
「なんでもイタズラ好きで、何処にでも現れてはその人の周辺を真っ白にしてしまうんだそうだ」
「ふーん? お掃除が大変そうな超常現象ですね」
今から自分たちがその超常現象の相手をするというのに、ハロルドは何処か他人事のようにそう言った。そうだねえ、とタロンは微笑む。
「お掃除スキルがアップしそうだ」
「何処までもポジティブですよねえ、先生って」
ハロルドは苦笑して、かぼちゃのポタージュにパンを浸した。
*****
やがて実験室に二人は移動した。実験室の中央の台には袋が置いてある。どうやらあの中に小麦粉が入っているようだ。
「それで、これ、どうするんですか?」
ハロルドは隣のタロンに問う。
「体に害はないし、取り敢えず取り出してみようか」
「わかりました」
ハロルドは小麦粉を指ですくってみた。舐めてみたり嗅いでみたりしたが、特に何も匂いのしない、味のしない白い粉である。
「まあ......普通の小麦粉みたいですけど......これの何処が超常現象なんですかね」
と、ハロルドが首を傾げたときであった。
バフン!!!
ハロルドの視界が白一色に染まる。彼の顔に向かって袋から大量の小麦粉が発射されたのだ。
「ぶああっ!!!?」
小麦粉を吸い込んでしまい、激しく咳き込むハロルド。髪まで真っ白に染まり、目を開くのもひどそうだ。
「だ、大丈夫かいハロルド!! 一体どうしたんだろうね......!?」
「げほ、ごほ......こ、こんのっ......やりやがったなっ!!!?」
ハロルドは台の上にある小麦粉を睨みつけ、掴みかかろうと手を伸ばした。
「こらこら、対象を乱暴に扱ってはいけないよ」
と、その手を掴んだのはタロンだった。
「君の発言に何かこの子を怒らせる単語を含んでいたのかもしれないね」
冷静に分析するタロンは、小麦粉に視線を戻した。まるでさっきの出来事が嘘だったかのように、初めと同じような何の変哲もない小麦粉に戻っている。
「いや、だからってこの様はあんまりじゃないですか!!」
「落ち着いて、顔を洗ってきなさい」
「ぐうう......わかりました......」
ハロルドは恨めしそうに小麦粉を見ていたが、やがてよろよろと実験室を出て行った。
「うちの助手が怒らせてしまったのなら、ごめんね」
タロンは小麦粉に向き合って、謝った。
タロンは、対象をまるで「人間」のように扱う。人と接するように声をかけ、挨拶も忘れない。この実験室に入ってくる時も小麦粉にまず「こんにちは」と声をかけたのだ。
「君は確か、郊外のレストランの厨房で見つかったんだよね。よくイタズラをしていたそうじゃないか」
超常現象を見つけた人間はレストランで働いていたシェフだった。食料庫に入る度に床が小麦粉まみれになっていることに気づいて、この超常現象の発見に至ったようだ。
「もしかして、寂しかったとかかな? 食料庫は暗いし、寂しい場所なんだろうねえ......」
子供の相手をするようにタロンは小麦粉を胸に抱えた。中身をすくってみる。手触りも何もかも、普通の小麦粉である。
「それにしても、さっきはビックリしたよ。あんなに勢いよく小麦粉を吹き出すんだから。袋の底に送風機でもつけているのかい?」
袋の観察をタロンが続けていると、ハロルドが戻ってきた。髪と顔に付いた小麦粉を落としてきたらしい。彼は実験室に入ってくるや否や、袋を抱くタロンを見て顔を青くした。
「ちょ、先生、何しているんですか!? 下ろした方がいいですよ!! そいつ、何するか分からないですもん!!!」
バフン!!
