320.SIDE リリー③
百合子は自分の足を見て、信じられない!という顔をした。
恐る恐る膝を曲げ伸ばししてみても、ガクッとなったりしない。片脚立ちをすると若干ふらつくが、それでも崩れずにキープできる。
突然片脚立ちを始めた妹を怪訝な顔で見ていた姉は言った。
「そりゃ、ボディビルダー目指してるんかなって程毎日鍛えてたんだから、1週間くらい寝込んだ位で歩けなくはならないでしょうよ。
でも、いつもは片脚立ちくらいじゃ微動だにしないアンタがそうやって少しブレるなら、まぁ人並みにダメージは受けたんだろうね」
割と失礼な物言いなんじゃないだろうか。
こちらのお姉様は、本当に私の実姉なのか…
私がまるで人間じゃないみたいな言い方だ。
ボディビルダーって何だろ?
「とにかく、このドレスを明日までに完成させなきゃいけないのよ。あぁ… 本当に困ったわ」
再び頭を抱える様子を見ながら、百合子は疑問だった。
「ですが、ドレスは完成しているように見えます。
どのあたりが不出来なのですか?」
「これは仮縫いの状態よ。ほとんど私が作ったの。
デザイナーが描いたドレスイメージから型紙を起こしてそれに合った生地を選び、ミシンで縫製するのが私の役目よ。
母さんはここから、刺繍やポイントレースを縫い付けて、装飾する役目なの。
母さんの装飾が終わったら、一気に本縫いに入るのよ。
私は人のイメージを形にするのは得意だけど、自分で図柄を考えるのは全然ダメなのよ…
図案さえあれば真似はできるけど、母さんの頭の中だし…
今起こして紙に書いてなんて、さすがに言えないもん」
トホホ…と項垂れる。
確かに、よく見るとしっかりは縫い合わされてなく、すぐに解けるようになっている。
それにしても、なんと刺繍!!
病弱なリリーの唯一の趣味は、刺繍だった。
これなら、お役に立てるかもしれない。
「こちらは、歌姫様のドレスと仰っていましたが、どのような歌を歌われるのですか?」
刺繍するにもイメージは大事だ。
リリーも歌唱は大好きで、調子の良い時はたまに歌ったものだ。ジニアも褒めてくれていた。
どんな歌を歌う時のドレスかで、刺繍の図案イメージがまとまる気がした。
「どんな歌って… コンサートの衣装じゃないのよ?
それも忘れたの?
次の舞台は、『オペラ座の怪人』なんだから、ヒロインの衣装に決まってるじゃないの。
まぁ確かに… アンタはアクションモノじゃないからって興味が無かったもんね」
アクションモノ…?
とりあえず、お姉様にオペラ座の怪人についてあらすじを聞いた。
なるほど…
結構人が亡くなるし、残酷なシーンが多い。
最後もハッピーエンド寄りではあるが、完全なハッピーエンドではなくて、ファンシーな世界で暮らしていた10歳のリリーには、刺激の強い内容だった。
このドレスは、舞台に上がれなくなった主役の代わりに急遽代役として出演した主人公の、その歌声の素晴らしさに観客が惹き込まれ、一躍脚光を浴びることになったシーンの衣装らしい。
これをきっかけに主人公は台頭していく。
シャンデリアが輝く暗いオペラ座で歌いだした主人公に、皆が目を見張るような美しさと歌声で注目を浴びるシーン。
前半の見せ場だ。
主人公役の姿見(写真)を見ると、真っ白な肌の美しい女性だった。
彼女の白い肌に、紺色の生地は映えるだろう。
初めて抜擢されたなら、初々しさが必要だわ。
金色の糸より銀色の糸、カラフルな宝石よりも透明なガラスビーズが合いそうだ。
アンティークレースよりも真新しいレースの方が、とってつけたような新鮮味が出るんじゃないかしら。
百合子の頭の中に、次々と図案と装飾が展開される。
お母様の裁縫道具箱に詰められたビーズやレースは数百種類あり、色や素材ごとに詰め分けられていて、百合子の夢が詰まった宝箱のようだった。
「お姉様、こちらの布は不要なものですか?」
百合子はお姉様が作ったドレスの余り布に目を留め、尋ねた。
「うん? あぁ、端切れは後で捨てるつもりよ」
「ではこちらに、刺繍をしてみます」
「え?」
百合子は、頭の中の図案をまとめると針に込め、一心不乱に刺し始めた。




