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短編

悪役令嬢プリシラの怠惰な生存戦略

作者: 志熊みゅう

 私、プリシラは今世こそ"悪役令嬢"に生まれ変わってしまったが、前世はただのニートだった。


 学校を卒業して一度は就職したものの、社会というものが自分にまったく合わなかった。すぐに退職し、親の脛をかじりながら細々と暮らしていた。一日中ネットやゲームに時間を費やし、風呂は三日に一度。責任感も使命感もなく、誰にも求められない生活が最高だった。けれど、そんな極楽生活は長くは続かなかった。冬のある寒い日、私は石油ストーブの一酸化炭素中毒で死んだ。換気が面倒で、つい怠っていたのが原因だった。


 つまり、私の死因はまさかの『怠惰』だ。


 私は今世で5歳の時に、階段から落ちて、思い切り頭を打った。そして激しい頭痛の中で、この前世の記憶を取りもどした。すぐにここが、死ぬ間際に退屈しのぎにやっていた乙女ゲームの世界だと気づいた。私は蘇る前世の記憶に戦慄し、絶叫した。よりによって悪役令嬢『プリシラ・グレイストーン公爵令嬢』に転生していたからだ。


 このゲームの舞台は貴族学園。謎解きをしながらヒロインは攻略対象と仲良くなる。作中のプリシラは、青い瞳に金髪を縦巻きロール、とてもわがままな王太子の婚約者だ。そしてヒロインが王太子ルートを選ぶと、ヒロインと王太子の仲に嫉妬して、事件解決の邪魔をする。そんなベタな悪役令嬢。最後は物語の真犯人である隣国のスパイ、語学教師クィンの手で、作戦を失敗したという理由で始末されてしまう。


 気づいたのが早くてよかった。王太子との婚約はまだだし、もう一人厄介な攻略対象のプリシラの義兄もまだこの家にはいない。グレイストーン公爵家は王家の傍系の由緒正しい名門貴族だし、両親は私プリシラのことを溺愛している。このまま婿を取って、この家に留まり、ロイヤルニートとして生きていけばいいのではと思った。


 私は善は急げと、最低限の教養以外はいらないと、家庭教師を次々と首にした。そして日がな一日、部屋でグダグダした。両親は頭を打ったのが原因じゃないかと相当焦った。そりゃ今まで勤勉だった娘が、ある日突然無気力になってしまったら、心配するのは当たり前だ。たくさんの医者に診てもらった。けれど、皆口を揃えて「異常がない」と答えた。


 10歳になると、王都では王太子の婚約者を決めるためのお茶会が開かれた。私はそのお茶会に呼ばれもしなかった。そして、どこぞの侯爵令嬢が婚約者に内定したと聞いた。私は一人安心した。もうこれでヒロインと王太子の仲を妬むあまり、クィン先生にそそのかされて、命を落とすことはない。私の穏やかなニート生活が守られたのだ。


 親が真剣に私の婿探しを始めたのも、ちょうどその頃だった。国中から優秀な令息がうちに集められて、月に何度もお茶会が開かれた。皆、将来の公爵の座を狙っているのだろう。令息たちは、小難しい話ばかりする。それが退屈で仕方なかった。


「プリシラ、ホールデン伯爵令息はどうだった?」


「枢密院の現在の派閥の話をしてましたわ。半分うつらうつらしておりましたので、何を仰っていたか覚えてません。」


「そ、そうか。」


 釣書はひっきりなしに来るが、私の婚約者選びは難航した。そんなある日恐れていた事態が起こった。


「プリシラ、今日から書生としてうちで預かることになったモーリスだ。兄だと思って仲良くするように。」


「プリシラ様、よろしくお願いします。」


 ――ああ終わった。王太子の婚約者は知らぬ間に回避できたのに、まさか攻略対象の義兄・モーリスが現れるなんて。彼は私と同じ金髪の髪。私よりも少し明るい青い瞳をきらきらと輝かせていた。


 モーリスは、うちの傍系にあたる伯爵家の三男。一つ年上だ。作中、彼がこの公爵家に引き取られたのは、私が王太子の婚約者になったからだと思っていた。でも、私が王太子の婚約者じゃなくなった今も、彼がここにいる。まさか私があまりにもやる気なさすぎるから?私に婿を取るのではなくて、モーリスを養子にする気?