「どわぁぁああっ!!!」
次の瞬間、さっきの比にならない量の小麦粉がハロルドに向かって袋から飛び出した。タロンの視界からハロルドが消える。
「ハロルド!!?」
「げほ、ごほ......な、何すんだお前はーーっ!!!!」
ハロルドの怒鳴り声が研究室にこだました。
*****
「ふむ......どうやら、気に入らない相手に小麦粉を吐くという性質を持っているんだろうね」
袋の寸法をメジャーで測りながらタロンは言った。
「俺が怒らせるようなことをしたんですか!?」
二度目の攻撃をくらって、小麦粉を再び落としに行って戻ってきたハロルドは、もう小麦粉は受けたくないという理由で実験室の隅に立っている状態だ。小麦粉を二度もくらって機嫌がすこぶる悪い。
「まあまあ、超常現象は何が起こるか分からないからね。それを調べるのが我々の仕事だろう?」
「それは、そうですけど......俺、そいつ嫌いですっ!!!」
「そういうこと言わない。はい、ご協力ありがとうね」
タロンはメジャーをポケットにしまって、小麦粉の袋を撫でた。ハロルドはそれを見てムスッと頬を膨らます。
「先生は何で被害を受けないんですか」
「うーん、言われてみれば、そうだね?」
さっきから小麦粉を吐かれているのはハロルドだけで、タロンはまだ小麦粉を被ってすら居ない。
「何で俺ばっか......」
ハロルドは肩を落として言った。ハロルドは苦笑する。
「まあまあ、こういうこともあるさ。人間と同じで、この子にも苦手な人がいるのかもしれないねえ」
*****
ハロルドとタロンは実験を終えてオフィスに戻った。今回の実験でわかったことは、あの超常現象は「苦手な人間に向かって袋の中の小麦粉を勢いよく吐き出す」ということだった。ハロルドは最後まで納得しないようだったが、タロンはちゃかちゃかと報告書を書き終えた。
「先生、報告書提出してきますね」
「うん、宜しく頼むよ」
ハロルドがタロンから報告書を受け取り、オフィスの扉を開いた時だった。
バフン!
「うぎゃあああっ!!?」
扉の隙間から大量の小麦粉が部屋の中に流れ込んできたのだ。
「ハロルド!!」
タロンが慌てて立ち上がる。ハロルドの半分よりも前が小麦粉に埋まっていた。「ぶああっ!!」とハロルドが勢いよく顔を上げて小麦粉から抜け出す。
「な、何でお前が此処に居るんだよーっ!!?」
小麦粉の袋は廊下に落ちていた。二人のオフィスの前に膝下くらいまでの小麦粉の山がこんもりと出来上がっている。タロンは袋を拾い上げてみて、驚いた。中身がまだ入っている。部屋と廊下にばらまかれた小麦粉は袋の何倍もの量である。なのに、袋を覗き込むと、最初に実験室で見た時と量が差程変わっていなかった。どうやらこの小麦粉は無限に増えるという性質も持っているようだ。
「わざわざ此処まで追ってきてくれたのかい?」
袋を抱えあげたタロンはオフィスの中へとその袋を持って入っていく。
「ちょ、先生!!? そんなやつオフィスに入れないでくださいよ!!」
「うーん、そう言われても......。廊下に置いておくわけには行かないだろう。とにかくお掃除だよハロルド。廊下の方は任せてもいいかい?」
「そ、それは構いませんけど......そいつ、絶対また小麦粉吹きますよ!! もう倉庫にでもなんでも置いておきましょうよ!!!」
ハロルドがそう言った時だった。
バフン!!
「ああああ!!!」
再び小麦粉を吐かれてハロルドは頭からそれを被る。
「そういうわけにはいかないよ、ハロルド......この子はもしかしたら暗い場所がトラウマになっているのかもしれないね。もしかしてハロルド、実験室から出てくる時に実験室の電気を消してきたのかい?」
「そりゃ消しますよ!! 付けているとナッシュさんがうるさいですもん!!」
「ふむ......おそらく、それが原因だね。ハロルド、オフィスの電気を今試しに消してみてくれるかい?」
「え!!!!」
冗談じゃない、とでも言うようにハロルドが勢いよく首を横に振る。
「嫌ですよ!! 絶対!! こんな部屋の中で小麦粉また撒き散らされたら、たまったもんじゃありません!」
「そうは言っても......もうこんなに真っ白になってしまったし......どんなに巻き散らそうが関係ないよ」
「えええ......わかりました.............」
ハロルドは渋々部屋の入ってきて、電気のスイッチに手をかける。
「じゃあ行きますよ」
「うん、いいよ」
タロンがしっかりと小麦粉を胸に抱いた。
「ごめんね、少し暗くなるよ」
パチンと音がした瞬間、部屋は真っ暗になった。すると、
バフン!! バフンバフン!!
