第59話 監察使任命
承前
国王は執務室に戻り、人払いをして宰相以外を退出させると自席に音を立てて座った。
本日の閣議はなかなかに長く、体に堪えた。
その上にピオニル子爵の案件だ。いずれは問題を起こすとは思っていたが、予想以上に早かった。
クリーゲブルグ辺境伯と違い、シェルケン侯爵は寄子を育てるつもりは無かったらしい。
だが、こんなに早く問題を起こしてしまうとは、あいつにしても想定外だろう。
勢力拡大のはずが、むしろ影響力を減らす危機だ。
国王は困るやら可笑しいやらで苦笑いするしかなかった。
その様子を見て宰相が尋ねる。
「陛下、何か御愉快な事でもございましたか?」
「いや、何でもない。気にするな。さて、ピオニル子爵の件、どうするか。税については調べるまでも無いようにも思うが、他にも何かあるやも知れん。本人に問い質すだけではなく、念のため現地を調べねばならんだろう。儂が扱うと決めた以上、少なくとも正使には儂の名代として王族を送らねばなるまい」
「例の件は貴族でも知らぬ者が多いですから。国が扱うことを不満に思う者が出るのも無理はございません。不満を抑えるため、副使には貴族を起用してもよろしいかと」
「そうか? 連中は、国政の主権も自分たちが握りたいと思っておる。儂が弱って来たと思い、次代の王族がまだ貴族の多くを掌握せぬうちが好機だと思っておろう。今、領政に国王が首を突っ込む新例ができるのは、あ奴らには都合悪いのであろうが、迂闊には妥協はできん」
「さようでしょうか。大半の貴族は、国政は陛下にお任せし、自領内に閉じこもって満足していると思いますが」
「それも困るが、過剰な野心も困る。国が有力な貴族にばらばらに分治されている状態になっては、国力が弱り他国から狙われることになりかねん」
「貴族はどうしても自領と自分の権力にのみ目が行きがちになります」
「国は一つにまとまらんと強くあれぬ。平和は一時の事と心得て、常に有事の巻波に備えねばならん。ましてや領の間で争いが起きるようでは、衰退は免れん」
「御意」
国王は思案を巡らす。
国の治世は国内だけに気を配れば良いわけではない。
今は概ね周辺諸国も平和だが、全ての隣国とうまく行っているわけでもない。
「フルローズ国の様子はどうだ? あの国は油断がならん。現在のフルローズ王は信じるに足る男だが、儂と同様に齢だ。次代の連中はどうだ?」
「王位を巡って水面下の争いはあるようです。王太女は現王の方針を支持しておりますが、第二王子は軍備拡張を訴えております。当国には良い感情を持っていない様子、我々にとっては不安要素ですな」
「変な方向にまとまらんでくれると良いが。監視を怠るな」
「はっ」
宰相の返事に国王は一度頷いたが、さらに考え続ける。
「それと、我が国の次代だ。今更言っても始まらんが、儂の子は二人とも揃って病だ。メリエンネも体が弱いとは、不運にも程があるだろうに。このまま放置しては儂の後はしばらく摂政が必要になるだろう。早くスタイリス、クレベール、ユークリウスに経験を積ませて育てんとな」
「スタイリス殿下は国民の人気が高うございます。国を容易に掌握されますでしょう」
「お前は相も変わらずスタイリス贔屓だな。国を掌握するには、見た目の人気だけでは足りん。中身が必要だ。中身はクレベールの方が上だろう。あいつは儂やスタイリスの目をはばかって、精進を隠しておる。が、考えはスタイリスより深かろう」
「クレベール殿下はスタイリス殿下の良い片腕になられるかと」
「そうであれば良いが、スタイリスのクレベールに対する態度が悪い。腹違いとはいえ兄弟だ。可愛がってやれば良いものを」
「近しいがゆえに、つい、ぞんざいになるのでは。それにそれぞれの母君の実家の思惑もあり、なれなれしい態度は憚れるのでしょう。クレベール殿下の方はスタイリス殿下に対して丁寧に接しておられます。御懸念されるほどのことではないかと」
「本当か? どうもお前は若い者には甘すぎるぞ。お前も齢か?」
宰相は自分の事を国王に揶揄されても、動じる様子はない。
国王には長年にわたって鍛えられており、この位はどうということもないのだろう。
