第20.5話 フローラは去った
このお伽話での、魔物の立ち位置を示すお話です。
人が死にますので、お嫌いな方は御注意下さい。
王国歴218年11月(ノーラ15歳)
15歳になり成人の儀を済ませたノーラは、父のノルベルトと共に、再び行商の旅路にあった。
三年前の盗賊団の襲撃にあった時と異なり、護衛無しの一台での単独行である。
今回の旅は、王都から西へ、シェルケン侯爵領、グラウスマン女伯爵領等々を通り宰相ミンステル侯爵領の領都を目的地としている。
主街道を用いて国の中でもかなりの大領をいくつも通る経路で、治安もそれなりに良い筈だろうと護衛の必要を感じなかったため、二人きりの旅である。
王都で仕入れた物を次の領で売り、特産品を適宜仕入れてはまた次の領で売る。
それを繰り返して旅を続けるうち、街道は女伯爵領も概ね過ぎて次の領に入ろうかと言う頃であった。
ノーラ達は昼の大休止のために馬車を停めて火をおこしていた。
街道の反対側には少し向こうに、得体の知れぬ妖魔が棲むとこの国の人々が怖れ、『黒く深き魔の森』と呼ぶローゼン大森林の北端部分が見えている。
二人は雑談して笑いながら昼食の準備をした。
ノーラが近くの小川から水を汲んで来て馬に与えている間に、ノルベルトがスープが温めてパンを切る。
二人が準備を終えて、簡素な昼食の前に座ろうとした時であった。
後ろから、息も絶え絶えの女の子の声がした。
「お姉ちゃん、おじちゃん、助けて……」
声がした方を二人が向くと、岩陰から、憔悴しきった七、八歳くらいの女の子が現れた。
「あなた、誰? どうしたの? これを飲んで」
ノーラが走り寄って水を与えると、女の子は一気に飲み干して続けた。
「私、ミア。こわいおじさんたちに捕まえられて来たの。逃げだして、あっちこっちにかくれながら来たんだけど、もうだめ」
「どっちから来たの?」
「あっち」
ミアは女伯爵領の中心の方角を差し、怯えた声で続けた。
「もうすぐ、探しに来る。お願い、かくして」
ノーラとノルベルトは顔を見合わせた。
もし、拐わかしの一団が近づいているならば一大事である。
匿おうにも、荷馬車にはこの子を隠せるような場所はない。
迂闊に匿って拐わかしに見つけられたら、自分達も危うい。
その時、ノーラの頭の中に女の声が響いた。
「おいで……早く……こっち……今すぐ……」
声は繰り返し、呼んでいる。
声のする方角には黒く深き魔の森が佇んでいる。
ノーラが目を凝らすと、森の中から手招きをする女の姿が見えた。
ノーラは躊躇ったが、拐わかしの連中から逃げて来たのなら、この子を助ける方法はそれしかない。
この子にとっても、自分たちにとっても一か八かだが、誘拐団にこの子が見つかったら、自分たちの命はないだろう。
ノーラはノルベルトとミアに早口で言った。
「父さん、探しに来る連中には『この子が森に行くのを見た』って言って。私はお花摘み。お願い! ミアちゃん、ついて来て! 走るの! 横に離れて! もっと!」
そう言ってミアから横に大きく距離を取って走った。
ミアと名乗った女の子もついて走ったが、途中で止まって泣き出した。
「お姉ちゃん、この森はこわいよー」
「大丈夫! 私を信じて! 早く!」
ノーラが必死に諭して励ますと、ミアは泣きながらもまた走り出した。
「そう! 大丈夫だから! こっち!」
ノーラは先に立って森に入り、ミアもびくびくしながらその後に続いた。
二人の姿が森に消えた頃、街道のノーラ達が来た方角、すなわち女伯爵領の方に砂埃が見えた。
砂埃は大きくなり、やがてその中から騎馬の姿が見えた。
五騎のようで、みな同じ衛兵のような服を着ている。
