第89話 村の未来、ケンの未来
承前
初日の調査はマーシーとハンナへの訪問で打ち止めとなり、アデリーヌが記録を作成するのを全員で手伝ううちに終わった。
夕食には『簡素に普段と同じものを』と依頼していたが、村長の妻が心尽くしの品々をテーブルに並べ、一行は感謝して村長の家族と一緒にいただいた。
村長一家は遠慮しようとしたが、ユーキが「時間がないので食べながらでも村の事情を話して欲しい」と無理を言って食卓を共にしてもらった。
夕食の席での話題は村を開いた頃の話となり、村長と妻が訥々と語る思い出話に耳を傾けた。
先代子爵と共に道を拓き、家を建てるまでの事。
最初に集落を作った10家族。
先代からの支援で何とか切り抜けた一年目、二年目。
黒狼の遠吠えに怯えた夜。
ケンを養子に迎えた事。その後に生まれたレオン。
何とか自給が可能になり、増えだした入植者。
村で生まれ育つ子供達。
村人の願いでみんなで建てた教会と、先代が寄付してくれた鐘楼の鐘。
開村時に護衛を引き受けてくれたマーシーの入村とマリアとの結婚。
結婚式で鳴り渡ったその鐘の音。
作物を荒らす鼠や兎、家畜を狙う狐や狸との闘い。
徐々に広がる畑。
静かに語る村長を尊敬と憧れの目で見ながら聞くレオンと、伏し目がちのケンの様子にユーキは気が付いたが、何も言わずにいた。
話が開村から15年、先代領主との契約期間の半分が過ぎ村の規模もそれなりになり生活も安定した頃に差し掛かると、村長の声が暗くなった。
これからの開拓の方針をどうするか、このまま食糧主体の農村として拡大していくか、換金作物や加工品に切り換えるのか。
先代に相談し、周辺の地域の調査を始めた頃に先代とその娘が発病し、開拓が停滞した。
そして領主の代替わりとニードの来村。
そこで村長の話は終わった。
暗くなりそうな雰囲気を変えようとしてか、ベアトリクスが村の将来に話題を切り替えた。
「村長としては、村をどう発展させたいと考えておられるのですか?」
「そうですね。ここは高地の分、気温が低いです。ですから、低地と同じ作物を作っていては、収量も品質も勝てない。自家消費に終わってしまうと思います。そうすると、少しずつ人が増えたとしても、大きな発展はできない。現在の税率の期間……仮に国王陛下が契約の有効性をお認め下さったとしてですが……契約期間が終了し、税率が上がった時点で、それ以上の発展は見込めなくなると思います。そうなる前、現在の税率の間に、方向を転換したいと考えています」
「なるほど。例えば、単価の高い作物を作り、現金収入を増やす、という方向でしょうか?」
「はい。具体的な案はないのですが。もし、よろしければ御助言をお願いできますか?」
「うーん、難しいですわね。綿や菜種のような換金作物は、相場変動がそれなりに大きいので。主要産地での作柄に影響を受けやすいですわ。情報収集が重要ですが、北部の大都市から離れているこちらではなかなか難しいかと」
「ケンはどう思う?」
ユーキはどこか寂し気にしているケンに水を向けてみた。
「俺は、そういう事が良くわからないんです。あまり勉強していないんで。レオンはどう思う?」
ケンは自分では答えずに、義弟に問いを振り向けた。
やはり、気を遣っているのだろう。
「俺は、やっぱり、麓との距離とか峠の坂のこととかを考えると、大きな物、重い物は難しいと思います。あと、鮮度が重要なものも。軽くて高い物、となると、布地とかの加工品の方が良いのかなとか、思ってます」
「だが、それには、製糸機や織機を入れたり、原材料となる麻、あるいは綿や桑の木を育てなければならんぞ、レオン。かなりの額の元手が必要だ。簡単なことではないぞ」
「そうですね、父さん」
レオンは村長とそっくりな赤毛の髪を振りながら頷き、嬉しそうに村長に答えている。本当に尊敬しているのだろう。
だが、ケンの様子はやはり気にかかる。
他の者も同じように感じているようで、微妙な空気が漂いそうになる。
