湧き上がる不安
家に到着した瞬間に変身を解き、八夜の体から飛び出たアサは、バタバタと家の中を走り回って、鍵を全てかけた。こんなにも余裕の無い彼女を見るのは初めてだった。
「あ、アサ、あの」
『あの女ヤバいよ! 今まで見てきた対策局の奴等とは違う! あんな、あんなのがいるなんて……』
親指の爪を齧りながら、アサが声を荒げる。
無理もない、攻撃の初動すら見えるかどうかだったのだ。たった二撃だけだったが、何もかも無駄がなく素早かった。避けられたのは運が良かったのだろうと本気で思う。
「アサ……ごめんね」
指の爪を齧りながら頭を掻きむしるアサに、八夜は小さく呟いた。
『ん? ええ? 違うよ、ヨルが謝る事なんて何もないよ。ただ予想外過ぎただけ、事故みたいなものだもん……怪異なら、誰だってアイツと遭遇する可能性があるってだけ……怖いなぁ』
八夜には笑って接するが、明らかにいつもと違って動揺している。目が泳ぎまくって、落ち着きが無い。
「ぼんやりとしか見えてなかったんだけど……まだ私と同じくらいの女の子……だったよね?」
『どうだったかな……気にしてる余裕無かったからあんまり記憶に無いけど……すっごい童顔ってだけなんじゃないの? 女子高生の動きじゃ絶対無かったんだけど』
怪異宿しが遅れをとる動きをする人間、髪が伸びる人形レベルの本来あり得ないものに遭遇した時の恐怖がアサから拭えない。あの強さ、呉や末広は怪異に対抗する為に鍛えたという印象だが、あの少女だけは怪異を殺す為に作られたという感じがした。
怪異対策局、存外油断ならない組織だと、アサは思い直す。
「アサ」
『ごめんね、ちょっと疲れちゃった……今日は……休む』
そう言って、アサは足早に八夜の中に入って行った。
「大変……だったね、ゆっくり休ん──でっ!?」
アサが体に入った瞬間、凄まじい空腹感に襲われた。壁にもたれかかってしまうほど、ぐったりと力が抜けていく。あの短時間で、アサが必要以上に体力を消耗した証拠だろう。
それほど焦っていたのだ。
「と、とにかく何か食べないと……」
ふらふらとリビングに向かう。
何故だろう、前より空腹になりやすくなっている気がする。食事の量も、自分が思っているより増えているような。
「うーん……やっぱり怪異宿しになった影響なのかな……?」
しかし、そこまでしか考えられなかった。とにかくお腹が空いていて、気付けば用意していた夕食を全て平らげていた。
メンチカツを5つと大皿に持っていたポテトサラダ、野菜スープと白米を4合。
「????????????」
自身の奇行に理解が追いつかない。追いつかないまま、結局その日は軽くシャワーを浴びて、深い眠りについてしまった。
「おやすみ」
一応声をかけたが、自身の内側から友の声は聞こえない。なんとも言えない不安な気持ちを残したまま、電気を消した。
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夢を見た、とても怖い夢を。
目の前に広がる瓦礫の山と火の海。逃げ惑う人々は容赦無く潰され、燃やされ、消えていく。
とてもじゃないが見ていられない。
(これ……あの時の)
10年前の、『終焉』と呼ばれる未曾有の大地震の時の地獄の光景。心の奥底に閉じ込めていたつもりだったけれど、こんな風に思い出すとは思わなかった。
こんなにはっきりと、まるでその場にいるかのように。
(これ嫌だ……早く目が覚めて……あれ?)
最悪の光景の中、見覚えのある姿があった。
小さな少女。全身傷だらけで、服はボロボロ、憔悴しきった虚な瞳はもはや何も映してはいないように見えた。
(あれ……アサ?)
雰囲気は違うが、親友を間違えるはずがない、そこにいたのは幼い頃のアサだった。彼女は炎に囲まれているというのに、その場から動こうとしなかった。
(あ、アサ! 危ないよ!)
