第92話 足掻き
承前
ユーキは子爵邸の会議室でスタイリス、クレベール両王子の脇の席に控えて座った。
テーブルの反対側では、スタイリス王子と正対してピオニル子爵がぽつんと座って待っている。
その姿はこの一週間の間にやつれ、頬がこけ落ちている。
まだ若いのに、濃い灰褐色の髪の毛に白いものも混じっている。
ほとんど眠れていないのだろう、目が赤いうえに右の瞼がひくひくと震えている。
その姿を満足そうに見て、スタイリス王子が低い声で切り出した。
声の調子は役者がかったように聞こえなくもない。
「子爵、調査に時間が掛かったために、今まで待たせることとなった。気の揉めることであったろうが、許せよ」
「殿下、滅相もございません。お役目でございますれば是非もなく、お気遣いいただき有難うございます」
「うむ。この五日間、何かと世話になった。礼を言うぞ」
「もったいないお言葉にございます。……それでは、調査は無事に済んだということでしょうか」
「そう、無事にな。正使として結果を伝える。謹んで聞くように」
「はい」
今まで媚び笑いをしていた子爵の顔に緊張が走る。
スタイリス王子が申し渡し内容を書いた紙を拡げ、低めた声で謡うように読み上げ始めた。
「今回の監察は、クリーゲブルグ辺境伯およびネルント開拓村の訴えに基づく。その訴状は、先代ピオニル子爵と取り交わした契約が違背されたことを述べている。調査の結果、」
スタイリス王子はそこで言葉を切り、子爵を舐めるように見た。
子爵の喉が大きく動く。
唾を飲み込む音が聞こえそうだ。
「本訴に関係して子爵側が保有する契約書が発見され、それに基づいて訴えの妥当性が検討できた。契約書の各項に対する子爵側の違背についても、その存在を確認する形で調査が完了した」
「今、何と! 契約書が?」
「無礼者! 最後まで聞け!」
「も、申し訳ございません」
子爵が慌てて下げた頭に圧し掛かるように、楽しげな正使殿下の声が、今度は高く響く。
「監察の過程で領民に対する搾取・暴力行為が多数観察された。大部分は本件の訴えの内容に直接関係せず当監察団の主目的とは外れる所見であるが、併せて国王陛下に報告する事とした。なお、子爵の母は今回の件には一切関与しておらず、その身分は保全されるべきと考える。監察団はこれより直ちに帰都して国王陛下に調査結果の詳細を報告する。以上である」
スタイリス王子はニヤニヤと笑いながらの宣告を終えた。
子爵は震わせていた頭をがばっと上げると、スタイリス王子に噛みつくように問い掛けた。
「契約書が見つかったとはどういうことなのでしょうか? そんな、そんな筈は有りません!」
「そんな筈はない? なぜだ?」
「そ、それは……」
「焼くように命じたからか?」
「! なぜそれを?」
「そりゃあ、考えればわかるだろ? 契約書以外にも焼くように命じたものがあったんじゃないか?」
「殿下」
クレベール王子が止めようとするが、スタイリス王子のニヤニヤ笑いは止まらない。
「まさか……」
「そうだ。お前が代官に送った書簡も同じ場所にあったぞ」
「そんな、どこに……」
「代官の下宿の隠し部屋に後生大事に仕舞われていた。ああ、見つけたのはそこにいるユークリウスだ。他にも契約書が沢山みつかった。それも知らなかったんだろう? 良かったな、精々ユークリウスに感謝することだな」
それを聞いて子爵がユーキをさっと振り向き、憎々し気に睨みつけた。
ああ、恨みを振り向けるためにわざわざ同席させたのか。
クレベール王子もユーキもそれぞれにスタイリス王子の意図に思い至った。
「おいおい、王族をそんな目で見る奴があるか。ユークリウスを恨むのはお門違いだ。お前だって代官の部屋を調べさせようとしたじゃないか」
「それは……」
「自分たちが先に見つけられなかったんだ。諦めることだな。まあ、王族と片田舎の貴族との違いというか、」
「殿下、お止め下さい」
クレベール王子がスタイリス王子の言葉を遮ろうとするが、スタイリス王子は止めようとしない。
「器の違いと言う事だ。最初から大人しく謝罪しておけば、まだ穏便に済んだものを。子爵、自分の愚か者さ加減を知るべきだったな」
「正使殿下、その辺で。子爵、ユークリウス殿下は正使スタイリス殿下率いる監察団の一員として、その務めをひたすら誠実に果たしただけです。思い違いをしないように。付け加えて言うと、母君のお立場についての意見を付帯させるよう、強く主張したのもまたユークリウス殿下です。心得ておくように」
