二度目の告白
練習が終わって帰寮後、幅木さんに電話をかけたところすぐに出てくれた。
『もしもし……?』
「あ、幅木さん、ごめんね急に電話して。もしかして寝てた? 声がしんどそうだけど」
『いえ、さっきまで本を読んでいました。一気読みしたから少し疲れただけです』
「はは、幅木さんらしいや」
一呼吸置いて告げる。
「今から一緒に裏の公園まで来れるかな。この前の返事がしたいんだ」
寮に近い裏門の真向かいに小さな公園がある。住宅街の中とはいえ利用者は少ないから、落ち着いて話すにはもってこいの場所だった。
『わかりました。伺います』
幅木さんは淡々とした口調で了承した。
「じゃ、桜花寮の前で待ってるから」
通話を切った途端に心拍数が上がりだした。もう後戻りはできない。
机にしまってあった赤いハチマキを取り出して、再び菊花寮を出た。
中等部桜花寮までそこまで距離は無いのに、いつもより長い道のりに感じた。玄関にいる幅木さんの姿を見かけ、大きく深呼吸してから早足で向かう。
「幅木さん」
声をかけると、軽い会釈を返してくれた。
「今日は練習だったんですか?」
「うん、コンクールまですぐだからね」
「もうそんな季節なんですね。先輩の演奏を聴いてから一年か……」
「早いよねえ」
そこで会話が途切れてしまったが、私たちの足はおのずと公園の方へと向いた。
まだ日の入りまで時間があるが空の色はすでに相当赤みがさしていて、公園では親子連れ一組だけが砂場で遊んでいた。私たちは敷地の隅っこ、照明がある場所まで歩き、そこで足を止めた。
大きく息を吸って、吐いて。
古屋さんお祈り頼みますと心の中で合掌して、幅木さんの方に向いた。
「……それじゃ、これが私の返事だよ」
ハチマキを両手で恭しく差し出して、頭を深く下げた。
「幅木さんっ、私の気持ちを受け取ってください!」
近くにカラスが数匹いたらしく、私の声に驚いてかバサバサバサッ、と羽音を立てて飛んでいった。カアーッカアーッとけたたましい鳴き声を残して。うわーびっくりしたーと、子どもの叫び声も聞こえる。
初めての告白は、全くしまらないものになってしまった。
「せ、先輩……」
頭を上げたら、幅木さんが含み笑いをしていた。顔面が熱くてたまらない。顔から火が出そうになるというのはこのことだろう。
幅木さんは唐突に顔を引き締めた。
「す、すみません……茶化すつもりはなかったんです……」
さらに引き締まった顔つきになり、彼女もまた息を大きく吸い込んで吐くと……私の手ごとハチマキを握りしめてきた。
「頂いても……よろしいでしょうか?」
「幅木さん……」
今度は幅木さんがスカートのポケットから、同じ赤いハチマキを取り出した。
「わ、私からも気持ちを受け取ってください!」
声を震わせながら差し出してくる。それでも眼鏡越しの瞳は力強く輝いていた。
「風原先輩、好きです!」
その一言が心臓に突き刺さった。
「わっ、私も……幅木さんのことが好き!」
自分の声は幅木さん以上に震えて上ずっていた。ベタなやり取りではあったけど、気持ちが繋がった瞬間だった。そしてどちらからということもなく体を抱きしめ合っていた。そのときちょうど、私たちを祝福するかのようにパッと照明に光が灯った。
プレッシャーから開放されたからか、ギャラリーがいたら拍手してくれたかもなあなんて呑気なことが頭に浮かんできたが、チラと横目で砂場を見るともう親子連れはいなくなっていた。恋の成就を知るのは私たち以外誰もいない。
「これからもよろしくね、幅木さん」
「綴理って呼んでください。せっかく恋人どうしになったのに名前で呼んでほしいです」
「ごめんごめん。じゃ、私も美音って呼んでよ。何なら呼び捨てにしてくれてもいいから」
「呼び捨てはちょっと……でも、美音先輩って呼ばせて頂きますね」
「わかった、綴理」
綴理のはにかむ姿がとても可愛らしい。
お互いに貰ったハチマキをしまうと、すぐに寮には戻らずベンチに腰掛けた。
