密会する燈たち
地図があったといえど、詳細な位置までは分からなかった。海岸近くまで辿り着いたケンジだが、ダイゴを見つけられず大通りを彷徨っていた。海側の方は比較的人が少ないと思っていたがそんなことはなく、かなりのお店と人で並んでいた。気品に溢れた人が多く、ケンジの服装は若干浮いている。
今いるこの道が最も海から近い通りであるらしい。見落としている可能性はあるが、少なくともケンジはそうだと思っている。その道から海に行くには岩壁を降りなければいけなそうだった。そこそこの高さがあることから下に降りていく者は見られない。かなり下に砂浜が見えるが、浜はそこまで大きくはない。満潮の時には水没してしまいそうだった。人影すらもない。
「まいったな…」
時間的には合っているはずだ。太陽はちょうど真上に位置するだろう。となると問題は場所である。よく目を凝らして地図を確認するも、場所は確かにここを指している…としか思えない。ダイゴが今日の日を忘れている、ということはあり得ない。
そういえばと思い浮かんだが、選抜パーティは人前に出ることを避けていた記憶がある。もう懐かしくも感じる、エナキがケンジ達に内緒で食料を運んでいた理由も彼らが道路に出られない何か理由があったはずだ。となると、人通りがそれなりにあるこの道に果たしてダイゴはいるのだろうか。
…いるはずがない。
となると、心当たりがあるとすれば一つしかない。多分合っている、と思いつつ絶対いますように、という思いでケンジは浜に降りる道を探し始めた。
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ダイゴは砂浜の岩の影にいた。
下は全部が砂浜と思いきや、崖の近くは大きな岩がゴロゴロ転がっていた。ちょうど上からは見られないような位置で、通りで見つけられなかったわけだとケンジは納得した。ただ一旦下に降りてしまえば、さほど見つけるのに難しくはなかった。
あの通りの道を外れ、誰にも見つからないようにこっそりと崖のような岩肌を素手だけでなんとか降り切った。これだけ苦労したのに見つからなかったらどうしようと不安に駆られながら…。
ザザァ、ザザァと波打ち際の音が聞こえる中。強い潮風の匂いが鼻を刺激し、太陽の光は容赦なくケンジに降り注いでいる。
ダイゴの手には一冊の本が握られていた。魔法書かスキル書にも見えたが、普通の一般的な本だった。背表紙でなんとなく把握できた。
「早かったな」
「いえ。ここしかないだろうな、と」
ケンジには目もくれず、未だにその目は書物に向いている。シュ ラ、シュラとかなりのスピードでページが捲られる音が混ざり合っている。本当に読んでいるのか疑わしい速さだ。
ケンジは本やそういった類に興味はない。それはダイゴも同様かなと思っていたが間違いだったようだ。体格の良い体で小さな本を握る、という姿があまり想像できなかっただけかもしれないが、見た目で判断するのは良くない。
背中には大きな斧と背中から剣の柄が数本覗かせているが、防具まではしていない。キラーモント戦で会った時のような万全な装備ではなさそうだ。あくまで護身用、そんな具合だった。
「1人か?」
相変わらずダイゴの口調は短く、常に端的だ。ケンジもなるべく合わせる。
「1人です」
「他のメンバーには伝えたか?」
「いえ、町に出かけるだけ。手紙の内容については何も喋ってないです。その方がいいのかなとなんとなく思って…」
何故こんな回りくどいやり方をしたのか、ケンジは受け取ってから気になっていた。伝えたいことがあるなら直接伝えに宿舎に来ればいい。以前住んでいたダイゴなら場所も知っているのは言うまでもない。無駄を嫌いそうなダイゴの性格から、紙に文字を書いて郵便に手紙を託した、というわざわざ手間のかかりそうな手順を踏んだことに本当に同一人物かと疑問を抱かずにはいられなかった。
手紙にし、さらにエナキや他のメンバーでなくケンジ宛にしたのは何か理由があるんじゃないか、と。その考えにたどり着くのに大した時間は掛からなかった。故にこの出来事は誰にも話していない。
「上出来だ」
何事にも頼りになるダイゴに褒められ、ケンジも少し嬉しい気持ちになった。
ダイゴが本を閉じた。そのまま胸元の服にしまいこんだ。おそらく服の内側にポケットのようなものがあるのだろう。
