268.騎士訓練生⑩
今日までは弓騎の訓練で、応用訓練に進んだ。
弓騎訓練の応用は騎槍のように馬を駆りながら行うのではなく、動く的を射る訓練だ。
さすがに、馬に乗って弓を撃つのは訓練生には危ないらしい。両手を離して馬を走らせれば、落馬して命を落とすこともあるし、矢の軌跡が外れて他の訓練生に当たる可能性があるからだ。
そのため、吊るされて揺れる的や、上官が投げたボールを射る練習が行われた。
遠くまで矢を飛ばせるようになったリリーにとって、動く的を射ることはあまり難しくなかった。
もともと動体視力が良いのも手伝って、最後の方はゲーム感覚で的を撃ち落とすリリーに、周囲も驚いていたようだ。
ヘザーもリリーの伸び代に驚き、背中を叩いて喜んでくれた。
「グリス、またなー!」
「うん、ヘザー、また明日!」
ヘザーに手を振って分かれる。
彼は多分、騎槍も弓騎も1番の腕だと思う。
今の所、何も困ってないし元気そうだ。
リリーに教える余裕すらあるのだ。
彼は間違いなく合格だろうな〜。
とにかく明日の訓練はついに、剣術だ。
グレイから聞いた話では、グリスは剣術に長けていたらしい。リリーも、グリス代理として剣術は好成績を残したい所。
ワクワクしながら帰り支度をしていると、
ん…?
何人かが座り込んだまま動かないことに気がついた。
皆うつむき、背中を丸めている。
「大丈夫? 身体がしんどいの?」
リリー(グリス)は、心配をして声をかける。
「あぁ。体中が痛いし、手は皮が剥けて… 明日の剣も持てるかどうか…」
弓騎は手袋をして引いていたが、もともと手の皮が薄い、運動習慣の無い貴族の子息は、これまでの訓練によって身体じゅうがボロボロになっていた。
リリーがそうであったように、広げた指が震えている。
「騎士訓練がこんなに辛いなんて思ってなかった。
でも、うちは貴族だけどお金がなくて、僕は何としても騎士にならなきゃいけないんだ。頑張らないと…」
「うちもだよ。兄さんが2人いて、僕には継げる財産はないけど、好きな子がいるんだ。騎士になって、彼女と結婚したいと思っている。頑張らなくては」
騎士志望とはいえ、年齢的には13〜15歳、中学生くらいの子達なのだ。痛みに弱く、不安になるのも仕方ない。
訓練生の人数は日を追うごとに減っている。
それぞれ、騎士になりたい動機は様々だが、とにかくまだ諦めないと言っていて頑張りたいようだし、何とか持ち堪えて貰いたい。
「ちょっと待ってて!」
リリーは庭園の小屋に隠し持つ、応急処置セットを取りに行き、傷薬と包帯を持って帰ってきた。
「風呂の後にこの軟膏を塗って、上からこの布をあて、包帯を巻いて寝ると良いよ」
リリーはもともと鍛えているのもあるが、回復が早いのはハルディン夫人からもらった薬達のお陰が大きい。
自分だけそんな楽をしてはいけないと、皆にも分けることにしたのだ。
「そんな薬があるのか? ありがとう」
「僕にも分けてくれるか? ここが痛くて…」
「俺も豆が潰れて…」
リリーは皮が剥けた人や擦り傷切り傷、打撲などに応じて塗り薬とアドバイスを行った。
皆は口々に感謝の意を伝える。
すると、遠くからそれを見ていたあいつが近寄ってきた。
ベイローレル侯爵家の子息とかいう、金髪坊ちゃんだ。
「お前達、そんな平民上がりの貴族から物を貰うなんて恥ずかしくないのか」
小馬鹿にしたように言い放つ。
平民が功績を上げた場合、1代限りの爵位を賜ることがあり、その場合は男爵の位を授けられることが多い。
だから男爵を下にみる高位貴族が一定数いるのだ。
「だいたい、それが薬だなんて保証はないぜ。悪いものを薬だと偽って渡せば、明日には動けなくなってライバルが減るんだからな」
そう言われれば、もともと面識の無い者同士、不安な空気が漂う。
「これは正真正銘の傷薬だよ。僕も使ってる!」
リリーは言い返し、自分の腕にも塗ってみせた。
黄色透明な軟膏は、皮膚に馴染んでさっと消える。
しかし、1度生まれた疑念はすぐに払拭できない。
「よく考えろよ。ここは仲良しごっこをする所じゃない。皆、家を背負ってるんだろ? 他人を蹴落としても掴みたい座じゃないのか。
俺も、近衛騎士隊長になるべくここにいるんだからな」
最後にひと煽りしてから不敵な笑みを浮かべ、スタスタと消えて行った。
気まずい雰囲気を残し、何となく目を合わさないまま、リリーに会釈をして皆は帰っていった。
本当、嫌な奴…
でもまぁ、使うも使わないのも自由だわ。
リリーは気持ちを切り替えて庭園に戻った。
やはりまだ、リボンは結ばれていない。
グリスの怪我は、思ったより長引いているのだろう。




