File054 〜バトラー博士の99番目の発明品〜
セーフティールームは無害であり、尚且つ意思がある超常現象に与えられる部屋である。
セーフティールームが並ぶ廊下には扉の横にパネルがあり、中に居る超常現象について説明が事細かに書いてある。安全な超常現象にこの部屋が与えられるとはいえ、いつ何が起きるかは分からないので、研究員は部屋に入る際、必ずその説明文に目を通す必要がある。
その部屋に今回入っていくのはセーフティールーム監視員の一人であるバクストン・オルコット(Paxton Alcott)。
セーフティールーム監視員というのは名前の通りセーフティールームを監視する専門の研究員のことだ。略してSR監視員と呼ばれることが多い。
普通の研究員と比べて仕事量は少しだけ減るが、毎日セーフティールームの様子を見に行っては、その超常現象がセーフティールームに居るに相応しい状態であるかをチェックする。もし突然害を与えるようなものに変化したりすると、セーフティールームには置いておくことが出来ないので大事な役割である。
さて、SR監視員のバクストンはセーフティールームに足を踏み入れた。その奥には白い部屋が続いている。が、円形の部屋は湾曲している壁に反って棚が作ってあり、その上にはごちゃごちゃと物が置いてある。部屋の真ん中にはベッド、その横には四角い作業台が置かれており、そこで白衣を来た後ろ姿が何やら忙しそうに手を動かしている背中が見えた。
「博士、いつも研究熱心でいらっしゃいますね」
バクストンはその背中に向かって声をかけた。すると背中が振り返った。その人物はメガネをしていたが、その瞳がバクストンを捉えるまでかなりの時間を要した。そしてようやく、
「良いことを言ってくれたね、新人くん。そうさ、私は明日や明後日に迫るやもしれない世界の滅亡をどうにか乗り越えるために常に研究に没頭しているのさ。もちろんそれだけの目的ではない。人の幸せ、どうしたらこの世を快適に生き抜くことができるのか。発明品というものでどれだけ正解に近づけるのかを測っているのだよ!」
彼の言葉にバクストンは微笑んだ。
「今日は何か発明できましたか?」
「ああ! もちろん!! 君にぜひ見せたいんだ。此方へ来てくれ!! さあ早く!!」
何やら興奮気味に手招きされたのでバクストンは彼の横に行く。作業台の上には花型の小さなランプが乗っていた。ただまだ花は開いておらず、電球の光が花弁の中に閉じ込められている状態だ。
「新人君、このジョウロの水をこのランプにかけてみてくれるかい?」
「え」
メガネの男はバクストンにジョウロを押し付けてきた。ランプなんかに水をかけると壊れてしまうのではないか。そんな心配でなかなかジョウロを持った手が動かないバクストンに、メガネの男は笑いかけた。
「まあまあ、騙されたと思って」
「はあ......じゃあ」
バクストンはジョウロをランプに向かって傾けた。水がランプにかかる。やがて、
「よし、それくらいでいいだろう」
男に言われてバクストンはジョウロを傾けるのを止めた。一体何が起きるのだろう、と見ていると、
「!!」
閉じていた花弁がゆっくりと動き出した。花弁と花弁の隙間から柔らかな光が溢れ出す。花型のランプが本当に花型に変わったのだ。花粉の部分に埋め込まれたランプはこうこうと輝いており、花弁は本物のように見える。自然と人工物を掛け合わせた奇妙で魅力的なオブジェクトにバクストンはため息を漏らした。
「美しいだろう? これは本物の花のように水やりで花開くランプなのだよ。毎朝この光景を見るためにランプに水をかける。夜は夜で、花弁の中に閉じ込められた美しい光を眺めるのさ」
「素敵な発明品ですね」
バクストンは大きく頷くと同時に苦笑した。
今日は安全だ。
彼がそう思うには理由があった。
*****
「バトラー博士の99番目の発明品」。これは人型の超常現象である。発見者は一般人の男性。ある日家の一室にこの超常現象が住み着いたのだと言う。彼は初めてその男性と会った日に次のことを言った。
「私の発明品を褒めなさい。もし褒めなければ私はこの世界の破滅をもたらす兵器を開発することになる」
このセリフは、バクストンが超常現象をB.F.に連れてきた時も聞いた。世界の破滅をもたらす兵器というと、やはり爆弾やウイルスなどを考えてしまうが、彼はそのことについて教えてくれることはなかった。
さて、この超常現象にバトラー博士という名前をつけ、B.F.の保護対象となったわけだが、彼の性質は極めて単純である。彼が発明したものに対して何かリアクションをすればいいのだ。「すごい」「かっこいい」「天才」。こんな言葉を投げかけておけば彼は基本的に上機嫌で次の発明品の準備に取り掛かる。これだけならば何処にでも居そうな、ただ承認欲求が強い人間なのだが、一つだけ気をつけなければならないことがある。
それは彼がまず初めに話す言葉にある、「世界の破滅をもたらす兵器」についてだ。それ自体と言うよりはそれを作ってしまうきっかけを生み出しかねないリスクがあるということ。
バトラー博士は三日に一つ発明品を完成させる。バクストンを初めとしたSR研究員は、その発明品を見に行ってリアクションを取る必要がある。
が、もし仮にその発明品を放置したとしたら?