騎馬は荷馬車の横で止まり、全員が下馬した。
そのうちの隊長らしき男はノルベルトの所へ来ると大声で宣した。
「当領の衛兵隊である! 不審の段により荷改めを行う!」
そして返事も聞かず、残りの四名に「かかれ!」と合図した。
隊員たちはその合図を待たず既に荷台に上がり、荷の中や間を探している。
「お役目御苦労様です。何かございましたか?」
「嫌疑が晴れるまでは黙っておれ!」
ノルベルトが隊長に尋ねても、一喝されただけだった。
やがて隊員たちは、荷台や荷物の中だけでなく、馬車の下まで探し終わると、「いません」と隊長に報告した。
隊長はそれを聞くと、ノルベルトに向き直って問い質した。
「どうやら疑いは晴れたようだ。ここに来るまでに、怪しい子供を見なかったか?」
「子供ですか? 何歳ぐらいの? どんな格好をした子ですか?」
「8歳の女の子だ。格好はごく普通の農民の子を装っている」
「それでしたら、しばらく前に、森の方へ走って行きました」
ノルベルトは黒く深き魔の森を指差して教えてやる。
「何だと? 魔の森に? 本当か?」
「はい」
「……お前、入領証を見せてみろ」
順番が違うだろうと思いつつ、ノルベルトは逆らわずに入領証を見せる。
「……人数が二人になっている。もう一人は?」
「娘です。今、花を摘みにそちらの方に行っています」
ノルベルトはまた森の方を指差した。
「娘?」
隊長の目が光った。
「今、何歳だ?」
「15歳です」
隊長の目の光が消え、落胆が見えた。
「ふん、もうフローラは去った後か」
隊長の呟きが聞こえ、ノルベルトはさすがにピクリと反応してしまうのを止められなかった。
フローラは花と豊饒の精だ。
フローラが来ると言えば人生の花の盛りを迎える、フローラが去ったと言えば盛りを過ぎた、あるいはもう子を成せないという意味になる。
成人の儀を迎えたばかりの15歳の娘に使う言葉ではありえない。
8歳の子が花の盛りと言う事か?
信じられない。重罪じゃないか。こいつらは危ない。
隊長がこちらに向き直り入領証を返してくるのに対して、顔を見ないようにして小さな袋を差し出した。
「何かと御苦労様です」
中には何枚かのリーグ銀貨が入れてある、いわゆる役人除けのおまじないである。
危ない連中にはむやみに近付かないに限る。権力を握っている場合には尚更だ。
隊長は出された袋を掴むと鼻先で笑った。
「道中、精々気を付けるがいい」
そう言い捨てると、全員が騎乗して森の方に向かった。
途中で、戻って来たノーラとすれ違ったが、一瞥もしなかった。
そして森の前で暫く逡巡していたが、軟らかい土の上に子供の足跡を見つけると下馬して全員が森の中に入って行き、少し離れた所にあるノーラの足跡には気づかなかった。
ノーラがごく近くに来るまで待って、ノルベルトは小声で尋ねた。
「どうなった?」
「とても綺麗な大人の女の人がいて『任せて』って言ってたから、お任せしたわ。後はあの子次第。素直そうな子だったから、多分、大丈夫だと思う」
「その女の人って……」
「ポケットに飴がいくつか入ってたから、全部渡したわ。そしたら、ミアちゃんにも分けてあげてたの。『お菓子を貰ったから怖いことは起こらない』って言ってたから、多分大丈夫だと思う」
「……まあ、これ以上は何もできないしな。連中が戻ってくる前に行くか」
「うん。そっちも大丈夫だとは思うけど」
二人は手早く火を消して辺りを片付け、そそくさと荷馬車に戻って先を急いだ。
パンは御者席で齧ることになった。
-------------------------------------
女伯爵領に隣接する男爵領の領境で、自警団の一団が立ち止まって地団太を踏んでいた。
