特訓プラン
『わーい! お風呂だー!』
食事を終えて、洗い物を済ませると、次にアサは入浴を要求してきた。当然別々に入ろうとしたのだが、繋がっている以上、それは不可能だと言われ、仕方なく狭い浴室に八夜とアサは一緒に入ることにした。
「怪異って、お風呂とか入るんだ」
『ちゃんと入るよ! 正確には、入れるなら入るよ! 生きてようと死んでようと清潔でいたい気持ちは変わらないからね!』
「そうなんだ、変なこと聞いてごめんね」
そう言うと、アサはにんまりと笑いながらこちらの顔を覗き込んでくる。何か思いついたようで、八夜は嫌な予感がした。
『まー、ヨルはまだ生きてる人間だからね、仕方ないね、でもー、悪いと思ってるならさー、おわびにー、色々して欲しいなー、折角お互い裸なんだしっ!』
「え、やだ、怖い」
素直な感想をぶつけた。異性なら何となく分かるが、同性同士で何をさせるつもりなのだろう。というか、アサの見た目は十年前から変わっていない、八歳前後の少女だ。どっちにしたって犯罪の匂いが取れない。
『怖くないよー、親睦を深めるための、いわばスキンシップみたいなものだからさー』
「えー、やだぁ……というか、本当はこんな貧相な体を晒すのだって嫌なのに」
精神的に不安定だったせいで、今日までかなり偏った食生活を送っていた。そのせいで、八夜の体は、その歳にしては、かなり痩せ形である。見るからに貧弱そうというか、八夜が自分で言ったように、貧相という言葉が一番しっくりくるかもしれない。
そして、それは意外にも、八夜にとってコンプレックスだった。アサが目の前に現れて、状況的にも精神的にも大きな変化があった今なら尚更その意識が強くなる。
『んー、まぁ確かに健康的とは言えないけど、それはこれからちゃんとご飯食べて、生活リズムを整えれば治せるし問題ないでしょ』
「だといいけど」
『大丈夫だよ! そうだ! 背中流したげる!』
そう言って、アサは八夜を座らせ、その背中をタオルで擦る。子供のようにはしゃぐアサは、とても死んでいるとは思えないぐらい生き生きとしていた。
『懐かしいね、昔は二人でお風呂とか入ってたよね』
「そう、だったね……よくお泊りしてたっけ」
あの頃と、何も変わらない。子供の頃から、アサは強くて、八夜はその背後に隠れているだけだった。いつの間にか、八夜はヨルと呼ばれるようになった。朝に隠れる夜、誰が付けたか、なかなか的を得ている。
『あの頃は楽しかったなぁ……』
「そう、だね」
『でも、十年も、私はいなかった。ああ、もったいない! ヨルに近付く邪魔な奴全部追っ払って、絶対その十年分を取り戻す! その為にも……私達は戦えるようにならなきゃ』
「その為に、特訓……だよね」
『いえーす、それが本題』
目立たないように特訓、とは言ったものの、その内容は拍子抜けするほど簡単なものだった。アサ曰く、とにかく変身しまくれば良い、その状態で動き回れれば良い、という、言葉通りの意味だったのだ。
「えっと……本当にそれだけ? てっきり腕立てとか……上体起こしとか、筋トレするんだと思ってた」
『もちろん基礎体力作りも大事だよ。まぁでも、それは後々やってもらうとして……まず最初に確かめたい事があるんだよね』
「確かめたい…?」
『うん、私達が自由自在に変身できるのか』
アサの言葉に、八夜は不思議そうに首を傾げる。
「それは……大丈夫じゃない? さっきだって、初めてでもちゃんと出来たし」
『うーん……じゃあ、もう一回やってみる?』
そう言って、アサは八夜の中へと潜っていく。
「じゃあ……いくよ? 確か、合図が必要なんだよね……た、『黄昏』っ!」
その掛け声に反応して、八夜の内側から奇怪な力が溢れ出す。あの時と同じ、八夜の体と意識はその力の内側へと引き摺り込まれていくような感覚に襲われ、直後、その体がまたウサギの化け物へと変身した。
