第17話 街道に吹く風
本話から数話、行商人の娘ノーラの話が続きます。
主人公サイドの主要人物は、概ねノーラで最後になります。
王国歴215年10月(ノーラ12歳)
前話の七年前の話になる。
ノーラ・カウフマンは草原の間を進む荷馬車の横を歩いていた。
気持ち良い乾いた西風が吹いてきて、速足で歩いてもそれほど汗はかかない。
強い風も、草原に吹き付けて草を薙いでいるうちに勢いが殺され、街道に届くころには柔らかになる。
考え事の邪魔をしない、優しい風だ。
ノーラは退屈しない娘だった。
行商人の夫婦の間に生まれ、赤ん坊のころから馬車に乗ってあの町からこの村へ、この谷からあの平原へと、何度も何度も繰り返す旅の中で育った。
そのため、同世代の親しい友達はおらず、たまに一時的に組まれた商隊の中で似たような境遇の子供と出会ったり、旅先でしばらく滞在したときにその町や村の子供たちと遊んだりする程度だった。
友達と言えるのは、あの子とファルコだけだった。
ノーラは御者台の隣に座って、行く先々の産物や風土の知識を親から教わったり、その土地土地に伝わる伝説やお伽話を聞かせてもらったり、少し大きくなってからは商売の話も聞いた。
雨の日には荷台の隅にしつらえられた自分用の小さな椅子に腰かけて、本を読んでいた。
この時代、本は貴重品だったが、幸い親が商人であったので、伝手をたどって少し安く手に入れることができた。
ノーラはお伽話や恋物語より、昔の英雄ファルコの戦の物語の方が好きだった。
行商に持ち運べる本はそう多くはないので、同じ物語を繰り返し繰り返し、一言一句覚えてしまうぐらいに読んだ。
しばらく読むと、今度は馬車を降りて横を歩きながら、読んだことについて考えた。
歩いている方が、考え事がはかどるのだ。
戦の陣営や、戦士の振るう技、英雄の姿や声、轟く勝鬨を思い浮かべては胸を震わせた。
英雄ファルコがどのようにして兵を集め、陣を敷き、戦いを始め、敵陣を打ち破っていったか、また敵将がなぜ打ち破られざるを得なかったのか、考えた。
そして自分が英雄であったなら、あるいは敵将であったならどのように闘ったであろうかを想像し続けた。
普通の子であれば、想像の中ではファルコとなり勝ち続ける自分を思い浮かべたかもしれない。
しかしノーラは、敵将となりファルコに打ち負かされる自分を想像することの方が多かった。
そしてどうすれば負けないかを考え、さらにその上を行くファルコの姿を思い浮かべては笑みを浮かべるのだった。
また、盗賊が出る恐れがある危険な街道を行く時に雇われる傭兵とも仲良くなり、様々な武芸や格闘術、闘いの駆け引きの話を教えてもらった。
休憩や野宿で時間があるときには、自衛のために荷馬車に積んである剣や弓、それに体術の実技も習った。
両親はあまりいい顔はしなかったが、半ばは遊びだと黙認していた。
もちろん、小さい内は、盗賊と戦わせるようなことはさせていない。
盗賊の噂がある街道を行くときは、荷台の隅に籠り、声も立てないように厳しく言いつけられた。
子供が乗っていることが盗賊に知られれば、良い獲物と狙われる。
人身売買はもう何十年も前に禁止されたが、自分の慰み者にするために子供を買う貴族の噂は絶えない。
禁止されている分、闇世界での取引値は高騰していてもおかしくない。
ノーラは顔立ちの整った子だ。さぞかし高く売り買いされることだろう。
幸い、現国王の優れた治政のお蔭で国内の治安も良い。
盗賊に襲われることは滅多になく、たまに出会った時も護衛の傭兵が無難に対応してくれた。
ノーラは十歳を超えた頃、自分用の武器を欲しがるようになった。
確かに何も持たずにいるよりは良いかも知れない。
かといって、娘の力では、剣を持たせても何の役にも立たないだろう。
両親は親しくしている傭兵にも相談して、小型の弓を与えることにした。
遠くを狙うことはできないが、荷台に登ろうと走り寄って来る盗賊には十分な脅威を与えることができるだろうと。
ノーラはこれを随分気に入り、野営の夜など、時間を見つけては練習し、かなりの腕前になった。
そのことを父親のノルベルトが褒めると、ノーラは得意げに胸を張って言った。
「ファルコは弓も得意だった。『武技を極めるは武術者の性。良兵は得物を選ばず』って言ってた」
またファルコか、と父親は困ったように笑うのだった。
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