323.SIDE リリー⑥
この男性は、百合子と面識があるのね。
百合って呼んでいるし…
百合子が困っていると、お姉様が、
「ゴメンねリュウ。百合子、熱にヤラレて記憶を失ったみたいなの」
「はぁ!? マジ!? 俺のことも覚えてないの?」
リュウと呼ばれた男性は目を丸くして百合子を見つめる。
「それが本当なのよ。私も最初は疑ったけど、車に乗ったら馬を探すし、チキン南蛮をナイフとフォークで食べようとするんだから、やっぱおかしいのは本当みたい」
「それヤベェな… 翔太が聞いたらショック受けるぜ」
お姉様と男性はコソコソと話している。
百合子はとりあえず、母様とクリスティーヌとの衣装談義に切り替え、次回の改善ポイントなどの情報収集に勤しんだ。
※ ※ ※ ※
その日は皆で外食をした。
トンカツ屋さんだ。
胡麻擂り初体験だったが、自分で擂ったゴマダレは、物凄く美味しかった。
大道具係な父は明日に備えて調整があるとかで残念ながら一緒でない。
リリーのお父様はリリーを放ったらかしで、褒められたことも叱られたこともなかったが、百合子の父様は優しくて温かい。
退院した日も、母様と同じように涙を流し、ゴツゴツした手で頭を撫でて抱きしめてくれた。
百合子の父様は毎日朝早くから夜遅くまで働いているが、必ず家には帰ってきて、食事をとる。
この家では、お母様も父様も、よく抱きしめてくれる。
なんなら寝る前はおでこにキスまでくれる(←外国生活が長いため)。
母様が運転する車に揺られながら、百合子は色とりどりのネオンや街灯の流れをぼーっと見つめていた。
リリーは、この身体の持ち主である百合子という人がどうなったか、知らない。
こんな温かい場所を貰ってしまって申し訳ない気持ちもあるが、いつも苦しく寂しかったあの生活には、もう戻れないと思った。
家に帰って風呂に入り、寝る時間になっても、百合子は、なかなか寝付けなかった。
今日の興奮が覚めなかったこともあるが、この怒涛の3ヶ月間を振り返っていたのだ。
刺繍が好きで、自分のドレスをよく装飾していたが、実はほとんど着る機会がなかった。
そもそも普通に歩くことすらままならないのに、重いドレスを着て歩くなんて論外だったし、パーティなんて倒れることが目に見えてるから呼ばれるわけもない。
だから、刺繍や装飾は好きで作業に没頭している間は幸せだが、終わると必ず物悲しくなっていた。
せっかく完成したドレスは自分で着られないし、綺麗に仕上がっても見てくれる人はジニアだけ。
婚約者はいたが、月に一度の儀礼的なお茶会で一言二言話すだけ。話題も特に無い。
ほとんど誰の目にも触れないドレスが不憫だった。
だけどこうして、家族と協力して作ったドレスを誰かが着てくれて、お客さんが舞台で見てくれて、泣いてくれる。
しかも、着てくれた人が喜んでくれたり感謝される。
それがとても嬉しいのだ。
ドレスは着る服としてだけじゃなく、各シーンを際立たせる大切なアイテムでもあることも分かった。
リリーは今初めて、自分が他者の役に立ったと感じていた。
ずっと、公爵家のお荷物だと思っていた。
お母様は、多分私を産んで身体の力を使い果たして死んでしまった。
父様からも遠まきにされ、身体が弱くて誰かの助けを借りなければ生きていけない。
毎日屋敷の皆には感謝をしているが、私には返せるものが無い。
それに、私は生まれてから今まで、誰かに感謝されたことがなかった。
生きているだけで精一杯だったから。
これまでにない高熱にうなされながら、命の灯火が消えそうだった私は、神様に祈ったのだ。
"死ぬなら、せめて誰かの役に立ってから死にたい。
1度で良いから、誰かにありがとうと言われてみたい。
神様どうか、お願いします"
そうして、この不思議な世界にやってきた。
神様は、きっとお願いを聞いてくれたのだ。
うとうとしはじめた瞼に、女神フローラの優しい微笑みが、見えた気がした。
「私…
今すごく幸せ…」
温かな胸が打つ自分の鼓動を聞きながら、百合子は眠りについた。