問題なく、変身は成功した、と思う。八夜は残った意識で辺りを見回す。しかし、その視界が徐々に変化していく事に気付いた。
「……あれ? なんか、ボヤける」
『あー……やっぱダメだ』
そんなアサの声がしたかと思った瞬間、勢いよく何かが弾けたのを感じた。そして、気付くと、アサと八夜は分離して、浴室の真ん中に突っ立っていた。
「あれ?」
『一日一回』
アサが両手をプラプラさせながら言う。
『私達が変身できる回数、どうやら……一日一回だけみたいだね。それ以上は変身時間が極端に短くなって、強制的に解除されるみたい』
「え、ええ!? そ、それじゃ……変身して特訓なんて無理じゃない!」
『可能性は考えてたけど……困ったなぁ、完全適合者だしワンチャンあるかと思ったけど……やっぱりダメか』
アサが八夜の体をペタペタと触りながら言う。
『はっきり言うね?』
「……う、うん」
『ヨルの体が……その、思ったより弱くて、怪異との融合について来れてないんだ。だから、変身した状態を一回しか維持出来ない、しかもそれだって、ヨルを骨組みにして私を肉付けしてるだけ、みたいな状態だからね』
「も、もしかして……まだ、本当は……変身すらまともに出来てないの… ?」
アサが気まずそうに頷いた。
「そんな……私」
本格的に役立たずになってきた。体が弱過ぎるせいでアサについて行けてない。アサは生命活動を維持させてくれている上に、戦闘までしてくれているのに。
自分は何も出来てない、またアサに頼りっぱなしだ。
これじゃあ、十年前と何も変わっていない。メソメソして、アサの背後に隠れて、守ってもらうだけの卑怯者。ああ、まさに『夜』、自分にぴったりの名前だ。
そうやって、アサを身代わりにして、ここまで生きてきた。
『ヨル』
「アサ……ごめんね……私」
『ダイレクトに感情が私にも伝わってるから、何言いたいかは分かってる、それに対して私は、ほんの少し怒ってる』
アサを見ると、確かに少しムッとしたように頬を膨らませていた。その怒り方は、昔から変わっていない。生きていた頃から、アサは怒ると頬を膨らませて俯く。でも、その怒り方をする時は、決して相手を責めたりする時じゃない。どちらかと言うと、思いが伝わらなくて、拗ねているような状態の時だ。
「ご、ごめんね……嫌だったよね?」
『ちーがーう! そこじゃない! ヨルさぁ……昔から引っ込み思案なところはあったけど、そこまで自分を否定する子じゃ無かったよね?』
「そ、それは……その」
『私が死んだ事、自分のせいだって思ってるんでしょ? まぁ、そういう意味で言えば、ヨルがそうなっちゃったのは、私のせいなんだけど』
「ち、違うよ!?」
違う、そうじゃない。私の弱さがアサのせいなわけが無い。それはちゃんと否定できる。
否定出来るのに、それを言葉にする事が出来ない。
「あ、アサは……私を」
言葉が出ない。
最低だ、多分自分は、そういう事にしたいって、心のどこかで甘えているんだろう。いつだってそうだ、誰かの優しさにつけこんで、甘えて、自分は何もしない、そんな事ばかりしているから、こういう肝心な時に役に立たない。
病院で先生に、自分は必要のない人間だ、と言った、アレだけが、八夜に言えた唯一の本当だったかもしれない。
『もー……ヨルは仕方ない子だなぁ』
表情の曇る八夜を見兼ねて、アサは彼女のその顔にそっと手を置いた。ビクリと震える八夜に構わず、アサは優しく頬を撫でた。
体温を感じない、死人の手、それなのに、すごく温かい。
『分かった、ヨルにとって、今はそう思う事が楽だって言うなら……それで良いよ。ただ一つ、私はヨルの味方だって理解してくれていれば、それで良い』
苦しめるつもりはないから、と、アサは笑顔で言った。
「アサ……」