ユーキはまた話題を変えることにした。
「先代の領主は、どんなことを調査されていたんですか?」
「良く知らされていないのですが、御病気になられる前は、良く御長女様と御一緒に馬で出掛けておられました」
「お二人きりで、ですか?」
「いえ、子爵様の従者の方も御一緒でしたが、その程度ですね」
「調査内容は知らされていなかった、と」
「はい、当初は良くお話をされていたのですが。川から水を引ける範囲であるとか、どっちの森が炭焼き用にできる木が多いとか、豚に食べさせる木の実が多く取れそうだから、こっちの森は余り切り開かず、手入れをした方が良いとか」
「それが変わられた、と?」
「はい。ああ、西の山の方、クリーゲブルグ辺境伯様の御領の方角ですね、そちらを調べに行かれるようになってからは、『今日も収穫は無かった、役に立ちそうなものは見つからなかった』とおっしゃるようになられました。その後すぐにお体をお悪くされ、もうお見えになることはありませんでした」
「そうですか。いずれにせよ、特産品になりそうなものは見つかっていない、と言う事ですか」
「はい」
「ディートリッヒ嬢、何かアイデアはない?」
「そうですね。商人に助言を求めてみても良いのではないかと思いますわ。この村には、商人は頻繁に出入りしていますか?」
「いえ、年に数回です」
「主取引先となる商人を作られてはいかがですか? 私は税務方に勤めておりますので、何人か心当たりはございます。よろしければ、紹介いたすこともできますが」
「有難うございます。ですが、一人、取引を求めておられた行商人の方がおりまして。この騒ぎが片付いたら、その方に連絡を取ってみようと思っています」
「この地に目を付けられた商人がいるのであれば、そちらと交渉するのが良いでしょうね。こちらから求めていくと、どうしても足許を見られますので」
「はい。そうしてみます」
「ちなみに、その方のお名前は?」
「カウフマンさんと言われます。ノルベルト・カウフマンさんです。王都に小さな店を構え、行商もされています」
「聞き覚えはございませんね。大商人ではないのでしょう。でも、既に大きな身代を持っている大商人よりも、これから伸びていこうとする方と一緒に成長するのは悪い考えではないと思います。有能な方である事、皆様の御成功をお祈りいたします」
「有難うございます。我々も、そう願っております」
ベアトリクスと村長の話が切れた所で、村長の妻が村長に話しかけた。
「あなた、皆様はお疲れだと思います。夜も更けて参りましたし、そろそろお休みいただいた方がよろしいのでは」
「ああ、そうだな。申し訳ありません。話に夢中になって気が付きませんでした」
「いえ、明日もよろしくお願いします。できれば明日中に調査を終えられれば、と思っていますので引き続き協力をお願いします」
「承知いたしました。それではごゆっくりお休みください」
ユーキと村長が挨拶を交わし、夕食は散会となった。
その夜、ユーキは暗闇の中の寝床で、マーシーに頼まれたケンの事を考えていた。
村への道で話したこと、事情聴取の際のやりとり、夕食での様子。
代官との戦いを整然と語る態度と責任を一人で負おうとする姿勢が目に浮かぶ。
ケンが指揮官としての才を秘めていることは間違いないと思える。
ケン自身は自分をどう考えているのだろう。
ユーキは眠りに落ちるまで、ケンの心中を推し量っていた。
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翌朝、ユーキは日の出前に目覚めた。
起き上がると同室のクルティスの寝床は既に空になっており、上掛けが畳んで置かれている。
ユーキも寝床から抜け出して片付けをし、服装を整えて室外に出た。
まだ仄かに暗い彼誰時だが、村はもう起きている様だ。
村人たちの様々な生活の音に混じって、気合を発する小さな声がする。
