56.ジェイバーの選択①
「俺は…」
ジェイバーは混乱していた。
いつから…
なぜ…
どうして…
答えのない問いが頭をぐるぐると回る。
今まで見てきたものが違うかもしれない。
自分は何を見ていたのか。
いつから間違えたのか…
いや、違う。
自分が知ろうとしなかったのだ。
端的に言えば、俺はお嬢様に興味が無かった。
守るべき主君が何をして、何を感じ、どう過ごしているかなんて、知ろうとすれば、ある程度は判ったはずだ。
考えてみれば、初めて会った時からここ最近のお嬢様の様子は全然違っていた。
声の張りや顔色だけではなく、歩き方や振る舞い、気の遣い方が、日に日に変わっていっていた。
それなのに、自分はその理由を理解しようとしなかった。
自分でお嬢様の護衛騎士を受諾しておきながら、お嬢様の様子に勝手に落胆し、内心では砦の兵士に戻りたいと思っていた。
その後ろ暗い気持ちをアシュトンに煽られて、言い返すこともできない。
あげく、アシュトンとお嬢様が手合わせをすると決まった時、多分俺は…
少し痛い目を見れば良いと、思っていたのだ。
痛いというのは、怪我や傷でなく、"この世に思い通りにならないことがある”ということを、世間知らずのお嬢様が分かれば良いと思っていたと思う。
願えばほとんど全ての望みが叶う公爵令嬢に生まれ、その言葉ひとつで、ひと一人の人生を左右できる立場にいるリリー様に、思い通りにならない悔しさを感じて欲しかったのだ。
そんなのは、全部自分の思い違いだ。
兵士、騎士たるジェイバーには、リリーの動きや戦い方が、一朝一夕でできるものではないと、よく分かっていた。
ましてやもともとは病弱だったと聞くし、周りの使用人にも確認したが、それは嘘ではなかった。
生死の境を何度も彷徨ったらしいし、事実、倒れて動けなくなったリリー様も目にした。
しかし現在元気そうな様子から、そのことに蓋をした。
病弱な身体をひとりで鍛え、今日のように仕上げるには、並大抵の努力ではできない。
多分、かなり前から少しずつ取り組まれたものだろう。
それこそ、ご令嬢にとっては血の滲むような過程を経たに違いない。
そして今、体術と剣技で隊長代理のアシュトンを負かすほどの力にまで高められたのだ。
これまでお嬢様は、いつも自身を病弱だということにしたいらしかった。
それが自分には嘘に思えて嫌だったが、こと貴族というのは、一般的に女性に繊細優美を求める。
万が一、今のお嬢様のように床を跳ね、大の男を組み伏せるようなことを知られたら、婚姻に響くことは間違いない。
下手をすれば公爵家の評判が下がる。
だから、多分お嬢様は内密に、この離れのホールで鍛えていたのだろう。
だというのに、アシュトンにその手の中を見せてしまった。
多分、俺のために。




