8話 丸薬
片桐兄弟には母親がいない。緋刃を産んでから五年後に持病で病死している。原因は薬となる原材料がその年に取れなかった為だ。片桐一家の雄は皆母親を愛していたが故に、亡くなった時は喪に伏したという。ただし、司を除いて。
(あんなの、父親じゃねえ)
世界中のどこをフラフラしているのか、約百年前から里に帰らなくなった。緋倉と母親は気にしていない様子だったが、緋媛はそうではない。持病を持っている故に、薬が切れればいつ死んでもおかしくない母親を置いて里の外にいる父・司の考えが理解出来ないのだ。それは今もそうである。
(何なんだよこの薬。もし親父が兄貴の毒の事知ってたら、どこでその情報を手に入れたんだ?)
司への疑念は増してゆく。母と緋倉は司が何をしているか知っているようだが、それを口にする事はない。イゼルは決して答えぬだろう。あと知っていそうな者はゼネリアだが、あの冷徹な雌が口を割るはずがない。フォルトアもルティスも知らない以上、分かっている事は司のしている事は相当危険な仕事だという事だ。
(危険つっても、里に帰れるもんなのかよ。だから怪しいんだよな)
あれこれ考えているうちに薬華の診療所に着いた緋媛は、真っ直ぐ緋倉の下に向かった。だが、病室から薬華もコーリも席を外し、他の先客がいる。
(ゼネ!? 何であいつが兄貴のとこにいるんだ?)
緋倉が寝ている所から察するに、自らやってきたのだろう。後姿からは、ただ黙ってベッド横の椅子に座っているように見える。
「緋倉、死んじゃやだ。お前がいなくなったら、私はこの地獄でどうやって生きればいいの」
やはり、緋倉の先は短いらしい。ゼネリアが言うのなら間違いないのだ。薬を握っている緋媛の手に力が入る。
「……そうか。緋倉の代わりに誰かが死ねばいいのか」
その言葉でゼネリアの傍に駆けつけた緋媛は、彼女の肩を掴む。顔を覗くと、彼女の瞳は銀色の輝いていた。それは未来を見る者の証。次の破王である事を示している瞳。
「お前、兄貴の代わりを探したのか……! 世界にも干渉してはいけない、その掟があるだろ! 無論、個とする生物にもお前達王となる存在が手を出すのは――」
「お前には関係ない事だ」
ずばっと言われ、緋媛はゼネリアの肩から手を離す。すっと立ち上がった彼女は、部屋の入口に歩みを進めた。
「誰かを生かすという事は、代わりとなる者が出てくる。どちらか天秤に掛けなくてはならない。例えば、緋倉の代わりにマナが死ねば――」
瞬間、緋媛は腰の刀を抜いてゼネリアに向けて投げつける。あっさり避けた彼女は言葉を続けた。
「何だ、やっぱり発情した相手の雌の事になると激昂する。そういう所は司に良く似ているな。やっぱり親子だよ、お前達は」
「そんなとこ、似てたまるかよ……!」
「何の騒ぎだい!?」
この大きな音にバタバタと駆けつけた薬華とコーリ。コーリは壁の大穴に頭を抱えてしまう。
「あーっ! 壁に穴があああ! また修理頼まなきゃああああ」
「……安心しろ。代わりは龍族じゃない。この里にいる人間でもない。私を動かしたくないなら、その手に持っている薬を緋倉に確実に飲ませるんだな」
薬華とコーリの横を通り過ぎて去るゼネリアは、何かを決意したようだった。コーリは緋媛が何の薬を持っているのか気になり問おうとするが、先に薬華が歩を進める。彼女が聞くなら問題ない、そう思ったのだが――
「あの壁の穴、あんたの仕業だね?」
「いや、つい……」
怒り心頭の薬華は緋媛を威嚇している。そしてその矛先は、呑気に寝ている緋倉にも及ぶ。
「起きろ屑兄貴! てめぇいつまで寝てんだ!」