「あの、かざ……じゃなかった、美音先輩。恋人どうしになった証として、お互いの秘密を一つお話しませんか?」
「秘密?」
「そう、人に言えないような秘密をです」
私と綴理との間に隙間は無かったが、綴理はさらに体を寄せてきた。
秘密はある。正しくは振り返りたくないし、口にしたくない自分の過去だけれど。
「私から話しますよ」
まだ私が同意していないのに、綴理は少し興奮気味に語りだした。
「私、小説を書いてるんです」
「小説を……?」
「はい。実は、こっそりと文芸部に持ち込みもしてまして」
そう言われても特に驚きはしなかったのは、綴理が本を愛しているからだ。私より多く本を読んでいるし、小説の一本や二本ぐらい書いてもおかしくはないだろう。
「私、一冊だけ文芸部の冊子持ってるけど」
「えっ、じゃあもしかして美音先輩に読まれていたかもしれないってこと……?」
「ペンネームは何なの?」
「『プリンス』です」
ああーっ、と自分でもびっくりする程大きな声が出てしまった。
「『小説 日本昔ばなし』を書いてたの、君だったんだ!」
「よ、読んでくださったんですね! ありがとうございます……!」
「あの中では異色の社会派小説だったから強く印象に残ってたんだ。だけどプリンスかあ。こう言っちゃなんだけど、王子様って感じかなと思ってた」
「プリンスはプリンスでも、こっちなんです」
綴理は地面に指で英単語を書き出した。"Plinth"という文字が照明に照らされる。
「"Prince"じゃないの?」
「これで『幅木』という意味なんです」
「幅木……って何?」
前から変わった名字だなあと思っていたけど、何なんだろう。
「壁と床の境目に取り付ける木材のことなんです。それが苗字になった理由まではよくわかりません。昔、学校の宿題で調べたことがあったんですが」
「へー、知らなかった」
ご先祖様は大工さんだったのかな?
「さて、今度は先輩の秘密をお聞かせください」
綴理が目を輝かせながら迫る。綴理の秘密は私を喜ばせてたが、そのお返しに自分の暗い過去を教えるのはどうかとも一瞬考えた。
だけど私たちは恋人どうしなのだ。特別な関係になったのだ。だからこそ逃げちゃいけない。嫌われるのを恐れちゃいけない。自分を奮い立たせて、心の中で古屋さんにもう一度勇気をください、と懇願してから告げた。
「私、実は中等部一年の二学期に転校する形で星花に入学したんだ」
「え? 一学期だけ別の中学校にいたんですか?」
「中学校というか、特殊な学校だったんだけどね」
関東にある、音楽大学の付属中学校。小学校時代にコンクールで何度か賞を取った実績のおかげで入学を許されたけれど、指導の厳しさについては前もって聞かされていたし、覚悟はしていた。
だけどそこでの生活は悪い意味で私の想像を超えていた。全員をいったん谷底に突き落として這い上がってきた者だけを育てる。それが学校の方針だったのだ。
一年生の間はどんなに上手に演奏しても教師から罵倒され、精神的苦痛に一年耐えて進級が許されるまではウジ虫のような扱いを受けた。それでも同級生と励ましあって耐えてはいた。自分の音が少しずつ狂っていくのは自覚できていなかったが。
同級生に降り掛かった災難が私の退学のきっかけとなった。私と同じトランペットを専攻していた子で、海外で演奏経験もあるエリートで、教師からの扱いも比較的マシだった。
しかしある日、トランペットの手入れが行き届いているか抜き打ちで検査があった。同級生はその辺もしっかりしていて抜かりは無いはずだった。しかし教師は手入れが全くなっていないと激昂し、あろうことかバラした抜差管を同級生の顔に投げつけたのだ。
同級生は顔を抑えてうずくまり、床に滴り落ちる血が異常事態を告げた。その光景は今でも脳裏に焼き付いている。