夢だとわかっているのに、咄嗟に声を出そうとしてしまう。しかし、何故か声が出せない。駆け寄ろうとするが、足が動かない。
すると、アサがこちらに気付き、目を大きく見開いた。まるで、何か怖いものでも見たかのように、怯えた表情を見せる。
(アサ! 今助けてあげるから!)
声も出ず、手足も動かないが、それでも、友の元に行こうと必死にもがく。しかし、何も出来ない。どんどん辺りは崩れていき、アサの周りの炎も勢いを一層増していく。
すると、アサがこちらに向かって何かを叫んだ。
しかし、その声は届かない。必死に何かを叫んでいるが、たったの一言だって聞こえない。
泣き叫ぶ友を見て、胸が張り裂けそうになる。
最低最悪の夢だ。早く終わってほしい、早く目が覚めて欲しい。
(アサ……! アサ……ごめん、ごめんね……怖い思い……させたよね……)
何も出来ず、アサが炎に包まれ消えていくのを見ているしかなかった。
やがて、アサの後ろにある大きな桜の木がぐらりと揺れる。
やめて、やめてやめてやめて。あの光景だけは、もう二度と見たくない。
そんな願いも虚しく、倒れてきた大木に、小さな少女は押し潰された。
(アサ……アサ……ごめんね……)
「……こうするしかなかったの」
背後で知らない女性の声がした。
「うわあああああああっ!」
そこで、ようやく目が覚めた。時計を見ると、既に午前6時半。
最悪の目覚めだった。息は荒く、水でも浴びたのかと思うほど全身は汗で濡れていた。アサと過ごす様になってから、しばらく見ていなかったあの日の夢。勝手にトラウマを乗り越えたつもりでいたけれど、現実はどうやらそんなに甘くないようだ。
「……大丈夫、アサはまた、ここにいてくれてるんだから……アサ?」
乱れた呼吸を整えながら、胸に手を当てアサに声をかける。
しかし、返事は無い。
「……アサ? もしかしてまだ寝てる?」
何度か体を叩いてみたが、全く返事は無い。どうやら本格的に爆睡しているようだ。昨日の出来事、やはり肉体的よりも精神的なストレスが強かったらしい。
「無茶させちゃったんだよね……ゆっくり休んで」
とは言え八夜には学校があるので、急いで登校の準備をする。身支度を整えて、昨日のうちに用意しておいたおかずを弁当箱に入れ、軽く朝食を取って学校に向かう。
「ちょっと急がなきゃ」
そう呟いて、ほんの少し足を早めた。八夜的には、ほんの駆け足のつもりだったのだが、どうやら現実は違ったらしい。前を歩くジャージ姿の少年を追い抜かした時は何も思わなかったが、前を走行するスクーターを軽々と追い抜かしてしまった辺りで自分の失敗に気付いた。
力加減を間違えて、時速50キロ以上は出ていたのだろう。どう考えても異常だ、化け物丸出しである。
「あれぇ!? 最近はこんなミスしなかったのに!」
近くの路地に隠れて、八夜は頭を抱える。怪異宿しとなってから、上がりすぎた身体能力の力加減はいつだって慎重に行ってきた。その甲斐あって、今では普通にペンを使って字を書けるし、料理だって出来る。走る事だって例外では無い。バレーボールでの体育館破壊事件以降、運動は特に気を付けていた部分だ。
うっかりミス、なのだろうか。いつもと同じ感覚で足を動かしたつもりだったのだが、つい力んでしまったのか?