 そういえば原作のゲームでは、ヒロインがモーリスルートに進むと、公爵家の予算でドレスや宝石を買いまくるプリシラが、クィン先生にだまされて有名な絵画の贋作を購入しており、それがモーリスによって暴かれる。スパイの資金源になったという理由で王太子と婚約破棄になり、彼女は修道院送りになる。でもこれプリシラ視点で考えると、グレイストーン公爵家の乗っ取りそのものだと思う。モーリスという男は、とんでもない悪党だ。


 困ったな。彼はなまじ頭がいい。そして策士だ。気を抜けば、はめられる。今世最大のピンチだと思った。とりあえず、媚を売ろう。媚に媚に媚びて、健気にしておけば、いつか家督を奪われても、ニートとして生きていける程度の予算は組んでくれるかもしれない。


 だから私は一日一回はモーリスとお茶をした。もちろん監視の意味もある。はじめは、モーリスも他の令息と同じように、小難しい話をした。一応話を聞いていたが、私が退屈そうにしているのに気づいたのか、すぐに話題を令嬢が好きそうなドレスやお菓子に変えた。でもそういった話題の方が私にとって退屈だ。私が興味を示さないのをみて、どこで聞いてきたのか、チェスボードを出してきた。


 この世界には前世あったような娯楽が何もない。だから私はチェスとカードゲームにハマっていた。子ども相手だ。使用人たちはわざと負けてくれていると思うが、それでも退屈しのぎにはなった。その日から私のチェスの相手はモーリスになった。


「――チェックメイト!」


「プリシラ様、さすがです。降参です。」


「101勝、99敗ですわね。私の勝ち越しですわ。」


「ふふ。プリシラ様、次は勝たせて頂きますね。」


 モーリスが不敵に笑った。


 ある日、モーリスが「ただゲームをするだけではつまらないですね。賭けをしませんか?」と言い出した。もちろん、大きな賭けではない。私が勝ったら、部屋でグダグダするのにちょうどいい肌触りの良いクッション、日本の緑茶に味が似ている東方原産のお茶、彼が勝ったら私が昔断った外国語の授業を一緒に受ける、慈善活動で孤児院に一緒に行く。モーリスは賭け事にめっぽう強かった。普段の勝率はどっこいどっこいなのに、何かを賭けると必ず負けてしまう。私は仕方なく、彼に付き合わされた。


 モーリスが来てから、たまにそうやって私の時間が奪われることはあったが、引きこもり生活に大きな変化はなかった。両親は私を溺愛していたが、この引きこもり生活のことはよく思っていなかった。前世の両親より口うるさく、社交の場に連れ出そうとするので、本当に嫌だった。


