第15話 父の死
前話に続いてケンの話です。
承前
ネルント村では蒸し暑く感じられた南風は、このトリニール町では無風に近く、ますます暑い。
家の外の人通りもほとんど無いのだろう。
家の中で父の看病のために人々が動く音以外は、何も聞こえないように思える。
アルフはケンを居間に誘い、質素なソファに座ると尋ねた。
「こちらには、何日間いられるんだ?」
「村長には、何も言われていない」
「ああ、それじゃあ、少しでも長くいられるよう、俺から頼んでおく。できるだけ父さんの側にいてやって欲しいんだ」
「カルラ姉さんは?」
「まだだ。知らせには行かせた。ベーレは遠いから、来るのは明日になるだろう。間に合えば良いがな」
「うん……」
「父さんは、常日頃からお前のことを気にかけていた。ほら、末っ子は一番可愛いっていうだろう。お前は母さんが命がけで産んだ子だしな。自分で育てられなかったことを悔やんでいた。ネルント村で元気に育っていることを人伝てに聞いて、いつも嬉しそうにしていたよ」
「そうなのか」
「家族の中でお前の話が出ると、『本当は手元で育てたかった』、そう言うのが父さんの口癖だったよ」
それを聞くと、涙が出てきた。
なぜだ、なぜ涙が出るんだ、そう思ううちに止まらなくなった。
アルフはハンカチをケンに渡した。
「俺はちょっと村長さんと話をしてくる。お前は落ち着いたら父さんの部屋に行って、ブリギッテと交代してやってくれ。あいつも父さんが倒れてからずっと付き切りで、疲れているだろうから」
「わかった」
アルフはケンを残して出て行った。
ケンは、なぜこんなに悲しいんだろうと思った。
滅多に会うこともなかった父なのに。
そう思うと、また涙が出てきた。拭いても拭いても止まらなかった。
こんなに泣いたのは、生まれて初めてだと気付いた。
小さな頃からの事を、記憶の限りに思い出してみた。
なぜ泣かなかったんだろう。
いや、泣けなかったのかもしれない。
たぶん、感情を押し殺していたんだろう。
自分が父に大切に思われていたなんて、知らなかった。
自分自身も、自分を大切だなんて思ったことは無かった。
自分なんてどうでもよい人間だと、本当はみんなも、そして自分も思っていると思い込んでいたのに気が付いた。
でも違った。
自分のいない所で大切に思われていた、その話を聞いて、隠れていた気持ちが噴き出したのだ。
そんな思いが溢れるままに、ケンは泣き続けた。
15分ほどしてやっと涙が止まると、ケンは父の部屋に戻った。
ブリギッテはケンの顔を見ると優しく微笑み、立ち上がった。
「ここで座って見ていてあげてね。何かあったら、すぐに呼んでちょうだい」
そう言い、涙でぐしゃぐしゃになったアルフのハンカチを受け取って自分のハンカチを渡してきた。
それを受け取り、頷いて椅子に座ると、ブリギッテは静かに出て行った。
ケンはそれを見送ると、父に視線を移した。
胸がゆっくりと上下している。
呼吸はやや浅いが、一定の間隔で繰り返しており、今は苦しくはなさそうだ。
少し安心して、父の顔を見た。
齢の割にはしわが深く刻まれている。
代官という、領主と領民の間に挟まれた立場で、色々と苦労をしたことを偲ばせる顔だ。
父の顔をしげしげと見るのは初めてかもしれない。
眉毛は長く伸びており、鼻は高い。
病のせいか目はやや落ちくぼんでいるが、彫りの深い整った顔立ちだ。
二人の兄も父によく似た顔をしている。自分も齢をとったらこのような顔になるのだろうか。
今更ながらに血の繋がりを感じさせられ、また泣きそうになる。
ぐっと堪えて色々なことを考えるうちに、一日の疲れが出たのだろうか、父のベッドにもたれて眠ってしまったようだ。
小さな子供に戻った自分がうす暗がりの中を歩いている。
どうやら夢を見ているらしい。
暗がりからの出口がわからなくなって怯えていると、「ケン」と呼ぶ声がする。
そちらを見ると父が優しく微笑みながら何かを言っている。