「状況的に宿舎に顔を出せなかった。だから、回りくどいやり方になってしまったが…ひとまず、第一段階は問題なさそうだな」
ダイゴの言う第一段階が何を指すのか気にはなったが、ひとまずダイゴの想定通りの結果となったということだろう。ケンジは安心した。確認した上で、早速ケンジはここ数日頭を悩まされていたことについてダイゴに尋ねた。溜まりに溜まってようやく吐き出すことができた。
「あの、燈の虐殺って…。誰かまた死んだっていうことですか?」
ダイゴは黙った。ケンジを真っ直ぐに見つめ、何から話すべきか迷っているような雰囲気だった。といってもその時間は短く、「歩きながら話そう」とだけ呟き突如歩き始めた。砂浜だと目につく、と言われ仕方なく足場の悪い岩場を登ったり、降りたりしながらケンジは前にいるダイゴを追った。先はかなりある。少なくとも砂浜は地平線の彼方までずっと伸びていた。
「つい、6日前ほどになる」
この位置だと、斧が邪魔でダイゴの姿が見えない。まるで斧がダイゴの声色を真似して喋っているように見える。
「1人の燈が選抜パーティの拠点にやってきた。ちょうどコウガが抜け、いつも表にいる浮浪者も偶々見張りを外していたんだろう。ソイツは俺が気づいた時にはコウガの部屋で突っ立っていたんだ」
コウガの部屋、というのはきっとケンジが行ったことのある場所だろう。あのエナキが買った食料をばら撒いた、あの。いい思い出は何一つ浮かばない。
「非番だった俺が侵入者だと勘違いして応戦しようとした。が、違った。ソイツは『選抜パーティに助けを求めてここまで来たんだ』と泣きながら言った。嘘を言っているようには思えなかった。ひとまず、要件はなんだ、と聞くと『仲間のうち1人が何者かに殺されてしまった』と言ってきた」
この時、ケンジは燈が殺されてしまったと思った。手紙には『燈の虐殺』とあったからてっきり、燈が誰かを殺したのだと思っていたのだが...。
「何者かに殺されたって言うのは…単純に魔物に殺されたんじゃなくて?」
我ながら冷酷なことを口にしたとケンジは思った。単純に。そう、単純に。その言葉を平然と口に出してから、ケンジは後悔した。まるで魔物に殺されて死ぬのが当たり前とでもいうような言い方だ。前にいるダイゴは特に気にしている様子はない。
と同時に思う。いや、この話は色々分からないところがある、と。そもそもその燈はどうやって選抜パーティの拠点を突き止めたのだろうか。確か誰にも知らされていないはずだったのでは。少なくともケンジはエナキに案内されるまで知らなかった。色々疑問がケンジの中で残る。ダイゴはケンジが思わず口に漏れ出したことについて説明を始める。
「同感だった、ケンジ。俺も最初はそう考えた。だが、話を聞いているとそう訳でもなさそうだった。ひとまず亡骸を見てくれ、とソイツは言うから緊急事態ということで俺は建物を飛び出して、ソイツが言った教会へと向かった。安置されているというのでな」
「行けたんですか? 選抜パーティは人前に出るのは避けているって…」
すると、ダイゴは少し黙り「一応隠れたながら行ったつもりだ」とだけ呟いた。
「とにかく、その亡骸を見た。そして、ソイツの言っていることが一瞬で分かった。ソイツの言う『何者』というのが、俺たちが今考えた魔物ではなく、人間によって殺されたんだ、ということがな」
血の気が一気に引いた。太陽はまだ真上の辺りで陽を照らして暑いというのに、ケンジの周りだけ温度が著しく下がったのを感じた。
「厳密に言えば人間ではなく、魔族かもしれん。ただ、ミエーランは人間領土だ。魔族の仕業とはあまり考えにくい」
「そのどうして…人間が、燈を殺したって分かるんですか?」
「傷跡だ」
「傷跡…」
「何十ヶ所にも渡って短剣のようなものでつけられた刺し傷があった。大腿に一箇所。脹脛に三箇所。腹部と心臓辺りは…かなりの跡があった」
かなりの跡、というのはあえて言葉を濁したんだろう。ケンジは深く考えるのをやめた。ケンジは歩くのを辞めてしまった。あまりの恐怖に、もしかしたらすぐ側にある岩陰に誰かが潜んでいたケンジを滅多刺しにする機会を伺っているかもしれない…。そんな思い込みまで始めてしまう。
「明らかな殺意だ。少なくとも魔物とは考えられない。間違いなく殺害した奴はそれなりの知性と感情がある」
「自殺をした…とか魔物が、その、殺しすぎちゃったっていうのは…」
「ない」