「陛下、我々とて、若い頃を思い起こすとあまり言えますまい。先代様方に甘え、かなりいたずらを御一緒いたしました」
「それを言われるとな。まあ良い、決めた。今回のピオニル領の案件はそう複雑なことにはならんだろう。若い者が経験を積むにはちょうど良い。スタイリスを正使、クレベールを副使として送ることにする。ユークリウスも行かせたいが……」
「ユークリウス殿下はまだ副使にもお若い。それに正副使を三人、それも全て王族とはさすがに大仰と思われます」
「そうだな。正副使は各一人とし、ユークリウスは今回はあくまで実務の見習い名目で随行させよう。その他の随行者は三人の近くから選べ。但し、シェルケンとクリーゲブルグの派閥は外すように手配せよ」
「承知しました」
「任命を申し渡すゆえ、三人を呼べ」
-------------------------------------
侍従達によって呼ばれた三人の王子達は、急いで国王の執務室に参集した。
最年長であるスタイリス王子を中央に横並びになり、揃って頭を下げる。
スタイリス王子が代表して国王に挨拶した。
「スタイリス他二名、御前に参りました」
「うむ、用件は薄々わかっておろうが、ピオニル子爵領への監察を頼む。スタイリスが正使、クレベールが副使だ」
「承りました」
「有難うございます。謹んでお受けいたします。兄上、よろしくお願いいたします」
「ふん、よかろう。十分に補佐しろよ」
スタイリスとクレベール両王子の返答に、国王は頷いて命令を続ける。
「二人とも、頼む。先ほどの閣議での話は聞いておったであろう。辺境伯の申告を聞く限り、子爵側に問題があると思われる。だが、先入観は持つな。貴族を甘やかしてはならんが、民に阿ってもならん。中立を心掛け、真実を見極めて報告せよ。正使はスタイリスだが、調査のやり方は二人でよくよく相談せよ。それから、ユークリウスを随行させてやってくれ」
「ユークリウスをですか? このような仕事にはまだ若すぎるのではありませんか?」
「若いからこそだ。経験を積ませてやる必要があるのだ」
「足手まといにならぬかと心配ですが」
「そう言うな、スタイリス。ユークリウス、良く励み、スタイリスたちの補佐をするように」
「承りました。スタイリス殿下、クレベール殿下、懸命に励みますので、御指導御鞭撻のほど、お願いいたします」
「陛下の御指示とあれば是否もない。私の指示はきちんと守ってもらうからな。そう心得よ」
「承知いたしました。よろしくお願いいたします」
これで三人の任命は済んだ。
この任務を見事に果たせるのか、後は彼ら次第だ。
だがユークリウスのみならず、残りの二人もまだ若い。
何をすべきか心得ているか、少しは確認する必要があるだろう。
国王は話を切らずに続けることにした。
「では頼んだぞ。王都の子爵邸への通達は、今日明日中には行う。スタイリス、現地へは、いつ向かえるか?」
「随行員が決まり次第となりましょうが、普通に考えて、その後、一週間以内には出立できるかと」
「こういうことは迅速が肝要だ。子爵への通達後に時間を空けると、変な工作や隠滅が行われかねん」
「失礼いたします。スタイリス殿下、申し上げてよろしいでしょうか」
「なんだ、ユークリウス」
「スタイリス殿下、今回は儀礼的訪問ではありませんので旅装などは簡素なもので良いかと思います。荷物などの準備を最低限にし、随行員への情報共有や先方での調査内容についての殿下からの御指示も道中でしていただければ、出発を早めることも可能ではありませんでしょうか」
ユーキが勢い込んで進言すると、クレベール王子が落ち着いた声で苦言を呈する。
「ユークリウス殿下、逸るな。そのような細かな手筈の相談は監察団内で行い、そのあらましをスタイリス殿下が陛下にお伝えすべきなのではないかな」
「大変失礼いたしました。クレベール殿下、お教え有難うございます。スタイリス殿下、申し訳ありませんでした」
「内輪話を陛下の御前で行うのは失礼であり、正使であるスタイリス殿下の恥となりかねないぞ」
