90話
睨み合いだとか、間合いだとか、正直俺の性には合わない。
木刀を握ると同時に飛び出し、曹操の脇腹目がけて全力を叩きつけた。
弾かれ、身を翻し、再び叩きつける。
刀を握るその腕ごと折れろ。
型も何もない、ひたすらに連打。その全てに全力を込めた。
「なるほど、戦場で活きる太刀筋ですな」
「余裕かましやがって……」
曹操はこちらの連撃を全て弾くと、次は自ら動いた。
俺の様な大ぶりな動きではない。
必要最小限に踏み込み、鋭く刺し、払う。
まるで小枝でも振るっているかのようだが、一撃一撃があまりに重い。
思わず後ろに退いて逃げようとするも、曹操がそれを逃がすわけもない。
今度はこっちが防戦一方になる番であった。
全く、隙が無い。攻撃に移ることが出来ないのだ。
それでも、負ける事は出来ない。
曹操の提示してきた条件は、正直あまりにも内容がひどすぎる。
これは対等な同盟というよりも、服従に近い。
真意は交渉でどこまですり合わせるか、という事も考えての内容だっただろうが、こっちも譲れないものが多すぎる。
「昔は剣を手放していたものですが、粘る様になりましたな」
「これを手放せば、間違いなく死ぬ。俺が生きてきたのは、そういう世界なんだよ!!」
曹操の攻撃を防ぐだけではない。
今度はこっちも、一撃一撃に力を込めて、弾く。
返ってくる反動で、腕の筋肉が悲鳴を上げ、全身がビリビリと痺れる。
それでも思い切り歯を食いしばり、限界を超える力で叩き返す。
「ドオオオラアアァア!!」
真正面からの殴り合い。
どちらが先に根を上げるかの勝負。
確かに、技でも、力でも、経験でも、全てにおいて俺はこの曹操に勝てるところはない。
ただ、この意地汚い根性だけは負けてないつもりだった。
死にかけて、それでも何度も立ち上がり、決して戦う事は止めなかったからこそ、今がある。
俺は、籠の中の鳥になるつもりはない。
天をあまねく駆ける「龍」になるのだ。
木刀、というよりはバットでも振るうように、両手で曹操の一撃に渾身の力を叩きつける。
曹操もいつしか、片手ではなく両手で木刀を握り、正面から捻じ伏せんと迎え撃つ。
派手に、音が響く。
俺の木刀は半ばから折れる。
迫る、曹操の一撃。
折れた木刀を放り、喉元を噛み千切らんと地を蹴る。
「────はい、そこまで!」
俺は顔面を鷲掴みにされたまま地に押し付けられ、曹操の木刀も真上へ跳ね上げられる。
二人の荒い息が静かに響いた。
間に立っていたのは、大柄の武人。
子供の様に、底抜けに明るい笑顔が印象的である。
顔は凡庸だが、ふっくらと伸びた大きな耳たぶがやけに目を引いた。
鞘に収まったままの剣で、曹操の木刀を跳ね上げたらしい。
俺はその手を振り解こうともがくが、全然、ビクとも動きやしねぇ。
「何の真似だ、というか、どうしてこんなところに居る。劉玄徳よ」
「いやぁ、面白そうな臭いがプンプンと俺の鼻腔をくすぐるもんで、誘われるままに来てみれば、何やら楽しそうなことしてるなぁってな! 俺も交ぜてくれよ、曹操さん」
劉玄徳、つまり、こいつはあの。
三国志の主人公にして、劉の血を引く本物の「英雄」。
名を、劉備。三国の一つ、蜀を建国した男だ。
「……余計な邪魔を」
「おいおい、そりゃないぜ。確かに、これが試合ならこのガキの負けだが、これが殺し合いなら、曹操さん、アンタ死んでたぞ? こういう手の奴は、首を斬っても喰いついてくる」
劉備はようやく俺の顔面から手を放し、その底抜けの笑顔を向ける。
「お前、良い目をしてるなぁ! 俺と一緒に来ないか? いや、俺の養子になれ! 曹操さん、コイツ貰っちまって良いか?」
「貴様ッ! 身の程を弁えろ!!」
たまらず楊奉が飛び出して剣を抜き、劉備に振り下ろす。
しかし、劉備はのっそりとした動きでその一撃を余裕で躱し、逆にその剣を踏みつけた。
「良い一撃だ、かち合えば恐ろしく重いだろうな。ま、当たらなきゃ意味はないが」
「クッ……」
胸を反らしカッカッカと笑う劉備。
オイオイ、マジか。楊奉は個人の武勇で言えばウチで随一、あの馬超とも互角なんだぞ?
それを余裕で。
これが、天下の戦場を駆け巡り、戦に生き、戦で天に上り詰めた男。
演義とは真逆のタイプだなオイ。
「あ……」
「ん? どうした? 小僧、俺の顔をポカンと眺めて」
「いや、その、後ろ」
「え?」
劉備が振り向くと、そこには劉備よりも一回り大きな巨人。
体躯で言えば馬騰と並ぶであろう。
ただ、この男だけは一目見るだけで、誰かが分かった。
長く美しく伸びた顎髭。顔は日に焼けて茶褐色に染まっている。
恐らく、これが関羽。
忠誠心は曲がる事無く、後世では神として祀られるほどの軍神。
その軍神は、砲丸の様に大きな拳を勢いよく振り抜き、雷鳴の様な音を響かせ、劉備の顔面を捉えた。
何が何やら。
一瞬のうちに劉備は伸びてしまい、関羽に担がれてしまう。
「曹将軍、そして、そこの高貴な御方、ウチの兄貴が大変な無礼を。申し訳御座らん。この関羽の拳に免じ、どうか兄貴をお許しくだされ。所望とあらば、我が指を切りましょう」
「い、いやいや、そこまでしなくても。え、と、劉備は、生きてる?」
「兄上は頭の中まで筋肉ですので、これくらい殴らねば反省しますまい。それではこれにて、御免」
一つ一つの所作があまりに綺麗だ。
静かに水が流れるように、関羽は一礼し、そのまま庭園から出ていった。
「……殿下、あれは呂布に徐州を奪われた劉備です。呂布とはまた違った種類の、戦の天才でしょう。徐州を奪われても陽気で、逃げてきたというよりは、私の顔を見に来たような変人です」
「配下にするのか?」
「あれが配下になれば、どれほど心強いか」
「いやぁ……」
一目見ただけで分かった。アレは絶対に人の下に付かないタイプだ。
多分、誰かに命令されたり、いや、助言ですらも激しく拒絶するような。
爆発的な激情を持つ性格をしてるだろう。
曹操もきっとそれは分かっているだろうが、手放せないのだろう。
確かに、それほどまでに強烈な人材であることは俺にも分かる。
「勝負は、どうしようか」
「引き分けでしょう。強くなられましたな、殿下。驚くほどに」
「さて、荀攸! 公平になる様に調整してくれ」
「郭嘉! お前も、荀攸殿と意見を交わし、調整せよ。今日中にだ!」
最初からそうしろよ。
まるでそう言いたげな、顔に明らかな不満と呆れ顔を浮かべる軍師二人。
大きな溜息を吐き、とぼとぼと並んで地図のある部屋へと戻っていった。
最終話まで、残り数話となりました。
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それでは、また次回!