ダイゴは断言した。ケンジが立ち止まったのに気づいたのか、歩みを止めた。
「ここら一体でナイフを持つような魔物は生息しない。唯一切り傷をつけられる鎌持った、この前のキラーモントのような魔物の傷なら、それはそれではっきり判断できる。あれは間違いなく人工的につけられた傷跡だ」
「なら自殺は…!」
「何十箇所も刺す必要がないだろう」
ケンジは気づいた。多分、自分は現実を受け入れられないでいる、と。ついこの間まで魔物との命のやり取りをした。その前には魔物との戦闘で命を落とす者がいるということを知った。自分の周りには死が近くて、魔物じゃなくても餓死する可能性だってあった。それでもキラーモントや手配書の魔物を倒すことで、お金が入り、食料に変えて餓死しないように。さらには武器や防具などを揃えて強くなり、死から遠ざかったように思えた。明日生きていく自分を見えるようになったと思っていた。
でも、違う。出来事は、また自分たちに死を連想させる。しかも、人間に…。
「俺たちって…燈って…この世界を救うべくして召喚された特別な存在じゃないんですか…?なのに、なんで殺されるって…」
「分からん。ただ一つ言えるのは、気づいていると思うが、俺たち『燈』はこの世界中の人々全員に期待されて召喚されたわけではない。そうでなければ、義勇兵になどさせずにもっと丁重に扱われるはずだからな。『燈』に期待している、言い換えれば好感を持っている奴もいれば、もちろん逆もいるだろう」
「でも! だからって殺すなんて… ?!」
「…一旦落ちつけ」
目の前にいるダイゴがまた歩き始めた。ケンジも仕方がなく、まるでダイゴに操られているようにフラフラと後を追う。上空で何か生き物が鳴いているような音が聞こえる。ポケットに忍ばせた20銅貨は凄くちっぽけなものに感じた。
ここにきて背中が痛み始めた。心臓の鼓動に合わせて、かなり鋭い痛みが広がりケンジは思わず奥歯を噛み締めた。
まるで語りかけるように、ダイゴが話し始めた。ただ、突如走り始めた激痛にケンジにあまり届いていない。
「問題はこれを誰がやったか。そして、俺たち燈を狙って明らかな殺意を持ってやったことなのか、あるいは無差別に行っていて偶々居合わせその燈が運を持ち合わせていなかったのか。断定できん」
「…」
「ただ、おそらく前者だ。俺たちを狙い、確固たる意思でソイツを殺したんだとーーー」
「どうして! …..ダイゴさんは俺に打ち明けることを決めたんですか?」
ケンジはダイゴを無視するように、ボソッと呟いた。もうダイゴに黙って欲しいといわんばかりで。何も聞きたくもない。背中が痛い。
そしてどうして自分を選んだのだろうか、ケンジは何よりも疑問に思った。他に頼る人間はいるだろう、エナキとか。そうだ、エナキに頼んだ方が1番頼りになるはずだ。しかし、ダイゴの口からは予想外の言葉が出た。
「今の状況で、ケンジ。俺にとって、お前が1番信用できる人間だったからだ」
ケンジは、いつの間にか下を向いていた顔を上げた。太陽光の眩しさと共に、背中を見せていたダイゴが岩の上で立ち止まり、こちらを見下ろしていた。
「わざわざ手紙を送ってまで依頼をしたのは、信頼しているからだ」
聞き間違いではなかった。確かに、ダイゴの口からケンジがもっとも信頼できる人間であると言ったのだ。しかし温かい言葉の一つや二つで心が動くほどケンジは単純ではなかった。ダイゴの言うそれは嘘だと思った。
ケンジは嘘だ、とは言わなかった。その代わり、叫ぶように声を荒あげた。
「他に一杯います! 俺以外に頼りになる奴が、沢山! ダイゴさんなら特にそうでしょ?! 選抜パーティの方が俺なんかよりも強くて、頭も切れてもっと頼りになる奴が、ミライとか、ティアさんとか!選抜パーティじゃなくたって、例えばエナキとか、俺なんかよりもずっといい!」
ズキン、と今までに感じたことのない大きな痛みが背中に走った。ケンジの表情は歪んだがダイゴは気づいている様子はない。
「信頼している奴と頼りになる奴は違うがな。…ケンジ、お前がなぜ自分を卑下するか分からんが…事実だ、俺にはもうお前しか頼れんーーー」
「俺は、選抜パーティを抜けた」
「…え?」
ケンジの鼓動が早くなった。背中の痛みも増す。元々体に限界が来ていたのは分かっていた。だけど、ここまで酷いものであるとは思わなかった。
ケンジの意識はここで途絶えた。




