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歴史の陰で生きる異種族  作者: 青枝沙苗
6章 危険な時代

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10話 私が護る

「イゼル様、例の薬が出来ましたよ」


「あ、薬華」


「あんた倒れたって聞いたけど、ちゃんと薬飲んでるのかい?」


「ちょっと飲み忘れただけどよぉ」


 イゼルの屋敷の部屋の前に現れたのは、診療所に引きこもっていた薬華だ。てへっと誤魔化す緋紙に怪訝そうな表情をしながらも、返事のないイゼルの部屋へ入っていく。何やら彼はぼーっとしている。

 少し驚かそう。薬華は大きく息を吸い込むと、「わっ」と耳元で声を張り上げた。


「何だ! 耳が壊れるだろう!」


「例の薬が出来たって報告に来たんだよ。ぼーっとして、あんたらしくない。何かあったのかい?」


 ゼネリアを問い詰めたら飛び出してしまった、とは言えない。


「いや、何も――」


「例の薬ってなぁに?」


 イゼルが言いかけると、緋紙が間に入るように疑問を投げつけた。

 これで答えずに済む。ほっと安心するように小さく息をつく。


「里の雌達がね、雄の発情期を抑えたり止めたりする薬を作ってくれって言ってさ。ほら、このご時世だろ? 人間に襲われたときに突発的に発情されても困るじゃないか。例えば司とか片桐とか司とか」


「全部私の旦那じゃないの。否定はしないけど」


 司は万年発情するような雄なのだと、くすくすと緋紙が笑う。


「お前を信用していない訳ではないが、効果はあるんだろうな」


「多分ね」


「多分?」


「まだ個体で試してないんだよ。どっかに今すぐ発情するっていう雄がいればいいんだけどねぇ……」


 里の中にその時期を迎える雄がいただろうか。イゼル達は頭を悩ませる。

 ――そういえば一体だけ怪しい雄がいた。鼻を押さえていた、未来の司の息子のが。



 ***



 里にいれば安全ではなかったのか。

 マナの頭にふとその言葉が浮かんだ。だがよく考えればここは里の外なのだ。

 里から外れ、北の荒れた土地の東側にいるのだから。


「人間めぇ!」


「はーなーせっ!」


 緋倉とゼネリアがバタバタとマナの腕から抜け出そうとしている。


「駄目です、大人しくして下さい! きっと緋媛が助けに来てくれます」


 現代でダリス帝国に攫われたときのように、彼が助けに来てくれる。

 緋媛がミッテ大陸の西側にいると知らないマナは、そう信じているのだ。


「生きのいいガキ共だな。どうしやすか、アニキ」


「いつも通り動けねえようにしろ」


 手下の一人が、ギラリと光るナイフを逆手に持つ。

 ――殺される。

 マナは血の気が引く程の恐怖を感じた。緋媛はまだか。待っていてはこの子達を護れない。早く、早く。

 手下がナイフを持っている手を振り上げ、緋倉に向かって振り下ろされた。


「危ないっ!」


 体を捻って緋倉の盾になったマナの左肩に、ナイフが深々と突き刺さる。痛い。と思った瞬間、ナイフを引き抜かれた。痛みと熱が脈打って血が流れていく感覚が分かる。


「お姉ちゃ……」


「……………」


「大丈夫。私が護りますから……」


 子供達を護るために男達に背を向け、抱きしめる腕にぎゅっと力を入れる。怖くて痛くて泣きそうだが、子供達に傷をつける訳にはいかない。

 だが、緋倉とゼネリアにはマナが恐怖で怯えている事が筒抜けだ。彼女は体だけではなく声も震えているのだから。


「雄の龍族に見つかる前に、さっさと持って行くぞ」


 手下の人間二人が四方の重りを二つずつ持ち、引きずりながら来た道へ戻ろうとした時、辺り一面が氷に覆われた。

 腰から下が凍ってしまったマナの腕からするりと抜けた緋倉が逃げる為に網を燃やし、そこから飛び出したゼネリアが足が凍って動けず転んだ手下の人間の心臓を目掛けて隠し持っていた短刀を突き刺した。


「……そうやってお前ら人間は、お母さんを殺したんだ」


「このガキ!」


「殺してやるーっ!」


 小さな体で大きな男に短刀を向けて飛びかかった。


「だめっ……!」


 緋倉に腰から下の氷を必死に溶かされているマナが、声を張り上げた。

 人間の大男は「ふん」と鼻を鳴らすと、腕を大きく振ってゼネリアを殴りつける。大男の足元に勢いよく氷の上に叩きつけられた。

 足の氷を背負っていた巨大な両刃斧で割り、自由になったその足で彼女を踏みつけ動けなくし、斧を振り下ろした――。


「きゃあああああ!!」


「ゼネリアちゃん!」


 マナは耳と目を塞いで悲鳴を上げた。塞いだ耳に聞こえたのはゼネリアの声――

 ではなく、かまいたちのような風の音と、人間の男達の苦痛の言葉。

 恐る恐る目を開けると、目の前には何かで斬りつけられた男たちが転がっており、幾つもの傷から氷へ血が流れている。その氷も割れていた。


「てめえ、今何しやがった……!」


 唯一立っていたのは大男だけだが、傷だらけである。怒り狂ったような視線がマナに向けられた。


「何の事――」


「お姉ちゃんがやったんだよ!」


 驚いて緋倉の方を向くと、後ろから大男が氷の上をバリバリと音を鳴らせて歩み寄ってくる。

 大男に踏まれていたゼネリアは、起き上がるなり飛び上がって大男の背中を重力に任せて斬りつけた。

 ――が、痛がる様子もない大男は、森の中まで飛んでいくほどの威力で彼女を蹴った。


「ゼネリアちゃあああん!」


「駄目です、緋倉! 危ない……!」


 真っ先にゼネリアへ向かって駆けつける緋倉。大男の横を横切ったのだが、男は気にも止めない。


 この小娘を始末してからガキ共を捕らえればいい――。そう思ったのだから。


 腰が抜けてしまったマナは動けない。先ほどゼネリアに降ろされようとした巨大な両刃斧が再び振り上げられ、今度はマナに向かって降ろされようとしている。


 助けて、どうか命だけは――。


 ナイフで刺された肩が痛む。恐怖で声が出ない。両刃斧が振り下ろされる瞬間、祈るようにぎゅっと目を閉じた。


「ぬぅああああ!!!」


 瞬間、聞こえたのは大男の苦しむ声。遅れて両刃斧が氷に突き刺さる音が聴こえてきた。

 何が起こったのかと目を開けると、鼻を押さえながら肩で息をしている緋媛が大男の前に立っていた。



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