「と、とにかくもっと気を付けよう」
呼吸を整えて路地からこっそりと出る。しかし、再び呼吸は乱される事になった。
「あ! さっきの爆速の人!」
突然声をかけられた事と、先ほどの爆走を目撃されていた事というダブルショックで八夜はおもわず「ひっ」と情けない声をあげてしまう。恐る恐る声のする方を向くと、そこにはジャージ姿の少年が立っていた。優しそうな雰囲気の少年、彼もまた、八夜を見て驚いているようだった。しかし、その驚きの目はすぐに好奇の視線に変わった。
「え、いや、あ、あの」
「ああ、驚かせてごめんなさい」
あたふたする八夜に、少年はぺこりと頭を下げる。こちらに向けられた頭、その黒い髪の中にチラホラと混じる黄色い髪、見た目の割に意外とやんちゃなのかもしれないと思った。
「僕、陸上部で、自分で言うのもなんですけど、そこそこ速いんですよ。今日も朝練してて……そしたら、猛スピードで追い抜かされてびっくりしましたよ! 全然追いつけないんだもの」
追い抜かした、と言う言葉で八夜は思い出す。ジャージ姿の少年が歩いていた事を。
あれは歩いていたんじゃなくて、八夜が速すぎて歩いているように見えただけだったのだ。
「あ、いや、あの、えっと……あれは違くて……」
「どこかの陸上部に所属してるんですか? いや、野球かサッカーとか? どちらにしても並の足の強さじゃないですよね!」
すごいです! と、少年はにっこりと笑う。純真無垢なその笑顔に、八夜は居た堪れなくなる。彼はきっと、日々努力を重ね、身体を鍛えて来たのだろう。しかし自分は怪異であるアサに強化して貰っているだけで、何一つ苦労などしていない。
ちゃんと言わないと、彼の努力を踏み躙ってしまう。
「ごめんなさい、私、運動部とかには入ってなくて……さっきのも……その……偶然、偶然たまたま躓いちゃって止まれなかっただけと言うか……」
「そう……なんですか? そんな感じには見えなかった気がするんですけど……?」
やはり言い訳があまりに苦しかっただろうか。普通に怪しまれている。
「そっか、ごめんなさい一人で騒いじゃって……すごい人がいるって思ったらちょっとワクワクしちゃって……でも素質はあるんじゃないですか? スタミナはすごくあるみたいですし」
「スタミナ? いや、私は全然」
「躓いて不本意な助走が付いたにしては、全然息切れとかしてないし……体力はあるんじゃ……っていうか、自己紹介まだでしたよね! しまった、これじゃナンパみたいになってる」
我に返ったように少年はワタワタしながら、ぺこりと再び頭を下げて言う。
「はじめまして、僕は井海高校二年の竹水つぐみです」
「あ、河合高校二年の八雲八夜です……え、二年?」
「あー、その反応、歳下だと思った?」
八夜の反応に、つぐみはイタズラっぽい表情を浮かべて言う。
「ご、ごめんなさいっ! その、なんていうか、わ、若く見えたんです」
慌てる八夜の様子を見て、つぐみはくすくすと笑いながら首を横に振る。
「ううん、大丈夫。僕見ての通りちょっと子供っぽい顔っていうか……実際よりも下に見られる事がよくあって慣れてるから平気。八雲さんだよね? すごい良い人なんだ」
「え、私……別に何も」
「話してて嫌味が無いから、話し方って性格出るからさ、八雲さん、すっごい優しい感じがする」
「ええ、あの、そ、そんな事ない……です……」
なんかすっごい褒めてくれる。八夜は自分の顔がどんどん赤くなっていくのを感じで、思わず俯いてしまう。知らない人に褒められるのが、嬉しいはずなのにものすごく恥ずかしい。
「おっと、ごめんね、変な事で呼び止めちゃって。お互いそろそろ学校始まるよね、じゃあ機会があったらまたどこかで」
「あ、はい、また」
「そうだ、これだけ一ついいかな? 陸上、今からでも始めてみない? 才能あると思うし、きっと楽しいから!」