クレベール王子に割り込まれて、スタイリス王子はようやく嘲弄を止めた。
子爵はしばらく沈黙していたが、ユーキに向かって無念そうに頭を下げ、感謝の言葉を絞り出した。
「……有難うございます、ユークリウス殿下」
スタイリス王子は子爵の様子を面白そうに見ていたが、『フン』と鼻先で笑うと、もう興味を失ったというように、クレベール王子に向いた。
「クレベール、後は任せる」
「正使殿下、承知しました」
クレベール王子はスタイリス王子に返事した後にその声を子爵に向けた。
「子爵、何かありますか?」
「クレベール殿下、契約書があったとしても、それは父との契約、前にも申し上げたように私とは関係の無いことです」
子爵は何とか責任を逃れようとするが、クレベール王子はその言葉をにべもなく跳ね付けた。
「子爵、それは通用しません。貴方は件の契約は貴方の父個人とのものであると言われた。しかし、ネルント開拓村に新たに渡された契約案には『ペルシュウィン・ピオニル』の個人名は無く、代官名で署名されています。また、その印影は元の契約のそれと完全に一致しています。代官は領主の代理人であり、貴方個人の私的な雇い人ではないことは明白です。さらに同一の正規の印章を継続して用いている以上、原契約も新契約案も『ピオニル領領主』という同一の主体が当事者と認められます。ピオニル領領主を引き継がれたのはどなたですか?」
「……」
「クリーゲブルグ辺境伯領との契約についても、送付された支援の小麦粉について、あなたから代官への書簡中に『契約通り』の文言があり、契約が有効であると知っていたことが判明しています。つまり、どちらの契約についても他の誰でもない、あなた御自身が当事者なのです。……まあ、ごく当たり前のことですね。このような恥ずかしい言い逃れは、陛下の御前では言い出さない方が良いでしょうね」
「それでは、全てを契約通りに戻します。それで良いのでしょう? クレベール殿下、どうかそれでお許しを」
子爵がなおも取り縋ろうとするが、クレベール王子は冷静な声で答える。
「今更、それはできません。訴えを国王陛下がお取り上げになり我々がここへ送られているのです。元に戻すかどうかは、もはや陛下がお決めになることです。貴方をどうするかもです」
「……」
「それから、貴方の代官は、訴えを行った村民に対して仕掛けた戦で既に死亡していて取り調べはできませんでした。従って、その者が代官として行った全ての所業についても監督者である貴方がその責を問われる事になります。そのおつもりで」
子爵はがっくりと頭を下げ、その頭の灰褐色の髪が小刻みに揺れている。
子爵はその姿勢のまま、小声を洩らした。
「ニードは死んだのですか」
「ええ、村人に戦いを挑んで敗れた挙句に、裏切った衛兵伍長に殺されました。その者も村人に討ち取られましたが」
「……」
「他に無ければ、我々はこれから直ちに王都に立ち戻り、陛下に報告致します。陛下には報告書の提出と同時に口頭での報告を行い、その場で御裁断が下されるでしょう。その際には子爵にも弁明の機会が与えられますので、同道をお願いします」
「直ちに、ですか」
「はい。本日、直ちに。急ぎの旅となりますので、供の者は最低限にして下さい。護衛は我々の供の者が努めます」
同道と言いながら、実際は護送である。
「……承知しました」
他の返事はあり得なかった。
会議室に空しく響くその応諾は、子爵には自分の声に聞こえなかった。
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国王への釈明のために監察団に伴われて上都したピオニル子爵は、数日後に王都に到着するや否や、シェルケン侯爵に面会を求める使者を出した。
監察の通告を受けた後にもすぐに助けを求める書状を送っていたが、未だに返事が無い。
冗談ではない、今こそ、寄親として守ってもらわねばならない。
勝手放題をして子爵を窮地に追い込んだニードは、侯爵に押し付けられた代官だ。
その代償は、侯爵に支払ってもらわなけば割が合わない。
使者を待つ間に、ニードにあてがわれた女が「子爵様ぁ、おられない間、淋しかったですわぁ。お顔の色が悪いですけど大丈夫ですことぉ? 気晴らしにお出掛けしましょぉ」と纏わり付いて来たが、それどころではない。
