64話
最近はいくらか意識もはっきりとしてきた。
それに伴い、麻酔の量も減ってきて、今度は体中が激痛に襲われるようになる。
痛みを感じるのは、体力が回復しているからだと聞かされるが、それにしてもだよ。
寝返り一つも打てず、深く呼吸する事すら出来ない。
いくら薬を増やしてくれと言っても、拒まれる。
「薬とは、いわば毒です。長く、多量に摂取すれば、体の回復につながらず、むしろ悪化さえあり得る」
「てめぇ……治ったら絶対に張り倒す」
「もう! なんてこと言うの! 陛下を治療してくださってるんですよ!?」
「イッテぇ!! なんで今、俺の足を叩いた!?」
「周りにどれだけの心配と苦労を掛けているか、ちゃんと反省しなさい」
ちくせう。常に二対一だ、勝ち目がねぇ。
蔡文姫は老人から色々と医学を教わり、今では助手の様な立ち位置で俺の治療をしてくれるようになっていた。
老人も、非凡な頭脳を持つ蔡文姫を気に入ったのか、その講義にも熱が入っているように思えた。
あ、そしてこの老人、なんとあの「華佗」である。
中国史に残る伝説的な名医。
人類史上初めて、外科手術の技術を確立した天才。
ただ、華佗は性格に多少の頑固さを持っていた為、曹操と争いになり、獄死させられている。
そのせいで、この天才的な技術は誰にも受け継がれることなく、以後、長く華佗に勝る名医は現れなかったという。
「なぁ、華佗さんよ。最近は、群臣から何か報告とか、届いてないのか」
「毎日、山の様に来ております。しかし、何よりも陛下の治療を優先するのが私の仕事。例え誰であろうと面会は不可です」
うーん、董承が来てからというもの、華佗も意地になっている様に見えた。
何としてでも俺に会わせまいとしてる様な。
悪い奴じゃないんだよ。
ただ、使命感が強いというか、相当な職人気質だ。
あんまり俺の得意じゃないタイプ。
「せめて、荀攸からの報告だけでもさ、取り次いでくれないかなぁ。あいつからくる話は、多分、最優先だろうからさ」
「はぁ……蔡琰殿。確か、一つだけ荀攸様よりの書簡が届いておりました。それを」
「よろしいのですか?」
「多少の息抜きは必要です。治療は、体力と、精神力の二つの兼ね合いですから」
もっともらしいこと言ってるけど、顔で滅茶苦茶嫌がってるのは何で?
完全に俺への嫌がらせも含まれてない?
☆
それは突然の事であり、董承、蔡邕、王允の三名は足を急がせた。
張済の軍の受け入れの可否を合議していた最中の事である。
宮殿の入り口にて待っていたのは、荀攸と、劉弁。
息を切らした董承が、まず初めに声を上げた。
「今まで、陛下への面会は厳禁だったではないか。それが、どういうことだ、荀攸殿。至急の呼び出しなどとは」
「私も詳しくは……されど、皆様方をお呼びしてほしいと、陛下よりの命が御座いました。弘農王殿下まで挙げられたという事は、もしや──」
「──それ以上は許さん。これからではないか、この国は。あり得ん」
「止めよ、まずは陛下にお会いしてからだ。良いな? 皆様方は、この国の主幹であられる。動揺してはならん」
劉弁の一言で、全員の顔が引き締まる。
許可が下りた後、劉弁を先頭にして、彼らは宮殿へ足を運んだ。
居室に足を踏み入れた董承は、その目を大きく見開いた。
あの、兵の先頭を駆けていた勇壮な幼帝の姿はそこになく、ただ、病弱な子供が横たわっているのみ。
しかし、その強すぎる眼光は、劉協そのものである。
「すまない……起き上がれない身なのでな、もう少し、近くに」
華佗の方を見た。どういうことだ、治るのではなかったのか。
しかし、華佗もまた睨み返す。全力を尽くして、この結果なのだと。
皆、劉協の寝床の下段で膝をつく。
痛々しいまでに、全身に包帯が巻かれていた。
「どうだ董承、何か、変わりないか」
「あ……はい。何も異常はありません。都は平穏そのものです。直に諸侯も、陛下の威に服しましょう」
「そうか。軍略に関する事は荀攸に、内政は王允に、儀礼は蔡邕が主体となり采配せよ。そして董承は、戦場での事を任せる」
「お任せくだされ」
「華佗」
「はっ」
劉協は喋り疲れたように瞳を閉じる。
代わりに、華佗が前へ進み出た。
「陛下は未だ、危うい道中に居ります。私も全力を尽くしますが、完治の見込みは薄く、命の保証は、二割」
「何とかできないのか!?」
泣きつくように蔡邕が縋り付くも、華佗は首を振る。
すると、苦しそうに劉協は笑った。
「華佗を恨むな。普通であれば一割に満たないものを、二割以上まで引き上げる腕を持つ名医だ。されど、二割……兄上は、居るか?」
「ここに」
「董卓を非とし、これを討った。つまり、俺は俺自身の皇位に、異を唱えたと同じだ。董卓により擁立されたのだから。だから今ここで、皇位を返上する。兄上こそ正当な皇帝だ」
「何を言われますか。陛下であったからこそ、董卓に勝ち得たのです。非才の私には、あまりに重い」
「今は……通さなければならない、筋の話をしている。董卓の様な者を、二度と生まないためにも」
劉弁は助けを求めるように、王允らを見る。
皆、苦り切った表情をしていた。
王允が沈黙を破る様に、身を乗り出す。
「殿下に政務を執ってもらい、陛下の回復を待つ、という形では駄目でしょうか? 陛下の声望を慕う者は、あまりに多いのです」
「駄目だ、これは勅命だ。俺が回復したら、大将軍にでもしてくれ。俺は戦場で戦う方が……ッ」
声を荒げ始めたとき、劉協は痛みで顔を歪めた。
慌てて華佗がその痩せた体を抑え、脈を取る。
「陛下、気を抑えて。薬の効き目が切れてしまいます。その者達も、これで面会は終わりだ! 早く立ち去れ!」
「まだだ、華佗……良いか、お前ら。兄上に今、玉璽を譲る。後のことを調整するのが、お前らの仕事だ……良いな!?」
「ぎ、御意!」
後は、華佗に追われるように面々は外に出た。
劉弁の手に握られた玉璽が、空しく輝きを放っていた。
☆
「どうだった? 華佗よ、俺の演技は」
「一点だけ気になる事がありましたな」
「え?」
「一割を二割にする名医だと仰られたが、私の手にかかれば、七割にまで引きあがります」
「はっ、だったらすぐに治してくれ。痛くてかなわん」
「先ほどの面会でまたあちこちが悪化してますので、また治療が必要ですな」
「ひぃ」




