第24話 子爵の挫折
第24話は子爵の回想話です。
王国歴222年9月(前話同日の夜)
ペルシュウィン・ピオニル子爵は継爵の披露の宴を終え、王都の邸の自室で腰から剣を外すと、二段になった剣架の上段に戻した。
父も使っていた儀礼用の、それにしては装飾の少ない模造剣だ。
これも質素な執務机の椅子に腰を下ろすと、剣架の下段を眺めた。
そこには母から贈られた自分の実剣が架けてある。
以前はよく腰に帯びたが、もう何年も見ることも避けていた。
そうなった切っ掛けは、クリーゲブルグ辺境伯の娘だ。
辺境伯と手切れして、あいつとも、もう会わなくて済むと思うと、ほっとする。
あの時の事など思い出したくもないが、剣が目に入るたびに脳裏に蘇ってしまう。
夢に見てうなされたことも何度もある。
それはまだペルシュウィンは十代前半の頃、先代の子爵も姉も元気で、子爵が家族を連れて友人であり寄親である辺境伯の領を訪ねた時の事だった。
姉は何度目かだが、ペルシュウィンにとっては初めての訪問だった。
顔合わせを兼ねた茶会の席で、ペルシュウィンは辺境伯の家族に紹介された。
辺境伯の息子たちは所用で不在とかで、同席したのは奥方とアンヌという娘だけだった。
アンヌは中背で、女性らしくはあるがしっかりした体付きで、黒髪の末を漆黒のリボンでくくって背中に垂らしていた。
同じく黒のシンプルなドレスに身を包み、顔は儚げな美人で、口数は少なかった。
互いの領の話、あるいは女性の好みそうな話題として自領で咲く花や名物の菓子の話をしてみたが、アンヌはもっぱら聞き役に徹するのを好むようだった。
話の合間に見せる笑顔は柔らかく、恐らくは控え目な性格で、男を後ろから支えることを好むような女性なのだろうと思った。勝手に思い込んだ。
そのうちに話題がペルシュウィン自身のことになり、何の気なしに『最近は剣を学んでいる』と言ったときのことだった。
アンヌが「まあ!」と目を輝かせた。
「ペルシュウィン様は、剣術がおできになるのですね!」
「ええ、まあ。そこそこの腕前に過ぎませんが」
「素敵ですわ!」
ペルシュウィンは、ああ、この女は強い男に憧れを持つタイプなのだな、と単純に思った。
そして、ちょっとばかり見栄を張ってしまった。
「剣術の指導者には、筋が良いと言われております。試しに領の者たちと立ち合ってみるのですが、まあ、負けたことはありませんね」
「素晴らしいわ……」
「それほどでもありませんが。アンヌ様は剣術にご興味がおありですか?」
「剣術ではありませんが、実は私も、少し武術を習っておりますの」
「ほう、何をなさっているのですか?」
「薙刀ですわ。なかなか上達しないので、困っているのですが」
「『ナギナタ』、ですか。あまり聞かない武器ですね」
「東方の異国の武器で、主に女性が用いるそうですの。それで、私にもできるかな、と思いまして。よろしければ、一手、御指南いただけませんこと?」
アンヌはさっきまでとは打って変わった口調で手合わせを求めて来た。
知らない得物ではあるが、女性相手に負けることは無かろうとペルシュウィンは高をくくった。
俺は剣術の指導をしてくれる衛兵たちには腕前を褒められているし、従者と立ち合っても負けたことは無いし、と。
哀しいかな、領主の息子相手に本気で厳しく指導するような衛兵はいないことをペルシュウィンは知らなかったし、御機嫌を悪くさせないために従者や家中の者に勝ちを譲られても、それがわかるほどの腕前ではなかった。
貴族の子弟の『無敗』など、何の珍しくもないのだ。
一方でここクリーゲブルグ領は、潜在敵国フルローズと接した最前線である。
そのため男女を問わず武術が盛んな尚武の気風であることも、他領の研究になど全く興味がないペルシュウィンは、もちろん知らなかった。
「私は構いませんが……」
「お父様、よろしいでしょう?」
「うーん、まあ、構わんが、怪我の無いようにな」
「子爵様、よろしいですか?」
「アンヌ様、ペルシュはまだ未熟です。危なっかしく思うのですが」
「父上、女性に怪我をさせるようなことは致しません」
「そうか。まあ、よかろう。お前もくれぐれも怪我の無いようにな」
「承知しました」
ペルシュウィンは、この可愛い人に自分の強さを見せてやれると思うと、ちょっと嬉しくなった。
それに父は姉と比べて自分を軽く見ている。
女性相手とは言え、自分を見直させる機会でもある。
よし、男と女の違いを見せつけてやろう。
但し、優しく。アンヌに嫌われない程度に。
そのような気持ちは周りにも伝わる。
将来、アンヌとペルシュウィンを縁組させることも考えていた辺境伯と子爵も、アンヌがペルシュウィンに好意を持つきっかけとなれば悪くないと考えた。
ただ、二人は互いに相手の子供の腕前を知らなかった。
あれだけ自慢するからにはペルシュウィンはそこそこはできるのだろうと辺境伯は期待し、格上の家の娘であるアンヌは過剰に謙遜しないだろうと子爵は忖度してしまったのだ。
一同は邸内の稽古場に移動した。
20ヤード四方程度だろうか、大勢が訓練するに十分な広さがある。
一面に美しく刈り揃えられた芝生敷きで、倒れても怪我をする心配はなさそうだ。
アンヌはドレスから動ける服装へと着替えに行った。
ペルシュウィンも訓練用の服と防具、そして稽古用の模造剣を借りた。
剣の長さも重みも、自分が普段の練習に用いているものと大差ない。
