25
「ユーリ様、ご相談があるのですが、少しお時間宜しいでしょうか」
「かまわない」
ユーリは書類整理の手を止め返事をすると、眼鏡のフレームを人差し指で持ち上げ話を聞く態勢をとった。
「えっとここでは少し」
マッシュは教職員室内の様子を窺う様に声を潜め辺りを見回した。
その様子から人に聞かれてはマズい話なのだと察したユーリは、席を立つとマッシュについて来いとでもいう様にひとり勝手に歩き始める。
教職員室を出ると食堂へと向かい、食堂職員に紅茶を頼み人気の無くなった食堂のテーブル席に陣取って座った。
「それで話とは?」
何から話そうかと迷っているのかそれとも余程言いづらい事でもあるのか、マッシュは表情を硬くしてなかなか話を始めようとしなかった。
ユーリは丁度職員が運んできた紅茶をお礼をする様に会釈をして受け取ると、それを口に運びマッシュが話し始めるのを待った。
「ロザリアンヌの事なのですが、午後の授業を自主練扱いにして欲しいと申請されたのでその実力を確認したのですが、ファイヤーアローでした」
そこで次を言い淀むマッシュに、ユーリは紅茶を口に運びながら話の続きを促す様に顎をしゃくった。
「ファイヤーアローだったんです」
話しの要領を得ないマッシュに少しイライラして来たユーリは、紅茶のカップをテーブルに置くと軽く溜息をついた。
「ファイヤーアローとは初級の第二火属性魔法だな。適性がある者ならファイヤーボールの熟練度が上がれば習得してもおかしくはない魔法だ」
ユーリはマッシュに確認しながら何が言いたいのかを探ろうとしていた。
「そうなんです、ファイヤーアローは初級魔法の筈なんです」
マッシュも確認する様に言い放つのを聞き、ユーリはさらにイライラを募らせた。
「それがどうしたと言うんだ!」
ユーリには珍しくつい大声を出してしまい思わず注目を集める事になり、こちらの様子を窺う職員に謝る様に軽く頭を下げた。
「威力が上級魔法の様でした」
ユーリはマッシュが一瞬何を言っているのか理解に及ばなかった。
上級魔法と言えばその威力は広範囲にも及ぶとされる攻撃力も威力も高い魔法だ。
賢者のジョブを持つ自分でさえそう簡単に何度も使える魔法ではない。
そんな高威力のファイヤーアローなど見た事も聞いた事も無い。
もしそれが本当だったとしたら、それはもうファイヤーアローとは言えないだろう。
と言うか、もしそれが事実ならロザリアンヌには別の疑惑を持たなくてはならないとユーリは考えていた。
「もしかしたら精霊を宿していると言う事か」
何気なく呟いた自分の言葉にユーリは核心をついた様な気がしていた。
自分が魔法学校の生徒だった頃、光の精霊を宿したと言う平民の生徒がいた事を思い出していた。
確かに光魔法を器用に発動させていたが、その威力の凄さを目にした事など無かった。
そして本科に上がるとその生徒の噂を聞かなくなり、いつの間にか退学していた事を知った時には精霊を身に宿してもその程度なのかとがっかりしたものだった。
自分が4属性を扱える様になり賢者候補として騒がれ出してから、その期待に応えようとどれだけ努力した事か。
自分の持てる時間のすべてを魔法の研鑽と勉学に費やしていた。
それを精霊に愛されたと言うのにその有難みも理解せずに挫折したのかと、悔しさに似た感情を抱いたのは今でも記憶にはっきりと残っている。
他にも精霊に愛され精霊をその身に宿す者がいると言う話は聞いた事があったが、実際に会った事があるのは彼女だけだった。
はっきりとした実力などユーリの知る所では無く噂に聞くだけではあったが、それでも精霊を宿したのが自分だったならとどんなに望んだ事か。
ユーリはもし本当にロザリアンヌが精霊に愛されその身に精霊を宿しているのだとしたら、今度こそは挫折を味わう事無く研鑽に励み国の役に立つ人物になって欲しいと思っていた。
ユーリでさえ手が届かなかった高みを目指して欲しいと。
ロザリアンヌに精霊を宿しているかも知れないと言う疑惑が湧いた事で、マッシュはもう何をどうして良いのか考える事もできずユーリの次の言葉を待った。
それが事実だったとして、もう自分に教えられる事など何も無いとさえ思え、ユーリの指示に従うしかないと考えていた。
「そのファイヤーアローを見た者は居るのか?」
「授業中でしたので生徒達の何人かは目にしましたが、私が魔法の暴発だと誤魔化しておきました」
「それは正解だったな。そんな威力の高い魔法を見せられてはこれから魔法を覚えようという生徒達が自信を無くしてしまいかねない。それにロザリアンヌにしても下手に周りに期待を抱かせる様な事になっては挫折しかねないだろう。本当に精霊を宿しているのかは私が確かめるまでは周りに疑惑さえも持たせない様に気を付けてくれ」
「承知しました」
マッシュは自分が背負った荷物をユーリが代わってくれるらしい事に心から安堵した。
「それでロザリアンヌから中級ダンジョン塔攻略の申請が出ているのですがどういたしましょう」
「初級のダンジョン塔の攻略をもう終えていると言う事か」
「入学前に既に探検者として活躍していた様です」
ユーリはロザリアンヌのステータスの高さの理由に納得した。
「早急に手続きすると良いだろう」
「しかし、まだ入学間もない生徒となりますと騒ぎの元になりかねないかと思われます」
普通は授業で初級ダンジョン塔に何度か入り戦い方の実践を学ぶのだが、大抵の場合自分からダンジョン攻略を希望する生徒は少ない。
まずはしっかりと魔法を使える様になってからの実践なので、実際ダンジョンに入る様になるのは早くても2年目以降だ。
それに魔法学校を卒業すればどこかしらに就職できるのだから、好き好んで探検者になろうという生徒は居ない。
もし居るとしたら探検家を目指す生徒か学術大学院の研究で必要な素材集めの為だろうか。
「分かった、私の方で目立たぬように許可書を発行しておこう」
「よろしくお願いします」
マッシュと別れたユーリは、そう言えばロザリアンヌのジョブは錬金術師見習いだったなと思い出し、その為のダンジョン攻略かと何となく納得したのだった。