彼の胸倉を掴んだ薬華は、頬を何往復も叩いて無理矢理起こす。目を覚ました緋倉は状況を把握できないが、何か壁に穴が開いている事は察した。薬華が起こっているのはその事だという事も。
「さー、あの壁治しな! 弟の責任は兄の責任! お前もやるんだよ、緋倉」
「は、はい」
これは逆らってはいけない。緋媛と緋倉はこれまでの経験から察していた。薬華はこの診療所の事、病人が大人しくしていない事には煩いのだ。だというのに病人に仕事をさせるというこの矛盾。雌は面倒臭いと思う緋媛である。
「ねえ、緋媛くん。その薬見せてくんない? どこから手に入れたの?」
「親父が兄貴に渡せって。渡せば分かるってさ」
「親父が? 戻ってきてんのか」
コーリは見た事のない丸薬の一欠けらを採取し、緋倉に渡した。司に会ったのは一度きりだが、薬華が彼は無駄な事はしないと言っていた事を思いだす。おそらくこの丸薬も意味のあるものなのだろう。
壁の修理の前に、薬を飲もうと診療所内の台所へ行く兄弟。緋倉の近くに寄ると分かる。額に薄く汗が浮き出ていると。
「兄貴、まだ毒抜けてなかったのかよ」
マナを連れて江月に戻る際、ダリス六華天のレーラに毒を仕込まれて以来ずっと体調が万全ではない緋倉。だが、彼としては弟達には迷惑はかけたくたくないのだ。
「……俺は平気なんだけど、ヤッカとコーリがまだだってんだ。お陰でゼネもこっそり見舞いに来てくれっから、俺としては病人も悪くねーけど」
この兄は寝たふりをしてその様子を伺っていたのだ。何と趣味の悪い雄だろう。しかしゼネリアも気づいていないはずないのだが、彼らの関係性がよく分からない。
「……もうひと月経ってんだぞ。とっくに毒抜けきってもおかしくねえだろ」
「そうなんだけどよ、どうも俺の受けた毒が厄介な奴らしくてな。もうすぐ死ぬかもなー」
さらっと緊迫感のない事を話す緋倉はコップに水を注ぐ。
「やめろよそんな冗談。本当に死んだらどうすんだ。ふざけんなよ。俺にあのクソ親父と緋刃押し付けんのかよ」
「おいおい、兄ちゃん悲しいぜ。俺の心配しねー弟と彼女持って」
「ゼネは彼女じゃねえだろ。嫌われてるくせに」
「そう思ってんのはあいつとお前と里の龍族だけ――」
薬を口に持ってこようとした時、緋倉の口から真っ赤な血が噴き出る。咳き込みながら吐き出す血と共に、丸薬は配管へと流れてしまった。
「おい、兄貴! 兄貴!」
「……この程度で騒ぐなよ。俺の弟だろ」
コップに注いだ水で口の中の血を濯ぎ、口周りと手に付いた血を洗い流す。汗を拭い、その場に座り込む。母の死を間近で見て以来の、他人の死に恐怖した顔の緋媛を見る。
「いいか、緋媛。お前は親父の事を恨み過ぎている。母さんの事は仕方ねーんだ。親父だって本当は傍にいてやりたいって、ずっと言ってたよ。でも親父は里の事、いやこの世界の事を一番に考えてる。だからずっと里にいねえし、いつかきっと俺達の敵になろうとするだろう」
「何言って――」
「緋倉! あんた血ぃ吐いたね!」
緋媛の声と血の匂いでかけつけた薬華は、すぐに別の試薬を飲ませた。解毒出来るものが分からない以上、試すしかない。病室へ連れて行かれる兄の背中を見送る緋媛は、彼が何を言おうとしていたか、
今は理解できなかった。
「緋媛、壁の修理はあんただけでやんなさいよ」
が、薬華に逆らうなという事だけは理解できた。
そしてその頃、ゼネリアは美しい草木に寝転びながら、緋倉のほんの少し先の未来を見続けていたのだった。
「だから確実に飲ませろって言ったのに」
やはり、自分が動くしかないらしい。