バトラー博士は時々三日に一個ではなく、三日に二個など不定期で発明を行うことがある。過去には一日に四つの発明を行ったこともあったという。
かつて不定期的に発明品を多く開発されたことでB.F.は恐怖の危機に晒されたことがあった。
それはバトラー博士の発明品が、三日で計七個も溜まってしまった日で、バクストンがセーフティールームに入るとバトラー博士は巨大な黒い塊を作っていたという。彼の傍らには「まだリアクションされていない」発明品が置いてあった。
バクストンは嫌な予感がして、「何を作っているんですか」と彼に聞いた。返ってきた言葉は極めて短かった。
「兵器だよ」
その瞬間、バクストンが彼の作品を片っ端から褒めちぎったことで事なきを得た。一体いくつの発明品を放置すると彼は兵器を作り始めるのか。その明確な数は明らかになっていない。その結果がわかる時は、人類が滅ぶ時であるのだ。
こう見るとこの超常現象はセーフティールームに置くには少し危険すぎるのではないかという意見もあるだろう。だが、彼が発明品をそれだけ溜めた日はあれ以来なく、三日に一度という規則正しい巡回をしていれば基本的に兵器の開発を始める上限数に達することはないと判断して、B.F.は彼をセーフティールームに置くことを決めた。
*****
バクストンは少しの間バトラー博士の観察を行う。彼は背中を丸めて作業台に向かっており、一心不乱に手元を動かしている。もう次の発明品に取り掛かっているらしい。さっきの花型のランプは彼の作業台上に飾られていた。
バクストンは部屋の中を軽く見回した。セーフティールームはかなり広いが、この部屋だけは圧迫感があった。
それはバトラー博士が今まで発明してきた発明品の数々を処理せず置いているからだ。
彼が此処にやって来て発明した品はおよそ2000。手に乗るような小さなサイズのものから、バクストンの身長を越すような大きいものまで。その用途や形状は様々だ。
例えば、「猫のティーポット」。これだけ聞くと猫の耳でも付いた、もしくは猫柄の可愛らしいティーポットを思い浮かべるだろう。だが、そんなものではない。彼はある日、巡回に来たバクストンに聞いてきた。
「猫は不思議な生き物だとは思わないかい? 小さな箱や壺に簡単に収まってしまう」
「まあ、そうですね」
猫は狭いところが好きだという事実はあるので、バクストンは頷いた。
「そこで、新人君。このティーポットの中身をこのカップに注いでくれるかい?」
彼はバクストンにティーポットを手渡してきた。バクストンは首を傾げてそのティーポットを受け取るが、持った感じお茶が入っているのだな、というちゃぷちゃぷした液体の音が聞こえてくるので、ただのティーポットである。
だが、どうしたことだろう。彼がティーポットを傾けると、中からにゅるん、と液体とは思えない物体がカップに注がれた。その物体というのは、白いふわふわの毛を持った猫であった。体がのびのびになって大人しくカップに注がれるその光景は誰がどう見ようと現実には思えないだろう。バクストンも思わずティーポットを落としそうになってしまった。
「猫は液体だという言葉を何処かで聞いたから、液体にしてしまったんだ」
「ええ......」
バトラー博士の言葉にバクストンは若干引き気味で言った。
「私にかかれば、どんなものでもリアルにしてしまえるんだよ」
カップの中に収まって眠ってしまった猫から目が離せなくなっているバクストンに対して、バトラー博士は誇らしげに言った。
他にも、
「水で戻せるタイムカプセル?」
