310.王城会合⑥
「黙って聞いていましたら、そんな訳ないではありませんか」
珍しく語気を強めて王妃様が言った。
「貴方… ベイローレル侯爵は、わたくし達を軽んじておられるのね?」
いつも静かな王妃様から初めて睨みつけられたらしい宰相は、とても驚いた表情をしていた。
「え? 滅相もございません、なぜそのようなこと…」
「ではこれが、王と王子であったなら、どうです?
例えば…
王の公務に、不穏な気配を感じた王子が密偵として潜入していた。
公務の途中で王が他国の刺客より襲撃に遭ったが王子の機転で事なきを得た。付き従っていた見習い騎士である貴方の息子は、王子と知らずに武器に細工をし、馬に悪戯をした。
それが、"苦い思い出"、"今後の教訓"である、と?」
「それは… それとこれとは話が違います」
「違いませんわ。全く。同じことです」
「 … 」
接見室が静まり返る。
ややあって、王妃様が話しだした。
「今回、まかり間違えば、わたくしは死んでいました」
「!」
「リリーさんが傍にいて、守っていなければ、わたくしはここにおりません。
降り注ぐ矢、複数人が直接狙ってくる刃を、普段安穏と過ごしてきたわたくしは避けられようもありません。
情けないことに、逃げよ、と言われても足すら動きませんでした」
王妃様は目を閉じ、襲撃時に隊長から退路を示されても、涙が流れ落ちるばかりで全く動けなかったことを思い出していた。
今思い出しても足が震える程、怖かった。
「わたくしは… リリーさんが危険なことをすることにずっと反対でした。
王子妃が剣を持って走り回るなど、決して認められないと、リリーさんにも何度かやめるようお願いをしました。
でも… 今回のことで、少し考え直したのです…」
王妃様は目を伏せ、言葉にすることをしばらく逡巡していた。
「勿論、危ないことをすることは、褒められたことではありませんし、この後もリリーさんにはミッチリお説教を聞いて頂く予定です」
おぉ… ヤバい…
「ですが、動ける身体でいること、適度に鍛えることは、必要かもしれません。リリーさんが希望されるなら、認めようと思っています」
「えっ! 本当ですか?」
思わずリリーが口を挟む。
トレーニングの許可を頂けるっぽい!
にわかに輝くリリーの瞳に、苦笑いをしながら王妃様は続けた。
「あの時わたくしが死んでいたら、復讐を果たした妓女達は幸せになっていたでしょうか?
この国は平和のままでいられたと思いますか?」
王妃様はまっすぐに宰相を見つめる。
仮に王妃様が弑殺されていたら…
国家間の問題となり、多分戦争になった。
引き金となった妓女や工房の人達は、血族に至るまで無事ではいられないだろう。
そこには、女も子供も関係ない。
しかも、動機となった件の再調査も行われず、彼女が愛してやまない兄君の行方も事件の全貌も、分からないままだ。
後悔… しないわけがない。
また、戦争となれば、こちらの王国の民も全員無傷とはいかない。騎士も兵士も、少なからず犠牲者が出るだろうし、家族は悲しむだろう。
戦争なんて、双方に少しも良いことはないのだ。
そんなことにならなくて、本当に良かった。
「 … いいえ… 」
宰相は小さな声で返事をした。
「わたくしが隊長さん達の指示通りに動けていたら、もしかしてリリーさんがいなくても逃げおおせたかもしれません。
ですが生憎、私の足は歩くことができませんでした…
リリーさんがいなければ、やはり無事ではいられなかったでしょう。
ですから、王族の姫君であっても、有事の際に動ける身体であることは必要なのだと思い直しましたの。
リリーさんには、 … 感謝しています」
お、王妃様…!
リリーはちょっと泣きそうになった。
「とにかく、そのようなことですの。
わたくしを守り、国家間の戦争を防いだリリーさんに働いた無礼な行為… 子供で知らなかったで済まされるほど甘くはありません。
だいたい、密命だってあるのです。
王族の秘匿を、一見習い騎士に伝えないことなど、普通です。
むしろ、当たり前でしょう。
それより、自らの手を汚さず友人に嫌な役をやらせたり、今後仲間となる者に危害を加えるなど亀裂を持ち込むその性根が、騎士として適切と思えません。
いかがですか?
アゲート侯爵、ベイローレル侯爵?」
そういえば、妓女の兄君冤罪事件でも、王妃様は"無知は罪"スタンスだったわね…
自分の行動には、責任を持たなければならない。
そのあたり、王妃様は非常に厳しい方だ。
正論かつ、明らかに怒っている様子の王妃様に問われた2人は、教師に難しい問を当てられた学生の風体で身体を震わせた。