「クレベール、まあ良いじゃないか。私もちょうどそのことの御許可を、陛下にお願いするところであったのだ。大目に見てやれ」
「兄上がそうおっしゃるのであれば、承知しました」
スタイリス王子は二人に向かって鷹揚な態度を見せたあと、国王に悠々と上申する。
「陛下、私としては、今ユークリウスが申したような手筈にすれば、数日中の出発も不可能ではないと、正使として申し上げます」
「うむ、それで良い。是非そうしてくれ。調査についても、大まかな所はこの場で決めてはどうかな。儂も聞いておきたい。遠慮なくやってくれて構わん」
「はい、有難うございます、陛下。では、どうするかな? そうだな、ユークリウス、失礼ついでだ。調査について何か考えがあるなら言ってみろ。問題があったら私が修正してやる」
「有難うございます。では、申し上げます。現地での手順としては、まず、陛下が遣わされた監察であることの子爵への提示、訴えの内容と監察目的の通告、子爵と訴え出た村民からの事情聴取、両者の言い分に矛盾点があればそれについて調査の実施、その結果に基づいて非があると思われる側の弁明の聴取、必要に応じてさらなる調査の実施、それらの結果をとりまとめてスタイリス殿下から陛下への御報告、という流れになると考えます」
「まあ、おおまかにはそんなものだろうが。クレベール、どう思う?」
「はい、おおまかにはその通りでしょう。ユークリウス殿下、現地での手順の前に、今すぐにでもできる、やるべきことがあるのではないかな?」
「今すぐにでも? ……御指摘有難うございます。訴状の確認ですね?」
「ふん、その通りだな。ユークリウス、まだまだだな。宰相閣下、辺境伯と村民からの訴えについて、訴状を拝見したく」
「はい、スタイリス殿下、ただいま写しを作成させております。出来上がり次第、お届けします」
宰相からの報告に満足げなスタイリス王子に、クレベール王子が静かに進言する。
「兄上、現地に行く前に王都の子爵邸を調査する必要もあるかも知れませんね」
「よろしいでしょうか」
「何だ、ユークリウス」
「これは噂話のまた聞きに過ぎませんが、子爵は継爵後は、ほとんど帰領せず王都で過ごしているとのことです。領政については現地の代官に書簡を送って指示を与えているのみで、後は代官に任せている部分が多いとか。もしそうであるならば、証拠となる文書の類は大半が領にあると思われます」
「兄上、その噂は私も聞いています。王都で女を伴っている子爵の姿を見かけることが多いという話もあります」
「へえ、ユークリウス、お前でも噂話とかをするのか。意外だな」
「聞くばかりではありますが」
スタイリス王子はにやにやと笑ってユーキを見ながらからかうような言葉を掛けた。
ユーキが羞じる様子を楽し気に見ると、その後に、さも重要な情報であるかのように、真顔でクレベール王子に応じる。
「確かに、その話は俺も知っている。あちこちのパーティーでも子爵が末席をうろちょろしているな。上位の貴族やその令嬢に声を掛けてもらいたくて、走り回っているのを良く見かけるぞ」
「そうだとすると、王都より現地へ急いだほうが良さそうです。兄上、子爵邸の調査は後回しにしてはいかがでしょうか。現地を調べた上で、必要があれば随行の何名かを子爵邸に急行させても間に合うでしょう」
「そうだな」
「それから現地での村民への事情聴取ですが、領都にあらかじめ出頭させるよう、要請しましょうか?」
「あらかじめ証拠書類を持参させておけば、時間は短くて済むな」
「よろしいでしょうか?」
「スタイリス、ユークリウスに、いちいち許可を得ずとも物申して良いと、認めてやってはくれんか?」
もどかしそうにいちいちスタイリス王子に発言の許可を求めるユーキを見かねて、国王がスタイリスに注意した。
「ああ、陛下、これは気付きませんでした。ユークリウス、今は自由に発言して良いぞ。何だ?」
「有難うございます。訴え出た村民は、力添えを求めた辺境伯にも書類の現物は見せなかったようです。持参すれば奪われると恐れているのかもしれません。ましてや領主への信頼感は失われているでしょうから、そもそも領都への召喚にも応じるのをためらうかもしれません」
