62.専任講師②
ヴェルメリオ伯爵は明日であればお話ができるとのことで、手土産を持ってマルグリット先生と伯爵邸に伺うことになった。
出迎えて下さったヴェルメリオ伯爵は、現代で言う所の"イケオジ”といった風貌だった。
白髪まじりの豊かなアッシュグレーの髪を綺麗に後ろに流し、碧い瞳が印象的な方だ。
伯爵は、ふむふむとマルグリット先生の話を聞いて少し考えた後、こう切り出した。
「この度はわざわざ我が邸に足をお運び頂いて、国賓を遇する歌姫様の専任講師という光栄なお話を、ありがとうございます。
リリー様の歌の評判は私もよく聞いておりますし(←!)、ぜひ聴かせて頂きたいと思っておりました」
おっ…!
ちょっと引っかかる所あったけど、好感触!
「本来ならばぜひその栄誉に預かりたいのですが… 」
あれ? 雲行きが怪しい…
お願い、Yesと言って!!
「たまたま、もうすぐ年に一度の科目別総合音楽コンクールがあるのです。
私は今6人の生徒を担当させて頂いていて、彼らもまた、この舞台を楽しみにこれまで励んできています。
今が追い込み時期で、皆に不平等がないように均等な時間を指導にあたらせてもらっています」
ああ…
「リリー様の大切な1週間を、集中的に指導させて頂くというのは、難しいのです」
眉尻を下げ、申し訳なさそうに話された。
ヴェルメリオ伯爵は、家の爵位で人を判断せず、扱いも差別をしない珍しい方だと行きの馬車でマルグリット先生から聞いていた。
その通りの人だ。
途中で降って湧いた私の指導に多くの時間を費やせば、事情を知らない人々は、公爵令嬢だけが特別だと感じてしまうだろう。
事実、私を特別扱いはできないと、優しい言葉で断ろうとされたのだ。
「そうですか… それでは仕方がありません…」
とても残念だけれど、事情をみれば無理強いはできず、諦めることにした。
すると、
「ヴェルメリオ伯爵、私はバイオリンやピアノの専任講師であれば、何人かツテや心当たりがあります。
ですが、声楽を志すお嬢様を受け持つのが初めてでして、伯爵以外に講師の打診ができる方の心当たりがないのです」
とマルグリット先生が言った。
「どなたか、良い先生に心当たりはありませんでしょうか…」
マルグリット先生がお手上げなら、リリーは万事休すだ。
伯爵の事情は仕方がないが、これは困ったことになった。
リリーが不安そうに事の成り行きを見守っていると、伯爵が、
「多分、どの音楽家に頼んでも、この時期は自分がコンクールに出るか、生徒を指導しているかですから、同じく難しいのではないかと思います」
た、確かに…
もし了承してくれた人がいても、私のために誰かの時間を犠牲にしていたら嫌だ。
もうダメだ。
「リリー様は、講師は貴族でなければならないと思われますか?」
唐突に伯爵が尋ねた。
「えっ? いえいえ、私はどなたでも構いませんわ」
そもそも日本人は基本平民だし。
「それでしたら、アズール君はいかがでしょう。
アズール君は、劇団アルビレオで私が小さな頃から指導しており、もうかなりのレベルを修めています。
劇団でも、私がいない時は彼に音楽指導を任せています。
コンクールに出たことはないので華やかな経歴や実績はありませんし、平民の出なので、そのような者から教えを請うのがお嫌であれば、難しいのですが… 」
「全然大丈夫です! むしろ、あの素敵な劇団の方とお知り合いになれるのでしたら、大変嬉しいですわ!」
リリーは手を叩いて喜んだ。
だって、百合子の夢は舞台俳優だったのだ。
ぜひお近づきになりたいし、叶うならいつか端役で良いから使ってほしい。
リリーの様子に少し驚きながら、ヴェルメリオ伯爵は嬉しそうにうなずいた。
「アズール君なら、技術や人柄は私が保証します。
今、劇団は次の興行の準備期間でしばらく休演中だから、1〜2週間であれば歌の指導くらい問題なくできると思います」
話は私が通しておきますと言って下さり、マルグリット先生と私は何度も御礼を言って伯爵邸を後にした。




