12話 欲のない人間はいない
屋敷の庭で右へ行ったり左へ行ったり回ったりと、うろうろするイゼル。
その様子をじーっと見る緋紙は彼のもとへてくてく歩くと、地面に叩きつける程思いっきり頭を叩いた。
「何をする!」
「ゼネリアが心配なのは解るけど、少しは落ち着きなさいよ。あんた一族の長なんだから」
「お前は緋倉が心配じゃないのか」
起き上がり、着物に付いた土を払う。
「心配よ! 今すぐ探しに行きたいぐらい心配してるわよ! おかげでご飯作れないもの!」
混乱している緋紙は、イゼルの首を絞めながらガクガクと揺する。
苦しい、と小さく訴えたのだが、彼女の耳に入らない。
「でもマナちゃんもヤッカもいるから大丈夫かな、けどあの子人間だしヤッカは変態だし、ウチは遠出出来ないし、どうすればいいのよー!」
「は、放せっ!」
ようやく彼女の腕を振り切ったイゼルは、呼吸を整えるように咳をする。
どうして緋紙はこうも感情が不安定なのか。姉の紙音とは大違いだと思い、今も生きているか分からない彼女と息子を一瞬だが思い出す。
「――確かに薬華は変態だが、あいつも子供達の事は気にしている。任せて問題ない……はずだ」
「何その一瞬の間」
漠然とした不安があるのだ。何故なら薬華は、新薬を開発する度に適合する同族を見つけては実験をするような雌。この度、雄の発情を抑える薬が出来たので、発情してる雄がいると聞いた途端に飛び出して行き、今に至る。それも誰なのかと名も聞かずに――。
「みゃー」
猫がイゼルの着物の裾にくっつき、よじ登ろうとしている。
「俺に探しに行けと言うのか? すまんな、俺は里を離れる訳にはいかないんだ」
「その猫、ゼネリアと一緒にいる子よね」
「ああ。あの子を見つけた時、こいつはまだ子猫でな。ゼネリアと共に威嚇されたよ」
懐かしい思い出だ。里の外の南西側にある小屋のような家に行った時、拒絶されたのだから――。
子猫を抱き上げると、空に雲が掛かった。一雨来そうな雲行きである。雨で頭を冷やしてもいいが、子猫を濡らす訳にはいかない。
庭から屋敷の廊下へ足を上げた時だった。
「いーやー! イゼルのとこ行きたくなーいー!」
「お母さんに怒られるー!」
「我儘言うんじゃねーよ! お前ら殺されるとこだったんだぞ!」
その声と共に、司が緋倉とゼネリアを連れてやってきた。
廊下を曲がって姿が見えるようになった時、子供達のボロボロな姿が視界に入る。
緋紙は真っ直ぐ我が子・緋倉のもとに駆け付けたが、イゼルは駆け出しそうになった所で止まった。
***
一方、マナは薬華に傷口を見て貰っていた。
ベッドで寝ている緋媛の様子が気になりながらも、龍族の医者である薬華に「まずは自分の事を気にしなさい」と怒られてしまったのだ。
「んー、綺麗に塞がってるね。跡もないけど、着物がダメになったねえ。ほら、アタシの貸してあげるから。ちょっと待ってて」
この時代の薬華はあまり変わらないようだ。面倒見がいいところは、現代と一緒である。
薬華が服を取りに行っている間、緋媛の傍に行き、ベッドの横にある椅子に座った。
彼がおかしくなったのは今ではなく、最近の事だと思い返す。レイトーマで護衛をしていた頃は従順だったが、本性を現してからは意地が悪い。からかっては面白がっていたように、マナは感じていた。
ところが司に攫われ、ダリス城から助けられた頃から優しくなった気がする。
そう、この安らかに眠る表情のように――。
思わず、マナの手が緋媛の頬へと延びる。
「……何やってんだい」
服を持ってきた薬華に後ろから声をかけられ、びくっと大きく肩が上がる。心臓の鼓動が速くなり、顔が真っ赤になった。
「な、何もしてません! 緋媛のこんな可愛らしい寝顔を初めて見るなんて、思ってもいません!」