「うわあああ!!!」
「うん、いいよハロルド。付けて」
タロンが真っ暗な部屋の中でハロルドに向かって言うが、いつまで経っても電気がつかない。タロンは不思議に思ってもう一度彼を呼ぶ。
「ハロルド?」
しかし返事はない。仕方なくタロンが自分で付けに行く。パチン、と電気のスイッチが付き、部屋が明るくなると、
「うわ!?」
なんと、タロンの前に自分の身長と同じくらいの高さの小麦粉も山ができていたのだ。しかもそれは、ハロルドの居たところに、である。
「ハロルド!?」
タロンは小麦粉を掻き分けて、その中に手を突っ込んだ。そしてハロルドの手を見つけ、掴むと一気に引いた。
「ハロルド! 大丈夫かい!?」
ハロルドはもう慣れてしまったのだろうか。怒ることも無く、めそめそと泣いていた。
「大丈夫じゃないですよお......何で俺ばっかりこんな......こんな仕打ちを......」
「ううん......確かにねえ......」
この超常現象が、暗い場所が苦手だということは今ので明らかになったが、まだ分かっていないことがある。
ハロルドだけが襲われるということだ。
今のは、ハロルドが電気を消したこともあって納得が行く攻撃ではあったのだが......。
「小麦粉君に聞いてみようか」
「もう何でもいいです......」
ハロルドは小麦粉に半分埋まった状態で、情けない声を出して言った。タロンは、ふむ、と少しの間思考をめぐらせ、やがて一つの考えにたどり着いた。
そして、小麦粉の袋に向き直る。
「もしかして、君はハロルドのことが好きなんじゃないのかい?」
タロンの質問に、ハロルドがぎょっとした様子でタロンを見る。
「え、先生、そんなことありませんよね?」
すると、
ポフン。
小麦粉が返事をしたかのように、粉を吐いた。
「そうなんだね?」
ポフン。
「うん、どうやら君に好意を抱いているようだねえ、ハロルド」
タロンがハロルドを振り返ると、ハロルドは「いやいやいや!!」と首を横に振る。その度に彼の頭に乗った小麦粉が中にバサバサと舞う。
「可愛い女の子に好かれるならまだしも、小麦粉に好かれるってどういうことですかっ!!?」
「いや、単純にこの子が君に恋心を抱いているというだけの話だけれど......」
「いやいや!! 俺には小麦粉と付き合う余裕なんてありませんからね!!? せめて人間の女の子と恋がしたいですよ!!」
「ふーむ......そうかあ」
タロンが眉を顰めて小麦粉に向き直る。
「好きな人にイタズラしたくなる、という感覚で君に小麦粉をまいていたんだと思うんだけれど......」
「イタズラが過ぎますよ!!!」
ハロルドが叫んだ。
タロンは小麦粉の袋を撫で、
「ごめんね、小麦粉さん」
と、謝った。
「どうやらハロルドは、君と付き合う気は無いみたいだ。どうか落ち込まないでくれ」
その時。
バフン!!!
「!!」
「!?」
部屋の中が完全に小麦粉で埋まった。
*****
「うう、今日は小麦粉記念日ですね......」
ハロルドが真っ白な状態で笑う。
「そうだねえ。まさか一日にこんなに小麦粉を纏う日が来るなんて、考えたこともなかったよ」
二人はせっせと部屋の掃除に勤しんでいた。
超常現象は、料理に使ってハロルドの口に入るという約束のもと、大倉庫へと運ばれた。
*****
「.......それにしても、まさか小麦粉に好かれる日が来るなんて。人生何が起こるか分からないもんですね」
「何を言っているんだい、君はまだ人生の序章に居るんだ。そのセリフはもっと大人になってから使うものだよ」
「でも、一般人だったら絶対にできない体験ですよ」
「そうだねえ。B.F.職員だけだろうね。こんな体験は。きっとこの先、まだまだ色んな超常現象に出会えるよ」
タロンのキラキラとした顔は歳を感じさせない。ハロルドはそれを見て、疲れの混じった顔で苦笑する。
「やっぱりポジティブですよ、先生って......」




