第47話 たどり着くために
前話翌日
戦う決意をした日の翌朝、約20人の村人が村長の家の前に集まった。
大きめの背嚢を背負ったノーラがケンと一緒に出てくると、全員が勢い込んで取り囲む。
朝風は冷たく身を切るようだが、それを気にする者はいない。
ノーラは笑顔で挨拶した。
「おはようございます。全員集まった? 飲み水は持った? では、訓練を始めます」
「よし、最初は剣術からか?」「いや、槍の方が重要だ。剣より遠くから届くからな」「初戦はそうでも、乱戦になったら結局剣の闘いになる。剣術だ」「いえ、弓矢でしょう」
気負いこんで口々に言う村人たちをケンが制する。
「みんな、今日の訓練内容はノーラさんに従うんだ。勝手なことを言うのは止めよう」
「そうだったな」「ノーラさん、何から始める?」
「はい、では、始めますね。みんな、ついて来てくださいね」
「ああ、どこに行くんだ?」
「フォンドー峠まで歩くの。それが今日の訓練。行きましょう」
「ちょっと待ってくれ、歩くのがなんの訓練になるんだ」
「ああ、ただ歩くのではなく、私に合わせて。速度だけでなく、歩幅も歩調も合わせて、一斉に歩くの」
ノーラの答えに、村人たちの不満の声が大きくなる。
「そのぐらい訓練しなくても誰でもできるぞ。馬鹿にするな!」「そうだ! 舐めてんのか!」
「ううん、馬鹿にしていないし、舐めてもいない。必要な訓練よ。今日はフォンドー峠まで往復。でも、そう、帰ってくるまで歩調が揃っているようであれば、明日からは武術の訓練のみで構わないわ」
「フォンドー峠ぐらい楽勝だろ。一時間半かそこらで着いちまうんだ。か弱い女のあんたなら、二時間以上かかるかもしれんがな」
「そうかもしれないわね。やってみる?」
「いいだろう、やらせていただきましょう?」「ワハハハ」
挑発に乗るような声に合わせて、笑い声もあちらこちらから上がる。
「有難う。あ、みんなで歩調を合わせるために、号令を掛け、それに合わせて歩くの。ちょっとやってみるね。一、二、三、四、一、二、三、四、……いい調子。この号令を掛ける役割も、順番に交替ね。交替しても、歩調は変えないように。では、行きましょうか。一、二、三、四、一、二、三、四、……」
先頭に立ったノーラの後に続き、村人たちは一列になって歩き出した。
------------------------------
「いかが? 御感想は?」
一時間と少しの後にフォンドー峠に着いた時、返事ができるものは誰もいなかった。
ノーラの足取りは、思っていたよりもはるかに早かった。
最初の15分ほどは皆それなりに足並みを揃えて歩いていたが、30分経つと号令の声も小さくなり、やがて歩調はばらばらで、ノーラに遅れないようにするのが精一杯となった。
登りがきつくなると落伍者がポロポロと出始め、峠に着いた時に一緒にいたのは、ケンを初めてとして五人ぐらいだった。
その全員が肩で息をして、声も出せずにいる。
「みんなが揃うまで、休憩よ」
ノーラは背嚢を下ろすと、水の入った革袋を出してそれぞれに配りはじめた。
ケンは信じられない思いだった。
全員、自分が最初に持っていた水は、とっくに飲み干していたのだ。
「あんたは全員分の余分の水を背負って歩いていたのか?」
「ええ、村長さんにお願いして、準備してもらったの。実際の行軍時には、これの2倍か3倍ぐらいの荷物を背負って歩いてもらうことになるわね」
「どんな鍛え方をしているんだ……」
「帰りの分はないから、全部飲み切らないで。もしも近くに水場があるなら、補給しておいて」
絶句するケンをよそに、他の者たちはそんな会話も耳に入らないようで、黙って革袋を受け取るだけだった。
全員がたどり着くには、さらに20分かかった。
ホルストやジーモン、スミソンといった大柄な力自慢たちは体の重さが祟り、大汗をかき、完全に息が上がってふらふらしながら最後の坂を登り切った。
彼らが大きな音を立てて倒れこんだ後に、どうにか起き上がるまでさらに10分かかった。
彼らが渡された革袋から水を飲めるようになると、ノーラは全員を峠の頂上の平らになった、木陰で風に当たらない場所に集めて座らせて、もう一度言った。
「いかが?」
やはり誰も返事をしようとはしない。
その様子を見て、ケンは仕方なく、首を振り振り言った。
「あんたの言いたいことは何となくわかった。だが、物事を深く考えるのが苦手なやつも多い。済まないが、わかりやすく説明してやってはくれないか?」
「わかったわ。では、みんな、聞いてください」
