247.カルトン共和国その後①
帰りの馬車の中で、知らず知らずにうたた寝をしていたリリーが、ふっと目を覚ました。
エルム王子にもたれていたことに気づいて、慌てて身体を起こす。
「ごっ ごめんなさい。気づかない間に眠っていたみたいで!!」
「全然良いよ、気にしないで。リリーずっと頑張っていたんだから… さすがに疲れが出たんだよ。
それより、せっかく起きたんだから、少し降りようか」
ヨダレを垂らしてなかっただろうか…
リリーは顎のあたりに触れ、とりあえず濡れていないことを確認する。
長く同じ姿勢で馬車に揺られていたせいか、身体のアチコチが痛かった。
ちょっと馬車を降りて背伸びでもした方が良いかもしれない。
「そう致しましょう」
扉が開いて、ここはどの辺りなのかな… と周りを見渡した。
そこには、茜色に染まった空を海が映した幻想的な夕焼け世界が広がっていた。
「まぁ…!」
あまりの美しさに息を飲む。
キュステ・コスタ海岸だ。
ここは、いつか来たことがある。彩然寶頌の理解の旅だ。その時も夕暮れ時で、とても綺麗だと思ったが、今日はまた一段と鮮やかで美しかった。
差し出された王子の手に自らの手を重ね、馬車から降りる。
疲れなど雪がれるような景色に、しばらく茫然と見惚れていると、王子の手の力が強められた。
王子の方にゆっくり引き寄せられ、はたと現実に戻った。
「すみません、あまりの美しさにボーっとしてしまって」
リリーがはにかみ、手を離そうとするが、何故か手が離れない。
王子が、しっかりと握っているのだ。
「あの… 王子?」
リリーが上目遣いで王子を窺うと、王子は酷く緊張した面持ちで、そこに立っていた。
どうかしたのだろうか。
何かあったのかとリリーが口を開こうとした時、
王子はおもむろに片膝をつき、リリーの手を捧げ持った。
「ディアマン・ブロン・リリー公爵令嬢。
貴女の、貴賤や国を問わず人を助けようとする優しさ、強さ、そのために努力するひたむきさ、そして時に人を楽しませようとするおちゃめで剽軽な部分…
その全てを好ましく愛おしいと思う。
この先もずっと貴女の傍で貴女の為すことを支え、共に過ごして生きることを許してくれませんか。
貴女を、心から愛しています。
僕の、永遠の伴侶になって下さい」
「えっ…」
王子から、想定外のタイミングで求婚をされ、リリーは心底驚いた。
寝起きに突然のボディブローを浴びた感じだ。
頭が全然回ってない。
混乱を極める頭の中で、冷静な自分が囁く。
前半は愛の告白だが、後半は… 普通女性側が言う言葉のような…
しかし、そんな茶化せるような雰囲気ではなかった。
空が赤いからか本当に王子の頬が上気しているのか、真っ赤な顔の王子が、口を結んでリリーの返事を待っているのだ。
リリーは捧げ持たれている手の感触が、かなりゴツゴツしていることに気づいた。
いつか握られた手は、つるつるすべすべで柔らかい子供の手だった。
リリーと同じくらいだった身長はとうに抜かれ、今は頭1つ分高くなっている。
そういえば、公爵邸でペトラー隊と一悶着あった時、リリーを庇える程に剣の腕が上がっていた。
去年まで、街の暴漢にも対処できない少年だったのにと感心していたのだ。
今回のことでも、だいぶと助けられた。
王子として正規の外交の手法と人道支援で解決しようと動いてくれていたし、一緒に炊き出しや現地視察までしてくれた。
その誠実さに、心を動かされないではなかった。
今、熱っぽい瞳で見つめられ、初めて心臓の音を煩く感じ始めた。
王子の柔らかな金髪と、エメラルドの目が揺れている。
リリーの答えに確証が無く、不安な気持ちがありありと見てとれた。
リリーの瞳もまた、揺れている。
リリーは今もまだ、恋とか愛とかがよく分からない。
ただ、エルム王子となら一つ一つ新しい世界をみて、少しずつ気持ちを育んでいけるような気がした。
リリーは結局、妙齢の貴族の娘なのだ。いずれ誰かと結婚しなければならないのなら、エルム王子が良い。
リリーは支えている王子の手を、反対の手で包み込んだ。
「はい。こちらこそ。
私のやりたかったことを王子に支えて頂いたように、これから先の王国で、王子に降りかかる全てのことを、共に乗り越え、支えさせて下さい。
不束者ですが、どうぞ宜しくお願い致します」
ぺこりと頭を下げ、額を手につけた。
「リ… リリー〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
王子が嬉しさを爆発させてリリーに抱きつき、脇を抱えあげて、ぐるぐると回る。
「わっ わっ わわっ」
リリーは急に宙に浮いて慌てたが、ひとしきり回って気が済んだ後、ひょいと降ろされ抱きとめられた。
あーびっくりした…
そして、言葉無くほとんどしがみつくように抱きついているエルム王子の手が震えていることに気づき、背中をぽんぽんと撫でる。
おずおずと顔を上げた王子は、目をパチクリさせているリリーに鼻を寄せ、そっと口づけを落とした。
馬車の陰でジェイバーが崩れ落ちていたことは、海に沈む太陽しか見ていなかった…