「この先はもう、女伯爵領だ。仮にいたとしても、もう俺達には手が出せん」
「くそっ、怪しい連中がこっちへ来たのはわかってるんだ! 何とかならないのか!」
「ミア……神様、いや、誰でも構わない、ミアを、妹をお助け下さい……」
小さな男爵領では衛兵組織も小さく、治安の維持には各町村の自警団の力を借りざるを得ない。
彼らはあくまで住民のボランティアによる活動であり、領主からの金銭的支援は無いか、あっても少額に留まる。
装備も貧弱であれば、訓練や経験にも乏しい。
当然騎馬を使えるわけがなく、拐わかされた子供を馬車に乗せて連れ去られれば、なかなか追い付けないのが実情である。
そして領境を越えられてしまえば、それまでだ。
自警団とはいえ、武装した人間が勝手に隣領に踏み込んでは大問題になってしまう。
後は隣領の領主との交渉次第と言う事になる。
仮に男爵にその意思があったとしても、高位の女伯爵に撥ねつけられてしまえば追及のしようが無いし、そもそもその間に手遅れになるのがわかり切っている……。
自警団が追跡を諦め、泣く泣く帰途に就こうとした時だった。
「お兄ちゃーん」
聞き慣れた声がした。
「ミア? 今、ミアの声がしなかったか?」
「何だって?空耳じゃないのか?」「いや、俺も聞こえたぞ! どっちだ?」
「落ち着け、良く聞くんだ」
「ミア! いるのか?! どこだ! どこにいる!」
……
「こっち。お兄ちゃん、こっちよ」
今度は確かに聞こえた。
声のした方を見ると、黒く深き魔の森の方から、ミアがよろよろと歩いてくる。
ミアの兄がミアめがけて全力で走り出し、他の者もそれに続いた。
「ミア、良かった……ミア」
兄がミアを抱きしめるのを、全員で取り囲む。
「良かった、良かったな、ミア」「黒く深き魔の森に逃げ込んで無事に出て来れたのか……信じらんない」
暫くして兄妹が落ち着いたら、自警団は兄に背負われたミアを中心にして、村へと帰ることにした。
兄は歩きながら背中のミアに尋ねた。
「ミア、どうやって逃げて来たんだ?」
「昨日の夜、こわいおじさんたちがお酒を飲みはじめたから、そのすきにそっと逃げたの。走ったりかくれたりしてもう疲れて倒れそうになった時、商人さんらしい荷馬車を見つけて。そこにいたかわいい感じのお姉ちゃんが、私を森に連れて行ってくれたの。そしたら、とてもきれいな大人のお姉さんがいて。『この森は怖いかも知れないけど、私を信じて一人であっちへ真っ直ぐ歩いて行きなさい』って言われたの。かわいいお姉ちゃんも『大丈夫だから、言われたようにするの。頑張って』って。だから、私、すごくこわかったけど、がんばって歩いたの。そしたら、出てこれたの」
「腹が減ったろう。良く頑張って歩けたな」
「うん。目が回るほどお腹が空いて、もうだめと思ったけど、お姉さんにもらったアメをなめたら何だかすごく元気が出て。だからがんばれたの」
「そうか、良かったな」「本当に良く頑張ったぞ」「でも、黒く深き魔の森にいる女、って何者なんだ?」
「ミア、その綺麗なお姉さんって、どんな人だった?」
「……『とてもきれいな大人』以外はないしょにしろって。でないと、こわい事が起こるからって言ってた」
それを聞いて皆ぎょっとした。
全員の心中に『魔物』という言葉が浮かび、それ以上は尋ねるのを止めて黙って村へ帰って行った。
-------------------------------------
衛兵たちが森の中に入ってから、もうかなりの時間が経った。
「くそっ、どこまで逃げ込みやがったんだ」
一人の隊員の焦れた声に、隊長は落ち着いて答えた。