外へ出てみると、庭でクルティスが剣を振って朝の訓練をしていた。
「クルティス、おはよう」
声を掛けるとクルティスは手を止めずに返事をしてきた。
「ユーキ様、おはようございます。そこの隅に、井戸があります。そこで顔を洗って構わないようです。それから、さっき、ケンがあっちの物見台の方に行きました」
「そうか」
「はい、気になられるようでしたら、行ってみられてはいかがでしょうか」
ケンの事を考えていたのは、クルティスには気付かれていたようだ。
こいつ、勘も良いんだよな。
武術の訓練の効果だろうか。
「わかった。そうするよ」
ユーキは井戸に行って水を汲み上げて顔を洗った。とても冷たい。
まだ残っていた眠気が一瞬で消える。
持って来ていた手拭いで顔を拭き、さっぱりすると村長宅に隣接する物見台に近付いて行った。
上を見上げたが、ケンの姿は見えない。
静かに考え事でもしているのだろうか、気配も感じ取れない。
ユーキは声を掛けてみることにした。
「おはよう、ケン。そこにいるのかい?」
すると上で物音がして、ケンが顔を覗かせた。
「おはようございます、殿下。何か御用ですか?」
「いや、用という訳ではないんだけど。僕もそこに行ってもいいかな?」
「……構いませんが。その梯子を登ってきていただければ。どうぞお気を付けて」
「わかった。今行くよ」
ユーキが梯子を慎重に登って行くと、ケンが心配そうな顔でこちらを見ている。
梯子から櫓に移るとほっとしたような顔で「どうぞ、こちらへ」と手摺りの方に招いた。
ユーキが手摺りに寄ると、ちょうど東の山から日が昇ろうとするところだった。
曙の光が山の端に現れたと思った瞬間に盆地を照らす。
川の面に当たった光はちらちらと反射して眩くユーキの眼を射す。
蒼く見えていた山や森があっという間に緑を取り戻すと盆地全体が息を吹き返したように風が押し寄せて、草や木の葉のざわめきを届けて来た。
「凄い景色だね。ケンは毎日これを見ているの?」
「子供の頃は、結構。今は村の用事とか義父さんの手伝いとかが忙しくなって、滅多に登らなくなりました」
「凄いなあ。この景色を見たら、皆感動するだろうなあ」
「……殿下が護られた方も?」
「それは言いっこなし、ということで」
「失礼しました」
ユーキは困ったような顔をしながら、逆にケンに尋ねた。
「そういうケンの方はどう? 村に大事な人はいるのかな?」
「村は、みんな家族ですから。俺は、そういう風な目で村の娘を見れないです」
「そう。じゃあ、将来結婚するとしたら、村の外からかな」
「それも考えられないです。やっぱり、村が大事だから」
「ずっと一人で村にいる、と?」
「……はい」
「村長さんの跡継ぎは、弟さんに譲るつもりだって聞いたよ」
「マーシーからですか? おしゃべりだから」
「そうだね。でも、君の事を心配していたよ。良い人だね」
「はい」
ユーキは視線を一度ケンに向けた後に、また眼下の朝の村に戻す。
そして、昨日マーシーがケンについて言った言葉を思い起こした。
『この村での居場所を自分で潰してしまう』、か。
なるほど、その通りなんだろう。
僕には菫さんがいる。
辛いことや悲しいことも彼女には打ち明けられるし、励まし合う事もできる。
ケンはそういう支えになってくれる存在さえも、無意識に作らないようにしているのだろうか。
こんなにも村を愛し村に尽くしているのに、まるで村から愛されるのを怖がっているかのようだ。
かといって自分で村から離れられるわけでもなく、一人でこの塔に登るように、村の中で自分をポツンと隔離しようとしているのか。
そして結局、英雄は孤独になってしまう。それはあまりに寂しすぎるじゃないか。
ユーキは村の景色をゆっくりと見回しながらケンに尋ねた。
「君はこの村で、何をしたいのかな。ああ、またお節介だったね。無理に答えなくていいから。勝手に喋るね」
「……」
ケンは答えず、ユーキの横に立って同じように村の家々を見下ろしている。
