第16話 マーシーの回想
王国歴222年8月(ケン18歳)
暑い日だ。高地にあるネルント開拓村でも、真夏の南風は熱風のように感じられる。
うだるような暑さの中、大人たちは昼間は家に籠って休み、農作業をする者もいない。
この暑いさなか、マーシーの目の前で、村の子たちは今日も訓練をしている。
顔いっぱい、いや体中に汗をかき、男の子は大半が上半身裸になっている。
少し訓練しては水を飲み、少し動いてはまた水を飲み、を繰り返している。
まあ、それでも、みんな家や畑の手伝いをしているよりは、訓練の方が好きなのだ。
手伝いをしていると周りの大人は喜ぶが、もちろん構ってはくれないので、基本的には楽しくない。
親を少しでも助けることが好きな子も何人かはいるが、多くは、他の子たちと一緒にいる方が楽しい。当たり前だ。
訓練そのものは好きでなくても、他の子と会うために参加しているようなものだろう。
そりゃそうだ。自分が子供だった頃もそうだった。
こうやって、同じ年頃の仲間と触れ合うのは、大切なことだと思う。
そういう時間が少ないと、変な、いや、ちょっと変わった人間に育つことが多い気がする。
マーシーは、傭兵稼業で関わった女の子のことを思い出した。
行商人の娘で、両親の荷馬車に一緒に乗って一年中旅をしていた子だ。
マーシーは一時、その子の父親に雇われて商隊の護衛をしたことがあり、その時に関わりあったのだ。
その子、なんという名前だったか思い出せないが、荷馬車の荷台の、その子用にしつらえられた小さなスペースで、よく本を読んでいた。
しばらく本を読むと馬車から降りて何事か呟きながら横を歩き、そうかと思えば御者席の父親の隣に座って、楽しそうに話をしていた。
何気なしに、何を読んでいるのか尋ねたことがある。
きっと、見目麗しいお姫様が危ない目に遭いそうになったところを颯爽と王子様が助け、二人は結ばれてめでたしめでたし、という類のありきたりのお伽話だろうと思っていた。
そんな話だって、悪いもんじゃあない。みんな、自分の好きな話を読めばいいんだ。
ところが、その子が嬉しそうに語りだしたのは、戦物語だった。
それも、自分ならどのように戦っただろうかを、得々と話すのだった。
あっけにとられるマーシーをよそに、満足がいくまで話すと、今度は『おじさん、剣術が強いんでしょ? 今夜、時間があったら教えてくれませんか?』という。
聞けば、自分だけでなく、いままでに雇った護衛からもいろいろな武術を習ったらしい。
手合わせしてみると、特に強いというわけではないが、妙に勘所が良い子だった。
その後に商隊が盗賊の襲撃に遭い、マーシーたちが撃退した時も、平然とした顔をしていた。
ああ、そういえばあの子が放った矢が盗賊の首領に当たり、倒れたところを俺が討ち取ったんだっけか。
人を斬ったのは、あの時が最後だったな。
あのような育ち方をすると、やっぱり普通の子とは違うことに興味を持つんだろうな。
そう考えた後に、今、普通の子供たちにも剣術を教えていることに気が付いた。
思わず苦笑いをする。
あの子は、今も旅の空だろうか。
もうそれなりの年齢になっているから、行商人仲間と結婚しているだろうか。
整った顔立ちの可愛い子だったから、大商人の息子とかに見初められているかもしれない。
あるいは、好きだった事を活かして、軍人か傭兵になっているだろうか。
自分の子には傭兵にはなってもらいたくないなと、マーシーは来年生まれる予定の自分の子供の事に思いを馳せた。
マリアとの間には長く子供に恵まれなかったが、諦めかけていたところ、今年の夏にマリアが妊娠していることがわかったのだ。
その時にはどんなに嬉しかったことか。
跳び上がるほど喜んだ。
いや、本当に跳び上がって足をばたつかせ、着地を失敗して尻餅をつき、マリアにひどく笑われた。
その後で、抱き合って、二人で涙を流して喜び合ってキスをした。
その時のことを思い出すと、つい、にやけてしまう。
今もそうだ。
こっちを見ていたケンに、訝し気に『マーシー、どうかした?』と言われてしまった。
いかんいかん、気を引き締めないと。今は訓練中だ。
それでも、子供の将来につい頭が行ってしまう。
どうか、昔の自分のような、身も心もすり減らす血みどろの稼業にはつかないで欲しい。
目の前で訓練に励んでいる子供たちにしてもそうだ。
あくまで自衛のための訓練だ。これが実際に役立つような事がなければいいなと思う。
中にはケンや、他にも何人か上達しそうな子がいるが、できれば平和な人生を送ってくれればそれに越したことはない。
ケンはもう大人の年齢だが、今でも時間があるときは訓練に参加している。
ケンには、樫の木剣で本格的な実戦剣術を教えている。
筋が良く、もう俺もうかうかできない腕前だ。
もちろん、その腕前が実際に役立たない方が幸せだろうと思う。
しかし、平和な時代というものがそう長くは続かないこともマーシーは知っている。
現国王陛下の治世は概ね平和だった。
賢王の時代と後に呼ばれるようになるかもしれない。
しかし陛下も齢を重ねられた。遠からず、次の時代がやって来る。
次世代の王族たちには、あまりいい噂を聞かない。
この辺境の地も、開村当時と比べるとほんの少しだが発展した。
世が乱れれば、ここも全くの無関係ではいられないだろう。
そこまで考えてマーシーは首を振った。
世の中のことより、俺はマリアと自分の子、そして目の前の子供たちのことを考えればいいのだ。
子供たちはマーシーが言いつけた素振りを終えてこっちを見ている。
マーシーは立ち上がって、彼らの方に歩き出した。
ああ、そうだ、思い出した。あの女の子はノーラという名前だった。
あの子も平和に過ごしているといいな、と考えながら、マーシーは子供たちの所へ歩いて行った。
お読みいただき、ありがとうございます。
次話から行商人の娘、ノーラの話になります。