それは、彼らが生まれてから初めて聞く話だった。
「いくら力が強くても、技が優れていても、名剣を持っていても、戦場にいない者は戦力にならないわ。戦場にたどりつけない者は、勇者でも、英雄でも、何の役にも立たない。必要な時に、必要な所に、必要な量の兵力を届けること。これができなければ、負けたも同然よ」
「先に戦場に到着すれば、準備に時間を掛けられる。兵に休憩を取らせて体調を整えさせられる。作戦を行き渡らせ、兵にそれぞれの役割を確認させられる。指揮官が隊を見回り、兵を鼓舞して士気を高められる。良い場所で陣形を整え、遅く来た敵の準備が整う前に攻め掛かれる。柵や塹壕を作り、斥候を出して守りを固められる。そうでしょ?」
「今の場合、こんなに守りに適した最高の場所がある。代官よりも先にこの峠に着き、準備を整えることが出来れば勝てる。出来なければ負ける。代官が兵を出したら、何があっても先にこの峠にたどり着かなければならない。その時に、最も頼りになり最も信頼できるのは、馬車でもなければ馬でもなく、自分の足よ。もちろん、馬は早い。でも疝痛を起こすかもしれない。馬車は車軸が折れるかも、車輪が外れるかもしれない。狭い道は通れず、泥濘にはまれば止まる。でも自分の体調は自分ですぐにわかる。足の肉刺は自分で治療できる。敵を欺くために静かに移動しなければならない時に、馬は嘶くかもしれない。馬車の音は消せない。でも、自分の足は忍ばせることが出来る」
「行軍の基本は、徒歩。軍の根幹は、まず、必要な資材を届ける輸送隊。そして戦いの中心となる歩兵。この二つが無くては、軍は成り立たないし、戦はできない。馬がいなくても、馬車が無くても、歩兵はすぐに作って鍛えることができる。物資は背負ってでも大八車ででも人が運べる。もちろん騎馬兵は圧倒的な攻撃力を持っているけど、育てるのには時間が掛かるし、……とてもお高い。ない物ねだりをしても仕方がない、よね?」
「今は運ぶのも戦うのも皆さんがやらなければならない。だから、まず、足を鍛えて欲しいの。もちろん、実際の時には使えれば馬や馬車を使っても構わないわ。でも、事故があって乗り捨てるようなことがあったとしても、歩いて峠に必ずたどり着けるようにしておくこと。いいですね?」
全員が黙って頷く。
ノーラはにっこり笑って付け加えた。
「それに、足腰の鍛錬は全ての武術の基礎ですし、ね」
「みんなわかったな?」
「……わかった」「……おう」
ケンが尋ねると、みんなが口々に答えた。
ケンはノーラを振り返った。
「聞きたいことがあるんだが」
「どうぞ?」
「ノーラさん、あんたは何で今みたいな話を知ってるんだ? あんたは軍人じゃなくてただの商人だろ?」
「ファルコ」
「え?」
「ファルコは、最初は馬に乗れなかったの。でも、自分の足で、時には走ってでも戦場にたどり着いて戦ったわ」
「でも、それはただのお話だろ?」
「お伽話の中に真実は一つも無いと、なぜそう言えるのかしら?」
にっこり笑って答えるノーラに、ケンはぐっと言葉に詰まった。
言い返すことができない。
「……もう一つ、ノーラさんの事について尋ねてもいいか?」
「何?」
「あんたは、なんで重い荷物を背負ってあんなに早く歩けるんだ? 実は従軍の経験があるのか?」
「いいえ」
「じゃあ、なんで?」
「行商人は、商機があれば、馬車が通れないような細い道でも、山道でも、商品を沢山背負って歩くものよ。商売は、早く着いたもの勝ち。その時のために、普段から馬車の横を歩いて鍛えるのよ?」
「そうなのか」
「早い話が、『商人舐めんな』っていうことね」
またにっこり笑うノーラに、ケンはもう何も言えなかった。
ノーラとノルベルトはさらに数日間滞在し、ケンや村長たちの色々な相談に乗った後に、村を去った。
最後の日にはもう一度マーシーを見舞った。
痛みは少しはましになったようだが、まだ寝たきりで、動ける状態ではなかった。
ノーラは後ろ髪を引かれる思いだったが、これ以上滞在してもできることはもう無い。
伝えるべきことは全て伝えた。
それに商人があまり長く開拓村にいるのは不自然だ。
代官に感付かれることが無いよう、領都は通らずにクリーゲブルグ辺境伯領に出て、ローゼン大森林を西回りで回って王都に帰ることにした。
関所でも特に怪しまれることなく辺境伯領に入り、ノーラとノルベルトは安堵の息をついた。
もう、自分たちにできることは、村人たちの将来を祈ることだけだった。
ノーラの軍師力(というか行商力?)炸裂編その2でした。