想像がつかずに手の中にある小さな楕円形のカプセル型の薬を見下ろすバクストン。赤と青のカプセルの中には振ってみると微かに音がするので粉薬のようなものが入っているのだろう。
バクストンの問に対してバトラー博士はそうだよ、と頷いて水を入れたコップを持ってきた。
「問題だよ、新人君。氷河時代に北半球に居た巨大な象のことをなんと言う?」
「象? マンモスとかですか?」
「そうだよ、マンモス。さあ、そのカプセルをこのコップの中に入れてくれるかな」
「......ええっと」
バクストンは手の中にあるカプセル、そして彼の今の質問を思い返す。
マンモス。
そして、きっとカプセルを水の中に入れると、何かが起こるのだろう。
彼の発明品はいつだって科学で証明がつかない突飛なものばかりなのだ。
「博士、少し待ってくださいますか」
「うん? いいよ」
バクストンはカプセルを手にして部屋を出た。
*****
一時間後、彼は武装した研究員らを連れてきた。彼らは手に銃器などを持っており、セーフティールームは物々しい雰囲気になった。バクストンも武装用の服に身を包んで戻ってきた。
バトラー博士はそんな彼に対して特に疑問が起こるわけでもなく、「はやく、はやく」と子供のように顔を輝かせて水の入ったコップを持っている。
「バトラー博士、一応聞きますが、このカプセルを水に入れるとどうなるんですか?」
「それはやってからのお楽しみさ!! 僕は君たちが驚く顔が見たいんだ!!」
バトラー博士はそう言って水のコップを差し出す。バクストンは「そうですか」と言って、恐る恐るカプセルを水の中に入れた。すると、
ぼん!!!
突然部屋の中が黄色の煙で包まれた。それは間違いなくカプセルを水に入れたことで起こったものであった。
武装した研究員らの悲鳴を聞いてバクストンはハッとした。
ゆっくりと煙が晴れる。目の前に巨大な足が見える。茶色の毛が生えた丸太のような太い足だ。ヒトのものではない。そしてさっきから視界に移る乳白色。それは牙だった。床や壁に簡単に穴を空けてしまいそうな巨大な牙を持つ、毛に覆われた生物。マンモスである。
「うっそでしょ」
あの質問の時点で何となく予想はしていたバクストンだったが、本でしか見たことがない絶滅したはずのマンモスを間近で、それ以上にあの小さなカプセルから一瞬にしてマンモスが飛び出てきたことに開いた口が塞がらない。
「バクストンさん、危険です!! 下がってください!!」
後ろの研究員らの声を聞いてバクストンは後ずさる。マンモスは生きていた。ゆっくりと部屋の中にいる人間を見回しているのだ。これがCGだと言われても、獣臭さやあまりにもリアルな見た目に納得するには難しそうだ。
「見てくれたかい、新人君!! このカプセルは絶滅した生き物を水をかけるだけで生き返らせてしまう、魔法のような発明品なんだよ!!」
マンモスの巨体と武装した研究員らの声でほとんどバトラー博士の声は聞こえなかった。だが、彼も興奮しているようだ。
しかしこれ、どうするのだろうか。
「博士、博士!!! これどうやって戻すんですか!!」
「ええーー?? 何だって!」
「これ、カプセルに戻りますよねっ!!?」
「......さあ」
「博士ええ!!!」
マンモスが前進を始めた。この大人数にマンモスも興奮しているようだ。あの牙で一突きされれば簡単に命が飛んでしまう。
バクストンは後ろの研究員に頼んでマンモスを撃ち殺して貰うことにした。生きているマンモスなど正に奇跡で、何処かの動物園にでも寄付したら世界中から人が集まりそうだが、それよりもまず職員らの命が優先だ。
*****
「はあ、博士、ああいうのは困りますよ」