「プリシラ!!今年こそ王都に行くわよ。社交シーズンなんだから、お友達を作らないと。もう引きこもりはやめて頂戴!」


「いいえ、行きたくないわ。令嬢同士の会話ほど、退屈なものってないもの。」


「どうして、あなたはそうなの?小さい頃は他のご令嬢とも遊んでいたじゃない?」


「え、だって。嫌なものは嫌なんだもん。」


「――奥様、お取込中のところよろしいですか?バイブリーの街で先日起きた水害の視察に行こうと思うのですが。」


 モーリスが母娘の会話に割り込んできた。


「あら、モーリス。主人から聞いているわよ。どうしても今日、私たちは王都に行かなくちゃいけなくてね。助かるわ。ありがとう。」


「ご相談ですが、プリシラ様もお連れしてもよろしいでしょうか?きっと領民も嫡子のプリシラ様が支援物資をお届けになれば、喜ぶと思うんです。」


「そうね。確かに領内の政治は大切よ。でも、この子は……。」


「お母様!私、バイブリーに行ってきます。」


 助かった。令嬢たちの腹探り合いよりは、バイブリーで慈善活動として食べ物を配った方がましだ。


「じゃあ、決まりですね。プリシラ様、準備をしましょう。」


 モーリスから、バイブリーの街について説明を受けた。二人で地図を覗き込みながら、地形、歴史、風習――モーリスは私でも分かるようにかみ砕いて説明してくれた。


「なるほど、それで水害が起こりやすいんですね。」


「ああ、それでプリシラ様はどうしたらいいと思う?」


「治水。この川をまっすぐにして、周りを土で囲めばいいんじゃないかしら?そして、この辺の農村には水路を設け、水を届ける。」


「素晴らしい案だね。今回の被災地視察が終わったら、公爵閣下に進言しよう。他領の治水についても、例をあげた方が良いと思う。プリシラ様も一緒に調べてくれる?」


「ええ。そのくらいのことでしたら。」


 ああ。前世の記憶をもとにうっかり賢いことを答えてしまった。たまにモーリスはこうやって私を試すような質問しかけてくる。気を付けていたのに。


 それから、持参する食料品も一緒に考えた。食料は被災地でも食べやすいものがいいということで、押し麦と干し肉を選んだ。


「じゃあ、行こうか。プリシラ様。」


 私は基本外出はしないのだが、稀にどこかに出かける時は、必ずモーリスのエスコートだ。彼にエスコートされるのもすっかり板についた。


 被害の状況や被災民の話は予めモーリスから聞いていたので、初めて会う人間たちだけど、上手く話すことができた。それに皆、「プリシラ様が来てくださった」「ありがとうございます!」と大袈裟に騒ぐので、悪い気分はしなかった。前世から人見知りが激しい私としては大きな成長だ。ただ、モーリスのことを私の婚約者と勘違いする者がいて少し困惑してしまった。


 視察から戻ると、両親は王都に立っていて、自邸に彼らの姿はなかった。今年も逃げ切った。私は小さくガッツポーズをした。それから二人で治水事業の立案を考えた。考えたと言っても私はお茶を飲みながら、前世の知識をモーリスに伝えただけだ。


「素晴らしい案だね。プリシラ様。」


「誰でも思いつくことです。」


「きっと公爵閣下も喜んで下さると思いますよ。」


「――今年も娘を社交に連れていけなかったことを、今頃残念がっているわよ。」


「そういえば、プリシラ様は婚約や結婚についてどう思っておられます?率直に教えてください。」


 モーリスが明るい青色の私の瞳をじっと見つめる。


「率直って、そりゃ貴族の義務だということくらい私だって分かっているわよ。」


「では、どうしてどんな令息が来ても興味を示さないのですか?」


「だって面白くないんだもん。私の理想は怠惰な生活の継続。公爵を引き継いであれをしたいこれをしたい、あなたと愛し合って幸せな家庭を築きたい、とか。どれも興味がないの。」


「なるほど。怠惰な生活の継続ですか。プリシラ様らしいですね。」


「ええ、そうよ。できれば結婚なんてしないで、領内の小さな屋敷をもらって、朝から晩まで引きこもっていたいわ。」


「――じゃあ、僕と婚約しません?」


「はあ?!」


「悪い話じゃないと思うんですよ。私は、プリシラ様のその性格をよく存じています。だから、あなたが今のようなことを言っても、幻滅しません。それに、ご両親のように無理に社交に付き合わせることもありませんし、あなたに愛を求めることもありません。もちろん、プリシラ様がこの家の嫡子なので跡継ぎ作りには協力していただかないといけませんが、あなたが自由な時間をとれるように乳母や教育係はたくさん用意します。」


「いきなり言われても……。」


「いきなり公爵閣下が素性の分からない人間を連れてくる方が、人見知りのあなたは困るのではありませんか?幸い、私のことを閣下はそれなりに気に入って下さっています。私たちが婚約したいと言えば喜んでくださると思います。」


 条件を反芻する。今まで考えたことがなかったけど、彼はゲームと違って『書生』。義兄ではない。こんな理想的な結婚の条件はなかなかないと思った。


「そ、そうね。――あの不毛なお茶会から解放されるのは魅力的ではあるわ。」


「では、交渉成立ということでよろしいでしょうか?プリシラ様。」


「ええ。」


 社交シーズンが終わってしばらくすると、両親が領に戻ってきた。もちろん釣書を何枚も携えて。モーリスはすぐに治水事業の立案と、私との婚約を願い出た。両親は驚いた様子だったが、「プリシラが望むなら」と最後には納得してくれた。


 モーリスは自分が立案したバイブリーの治水事業に携わりたいと、自分の貴族学園の進学も1年遅らせた。婚約したからといって、私たちの関係は変わらなかった。毎日チェスをして、時々賭けをして、私は怠惰に過ごした。


 遂に15歳になり、私はゲームの舞台、貴族学園に入学することになった。私は最後まで学園に入学したくないとごねた。だって、悪役令嬢自らゲームの舞台に出向くなんて、自分から罠にはまりに行くようなもんだ。


「では、賭けをしましょう。プリシラ。もし私が勝ったら、あなたは私と一緒に学園に入学する。もしあなたが勝ったら湖水地方に別荘を1棟プレゼント。これは公爵閣下にも約束してあります。」