二、三度振って手への馴染みを確認した後に、習った型を試してみる。
そうこうするうちに、アンヌが作業着のような刺し子の上着を幅広のズボンにたくし込んだ姿で戻って来た。
『道着』とかいうらしい。その上にはやはり防具を付けている。
スタイルが良いのだろう、なかなかに似合っていて、見ていて嬉しくなってきた。
手には槍に似た長柄に、やや幅広の片刃を木で模したものがついている。
どうやらこれが薙刀のようだ。
長さは六尺棒より少し長い程度だろうが、アンヌが持つとかなり長く見える。
槍とは異なり刀がついているのだから振り回すのだろうが、非力な女性には取り回しが難しいのではなかろうか。
剣よりも遠間から届くだろうから離れると不利だが、近間に飛び込んでしまえば、問題ないだろう。
その後は、怪我をさせないように、防具を正確に打たないと、とペルシュウィンは考えていた。
アンヌは練習場の真ん中に進み出て一礼して声を掛けて来た。
「ペルシュウィン様、お願いいたします」
ペルシュウィンはやや離れて相対して礼を返した。
「では、お願いいたします」
アンヌはにっこり笑うと左足を前に出し、右手前に持った薙刀をすっと持ち上げた。
右手は右耳の前、少し離して突き出した左手は腰あたり、いわゆる八相の構えである。
構えを見たペルシュウィンは、自分の左肩からの袈裟切りを予想して、模造剣を両手持ちで正面やや高く構える。
すぐに飛び込んでも良いのだが、初手は女性に譲るべきだろう。
それに、受けて勝った方が自分の強さが誰の目にも良くわかる、というものだ。
そう思って静かに待つことにした。
暫し見合った後、アンヌは一呼吸入れた後に、ススっと二、三歩間合いを詰め、薙刀を振り下ろしてきた。
予想通りの太刀筋だ。剣を掲げて受け、少し力を込めて跳ね返した。
これでアンヌは下がるだろう、と思ったその瞬間、ビュッと音がすると剣に下から衝撃を受けた。
あっと思う間もなく剣はペルシュウィンの手を離れて宙を飛び、ドサッと地面に落ちている。
そちらを見るより早く、薙刀の刃が胸の前に伸びて来てピタリと止まった。
驚いてアンヌの顔を見ると、彼女はにっこり笑って後ろ足に下がり、中段に構えてまた微笑んだ。
ペルシュウィンは言い訳をせずにいられなかった。
「失礼、手が滑りました」
「はい、もう一手お願いいたします」
ペルシュウィンは剣を拾い、握り直した。
今は油断した。何がどうなったかわからないが、次は慎重に見極めないといけない。
「では」
アンヌはまた八相に構える。
ペルシュウィンは手に力を込めて構え直す。
アンヌは再び前に出て同じように袈裟切りを放つ。
ペルシュウィンは受けながら必死に目を凝らすと、薙刀が回旋して下から石突が回って来るのが見えた。
躱す間もなく振り上げられた薙刀に、剣は下から払われて先程と全く同じように手を離れて飛んで行った。
同じ負け方にペルシュウィンが悔しさを噛み締めていると、アンヌが気遣った口調で話しかけて来た。
「剣が手に合われぬ御様子、取り換えられてはいかがでしょうか?」
だが、このままでは引き下がれない。貴族男子の沽券にかかわる。
「いえ、また手が滑ったまでです。もう一手お願いします」
アンヌはにっこり笑って構える。
もう負けられない。
相手の手はわかったが、思ったよりも早い。こちらから踏み込むべきだ。
三度八相に構えたアンヌに対し、ペルシュウィンは気合をかけて前に出る。
するとアンヌはそれに合わせて下がりながら薙刀を揮い、足元を払ってくる。
こちらが慌てて下がると、前に出て来て再び八相の構えを取る。
ならば、こうだ。
今度はさっきよりも早く前に出る。
この後アンヌが下がって払い切りにしてくる薙刀を逆に払い飛ばそう、力勝負なら男が勝つ。
そのために剣を右に下げて溜めを作ろうとしたその時に、薙刀が逆向きに回旋した。
『しまった』と思ったがもう遅く、また石突で剣を飛ばされてしまった。
「もう、いいのではないか?」
呆然とする自分に、辺境伯から静かな、しかしいらついた声がかかる。
はっと顔を上げると、アンヌがまたにっこり笑っている。
両の口角を上げたその笑顔は、お茶の席では天使にも見えたが、今は悪魔のようだ。
「まだだ!」
かっと頭に血が上ったペルシュウィンは、叫びながら剣を拾って構える。
だが、元からはっきりと大きな実力差がある上に、冷静を失った者に勝ち目はない。
四度、五度、何度剣を飛ばされたかは覚えていない。
「ペルシュウィン、もう止せ」
何度目かに父から諭すように声をかけられた時には、地面に両膝を突き、肩で息をしていた。
我に返ると自分の醜態に気付き、どうしていいかわからず、走ってその場を逃げ去った。
「私、やり過ぎたかしら」
誰にともなく言うアンヌの声を聞きながら。
あの日以後、剣の稽古は止めてしまった。父は何も言わなかった。
剣は見たくもなかったので、王都の邸に送ってしまったきりだった。
今日、国王に『綺麗な手』と揶揄されたのも、元はと言えばあの娘のせいだ。
だが、もう、会うことはないだろう。
辺境伯はほぼ年中を領で過ごしており、娘を連れて社交界に出てくることは滅多にない。
令嬢と言っても田舎の娘だ、薙刀でも鍬でもせいぜい振り回して悦に入っているが良い。
俺はこれからずっと、王都で楽しく過ごすのだ。
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