108.晩餐会⑥
そうよね、7才といったら、まだ音楽を愛でる気持ちなんかないわよね。
身体を動かしたい盛りでしょう。
ピンゼル様に楽しんでもらうには、ピンゼル様の得意分野をフィールドにしなくては。
目が点になっているピンゼル様をちらりと見てから、ボールを天井近くまで放り投げる。
ボールは綺麗な糸で装飾された鞠だった。
あまり弾まず、サッカーボール位の粘弾性だ。
大きさは丁度いつも使ってる鞠と同等。
降ってきたボールを片手でキャッチし、その感覚と、時間を頭に入れる。
右手の甲に乗せ、背中を通って左手の甲へ転がす…
ふむふむ、問題なくできるわ。
これなら大丈夫。
「ノーテさん、オークリーさん。では、予定通り、彩然寶頌の演奏をお願いします。 私は諸事情で歌えませんが、皆様の美しい音楽を、ぜひお聴かせ下さい」
リリーの声で我に返った楽団員達は、その言葉に当惑していたが、事態が事態なので、とりあえず何か考えがあるらしいリリーに任せてみようという雰囲気になり、皆定位置についた。
リリーはテーブル前の広い空間に歩いて進み、膝をついた。
片足を後ろに伸ばし、身体を崩して前に倒す。
手は倒した身体の前に伸ばしていて、ボールを下から支えている。
この曲のアピールポイントは、色と自然の恵みだ。
歌詞が無くとも、観客の方々に色を感じてもらいたい。
リリーはイメージを膨らませながら、羽を休める蝶のように、息を吐いて地に伏せた。
彩然寶頌のイントロと同時に、花が綻ぶように手を開きながら身体を起こし、膝立ち姿勢になる。
大きく左右に開いた手の上を、ボールが滑るように転がり、反対の手へ。
後ろ側に転がせば背中を通り、前側に転がせば胸の上を転がる。
透き通った水が流れるように、片手をついて反対の手を上げ、平行に上げた足に向かって手から脇腹、太ももの外側、足首へと、身体の横のラインを転がす。
水が流れ落ちてしぶきが渦を巻くように、ボールを手で巻き込みながら身体を回転させて床に低く沈み、深い滝壺に辿り着く。
床に置いたボールに手を巻き付けながらくるくる回ったかと思うと、ボールを掬い上げて宙に投げる。
それを頭でヘディングし、ボールが浮いている間に前転、落ちてきたボールを膝で挟んで受け止め、挟んだまま後転してから、またボールを跳ね上げる。
寒い冬に、白い雪が降り積もるように。
足で掬って放り投げ、背中でキャッチ。
再び身体の上を転がし、雪解け水が流れ出す。
そして曲調が変わり、温かい春がやってきた。
ボールを頭上に掲げ、反対の手で片方の足を頭の後ろで掴み、まずチューリップスピン。
次に身体を倒して手を前に突き出し、足を平行に上げたスピン。
片手を上に、片手は前に、足は4のポーズで膝にかけたスピン。
たくさんの色の様々な花達が咲いた丘を駆け抜け、蝶は飛び立つ。
春を喜び、床から跳ね、空中で足を180度に開き、ボールを投げて受け取る。
宙で方向を変えたり、飛んでくるくる回りながらボールを投げては受け取るを繰り返して忙しく飛び回る。
手を大きく広げて上を見上げ、回転して世界を見渡す。
裾がふわりと広がった。
はた、とピンゼル様に目を移せば、ゆびをギュッと握り込み、キラキラした瞳でこちらを見つめていた。
ここで曲が新月の夜を迎え、暗い旋律になる。
ピンゼル様と目が合ったので、リリーはちょっとばかりイタズラ心でニヤリと笑うと、首に巻いていたリボンをほどいた。
またもや目が点になる。
そしてリボンは両目を隠すように巻き直して、後ろ頭でキュッと結んだ。
曲の途中で急に何を??
あれじゃ何も見えないじゃん?
ようやく目の前の珍事に慣れ、楽しむ余裕がでてきた観客達は、再度混乱の渦に巻き込まれる。
そしてリリーは、目隠しをしたまま演技を続けた。
飛んで跳ねて回って、ボールは自由気ままにはじけるが、一度も床に落ちることはない。
リリーには、ボールの場所や位置が、まるで見えているように、手に取るように分かるのだ。
落ちてくる場所を正確に予測し、背中でも、膝裏でも、足の甲でもキャッチできる。
指先、足先まで神経が研ぎ澄まされ、一挙手一投足が美しい。
最後はまた膝立ち姿勢に戻り、最初とは逆で身体をのけ反らせ、手は満点の星空をあおいで静かに動きを止めた。