「まあ!別荘ですって!受けて立つわ。」


 私はずっと両親に別荘が欲しいと伝えていた。ただ娘がこれ以上引きこもっては困ると思った両親は、いくら頼んでも別荘だけは買い与えなかった。だから、私は嬉々としてその賭けに乗った。


 何としても今日は負けられない。頭脳戦は白熱を極めた。


「うーん。ビショップをc5へ。チェック。」


「ふふ、勝負ありましたね。クイーンをe2へ……チェックメイトです。学園には一緒に入学してもらいますよ、プリシラ。」


 ああ、負けた。どうして、何かを賭けるといつも負けるんだ。


 私たちは、貴族学園に入学に合わせ、王都の公爵家のタウンハウスに引っ越した。


「どうして、モーリスがうちの公爵家のタウンハウスに住むの?お父様がいないんだから、書生として学ぶこともないでしょう?伯爵家のタウンハウスに住みなさいよ。」


「公爵閣下から、プリシラがちゃんと学校に通うように見張ってくれと頼まれておりますので。もちろん、結婚前のプリシラに手を出すことはありませんから、ご安心してください。」


 なんと!己の両親からの信頼の無さに愕然とした。


 モーリスにエスコートされ、私の学園生活は始まった。ストレートの金髪を風になびかせて、学園の門をくぐる。金髪巻髪で王太子の婚約者だった乙女ゲームの世界とは何もかもが違う。


 入学式では王太子が挨拶をした。銀髪の貴公子だった。そういえば、前世私はこのキャラが好きで、何度も攻略したっけ。でもいざ自分が悪役令嬢として生まれ変わったのなら、話は別だ。なるべく遠巻きに彼を見ていたい。それに婚約者だという茶髪の侯爵令嬢とは、とても仲が良さそうだ。良かった。これならヒロインにつけ入る隙を与えないだろう。


 入学してからはしばらくは平和だった。しかしここはやはり『リリアンの謎解き学園』。ヒロイン入学前の今、一番警戒すべきは語学教師のクィン先生だ。


 クィン先生は異邦人らしく、黒髪に黒目。授業はとても分かりやすかった。人気のある教師だということは分かっている。でも怖かった。


「どうした?語学は一緒に勉強してきただろう?何か分からない単語でもあるか?」


 私が青ざめた顔をしているのに気づいたのか、モーリスが声をかけてきた。


「大丈夫……。でもちょっと、クィン先生は苦手かな。」


「そ、そうか。無理するなよ。」 


 モーリスは少し不思議そうな顔をしてこちらをみた。


 生徒会にも入って、生徒たちの尊敬を集めるモーリスとは対照的に、前世からの私の性質がそう簡単に変わるわけもなく、学校が終わるとすぐにタウンハウスに帰宅してダラダラするという日々が続いた。


 私は特に気にしていなかったが、学園では私が社交もろくにできない"白痴令嬢"と噂されていた。おそらく婚約を断った令息が悪い噂を流したのだろう。正直、なんとでも言えと思ったが、優秀なモーリスと一緒に授業を受けているおかげか、徐々にそういった噂は消えていった。


 モーリスは私を入学させた責任からか、試験前だけ私が赤点をとらないようにと勉強を教えてくれた。無理矢理ここまで連れてきたのだから、そのくらいしてもらわないと困る。でも今まで習ったどの家庭教師よりも分かりやすくて少し見直した。


 ――そして遂にあの日が来た。


「みんな、編入生を紹介する。エリントン男爵家令嬢リリアン嬢だ。彼女は最近家の都合で貴族になった。分からないことがあったら、皆で教えてやって欲しい。」


「リリアン・エリントンと申します。皆さま、よろしくお願いします。」


 ああ、ヒロインだ!私のやる気のなさで変わってしまったこの世界で、ゲームと変わらない桃色のツインテールで無邪気な笑みを浮かべている。


 そういえば、モーリスのように入学が遅れた場合、一年生から入学することもできるのに、なぜリリアンは二年次に編入してきたんだろう?そりゃ、乙女ゲームの設定はあるだろうけど、普通に勉強についていけなさそう。これは乙女ゲームをプレイヤーをしていた時に考えつかなかった新視点。隣にいたモーリスに独り言のように聞いてみた。


