8話 クレージアの歴史
書庫に閉じこもっているマナは、『クレージアの歴史』という題の日本語訳の本を黙々と読んでいた。
クレージアとはこの世界の名だ。現代では誰もその名を口にはしないが、マナは三カ国会合の時に聞いた事を思い出していた。その本によると、クレージアはこのように作られたという。
約四十六億年前に地球が誕生し、様々な生態系を経て約一千万年前に人間らしき生物が現れるようになった。だがこれは表での話。
実際のところ、地球が誕生すると同時に、世界は表、裏、魔の三つに分けられた。この時、各世界へ行き来する術はまだない。表世界は約一千万年前に人間らしき生物が、裏世界では龍が、魔界では混沌とした闇が現れたという。それぞれの世界は時間と空間を僅かにずらして存在するため、互いに干渉することはなかった。――各世界で意思を持つ者が現れるまでは。
約一年万年前、クレージアでは人間や妖精、エリフ、ドワーフが誕生した。
人間は異種族の縄張りさえも侵し、瞬く間に増えていく。その気になれば人間を滅ぼし、異種族が中心となる世界を作り上げる事も出来たが、争いを好まない彼らは人間の生活に干渉しないことを条件に、ある大陸に居住する事を交渉。それが今のミッテ大陸である。
体の大きい龍族は人間やエルフ達と同じ大きさにならなければ、ミッテ大陸で生活するには難しい事に気づき、人間の姿になる『人型』となる術を身に着けた。
異種族を追いやった人間は、地震、雷、津波等の自然災害に襲われ、その数を減らしてゆく。その自然災害は異種族のせいだと疑ったが、ある二人の人間が「それは違う」と過去と未来を話し出した。その二人は金と銀の瞳を持ち、過去と未来が見える者たちであったのだ。金色が過去を、銀色が未来を話す度に人々はそんな事はないと信じなかったが、自然災害の発生を寸刻も違わずに当てることから、人間は二人に従うようになった。
その頃から『時空の扉』と『異界の扉』が開き始めるようになったという。
時空の扉は使われる事はなかったが、異界の扉からは魔界の生物が往来し始める。人々は怯え、異種族達も快く思っていない。話が通じるか分からないが、これ以上の往来は生活に影響するため、一体の龍族が異界の扉の中へと入っていった。
「ようこそ『たぐら』へ」
老婆のようなその言葉を発したのは、目も開けられないほどの眩しい光だった。
「望みは何だ? 表の世界へ行くか、魔の世界へ行くか。本来ならばお前のような生者はここへ来ることは出来なんだが……」
「ならば何故、闇の生き物が現れる」
「扉に干渉した者ならば通れるのだ。お前は何がしたい?」
「交渉だ。安易にクレージアに入られては困るのでな」
この時『たぐら』では、扉を管理する人柱を百年毎に交代して置き、時空と異界へ干渉しない事が決まった。しかし、表と裏の世界の人間はこの交渉に参加していない。得体の知れない生き物の言う事など信じられないからだ。
その後五百年は龍族がそれぞれの扉を管理していたのだが、状況が一変する。
たぐらを訪れた龍族は千年以上経つというのに、一向に衰えず死ねずにいた。それが現在の龍神である。そして金と銀の瞳を持つ人間は、時空の扉を呼び出して開けてしまうという事態が発生。この時から『金と銀の瞳を持つ者は扉の管理者』と呼ばれるようになる。
「――金と銀の瞳は、そんなに古くからあるのね。えっと、その後人間は三つの国家を立ち上げ、それがUS一年となり、人間と異種族は交流を始めるようになった。そして扉の管理者は世界の王と崇められ……。それが流王と破王……」
この時マナは、世界の王という言葉が人間が人柱を嫌がらないようにする為に作ったのだと知った。
国王より上の存在だと知ると、舞い上がらない人間はそうそういない。舞い上がった人間の中には、百年という長い年月に耐えられない人や、百年後の人間の世界に馴染めない人もいたようだ。自分を知る者が誰もない不安から、人柱は千年生きる龍族の里へ引き取られ、その後の人生は己で決めるようになったと記されている。
マナは現代の江月――龍の里へ嫁ぐ事になっていると聞いていたが、これは話が違う。時代の変化で国となってから、そういう事になったのだろうと推測し、この時は特に気にはしていなかった。
「マーナちゃん、お料理するから緋倉の面倒見ててくれる?」
書庫にやってきた緋紙に呼ばれ、慌てて本を閉じて元の場所へ戻したマナ。しょんぼりした緋倉は、緋紙の後ろに背中合わせに隠れている。
「そんな! 緋紙様はお休みになってて下さい。まだ未熟ではありますが、私が作ります」
「……本当にお姫様なのねぇ。その、緋紙様ってやめてくれる? せっかくだから緋紙ちゃんって呼ばれてみたいわ」
「そんな失礼な事できません!」
と言ったが、思えば同じようなことを以前言われた気がする。
「あら、司は呼び捨てにしてるのに?」
「で、では、緋紙さん……」
照れながら言うマナにとって、さんを付けて誰かを呼ぶ事は初めてなのだ。違和感しかない。
緋紙はにーっこりと笑う。
「緋紙でいいわよ。さ、お台所に行きましょ。緋倉も手伝ってね」
「はーい……」
どうやら緋紙はマナをからかっていたようだ。それが何のつもりかは分らないが、随分楽しそうである。
対して緋倉はまだ落ち込んでいた。ゼネリアがいないので、おそらく見つからなかったのだろう。落ち込んでいる、というより心配しているのかもしれない。
すると、ぎゃーぎゃー騒ぐ声が廊下から聞こえてきた。この声はイゼルとゼネリアだ。
この声を聴いた瞬間、緋倉はゼネリアの元へ駆けつけていった。マナと緋紙は目を合わせ、追いかけていく。
「放せ放せー! ゼネ悪くないもん!」
「いいや、お前が悪い。今日は説教だ」
「ゼネリアちゃんっ!」
ゼネリアを左手で持ち上げているイゼルに向かって、嬉しそうにぴょんと飛ぶ緋倉。緋倉が抱きつこうとする所を右手で阻止したイゼルは、駆けつけた緋紙に緋倉を投げつけた。
「暫くの間こいつと話をする。部屋に誰も入れないでくれ。司もだ」
「え、ええ……」
すとんと緋紙の腕から降りた緋倉とマナは、機嫌の悪いイゼルを初めて見たと目を見開いている。心配になったマナ達は、緋紙の提案でこっそりとイゼルの部屋の前で聞き耳を立てる事にした。