何とかマンモスを倒して部屋から運び出した次の日、バクストンは彼に言った。
「確かに、マンモスは少し大きすぎたね。今度はもう少し小さな生物に_____」
「もうあのカプセルを使ったらダメです!」
バクストンはバトラー博士を睨みつける。睨みつけられた博士は驚いた目をしていたが、自分がしたことの重大さに気づいたのか「すまんね......」と小さくなって謝った。
*****
最後に彼が「やらかした」発明品は「夢のシャボン玉」である。
「子供の頃、雨の日だけれど外に行きたいなあ、と考えたことはないかい?」
その日もいつも通り彼の発明品の間接的な質問から始まった。
「まあ、誰もが一度は考えることですね」
バクストンも小さい頃は永遠に外で遊んでいたいと考えていたので頷いた。雨の日では洗濯物が多くなるという理由で基本的に屋外で遊ぶとあまり良い顔はされなかった。
「じゃあその夢を今叶えられると言ったらどうする?」
「此処が外になるってことですか?」
興味が湧いてバクストンは少しだけ体を乗り出した。
「ああそうだよ。さあ、見てくれ!!」
バトラー博士が持ってきたのは、何処にでも売っていそうなシャボン液と空気を吹き込む筒であった。本来ならあの筒に液をつけて息を吹き込んでシャボン玉を作る。小さい頃に誰もがやったことがある遊びだ。
「これはただのシャボン玉を作るものではないよ!! はい、じゃあやってみてくれ!」
「分かりました」
バクストンは筒と液を受け取る。容器の中には液体が入っており、鼻を近づけても一般的なシャボン液の匂いしかしない。
彼は筒先にその液をつけて、反対側に口をつけた。吸わないように気をつけて筒の中に息を吹き込む。筒先にシャボン玉ができて、ふよふよと宙を舞い始めた。それは天井に近づいていく。なかなか大きなものができた、と満足してバクストンはそのひとつを目で追う。
「来るよ、来るよ」
バトラー博士は何やら顔をキラキラと輝かせている。
天井まで上ったシャボン玉はぱん、と割れた。すると、
「うわ!!」
突然目に飛び込んでくる光にバクストンは顔の前に腕をかざした。体が暖かい。まるで太陽でも出てきたかのような_____。
「......え?」
バクストンはまさか、と思って顔の前の腕を避けた。
天井が青い。それは手を伸ばせば届いてしまいそうな青ではなく、何処までも澄み渡り、決して届くことの無いような青色だった。
その中に温かさと眩しさをまとったものを見た。太陽だ。
「天井が......空に......」
バクストンは何度も目を擦る。さっきまで白い天井だったのに、今の一瞬で青空へと変わってしまったのだ。
「このシャボン玉が割れると室内でも空を楽しめるんだよ!!」
バトラー博士は相変わらず誇らしげだった。バクストンはその隣でまだ唖然としている。
「太陽のエネルギーをどうシャボン液に入れるかが難題だったけれどね、私は天才だから最終的に成功させてしまったのさ!!」
「はあ......」
バクストンはようやくこの光景に目が慣れた。きっと説明を頼んだところでしてはくれない。こういう超常現象なのだ、と自分の頭に叩き込むしかないのだ。
「凄いですね。本当に」
「まあね。さあ、青空の他にも見てみようよ。そうだなあ、次は雨かな」
「もう一度シャボン玉を作ったらいいんですか?」
「うん、そうだよ!」
バトラー博士は子供のような顔でシャボン液に筒をつけるバクストンを見つめている。バクストンはもうひとつシャボン玉を作った。慎重に息を吹き込んでいくと、さっきよりも大きなものができた。
筒から離れてふよふよと天井に登っていくそれを二人は見つめる。そして、
ぱん!!