「君は今回、村を守った。村の皆は君に感謝している。でも、ずっと君に守られ続けたい、そう考えているだろうか?」
「……」
「村長の跡を継がなかったとして、君はここで何をしたい? 君の手を借りなければならない危機が、この先もずっと続くのかな?」
「……」
「もし、君がただの村人として生きていきたいというのなら何も問題はないと思う。でも、そうでないのなら、戦いで見せた君の能力を活かしたいと思うなら、ひょっとすると君のいるべき場所はここではないかも知れない」
それまで表情を変えずにユーキの話を聞いていたケンが、視線をさらに下に、櫓の床板に落として小さな声で答えた。
「そうかも知れません。俺も、殿下がおっしゃられたようなことを考えた事は何度もあります。でも、今回みたいなことがあるかもしれないと思うと、心配で村を離れられません」
そう言うとケンは櫓の手摺りを両手で握り締めた。
ユーキはそれを見て、マーシーの願いを心の中で反芻する。
だが、今はまだそれをどうこう言う時ではないだろう。
「そうだね。それに、まずは今回の事が片付いてからだね。そう言えば、戦闘報告の方はどう?」
「はい、何とか。まとまらない所を頭の中で整理しようと思って、ここに来たという部分もあります」
「それじゃあ邪魔しちゃったんだね。僕はもう降りることにするよ。よろしくね」
ユーキは梯子に手を掛けて降りようとした。
「あ、殿下、お待ちください」
「何?」
ユーキが顔を上げると、ケンはもぞもぞとポケットの中を探り、何かを取り出した。
「これ、昨日まで忘れていたんですけど、戦闘を振り返っているうちに思い出して……ニード、いえ、代官の遺体から、カラスが突き出していたものなんです。拾ったきり、忘れてしまっていて。お受け取り下さい」
そう言ってケンがユーキに向かって差し出した物、昇ったばかりの朝日を反射して金色に輝くそれは、もう一つの鍵だった。
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ユーキたちは午前中に衛兵の重傷者たちを見舞った。
その後にケンと衛兵長がそれぞれ提出した戦闘報告は、互いにほぼ矛盾がないものであった。
細部に違いはあったものの、重要な点、すなわち村側が警告を発したこと、代官ニードが先に戦闘命令を出したこと、代官の二度の攻撃が村人側に跳ね返されたこと、代官が衛兵伍長ボーゼに殺されたこと、ボーゼが代官側を代表して降伏したこと、離脱した傭兵と死亡したニードを除き全員が一度は捕虜になったこと、ボーゼが武器を隠し持って偽降伏を行い、脱走を試みてケンに殺されたこと。
ユーキは戦闘報告の確認の最後にケンに尋ねた。
「ケン、君達は入念な準備をして圧倒的優位を築いたんだね。これだけの準備を自分たちだけで考えて?」
「……」
「それとも、誰か他に指示をした人がいるのかな?」
「殿下、知恵を貸してくれた人、助言してくれた人はいます。ですが、全て自分達が納得してやったことで、責任は俺にあります。それ以上はお答えできません」
「わかった。それはこれ以上尋ねない。尋ねたいことはもう一つある。これだけの準備をしたのだから、やろうと思えば、もっと相手に損害を与えることも出来たと思う。けれど君達は、いや、君はそうはしなかった。なぜかな?」
「それは、相手を倒すのが目的ではありませんでしたから。村を、村のみんなを守れればそれで良かったので。監察使様が領都まで来て下さるらしいことは知っておりました。守りに徹して相手の攻撃を凌げれば、後は監察使様が何とかして下さると。ただ、ボーゼだけはどうしても逃がすわけには行かないと思いました」
「そう。わかりました」
それでユーキ一行のネルント村での調査は終わった。
一行はフォンドー峠まで村長やケン達の見送りを受け、フーシュ村で再び一泊して領都へと帰還した。
お読みいただき有難うございます。