今その顔を見直せば、さほど美しいようにも思えない。
むしろニードを思い出して腹が立つだけである。
子爵は女を自室から追い出して使者の帰りを今か今かと待った。
しかし、使者は再び空しく戻って来た。
シェルケン侯爵は多忙と腰痛を理由にして、会えないというのだ。
そればかりか、国王陛下への弁明を行うべき御裁断の当日は、出席して立ち会うことができそうもないと、本人ではなく執事らしき男が口頭で答えただけだという。
何という事だ、あいつは俺を見捨てるつもりなのか。
翌日、御裁断の当日を迎えた。
子爵は所有する中で最も良い服と儀礼剣を身に着けて朝早く登城し、シェルケン侯爵の他の寄子を探した。だが、誰もいない。
必死にあちこちの控室を歩き回っていると、この半年強の間に社交の席で親しく話をできるようになった貴族達を見掛けたが、揃いも揃って顔を逸らし子爵とは目を合わそうとしない。
訴訟方にも行ってみたが、国王陛下が直接お取り上げになった訴えは管轄外だと門前払いされた。
どいつもこいつも、俺と関わり合いになるつもりはないということか。
眼を血走らせて駆けずり回るうちに、ようやく廊下でペトラ・グラウスマン女伯爵を見つけた。
「ペトラ様!」
子爵は小走りに駆け寄った。
「お話ししたいことが!」
グラウスマン女伯爵は眉をひそめた。
「ピオニル子爵、はしたない。声が大きゅうございますわ。ここは田舎道ではない、王城ですことよ。お控えあそばせ」
「申し訳ございません。本日の私の弁明について、お願いしたいことがございまして」
「廊下でお話しするような事ではございませんわね。こちらへ」
グラウスマン女伯爵に深紅の扇で招かれ、ピオニル子爵は付き従って近くの小部屋に入る。
扉を閉めるのももどかしく、薄く微笑みながらこちらを見る女伯爵に息せき切って訴えた。
「実は本日の弁明につき、シェルケン閣下に弁護をお願いしようと思ったのですが、お目に掛かることができなかったのです」
「侯爵閣下は暫く前に腰を痛められ、それを押して御忠勤を続けられたため起き上がる事もできぬ状態と伺っております。お会いになれないのも仕方の無いことでしょう」
「しかしそれでは私は……。ペトラ様、厚かましいお願いですが、お助けをお願いできませんでしょうか」
「それは、ちょっと。寄親である侯爵閣下に無断で動くことはできませんわ。おわかりでしょう?」
「同じ寄子ではないですか」
「貴方のお立場はどうあれ、私は、私の寄親である侯爵閣下に従わなければなりませんの。この前も、他の件である方の口利きを勝手に行って、侯爵閣下に厳しく叱られたばかりですの。悪しからず。閣下からは、陛下の御前で申し上げることについて、あらかじめ指示を受けておりますので、それに従います」
顔は微笑んでいても、グラウスマン女伯爵の声は冷たい。
だが、ここで見捨てられてはそれまでだ。
ピオニル子爵は女伯爵ににじり寄ると、その袖に縋りつかんばかりに訴える。
「その内容をお漏らしいただくわけには……」
「参りません。おわかりでしょう? ですが、それとは別に、釈明のお助けになるような事も、もしも機会があれば申し上げられるかも知れませんわね」
「どうか、お助け下さい。心からお願い致します」
「お約束はできませんが、心掛けては置きましょう。それより、そろそろ時間ですことよ」
「いえ、まだ陛下のお出ましまで、暫し時間はあります」
「陛下はせっかちなお方。時間前にいらっしゃることもしばしばございます。遅参されるようなことがあっては、お命取りになりますわよ」
「わ、わかりました。失礼致します。何卒、何卒よろしくお願い致します」
子爵が慌てふためいて部屋を出て行き扉が閉まると、グラウスマン女伯爵はそれまで顔に張り付けていた微笑をかなぐり捨てた。
「トーシェのドジが! 何で私が尻拭いをしなきゃならないのよ!」
顔を歪めて大声で言うと、扇をテーブルに叩き付けた。
華奢な造りの深紅の扇はいとも容易く折れ砕け、破片が辺りに飛び散らかる。
手の中に残った残骸を床に投げ捨てると、グラウスマン女伯爵は部屋を出て行った。
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