ザアアアッ!!
「うわああああ!!!」
突然突風が吹いてきてバクストンの手からシャボン液と筒が飛んでいった。それに加えて天井から猛烈な雨が降ってくる。これにはバトラー博士も驚いたのか「傘、傘!」と近くの発明品の山を漁っている。
「博士!! シャボン液が......!!」
シャボン液は床に落ちて中身がこぼれてしまっている。
「ああ、そんな」
赤い傘を持ってきたバトラー博士が慌ててシャボン液を掻き集めようとする。既に体は雨でびしょ濡れだったが、バクストンはバトラー博士に雨粒が当たらないように立つ位置を変えた。
「これは止みますか?」
「うん、五分ほどで効果は切れてしまうんだ」
「風邪引かないといいですね......」
五分も雨粒に当っていたら風邪を引いてしまうに違いないが、懸命にシャボン液をボトルに戻そうとするバトラー博士が不憫に思えたので、バクストンは彼の傍に寄り添うようにして立っていた。
誰も気づいていない。バトラー博士が発明した品を置いておく棚から突風によって飾っていた瓶が落ちてしまったことに。
その瓶には、赤と青のカプセルが入っていたが、今や床に落ちて雨水に晒されていることに。
*****
「これは一体どういうことだ」
緊急の電話を受け取ったブライスが、こめかみを揉みながら隣の研究員に問う。
「......すみません、俺の不注意です」
バクストンが今にも崩れそうなほど落ち込んでいた。
バトラー博士のセーフティールームは見たこともないような生物で溢れかえっていた。
*****
「あれはメガネウラだよ!! あっちはアースロプレウラ!! これはエルギニア!!」
指をさして生物の名前をあげるバトラー博士は、今目の前で起こっていることを大惨事だとはまるで思ってもいないようだ。
瓶が倒れて中のカプセルが水に浸かったのだと気づいたのは、目の前を超巨大なトンボが飛んでいたからだった。
バトラー博士の手元ばかり見ていたが、顔を上げるとセーフティールームは大惨事になっていた。見たこともないような生き物がうろつき、飛び回り、暴れ回り......。
軽く目眩がしたのは彼の思い違いではないはずだ。
*****
「まるで博物館だよ」
駆けつけてきたナッシュが苦笑して飛び回る虫たちを巨大な網で捕まえている。
「これ、表に出てったら大ニュースになっちゃいますよ」
同じく手伝いに来ていたのはナッシュの助手であるコナー・フォレット(Connor Follett)だ。
「世界中の生物学者がこの光景を見たら目を回して倒れるだろうな」
ブライスも虫網を操りながら言った。
バクストンももちろん手伝う。虫に限らず、既に絶滅している鳥や獣、恐竜などもカプセルから出てきてしまった。
本当にどういう仕組みなのだ、とバクストンは今最も怒られるべき彼の姿を探す。
すると、彼は案外部屋の隅で分かりやすく落ち込んでいた。
さっきブライスにかなり長い時間説教を受けたのが効いたのだろう。超常現象にもきちんと感情があって、さらに落ち込ませてしまうブライスもブライスである。
「さあ、君でラストだね」
ナッシュが壁を這っていた巨大なヤスデを捕まえた。彼らが入るほど大きな虫かごはないので、基本的に後で殺されてしまう。だが今後の研究のために剥製くらいはとっておくのかもしれない。
静かになった部屋の中でバクストンは、ブライスと共にバトラー博士に近づいていった。
*****
バトラー博士にはある夢があった。
「私の発明品で成功作だと思うのは99個なんだ」
ある日バトラー博士にバクストンはそう言われた。それは彼がこの施設に来てまだ一ヶ月も経過していないときだった。
「私が思う成功作というのは、人に笑ってもらえる作品なんだよ。感動させられる、嬉しくなって貰える作品なんだ」
その日の発明品は「オノマトペ変換シール」。丸い赤いどこでも見かけそうなシールだが、貼ったものに触れる際に出る物音全てが動物の鳴き声になるというものだった。バトラー博士は自分の机に貼り付けていたが、彼が机に触れる度に猫の鳴き声やら牛の鳴き声やらが永遠と鳴るので煩さにすぐ外していた。