『それよりも、今は目の前の問題を解決する方が先だよね』
「それは、そうだけど……私、どうすれば」
『だーいじょーぶ! 言ったでしょ? やっぱりダメだって、つまり、この事態は私にとって想定済み、それに対しての解決策だってちゃーんと考えてるんだから』
「そ、そうなんだ」
アサは自慢げに言う。
『一つのプランだけで上手くいくと思うほど、私はお気楽ちゃんじゃないからねー! さーて、ここからはプランBと行こうか』
「ど、どうするの……?」
『ヨルにはとにかく、強い体を持って欲しいんだよね。だから、それこそさっきヨルが自分で言ってたみたいに、筋トレは毎日しよっか、基礎体力作りは大事』
「分かった、毎日筋トレだね」
八夜は強く頷く。アサばかりに負担をかけていられない、自分がやれることは精一杯やるつもりだ。そもそも、生き残る為に鍛えるのだから。
『でも、それとは別に、ヨルには頑張ってもらいたい事があるんだ、ってか、私的にはこっちの方が重要かな』
「重要……分かった、何をすればいいのかな」
『体を作る為に鍛えるなら、筋トレで良いんだけど…戦う為なら、それ用に鍛えなきゃいけない。怪異に生身の人間がぶつかっても勝てるわけ無いからね、怪異宿しとして、私という怪異を武器として上手く使いこなせる……いわば、怪異宿し専用の特訓が必要なわけ』
「戦う為の……怪異宿し専用の特訓」
出来る限りの事はするつもりだが、戦う事を前提とされると、少々覚悟がいる。というか、日常生活において、何かと命懸けで戦う場面なんて普通こないのだから、不安になるのが当たり前なのだろうが、しかし、そんな事ばかり言ってられない。
怪ネズミを含め、怪異は容赦などしてくれないだろう。敗北は、イコールで死。直接死ななくても、生き餌にされるなんて、生きたまま死んでるのと変わらない。
(まぁ、生きたまま死んでるなんていうのは、今とそう変わらないけど)
『これも言ったけど、怪異宿しになった事で、ヨルは今、超人的なパワーを身につけてる』
それは既に証明済みだ。まるで漫画のような出来事だが、全て自分の身に起こった事なので、ヨルは信じるしかないし、受け入れるしかない。
『このパワーを、ちゃんとコントロール出来る様になって欲しい。完全に自分のものに出来ないと、強すぎる力は必ず身を滅ぼすから』
「つまり、どうすれば良いの?」
『難しい事じゃないよ、ただ普通に生活してくれれば良いの』
「え? 普通にって」
『言葉通りの意味、朝起きて、歯を磨いて、ご飯食べて、学校行って、勉強して……そんな普通の生活をしてくれればいい』
「それが……特訓? 怪異宿し専用の?」
あまりにも拍子抜けというか、最早アサがふざけているのではないかと疑いたくなるような内容だった。
『そう、特訓、しかも私にとってはこれが一番重要』
しかし、アサは至って真面目そうだった。確実に、生き残るための最善を尽くそうとしてくれている。だから、きっと何か意味があるんだろうけど、今の八夜にその真意は掴めなかった。
「わ、分かった、とにかく普通にしてればいいんだね?」
『うん、大変だろうけど、頑張ってね! 生き残る為だから、あんなネズミに負けちゃダメだよ』
大変だろうけど、という部分に少し引っ掛かったが、特に気にはしなかった。
そして、その日は動画サイトで簡単なトレーニング動画を見て、それを真似してから、十二時頃には就寝した。
翌日、八夜はその事を強く後悔する事になる。
もっとちゃんとアサに話を聞いておけば良かったと。
目覚ましが鳴って、止めようと手を伸ばした時だった。八夜本人は普通にボタンを押してアラームを止めたつもりだったのに。
破壊音と、ぐしゃりという嫌な感触で完全に目が覚めた八夜が手元を見ると、そこには、粉々に砕け散った目覚まし時計だったものが散らばっていた。