「訴え出ておいて、召喚に応じないとは不遜だろう」
「出頭させると、構えて真実を隠すかもしれません。もし隠し事をしていた場合には、自村で安心させて話をさせた方がうっかり洩らしやすいかも知れません。巷間、『問うに落ちず、語るに落ちる』という言葉もあります。御存じとは思いますが」
「もちろん知っているとも。だが、村とかは領都からきっと遠いのだろう? 面倒だな」
スタイリス王子は難色を示す。
胸を反らしたその態度も眉根を寄せた表情も、いかにも『辺鄙な田舎には行きたくない』と言わんばかりだ。
だが、訴え出た村民への調査はこの監察の肝となりうる。
ユーキとクレベール王子は口々に訴えた。
「そこはお命じいただければ、我々が出向きます」
「現地では他の関係諸処にも速やかに調査に向かう必要があると思います。私を含め、随行の者を手足にお使いください」
「それならば良かろう。だが、お前たちばかりに調査をさせるわけにも行かんな。私は何をするかな?」
「殿下、子爵への対応は、私や他の随行の者にはできません」
「兄上、ユークリウス殿下の言う通りです。子爵はまだ若いとはいえ、貴族家の当主です。私にしても、ユークリウス殿下にしても、王族とはいえ末席の身。子爵が虚偽を述べるを畏れるとすれば、兄上しかありますまい」
二人がかりで持ち上げられて、スタイリス王子は満足そうに応じる。
「まあ、そうなるか。よかろう。調査はお前たちに任せ、私は専ら子爵につきあうとしよう。私が一緒におれば、子爵も工作を図ることは難しかろうしな」
「兄上、よろしくお願いいたします」
「うむ。ユークリウス、他には何かあるか?」
「厳密には、辺境伯と子爵の領間での契約について、辺境伯側の契約書も確認する必要があるかも知れませんが……」
ユーキが言い淀むのを見て、国王は後を引き取ることにした。
打ち合わせも概ねは既にまとまった。
「それは辺境伯が持参しているであろう。提出するように儂の方から言っておく。辺境伯はお前たちから見れば親の年代だ。お前たちが何かを強く命じては、関係が悪くなりかねん」
「自分から訴え出られた以上、子爵領での調査で子爵側に理があるとなれば、辺境伯は言われずとも自ら身を引かれるでしょう」
「うむ、クレベール、そうだな。スタイリス、調査の大筋はそれで良い。後の細かな所はお前たちで現地到着までに詰めてくれ。三人とも、頼りにしておるぞ」
「お任せください」
スタイリス王子が国王に答え、それに合わせて二人も頭を下げる。
国王はうなずくと、満足げに言った。
「頼んだぞ。下がって良い」
三人が退出した後、国王は宰相の方を振り向いた。
「あの三人、儂は正副の順を誤ったかもしれんな」
「さようでしょうか」
「スタイリスは主導権をクレベールに奪われて気付いておらんし、具体的に何をすべきかもわかっておらん。ユークリウスは思っていたよりもさらに学びが進んでおる」
「ですが、スタイリス殿下を差し置いてクレベール殿下やユークリウス殿下を正使にするわけにはいきますまい」
「まあな。王家の顔、という意味ではスタイリスを正使にせざるを得ん。文字通り顔だけになりかねんがな」
「顔は重要かと思います。それに、要領よく他をうまく使う、というのも上に立つ者には必要でしょう。クレベール殿下やユークリウス殿下はうまく使われる、といった段階でしょうか」
「確かに、顔という点ではスタイリスは他の追随を許さんからな。それだけにならんように祈るとするか。今回の監察、クレベールがうまく回してくれるであろうし、ユークリウスには、学びを実践で確かめる良い機会になろう。念のため、随行には有能な者を一人は加えるようにしてくれ」
「承知しました」
宰相が退出するのと入れ替わりに侍従が入って来くると国王は「熱い茶を頼む」と言い付け、安楽椅子に身を預けると、大きく息をついた。
「メリエンネ、スタイリス、クレベール、ユークリウスか……。ユークリウスを手放すのは、当分先送りにした方が良いな……」
国王が洩らした独り言は、茶を淹れる侍従の耳には届かなかった。
お読みいただき有難うございます。