「今回は失敗だ」
バトラー博士は剥がしたシールをクシャクシャに丸めるとゴミ箱にポイと投げ捨てた。ゴミ箱は丸められた紙や付箋で溢れており、その中身を捨てに行くのも定期的なバクストンの仕事のひとつであった。
「新人くん、私は常に意見を求めている。孤独な実験を続けることは精神に厄介者をもたらすのだ。一体100個目の成功品をどうやって作ったらいい」
ゴミ箱の中身を別の袋に移しているバクストンに彼は言った。失敗作だったということが悲しかったのか机に突っ伏していた。10分後くらいにはすぐ次の発明品を開発しようとするが、その日は少し長かった。
「博士の欲しいものを作ったらいいと思います。失敗でもいいじゃないですか。相手が感動すればそれは成功ですよ」
「欲しいものか」
「今までの99作品は博士自身が欲しいものだったんですよね?」
「まあ」
バトラー博士は体を起こし、机上のペンを手にした。紙にペン先をつけるわけでもなく、ただ中のインクを眺めている。
「人の気持ちが読めないから、人の心が吹き出しになって現れるメガネをつくった。その次は四次元空間につながるリュックサック、そして、オレンジジュースが気体になって出てくる加湿器も......全部実用的だったから、成功作として認めたものだよ」
「そしてとうとう99個まで来たんですよね」
「そうだ。そうなんだよ」
小さく頷いて、彼はため息をついた。これだけ元気のない彼はなかなかレアだ。
「博士は今何が欲しいんですか?」
「......私は、孤独が嫌いだ」
バトラー博士は小さく言った。
「決して強がりでこうして一人で実験室に篭っているのではない。成功した作品も失敗した作品も常に誰かに評価してもらい、お互いに意見交換をすることをとても欲している」
「助手、とかですか?」
「......ああ。私は助手を持つことが夢なのだ。いつか、素晴らしい助手がこの実験室の扉を叩いてくれることを信じている」
その日の帰り、部屋の真ん中、デスクに向かってペンを走らせる丸まった彼の背中は小さかった。
*****
「博士、失敗は誰にでもありますよ」
うずくまっているバトラー博士の肩をバクストンは軽く叩いた。
「ブライスさんももう怒っていないって言ってますよ」
バクストンの言葉にバトラー博士は腕の隙間からチラリとブライスの様子を伺う。
「......怒ってる」
子供のように彼は言った。
「怒ってないですよ。そう見えるだけで」
「......失礼なやつだな」
ブライスが溜息をつき、バトラー博士の前に跪いた。
「もう二度とああいうヘマをしないなら、実験専用のセーフティールームを作るが、どうだ。広い部屋の方がのびのびと実験もできるだろう」
「......いいのかい?」
「ああ。ただし約束は守るんだぞ。お前の助手が危険な目にあったら元も子もないだろう」
「......!!」
バトラー博士も、バクストンも目を丸くしてブライスを見る。
「ありがとう!!!」
バトラー博士は満面の笑みを浮かべる。ちょうど、いつの日か天井に見た青空のようだとバクストンは思った。
*****
「博士、今日の発明品は何ですか?」
バクストンは今日も彼の発明部屋へと続く扉を開いた。部屋の中心で丸まっていた背中が振り返る。
彼の100個目の発明品は「バクストン」であった。聞いた時には驚いたものの、バトラー博士はいたずらっぽい笑みを浮かべて言うのだ。
ただ、まだ完成はしていない。未完成のまま、私の好きなようにこれから仕上げていく「助手」という作品だからね。と。
「やあ、バクストン。君はオルゴールが音だけを出すものだとは思っていないかい?」
今日も彼の間接的な質問が始まった。彼の担当である_____いや、彼の助手であるバクストンはその日も彼の発明品に何かしらのリアクションを示すのだ。
「オルゴールですか」
バクストンは今日は一体何が起こるのかという恐怖と戦いながらも、抗えない好奇心にその足を彼に進めていく。