「あの令嬢、最近男爵家に認知されたのは分かるけど、なぜこの学年に入学したのかしらね?」


「ああ。それはこの学年が"あたり"だからだろう。王妃が妊娠したと聞いて、国中の有力貴族が一斉に子を作ったから。」


 そういえば、自分も公爵令嬢だが、この学年だけ高位貴族の令息・令嬢がやたら多い。自分の子息を王太子の側近や妃に選んでほしい、王家と縁づきたいという貴族たちの打算が見てとれる。


「――なるほどね。」


 桃色ツインテールのヒロインは、すぐに噂の的になった。残念ながら悪い意味でだ。まずつい最近まで平民だっただけあって、マナーがなってない。一口に言えば、馴れ馴れしいのだ。例えば、婚約者がいる男子生徒も平気でベタベタ触る。この間、王太子をいきなり「ライナス様」と名前呼びして、腕にしがみついた時には、護衛に切りかかられそうになっていた。一言で言って結構無茶苦茶だ。私はなるべく彼女に近寄らないように気を付けた。


 そんなある日、モーリスにノートを届けに生徒会室に向かっていたところ、人気のない廊下でその"会いたくない人"と鉢合わせしてしまった。ヒロイン・リリアンだ。


「……落としましたよ。」


 すれ違いざまに声をかけられて、思わずビクっとした。確かに私のハンカチだし、一見すると親切な行動だ。でもこのハンカチは鞄の中に入れておいたはず。どうして彼女が?警戒心を強める。


「ありがとうございます。」


 きちんと優雅にお辞儀をする。その瞬間、後ろから誰かに口元を押さえられた。意識がふわりと遠のいた。


 気づくと、暗い空き教室にいた。ここはどこだろう?全身を身動きが取れないように、縄で縛られている。隣では王太子の婚約者の茶髪の侯爵令嬢も攫われてきたのか眠りについてた。


「おい!目が覚めたか?」


 グイっと顎を掴まれて見上げると、リリアンがいた。


「――うう!」


 縄のせいでうまく言葉が出ない。


「お前も転生者だろ!何でこの世界を壊した!ここは乙女ゲーム『リリアンの謎解き学園』の世界だ!この私がヒロインなんだよ!」


 そういうと、ヒロインは私の腹を思い切り蹴飛ばした。彼女も転生者なのか?


「悪役令嬢がやる気がないせいで、何もかも上手くいかない。王太子はその女から離れないし、年上のモーリスもなぜか同じ学年にいて、いつもお前と一緒にいる。どこにも隙がない。だから手っ取り早く隠しルートを使わせてもらった。」


 ああ、そうか。クィン先生は実はあのゲームの隠しルート。スパイと付き合うってどうなのって思った記憶がある。


「こらこら、リリアンやめなさい。まだ学校の中なのだから。」


 裏の部屋からクィン先生が穏やか笑みを浮かべて現れた。つまりここは語学の実習室か。


「クィン先生!すみません。つい。」


「ふふ。いいんですよ。リリアン。」


 クィン先生が、リリアンの頭を撫でた。


「君たちの家と王家には身代金を要求した。まあ我々の真の目的はそこではないがね。」


「ふふ。クィン先生が、課金アイテムのキューピッドの涙をくれるって。王太子様も間違いなく私に骨抜きになるわ。婚約者を失って悲しみにくれるライナス様につけ入るの!」


 私は無課金ユーザーだったから、一度も使ったことはないけど、好感度が反則的に上がるって話題になっていた。ああそうか。クィンルートは、攻略条件として、攻略対象の誰か一人の好感度を攻略できるレベルまで上げなきゃいけない。うまくいくかは別として、リリアンは王太子の好感度を上げようとしているのか。


 それにしても、この二人の共同戦線は予想外すぎた。まあ、クィン先生は隣国のスパイだから、リリアンを側妃に仕立てて王宮に送り込めるなら、自分の手駒として利用できると考えて協力したのだろう。――でも同時に、ひとつの疑問が浮かんだ。どうして、私まで捕まっているんだ?