じゃあね、と言って、つぐみは来た道を走って行ってしまった。
初めて会った男子と仲良く話してしまった。これも怪異宿しとしての力なのか。
「なんか……爽やかな人……だったな」
つぐみが走って行った方をぼんやりと見つめながら、八夜は呟く。
「誰が爽やかだったの?」
「びっ! くりした!」
本日二度目の不意な声掛けに再び驚いてしまう。しかし、今度は知ってる顔だった。黒髪ロングの美少女、大橋静である。牛事件の後検査入院していたのだが、そういえば今日退院だったか。
静は八夜のリアクションにクスッと笑ってから「おはよ」と手を振る。八夜も、笑われた事を恥ずかしそうにしながら「おはよう」と小さく返し、二人で学校へ向かって歩き出した。
「ずっとお見舞い来てくれてたけど、なんか会うの久しぶりって感じだね」
「そ、そうだね……もう体は平気?」
「もう完璧、っていうか、別に元々大した怪我してないけどね……ところで、さっき誰かと話してなかった?」
「え、ああ、うん、なんか他校の陸上部の人が話しかけてきて」
「なに? 朝からナンパされてたの? 八夜ってモテるんだ……まぁ可愛いもんね、でも気をつけなよ?」
「いや、そんなんじゃなくて……ちょっとした勘違い……かな? 全然悪そうな人じゃ無かったよ? 優しそうで爽やかな人だった……あとそんな私可愛くないよ、普通だよ」
「八夜は優しすぎるからね、ちょっと心配だわ、なんかあったらすぐ相談してよね、こう見えて私、彼氏いたから男関係ならちょっと相談乗れるよ」
「そ、そうだね。ありがとう」
静はピースサインまでこちらに向けて明るく言うが、彼氏が怪異に殺されている事を知ってるだけに、こちらとしてはリアクションしづらい。
なんとも思ってないはずが無いだろう。少なくとも怪異に対しては、良くない感情があるはずだ。
(私が怪異宿しって事は隠し通さなきゃ……)
バレるわけにはいかない、やっと出来た数少ない友人を、これ以上悲しませたくない。
なにより嫌われたくない。今日みたいなミスをして、正体がバレればまたひとりぼっちになってしまう。
もっと慎重にならないと、と、八夜はひっそりと決意する。
「そういえば八夜、ちょっと聞きたい事が」
「すみません、少し良い? 良いですか?」
本日三回目、八夜と静を呼び止める声が背後から聞こえた。振り向くと、そこには小柄な少女がぽつんと立っていた。よく見ると、彼女は八夜達と同じ制服に身を包んでいる。
しかし、そんな事よりも、八夜は少女の顔を見て硬直してしまった。その見覚えのある無表情な顔に戦慄する。
「どうしたの? あれ? うちの制服じゃん」
「良かった、同じ制服って事は、貴女達も河合高校の生徒だよね? 生徒ですよね? 私転校してきたんですけど、ちょっと道に迷っちゃって」
「ああ、教えて欲しいって事? もちろん良いよ、目的地は同じなんだし、一緒に行こうよ、良いよね? 八夜?」
「え、あ、うん、もちろん」
「八夜? 何? もしかして緊張してるの? ごめんね、この子人見知りで、悪い子じゃないんだけど」
静が八夜の肩を叩きながら目の前の少女に言う。
「そうなんだ、そうなんですか。私も人と話すのあんまり得意じゃないから、ないですから、ちょっと気持ちわかるます」
少女は無表情のままそう言って、トコトコと近付いてくる。
「あ、まだ名前聞いてなかったね、私は大橋静、こっちは友達の八雲八夜、貴女は?」
そう問われ、少女は歩みを止めて、少し考える素振りをしてからまっすぐこちらを見つめながら言う。
「はじめまして、今日から河合高校一年五組に転校してきた、深夜琴音です、よろしくお願いします」
昨日の血塗れの顔が、八夜の中で重なる。
不安要素が次から次へと湧いてくる。
気が気じゃないまま、三人で学校に向かうのだった。