「あんた、嘘つくの下手だねえ……。まあいいや。はいよ、これでも着てな。ついでにこの靴も合えばいいんだけど……」
「あ、ありがとうございます」
服と新品のようなヒールの高い靴を受け取ったマナは、着替えはあっちだと薬華が指を刺す先の個室へ入った。
用意された服は紺色のシャツに赤いスカート。レイトーマではドレスやワンピースを主に着ていたので、このような服は初めてである。シャツを着てみると、上のボタンが二つないので胸元が見えそうだ。スカートは膝丈程のフレアスカートだが、ひざ下が見える事が恥ずかしい上にウェストがやや苦しい。そして靴のサイズは合っている。
しかし、歩きづらい。貸してくれたのだから、不満を言ってはいけない。
マナは慣れない歩き方で個室を出て再び緋媛の傍へ行こうと診察室に入った。
「……あんた、顔は可愛いのに貧相な体してんだねえ」
診察室に入るなり、マナのあまりない胸元を見た薬華が哀れな顔をする。まな板に小ぶりなミカンが二つあるようだと、小さく嘆く。
顔が真っ赤になったマナは、脚の事を言われたのかと勘違いしていた。
再び緋媛の傍に座ると、注射器を持って息を荒くした薬華が目の前に立つ。
「さ、あんたも腕出しな。その雄が発情したのアンタだろう?」
「は、発情? 緋媛が……ですか?」
龍族の雄の発情期の事は聞いていた。だとすればいつ発情したのか。もしかすると先ほど駆けつけてダリス人から助けた時だったのかと、マナは推測する。
「見てみたいんだよ、血液がどうなってんのか……。そいつの血はさっき抜き取ったから、次はアンタの番さ。なにも飲む訳じゃないんだ、人間の雌に発情する事例は少ないからね、データが欲しいんだよ、データが!」
目を血走らせて興奮する薬華が恐ろしい。青ざめる程引いているマナだが、逆らってはいけない気がしてそっと左腕を差し出した。まだ気持ちの整理がついていないというのに、正確な情報が得られるのか気になる所だが。
薬華に腕を掴まれた時、久しぶりに、実に久しぶりに触れた相手の過去が流れてきた。
それは現代でイゼルから聞いた、怪我をした人間に自らの血を与えて傷口を塞ぐ光景が――。
マナの瞳が金色に変わった瞬間、薬華は彼女から離れた。薬華の額から一筋の汗が流れる。
「何を……見たんだい」
「……………」
「答えな!」
「……血で、人の傷を治した過去、です」
これは彼女にとって最も思い出したくない出来事だろう。本当は答えたくなかったのだ。何故ならこの行為が原因で、異種族狩りが行われているのだから。
「……その様子だと、知ってんだね。アタシのせいでみんなに迷惑をかけてるって」
「薬華のせいではありません。欲に塗れる人間が悪いのです。貴方は人を、命を救ったのですから、正しい事をしたのではありませんか。その行いから私利私欲の為に異種族を狩る行為が間違っています。ですから、貴女のせいではありません」
「なら、あんたは欲のない人間かい?」
それを言われ、何も返せない。
マナは世界の歴史を知りたいのだ。この時代でようやく過去の事が書かれている本に出会ったのだから、もっと読み込みたい。そして現代へ生かせるようにしたいという欲求がある。
違う欲ではあるが、一つ満たされればまた一つ、そしてまた……欲が尽きないのが生物だ。
「……あんたは人間でも違う種類みたいだね。少し匂いが違う。こちら側に近いような気がするけど、やっぱり人間なんだよ。人柱になりうる……ね」
この時代の薬華は現代と同じかと思ったが、少し違った。ここは約二百年前で、彼女が起こした出来事の傷が癒えていない。まだ最近の事なのだ。
緋媛の傍に居たいが、傷ついた悲しい表情の薬華を見ると自分はここにいない方がいい。
マナは丁寧に頭を下げると、診療所を出た。