「子供の足だ、そんなに遠くまで行けるわけがない。もう近いはずだ。隠れているかもしれん。そこら辺を捜してみろ。怯えて動くだろう」
そして隊長は剣を抜き、手近な蔦を切り落とした。
それを合図に隊員たちも一斉に枝や蔓、行く手を阻む若木などを切り払い始めた。
だが、何も見つからない。
そこに女の静かな声が聞こえた。
「あーあ、やっちゃった、いえ、やってくれちゃったわね」
男たちが驚いて振り返ると、一本の樫の立ち木が、見る見るうちに人間の女に姿を変えた。ただ、その肌は緑色で、手足は木のままだ。
男たちは一斉に剣を構えて警戒する。
「何もしなければ、フローラの名を辱めた罰は、死ぬまで彷徨うだけで済んだのに。あのね、拐わかしとか偽衛兵とかは、別にいいのよ。私達、人間同士の事に興味ないし。でも、小児を捕まえてフローラ云々は、ちょっと許されざるわよね。それに加えて森を荒らされちゃあね」
「お前は何者だ?」
隊長が尋ねる。
「何者? あなたたちの言葉で言えば、魔物かもね。それとも植物の範疇かしら。ドリアーダ、って言えばわかる?」
「ドリアーダ……木の魔物か?」
「人を誰何したら、今度はあなたたちが名乗る番ね」
「魔物に名乗る名前はない」
「そう。無礼の罪も追加。まあ、あんたらの名前に興味もないけど」
隊長は用心深く剣を構え直す。
「俺たちをどうする気だ?」
「どうして欲しい?」
「子供をここへ出せ。逃げ込んだはずだ。それから俺たちを森から出せ」
「ふーん。随分偉そうにするんだ、犯罪者風情が。でもどうかしらね。あんたらにとっては、フローラは去っちゃったんじゃないかしら」
「どういう事だ?」
「あんたらがこの森に入ってから、外はもう十年以上経ってるわ」
「な、何だって?」
「あの子は元の村でもうすぐ結婚するみたいよ。フローラが肩に乗って微笑んでるわね」
「……」
「それに、この姿を見せた以上、あんたらを外に出す気はないわね。そこいらの子を切った償いに、この森の肥やしになってもらいましょうか」
「このっ、全員、うっ?」
隊長は剣を振り上げようとしたが、どこからともなく飛んできた蜂に顔を刺され、手で追い払った。
だが黄と黒の縞模様の大きな蜂は逃げず、それどころか十匹、百匹、千匹と瞬くうちにも際限なく数が増える。
隊長は慌てて両手を振り回して追い払おうとするが、蜂の群れは全身に集って服を噛み破り、そこかしこを刺し、噛みついて肉を喰い千切ろうとする。
「痛いっ、畜生、やめろ、こいつ、あっちに行け!」
気が付くと、他の隊員は既に蜂に全身を覆われて、四つの塊となって蠢いているだけになっている。
「誰か、た、助け……」
助けを呼ぶ叫び声を上げることはできず、隊長もまた全身を蜂に覆われた。
暫くして蜂の群れがどこへともなく飛び去った跡には、五本の剣と硬貨がそこかしこに落ちているだけだった。
それを眺めてドリアーダがぶつぶつとぼやいた。
「あー、失敗した。剣が五本も残っちゃった。森の外に捨てに行かないと、ローゼン様に見つかったら叱られる……まあ、安物そうだから、すぐに錆びて朽ちるでしょ。でも、銀貨がやばい……いいや、面倒臭い、知ーらないっと。いいわよね、フローラ?」
ドリアーダが振り向くと、後ろで小さな、しかし美しい大人の姿をした花の精が微笑んでいる。
ドリアーダが微笑み返すとフローラはドリアーダに飴を一つ渡し、静かに森の中へと去っていった。
「Trick or treat! 評価をくれないと、怖いことが起きるわよー」(起きません)
ハロウィン投稿です。
あらすじで「魔物は少し出て来る」と書いておきながら、なかなか出て来なくて済みませんでした。




