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風の国のお伽話  作者: 花時雨


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第85話 村への道で

承前


村に向かう道の途中、ユーキは後ろに従っていたクルティスに目配せをし、さりげなく馬の歩を早めて距離を拡げた。

クルティスはそれと心得て、ベアトリクスたちにもゆっくり進むよう知らせた。


ユーキは小声でケンに話し掛けた。


「ちょっと、話をしてもいいかな」

「はい。もちろんです、殿下」

「ケン、今何歳?」

「19です」

「私は18。その齢でみんなを率いているんだ」

「はい」


ケンの年齢を聞いてユーキは驚いた。ケンは自分よりずっと年上に見えていた。

彼の黒い髪と瞳のためだけではなく、憂いを秘めた思慮深そうな顔つきと、戦いの指揮を執った経験がそう見せるのだろうか。


「領主・代官を相手に回して、戦いのプロである傭兵が尻尾を巻いて逃げ帰り、相手の指揮官を倒し、敵兵を全員捕縛。味方は無傷。完全勝利じゃないか。絵物語のファルコも()くや、だね」

「殿下もファルコの物語を読まれているのですか?」

「子供の頃、少しね。君も?」

「いえ、私は。知り合いがファルコの事を話していたもので」

「戦いは怖くなかった?」

「……」

「気に障ったら、ごめん。無理に答えなくていいから」


ユーキはケンに謝って、話を続けた。


「私は、少し前に、闘いをしたんだ。といっても、ただの喧嘩なんだけどね」

「殿下が、喧嘩を?」

「うん、ちょっとしたいざこざでね」

「御無事だったんですか」

「うん、有難う。それで、まあ、ある人を護るための喧嘩だったんだけど、相手を投げ飛ばしたときに、気持ちがスカッとしたんだ」

「へえ」


この王子が何故いきなりこのような話を気安い調子で始めたのか、ケンは訝しんだが、取りあえず相槌を打ち続けた。

ユーキはそんなケンの様子は気にせずに話し続ける。


「その時は必死だったから気が付かなかったんだけどね。ずっと後にそれに気が付いて、怖くなったんだ。人を護るための喧嘩だったはずが、実は自分のため、自分が満足するための喧嘩だったんじゃないかって」

「そうだったんですか?」

「いいや、違うよ。もちろんその人を護るためだった。そのことは、間違いないと言える。でも、自分の中に、自分のために戦おうとする、自分の満足のために人を傷つけて喜ぶ恐ろしい自分がいるかも知れない、って怖くなった」

「怖くなった、ですか」

「だって、ほら、例えばある国の国王が自分のために他国との戦いを起こしたら、その国民はどうなると思う?」

「酷いことになりますね」

「うん。悲惨だよね。でも、国のために戦わなければならない時は、躊躇ってはいけない。そういう時に、自分のためか国のためなのか正しい判断が自分にはできるのだろうかって、怖い」

「……難しいですね」


ケンはボーゼを倒したときの体の震えを思い出しながら、ユーキの言ったことを考えていた。

それでつい返事が遅れたが、ユーキはやはり気にしていないようだ。


「そうだね。それを考え出すと、自分のためとは何なのか、人のためと何がどう違うのか、考えがぐるぐる回っている状態になっちゃうんだよなあ。国王陛下は、やっぱりすごいお方だよね」

「そうですね」

「まあ、取りあえずの結論は、次からは喧嘩は避けよう、絡まれたら慌てずに護衛や周りの人や警備や衛兵を呼ぼう、そもそもそういう場所に近寄らない様にしよう、その女の子を連れて逃げ出そう、っていうごく当たり前の小っちゃいことなんだけど」

「その女の子……護ろうとしたのは女性だったんですね」

「あ……今のは無かったことに」

「はい、聞きませんでした」

「有難う」


少し話が途切れ、ケンはさっきから感じていた疑問をぶつけてみることにした。


「あの、今のお話をなぜ、私に?」

「んー、何て言うんだろう。私のは些細な喧嘩だけど、君たちは真剣での命懸けの戦いだよね。まるで比べ物にはならないんだけど、そんな厳しい戦いで完全勝利する人なら、自分が何のために戦っているかを確かめる(すべ)を持っているかもしれない、というのが一つ。もう一つは……」