良く聞き取れなくて耳を近づけようとすると、父の手が伸びてきて、頭を撫でてくれた。
なんだか嬉しくて、撫でられるままになっていると、「ケン、ケン」と続けて名前を呼ばれる。
なんだろう、と思っていると、ブルーノ兄さんに肩を揺り起こされているのに気が付いた。
やっぱり夢だったのだ。
「ケン、ここはもういい。俺が代わるから、お前はもう夕飯を食って寝ろ。父さんに何かあったら起こしてやる」
気付くと結構な時間が経ったらしく、窓の外は暗い。
ランプの明かりがやけに眩しく感じられた。
「ブリギッテ姉さんが客間にお前の寝床を準備してくれたそうだ」
「わかった」
「ああ、そうだ。さっき姉さんが様子を見に来た時、父さんが少し目を覚ましていて、お前の頭を撫でていたそうだ」
ああ、夢じゃなかったんだ。
そう思うと、なぜか胸のもやもやが晴れる気がした。
父は翌日の午後に逝った。
発作が来たときは少し苦しんだが、意識を失うと後は安らかだった。
カルラ姉さんも父の意識があるうちに間に合い、みんなで父の手を握りながら看取ることができた。
カルラ姉さんはわんわん泣いていたが、俺は昨日たくさん涙を流したせいか、落ち着いて見守ることが出来た。
次の日の葬儀には、クリーゲブルグ辺境伯も出席してくれた。
壮年で、背が高く細身だが筋肉質で逞しく、短く鋭い口髭を蓄えている。
いかにも切れ者そうだが、それでいて優しそうな顔をした男性だ。
教会での式も埋葬も全て済んだ後、辺境伯はアルフ兄さんと村長と何か話してから俺の方にやってきて前に立つと、両手で俺の肩を二三度叩いた。
見上げると、何も言わず微笑んでいた。
饒舌な人ではないのだろうが、元気づけようとしてくれているのだ。
しばらくそうした後に、
「何か困ったことがあったら、兄さんを通じて言って来なさい。他領ではあるが、ピオニル子爵とは親しい。できることもあるだろう」
辺境伯はそう言ってくれた。
俺が頷くと、もう一度肩を叩き、また兄さんの方に去って行った。
辺境伯が馬車に乗って去っていくのをみんなでしばらく見送った後、アルフ兄さんが家族を執務室に集めた。
「閣下は、俺が父さんの後を継いで代官になるように、と言って下さった。正式には閣下の屋敷に伺って任命を受ける必要があるが、みんなには先に言っておく」
みんなが頷くのを見て続ける。
「ブルーノ、これからも手助けをよろしく頼む。カルラ、ケン、離れた所に住んでいても、俺たちは家族だ。何かあったら、遠慮なく言ってきて欲しい。こちらからも力を貸してもらうことがあるかもしれない。よろしく頼む。父さんも母さんも、家族を大切にする人だった。みんなの事を愛していた。その事は忘れずにいて欲しい。ケン、あの剣は父さんの形見だ。大切にしろよ。もっとも剣が役に立つことは、無い方がいいけどな」
アルフはケンを見てそう言うと、笑った。
結局村長も葬儀まで滞在したので、一緒に帰ることになった。
村長はケンに特に何も言わずにそっとしておいてくれので、帰り道もずっと父の事を考えていた。
ただ、往きとは異なって気持ちは明るかった。
家族との良い思い出が一度に増えた気がして、手に持った剣の包みを何度か抱きしめた。
領境の二人組の衛兵は、まだ交替していなかった。
ケンを見ると察したのか、「気を落とすなよ」「元気を出せ」と声を掛けてくれた。
途中の村で出会った人たちも、ネルント開拓村の村人も同じように励ましてくれた。
粉挽きのフレースは、何も言わずにケンの背中を力一杯たたき、マリアはやはり無言で思いきり抱きしめてくれた。
ケンはそれらが無性に嬉しく、「ありがとう」と答えながら、また剣の包みを抱いた。
この剣を持っていると、なぜかみんなの顔が、こちらを気遣ってくれている表情がはっきりと見えるような気がしてならなかった。
お読みいただき有難うございます。
次話、ケンのその後と、剣術の師匠マーシーの回想話です。




