17話 異父兄妹
雨は止まる事無く、むしろ酷くなり嵐となっていた。
ミッテ大陸の天候は、一体の龍族の精神状態により左右されている。彼が喜んだり快い気分である時は天候に影響はないが、怒ると雷を落とし、哀しむと雨が降るという。
そしてこの嵐は、その龍族の心が荒んでいる時に起きるのだった。
その彼は、緋媛と緋倉と共に龍の里の南西にある平屋の前で、唖然とした表情で立っていた。斧で破壊されたような入口の扉、壁に穴が開き、部屋の中は水浸しとなって、雷が落ちて黒焦げになった平屋の前で――。
時は数時間前に遡る。
――イゼルの屋敷に行った緋媛、フォルトア、緋紙、緋倉は、イゼルの元に向かおうと廊下を歩いていた。
緋紙が先導して、歩きながら事の顛末を話していたのだ。西側の森で人間を傷つけて氷漬けにし、その後も人間を傷つけたゼネリアがイゼルに怒られ、マナが追いかけて行った事を――。
これを聞いた緋媛は、「斬ったのはゼネじゃねえ」と呟いた。
「西側は緋媛が番をしていたね。まさか、お前が人間を始末しようとしたのかい?」
フォルトアが冷静に緋媛に問う。額から冷や汗が流れる緋媛は、若干の焦りを浮かべながら答えた。
「いや、流石に命までは……。異種族を運ぶ手段を探すのに邪魔だったんで、足止めを――」
「だったら早く言って! イゼルったら、ゼネリアがまた人間を傷つけたって怒ったのよ! ああ、でも氷はあの子って事? 分かんないけどとにかく、イゼルに話して誤解を解いて! このままじゃあの子が不憫で……」
涙ぐみながら懇願する緋紙が、緋媛の襟元を締め上げるように掴む。
今すぐマナを探しに行きたい緋媛。だが、自分の母親となる同族に言われては、マナよりそちらを優先せざるを得ない。理由などない。強いて理由を付けるとすれば、母親だから。
――と、考えていただろう、発情前までは。今は違う。常に頭に浮かぶ程一番大切なモノが、マナになっていたのだ。
「……どうせ姫と一緒にいんだろ、ゼネは。姫を見つけねえと話にならねえ」
玄関へ向かおうと踵を返した緋媛の足を、緋倉がぐっと掴む。
「そんな事言って、ゼネリアちゃんの事探さないんでしょ! お兄ちゃんも里の奴らと同じ事思ってんだ、不気味な子だって!」
緋媛は「思ってねえよ、そんな事」と足元の緋倉を持ち上げながら言葉を続ける。
「俺もフォルトアさんも、あんたに散々聞かされてんだ、ゼネが繊細で傷つきやすいってよ。レイトーマ行ってる間、あんたに会う度に惚気話聞かされてた俺の身にもなってみやがれクソ兄貴」
ゼネリアも探してやるから、と言いかけた時、数ある部屋の一室から二体の龍が飛び出した。そのまま空高く昇っていく真紅の龍と薄紫色の龍。それはイゼルと司であった。
屋敷の上空で互いの咆哮が天地を揺るがす。特にイゼルがもう一度咆哮をすると、雷雲がやってくると共に雷鳴が鳴り響いた。「何やってんのあのバカ達は!」と苛立つ緋紙に角が生え出し、実はずっと屋敷にいた緋刃は呑気に茶碗と端を持って顔を出した。
「ねー、フォルトア兄さん、あれ止められる? 俺無理。あんなに起こったイゼル様、初めて見たもん」
空になっている茶碗を箸でチンチンと鳴らし、怯えるように体をぶるっと震わせる緋刃。普段の緋媛ならば気が抜けていると怒るのだが、彼もイゼルの怒りを目の当たりにしたのはこれが初めてであり、対処方法に検討がつかない。止めようとして無暗に割り込もうとすると、とばっちりを受けそうだ。
どうすればいいか頭を回転させていると、フォルトアがすっと前に出て上空の二体に向かって叫んだ。
「イゼル様ー! 司様ー! これ以上は里に被害が出ますー! 喧嘩は人型でやってくださーい! でないとそろそろ緋紙様の鉄槌が下されますよー!」