「どうして自分が捕まったのか分からない、という顔をしているね。殺す前に教えてあげよう。君もリリアンと同じように、不思議な記憶を持っているようだからね。私の授業中に青ざめていたのも、ちゃんと見ていたよ。我々の邪魔をされると困ると思って、一緒に誘拐させてもらった。君たち二人を同時に誘拐することで、こちらの本当の狙いを悟られにくくすることもできるからね。」


 ひぃっ!ピンチ!このままでは殺される!死にたくない!そう思った時だった。


「全て聞かせてもらった。そこまでだ!」


 モーリスと王太子とその護衛騎士達が、教室に入ってきた。


「ど、どうして?モーリスが助けに来るのよ!あんた義妹と仲悪かったんじゃないの?」


「何を言っているんだ。彼女は俺の婚約者だ。」


 リリアンとクィン先生は騎士たちに取り押さえられて、速やかに連行されていった。モーリスたちが私たちに駆け寄ってきて、すぐに縄をほどいてくれた。


「大丈夫か?無事でよかった。」


「ありがとう。助かったわ。お腹を蹴られたけど、大丈夫。モーリスはどうして、ここが分かったの?」


「目撃者がいたんだ。もともとクィン先生はマークされていたから、すぐに動けた。そんなことより、腹は大丈夫か?さ、帰ろう。僕たちの邸へ。」


「うん。」


 私は小さく頷いて、家に戻った。


***

 その後しばらく体調不良で学校を休んだ。最後の方はただのサボリだったが、さすがに誰にも文句を言われなかった。王宮から何度も人が来て、取り調べを受けた。特に「ヒロイン」「攻略対象」「悪役令嬢」「リリアンの謎解き学園」とは何かと、しつこく聞かれた。私はめんどくさいことが何より嫌いだ。全て分からないと答えた。


 捜査の結果、クィン先生はやはり隣国のスパイだった。リリアンは「私がヒロインだ」「どうして攻略対象の王太子が私に見向きもしないんだ」「あの悪役令嬢かまととぶりやがって」と、独房の中で叫んで暴れているとのことだった。リリアンの実家、エリントン男爵家は、娘が王太子の婚約者と公爵令嬢を誘拐したこと、隣国のスパイの手助けをしたことから、お取り潰しが決まった。


 さすがにあの二人さえ捕まってしまえば、ゲームのシナリオのせいで殺されることはないだろうと私は確信した。学園を卒業したら、モーリスに領政と社交を任せて、私は邸に引きこもってロイヤルニートとして楽しく生きていこう。胸が高鳴った。


 学園の成績は常にぎりぎりだったが、何とか卒業はできた。モーリスは総代に選ばれ、ありがたい言葉を卒業式の壇上で述べていた。私は半分眠りながら、その話を聞いた。


「これでやっと領地でゆっくりできるわ。」


 帰りの馬車で私はこぼすように言った。


「そうだね。プリシラ。早く君がゆっくりできるように、さっさと結婚式も挙げてしまおう。」


「そっか。契約結婚でも、式は必要だもんね。」


 結婚式の用意は、私が知らないところで、モーリスと両親がほぼ済ませていた。ドレスを選ぶのすらめんどくさいと言ったら、モーリスがいつの間にか私にぴったりのドレスを用意した。結婚式は領民から祝福されたが、事務作業のように淡々と終わった。さすがは愛のない結婚だ。


 結婚後は私たち夫婦は自邸の離れに住むようになった。両親に干渉されない離れでの生活は予想以上に快適だった。モーリスはよく働いてくれるし、「領地を出なくていい」「社交はしなくていい」と言ってくれるから、社交シーズンも快適に引きこもることができた。たまに賭けに負けて領地視察に連れていかれるが、それ以外の時間は、チェスやカードゲームに勤しみ、読書にも興じた。私の臨んだ理想のぐーたら生活がそこにはあった。


 ただ、公爵家に跡継ぎが必要だからといって、毎日のように抱かれるのはそれなりに大変だった。彼も入り婿だからプレッシャーというものがあるのだろう。仕方ないことだと思うことにした。おかげで、すぐに新しい命を授かった。


 生まれた子どもは男の子だった。待望の跡継ぎの誕生に公爵家は歓喜に沸いた。モーリスは宣言通り、使用人を増やし、私のニート生活を死守してくれた。でも、なぜか夫婦の営みは初めての子を産んだ後、すぐに再開された。愛のない結婚って自分が言ったくせに。それからまた妊娠。次の子は女の子だった。


 その後も出産の度に閨の回数を減らしてほしいと頼んでいるが、いつも賭けに負けて流されてしまう。今はなんと5人目の子を妊娠中だ。使用人はたくさんいるし、自分の時間を過度に奪われなければ子どもは好きだし、幸せかと聞かれれば幸せだと思う。


 そんなある日、ふと思い出した。モーリスはバッドエンドで、ヤンデレを爆発させて、ヒロインであるリリアンを監禁することを。


 ――もしかして私、はめられた?

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