音楽家が楽器をないがしろにし、あまつさえ人を傷つけた。それがとてもショックで、トランペットを持つこともままならなくなってしまった。この事件にはさすがに学校側も問題と捉えたようで、教師は担当から外されることになったが、同級生がどうなったのか、教師はどうなったのか。事の顛末はわからない。夏休み前に学校を去ることになったから。
「ごめんね、こんな暗い話して。綴理が思っていたのと違ってたかもしれない……」
先ほどの告白と同じか、それ以上の勇気をもって洗いざらい話をしたが、綴理は黙ったままだ。いったい、どういう感情を抱いているのか考えると少し怖くなってくる。
綴理が目を閉じた。すると急に倒れ込むようにして、私に抱きついてきた。
「こちらこそごめんなさい、辛いことを思い出させてしまいました」
頭の上に優しい感触が走る。撫でられているのだ。
「つ、綴理?」
「でも、私が聞いた美音先輩の音は本当に素敵でした。自分の音を取り戻すまで相当努力されたんでしょうね」
「……星花の人たちに支えられてきたおかげだよ」
私も綴理を抱き返した。
「これからは綴理も支えになってくれる?」
「はい……!」
私たちはしばらく抱き合っていた。
父さんはよく言っていた。音楽には人の感情を揺さぶる力があり、その逆も同じだと。綴理と出会ったことで私の音はどう変わっていくのだろうか。
*
夏真っ盛りの8月。チューニング室内は冷房が効いていても部員たちの熱気が凄まじい。それなのに不快さはまったく無かった。
「さあ、いよいよ本番よ。いつも言ってるけど本番は練習のように、だからね。練習通りにやれば絶対に良い結果が出るからね!」
マリリン先生の激が飛ぶと、私もみんなも気合を顔に出した。今年の県大会会場は空の宮市民会館、星花の生徒たちが大勢応援に来るだろうからなおさらだ。
吹奏楽コンクールS県大会。昨年はダメ金で悔しい思いをしたが、みんな今年こそはという思いで猛練習に励んできた。
綴理とあまりデートできなかったのは残念だったけど……。
「カロカロせんぱーい、がんばってねー」
「こらっ、離れなさい!」
京橋さんと古屋さんのにぎやかなやり取りで一時思考が中断した。京橋さんはメンバーに選ばれなかったものの、まだ足のギブスが取れてないのにもかかわらず献身的にサポートしてくれて本当に助かっている。所構わず古屋さんにベッタリするのはやめてほしいが……
「まさか、あの二人があんなに仲良しになるなんて思わなかったわ」
竹田さんも微笑ましいやり取りを見てため息を漏らす。京橋さんは手術で一週間ほど入院していたけど、退院した後から急に仲良くなっていちゃつくほどにまでになっている。部を代表して、お詫びも兼ねて古屋さんがお見舞いに行ったのだけれど、その際に何か決定的な出来事が起きていたのは明白だ。
「まっ、風原さんがくっつけたようなもんだけどね」
「いやいや……でも丸く収まって良かった」
あの事件から、古屋さんの音はますます良くなっていって、京橋さんも今回はメンバーに入れなかったとはいえ、まともな音を出せるようになった。やはり、感情と音は密接な関係にあるものだ。
自分で言うのも何だけど、私の音もかなり良くなったと感じている。マリリン先生にも言われたから思い過ごしではない。その元になった彼女が今日は……。
係の人に呼ばれて、ついに舞台に上がるときが来た。
各々は自分のパートの位置に着く。暗転が解けて観客の姿が見える。
地元なので、やはり星花の見知った顔が多くいる。その中で彼女の顔を探したが、いつもの通り真正面中段、いつもの場所に彼女の姿があった。昨年のブロック大会、今年の地区大会のときと全く同じ場所。
「綴理と出会えて、本当に良かった」
独り言のつもりだったのに、想いが強すぎたのだろう。隣の古屋さんが「聞こえてますよ」とニヤリ。たちまち羞恥心で緊張感がかき消えた。
それが功を奏したのだろう。いざ演奏が始まると、息遣いから指遣い、何もかもが練習よりも上手くいった。暗い過去はもう頭の中にない。今ここにいる仲間たちとの絆、そして綴理と描く未来の想い。すべてが私の音となり響き渡っていた。
完