「もう一つは?」

「私より遥かに怖い思いをしたんじゃないだろうかって。余計なお世話かも知れないけど」

「……」

「ごめんよ。さっきも言ったけど、無理に答えなくていいからね」

「……」


ケンは言葉を失って視線を落とした。

その様子に気付いて、ユーキは話題を変えようと辺りを見回した。


「ここは涼しくて、気持ちも良いね。眺めもいいし、空気はすがすがしい気がするし」

「……」

「あ、君たちにとっては、そんな暢気な話じゃないか。麓の村から、こんな険しい山道で隔てられているんだから。やっぱり私は皆の気持ちに気が回らないな」

「……俺もそう思いました」

「そうだよね。ごめん」

「いえ、さっきのお話です」

「え?」


ケンは道の先を見て、何かを一つ一つ確かめるようにしながら言葉を続けた。


「俺も、戦う前、戦っている最中は必死で何も感じませんでした。村と村のみんなを護るために戦おうと、みんなで決めた事でしたし」

「そう」

「でも、戦いが終わった後に。いえ、ボーゼと言う女、……代官を裏切って殺し、逃げようとした衛兵伍長の女を、俺が殺した後に何が何だかわからなくなりました。人を殺してしまったと。震えが止まらなくなりました」


ケンはそこまで言うと、右手で胸を、服の下にある1リーグのペンダントを握った。

その手には力が込められてはいるが、苦しげには見えない。


「そうだったんだ」

「でも、俺の場合は、剣術の師匠が立ち直らせてくれました。『お前は大丈夫だ』って」

「それはよかった。私の取り越し苦労だったね。なんか恥ずかしいな」

「いえ、お気遣い下さり有難うございます、殿下」

「いや、やめてよ、恥ずかしいから」


ユーキが慌てて言うと、ケンは小さく笑った。


「……でも、殿下は一人で立ち直られたのですね。誰の助けも借りず」

「うーん、立ち直ったかどうかはまだわからないけど。王族は、他人に弱みを見せてはならないからね。付け込まれないように」

「なぜ、俺には?」

「それはほら、さっきも言ったように、完全勝利の人だから。答えを持っているかもしれないし、こんなちっぽけな悩みに付け込むようなことはしないだろうって。どう?」

「……答えは無いです。私も、考え続け、自分に問い続けるしかないと思います。何をしようとしているのか、何のための戦いか、と」

「そうか。問い続けるしかない。誰しも、同じなんだね」

「はい」


ユーキが真面目な声で答え、ケンも応じた。

二人はしばしそれぞれの思いに沈んだ。



「ケン」


少ししてユーキは再び話しかけた。さっきより少し声が硬い。


「はい」

「今回の件、君たちには事情があった。でも、国王陛下に御裁断を求めておきながら、領主と事を構え、戦の準備をして剣を交わした。それは事実だ」

「はい」

「そうあっては、君たちにも何らかの処分がある可能性がある。特に、訴えの代表であり戦いの指揮者である君にだ」

「もとより覚悟しています。殿下にお願いです。その際には、処分は俺だけに、他の村の皆には及ばない様に、お取り計らい頂けませんでしょうか」

「君は覚悟が出来ているんだね」

「はい」

「約束は何もできない。私はただの随行にすぎないから。事実をありのままに伝える事しかできない。でも、今の君の言葉は、確かに聞いた」

「有難うございます」

「ケン、君は本当のリーダーなんだね。領主を怖れず訴えに名前を出し、先頭に立って戦い、責任を全て負う覚悟を持っている。もしかするとこの言葉を聞くのは嫌かもしれないと思うけど、他に思い当たらない。君は英雄だ」

「……」



ユーキは、そしてケンもそれきり村に着くまで何も話さなかった。

ただ歩きながら考えているうちにケンは気が付いた。


この若い王子が最初に俺に心を打ち明けて見せたのは、処分の可能性を伝えるのに、あらかじめ俺にも耳と心を開かせるため、そして心を強く持たせて衝撃を受けないようにするためだったんだ。

この人は、あの坂を登るためには、見知らぬ俺への信頼を見せて俺たちの恐れを拭い去った。

俺たちの敵の連中の冥福を祈り、一方で衛兵長をたしなめて中立を示した。

それでいて、俺たちに同情を寄せていることも分かる。

怖くなったと言っていたが、俺はただ自分が怖かったのに、この王子は国民を想って怖がっている。

それらがわざとらしくもなく、全てこの国の風のように自然自在に流れている。

あの腕の立ちそうな若い従者も完全に心服している様だ。

それでも俺より年下か。


何のことは無い、俺が英雄だと言うならば、この方は真の君主じゃないか。


ケンは馬上の王子を盗み見た。

起伏の多い山道で、馬は不規則にその背を大きく揺らす。

だが王子はそれに動ずることなく鞍上で背中を伸ばして堂々と胸を張り、ただ道の先を、前だけを真剣な顔で見据えていた。


ケンにはその姿が、また光り輝いて見えた。



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