糸杉の梢から
所詮は脆い街の建物だ。エウリューケのいた家屋の上半分が消失する。
木は炭化し崩れ、石材は蕩けて流れていく。
赤熱し、揺らぐ空気の中、エウリューケの姿も見えなくなった。まるで建物と一緒に焼け溶けたように。
だが、死んだわけではないだろう。
死ぬわけがない。たとえ戦闘が専門ではなくとも、彼女は石ころ屋の大幹部。ニクスキーさんやレイトンと同じ場所にいた彼女は。
身を翻し近くの建物に着地した僕は、やはりと思う。
後ろから声が聞こえた。隠すまでもない大きな声で、やはり無事。
無事だろう。僕は振り返り、彼女の姿を確認して、だろうな、と思う。
「熱い! やっばい! あっつい!!!!」
本人は、火のついた革の外套を屋根瓦にこすりつけるように転げ回っていたが。
僕は彼女の頭側から、ゆっくりと歩み寄る。
転げ回るうちに散乱する彼女の髪の毛。それを踏まないように。
そして踵での踏みつけまでも簡単にできる距離にまで近づいたところで、エウリューケは涙目で動きを止めてこちらを見た。
「火は人に向けるものじゃないですよ」
「知ってらい! つかカラス君だってやってんじゃん! バーカバーカ!!」
「ですから、お互いに」
僕は苦笑しつつ、少しだけ長めに瞬きをする。
彼女にいうべき言葉を考えて。
「で、これくらいにしませんか。多分今のが最後です」
「最後?」
「お互い、殺す気が無くじゃれあえるのは」
これ以上はもう戦闘になってしまう。悪意ある戦闘。互いに貶め合い、隙を突き合い、最終的に命の取り合いになるような。
僕はきっと、人間の命などやはりどうでもいい。死んでほしくないのも殺したくないのも、人間のうちのほんの一部だ。
ルルを筆頭に、守りたい友人たち、くらい。
そして目の前の女性もその一人。
「何度も言ってますけど、別にエウリューケさんを止める気はないんですよ。僕が守りたい人間に危害が及ばないのならばどうでもいいし、さっき確認してきましたけどみんなは無事でしたし」
ルルの母たちは避難先で元気にいた。貴族扱いの彼女らは他よりも少しだけくつろげる、ゆとりある場所で。クロードやテレーズやオルガさんたちはそもそもこの街にいなかった。
一応王城の中を見てきて、アネットたち僕と関わりのあった使用人たちも、思い浮かぶ限りの顔は無事だったと思う。どうでもよかったエッセン王が監禁されていたのは笑ったが。
ならば後はどうでもいい。むしろ別に彼らが病に倒れていても、まあ病の対処に本腰を入れるだけだ。
「だから一つ聞きたかったのは、エウリューケさんが何故こんなことをしたのか。これだけの『こと』を起こしたんですから、何かあったんじゃないかと」
だからここに来たのは、別に王都の人間たちを助けに来たわけではない。
それより別の僕の個人的な用事。
ルルが教えてくれた僕の本心。エウリューケへの心配を、解消するために。
「でもこれがエウリューケさんの『研究』だというなら、別に止める理由もないですし」
エウリューケの『研究』が、何なのかはどうでもいい。けれども、長年続けてきたものなのだろう。ならば止める気はしない。それが僕の不利益にならないのであれば。ルルたちに被害が及ばないならば。及ばないよう僕が力を振るえるならば。
もしもの時は、アリエル様を頼ってもいいのだし。
そして僕が見た先。僕は絶句する。
エウリューケは、涙目のまま、愕然とするような顔で僕を見返していた。
「……何でよ……。止めてよ……」
その声に力は無く。
「……それこそ何故です?」
「人が死んでくよ。カラス君なら知ってるでしょ? 病気ってのは広がってくもんだよ。あたしのやったことで、人が死んでくんだ。あたしは色々仕掛けをしたしもうこの波は止まらないよ。この世界を病気が全部覆うまで。人間全員が死ぬまで」
「それはどうですかね」
どこかで人が襲われたのか、焼かれたのか、悲鳴が響く。
死の街。近くの道で、死んだ野犬が悲鳴元に向かって走ってゆく。
「エウリューケさんは、何に行き詰まったんです?」
「…………」
僕の質問には答えずに、両拳でエウリューケが目の周りを擦る。
そして深呼吸をして両腕を投げ出した。
「行き詰まったんなら、力になれるかもしれません。一番弟子の僕が」
「……どうかなー……」
ふへへ、と力なく笑い、エウリューケは空を瞳に写す。
日が陰ってきたが、まだ青空。彼女の髪の色よりも幾分か薄い。
「じゃ、あたしが何の研究をしてたか当ててみなよ」
「研究課題ですか」
「そうすれば身の上話くらいしてあげる」
「話したいんですか?」