緋紙の名前に反応した二体は、揃ってしたにいる緋紙の表情をチラリと視界に入れ、大人しく人型に戻って中庭に降りた。
彼らが大人しくなった理由の八割は、緋紙の逆鱗に触れたくないというもの。もちろん、フォルトアの言う事も耳に入っているが、怒ると里の長だろうと土に埋めてしまう緋紙を、本能で恐れていたのだ。
人型になったとはいえ、イゼルと司の喧嘩は止まらない。着物の襟を掴みに掛かる司の腕を払ったイゼルは司の鳩尾を目掛けて掌底をしようとした。
が、その腕を掴まれて地面にひっくり返されてしまう。
「流石は司様。緋倉様のお父上だけあってお強い」
冷静に納得するフォルトアに対し、イゼルが倒される瞬間を初めて目にした緋媛と緋倉は驚きが隠せない。これまでずっと倒されてきた為、最も強い龍族はイゼルだと信じていたからだ。
司はイゼルが動けぬよう両腕を交差させて襟を締め上げた。
「何度も言ってんだろ! 一族の長が! たった一体の同族に肩入れするなと! お前は命令して俺を動かして、里で構えてりゃいいんだ!」
「くっ……! あの時も同じ事言ったな……! 紙音とゼンが消えた時も!」
イゼルが司の腹を蹴り上げ、司の背中が泥で汚れた。
息を切らしながら立ち上がったイゼルは立ち上がり、襟を正す。少しだけ落ち着いたらしく、嵐が弱くなった。
「紙音とゼンをお前に任せた事、俺は後悔している。やはり大切な物はこの手で探さねば……。それにあの子は……、あの子だから俺が行かなくてはならないんだ」
「あいつが里でどう言われてるか知ってんだろ」と司も起き上がり、言葉を続ける。
「得体の知れない化け物、不気味な存在だと……! お前が関わっていると知っている奴もいる。個としての介入はないとフォローする俺の苦労も知れ!」
「……それは、悪いと思っている。だがあの子にはもう俺しかいないんだ。例えあの子が、俺を血の繋がった兄だと知らなくても」
立場上打ち明けられないが、目を離せない、離してはいけないと苦しそうに辛そうな表情をするイゼル。妹がまだ息子と同じぐらいの歳である子供故に、兄というより親に近い感情があるようだ。
この事を全く知らない緋刃は、ガジガジを箸を噛みながらただただ驚いていた。緋媛とフォルトアにこっそり尋ねると「俺らは知ってるぞ」と当然のように答える。
約五十年前、薬華の企みで酔い潰れるまでイゼルに酒を飲ませた時に、異父兄弟であるその苦悩を吐き出したという。その時緋刃も飲んでいたが、一口だけで朝までぐっすり眠っていた為に知らない。
イゼルが「頼む」と探しに行くことを司に懇願する。
「……なら、この嵐を止めていけ。お前の心が荒んでいる証拠だ。そんな状態で探しに行くんじゃねえよ」
「俺の心を落ち着かせる為に行く。……朝までには戻る。それまで留守を頼む。命令だ」
作ったようなイゼルの微笑みに加え、命令と言われればぐうの音も出ない司は唇を噛み締め、「馬鹿野郎!」と叫んだ。
瞬く間に屋根を飛び越えて屋敷を飛び出したイゼル。素早さに一瞬硬直した緋媛は我に返り、すぐにイゼルを追いかけた。緋倉はその緋媛の背中にぴったりとくっつき、共に外へ出てしまった。
緋紙も追いかけようとすると、司が「お前は行くな!」と厳しく言う。
「緋倉も一緒に行ってしまうなんて、あの子にまで何かあったら……」
「緋倉は心配しなくてもいいだろ。何かあんのは人間の方だろうよ」
「どういうことです?」とフォルトアが尋ねる。
司ははっきりと言わないが「人間共がこれ以上あいつを怒らせるような事しなけりゃいいんだけどな……」と空を見上げて呟いた。
――そして里の南西の外れにある平屋に着いた緋媛達は、荒らされたその家の中にマナもゼネリアもいない事に気付くのだった。