「どうかな、どうかな」
強がりのようににやにやと笑うエウリューケ。
だが僕は、きっとその答えを持っている。それを思えばその顔も少しだけ気の毒だった。
……。
「妻が言っていたんですけどね」
この前エウリューケの書いた論文の題名を調べてもらったときのこと。題名の一覧を見て、優しい人だ、とルルはエウリューケのことを評した。その理由をその後聞いたときのこと。
「エウリューケさんの書いた論文は多岐に渡ります。病気のこと、予防のこと、人間の生理のこと、地理や文化による伝染病の傾向のこと」
万能の天才、と呼ばれるのもまあその通りだろうと思う。きっとそのどれもが当時の聖教会にとって最先端で、そして受け入れがたいことだったのだと思う。
「けれどもどうやら一つの分野が突出して多い」
「ん……んん?」
「エウリューケさんの得意分野。僕は病理と解剖かなと思っていたんですが、違うんですね。エウリューケさんの得意分野は、妊娠と出産、……周産期から新生児に関するもの」
病気と人体の専門家、と僕は思っていた。無論、彼女がその分野で卓越しているのは疑いようもないし、その通りだと思うけれども。
だがルルの予想は違っていた。
「もう少し平たくいえば、人間の誕生から生育、もしくは発生から発達に関わる分野」
人体の専門家、というのもあながち間違いではない。しかし、エウリューケはきっと、人体の構造よりも、その機能に着目している。機能と発達に。
病気という、罹るか罹らないかわからないものではない。
彼女が戦っていたのはそういうものではなくて、人が生物である以上、必ず潜り抜けなければならない通過儀礼。
出産、もしくは誕生。そこに関わる両者のこと。
「だからルル……妻ですけれど、彼女はエウリューケさんのことを優しい人だと言っていました。でも正直、僕はそこまでだと納得出来なくて、それを聞いてその先を思い浮かべたんです」
母と子。もしかしたら種を作る父のことまでも考えていたのかもしれないが。
しかしそれ以上に、僕はエウリューケの性格のことも考えて。
「エウリューケさんの解決は、いつも僕以上に派手にやりたがりますよね。本音かどうかわかりませんが、僕が投獄されたときも魔法による爆発を勧めたり、衛兵の冤罪に腹を立てて毒をばらまこうとしたり」
派手、というか変わっている、というか。
変人、という形容が似合う。きっとそれは僕と同じで、しかし僕とは正反対に。
「エウリューケさんの書いた論文の中に、『人工物による人体の部分的再現』というものがありました。その内容までは僕は読めていないんですが」
そして正直、ここからは論理の飛躍だ。
中身は知らないが、その題名からすれば、普通はきっと義手や義眼、内臓の代用などを思い浮かべると思う。僕もそうだ。だが、それを拡張して考えれば。
「人工物で人体を部分的に再現する。以前エウリューケさんは歯を生やしたと言っていました。歯が折れて困っている患者がいたから、魚の骨を埋め込んで歯を生やしたのだと」
無論、それがそうだ、と言われればそれ止まりだ。
魚の骨を使って歯を作った。人工物による人体の部分的再現、というものに合っている。
だがそれを拡張して考えれば。
「でも、歯を生やせるならば、そこから応用して骨を作れるのでは? 筋肉や神経を被せて、生きている腕を形作れるのでは? というのが僕の推測です」
義手、ではない。新たな腕。僕やソラリックが戦場でテレーズの腕を治すときに考えた一つ。誰かの腕を移植する、ということ。その『誰か』がいない、新たな腕を用意するということが出来る。
「そしてこれはソラリックさんの推測で、考えからすれば補強なんですけれど、あの『増殖人面疽』。あれは『人工物による代用人体』……つまり、子宮外で人体を作るという研究成果ではないかというもので」
「……ちぇー、わかってんのかいな」
嘆くようにエウリューケは言う。
その反応に確信出来た。きっと彼女も、もう嘘はついていないだろう。
彼女の研究は、『母子』に関わるもの。
そしてその『母子』……特に『母』から、危険を取り除きたいと考えれば。
『母』に、何の危険も無く出産させたいとしたら。
その手に安全に我が子を手渡したいと思うのならば。
手っ取り早く確実なその方法は。
「目的はつまり、『人間』を作ること」
だから、きっとルルの言うとおり、『優しい人』なのだ。
僕はそこまで考えて、ようやくそう思えたのだ。
「母胎を介さず、一人の人間を生みだすこと。それがエウリューケさんの研究ではないでしょうか」




