迷子の迷子の
あれはまだ僕が森で暮らしていた頃。
三歳を少し過ぎた頃だったと思う。
その日もネルグの中、鬱蒼とした森の中で僕は狩りをしていた。
その日に食べる分の鳥や獣を捕る作業。今となってはあの時に鳥たちが何と言っていたのかなんとなくわかるけれども、ほとんどが悲鳴だったのは思い出しても何となく『助かった』という気分になる。
仕方ないとは思うし、肯定的な声を上げていたはずもない。さすがに、助けを求めている鳥たちを殺していたと思ってしまえば少しだけ罪悪感も湧く。それがないぶんだけ。
昼頃の話だ。
今日の分、小さな兎と鳥を一羽ずつ狩って、血抜きも終わって捌こうとしていた頃、川の近くで木陰の中に子供二人を見た。
開拓村からも少し離れて、整備もされていない森の中だ。
当然、大きな道もなく、彼らも僕もいるのは茂みの中に近い。けれどもやはり人工物と自然物はちょっと違うし、子供たちの着ている汚れた木綿の生地は中でもひらひらと目立って見えた。
子供は、見た目それぞれ十歳に届かないくらいだったと思う。そもそも開拓村の子供たちの詳細な年齢なんて一人を除いて覚えていないから、それも推測なんだけど。
彼らは楽しげに何かを話していた。幼馴染みの親友みたいに。
苔むした倒木やぼこぼことして足を取る木の根も気にしない様子で、まるで冒険を楽しむように小さな鞄を肩にかけて森の奥を目指して歩いているように見えた。
その時は彼らのことも気にしないで、僕は自分の作業に没頭した。
とりあえず昼ご飯にしようと思って、兎を解体するのに忙しくて。本当は少し時間をおいたり、下ごしらえの調味料をきちんとまぶしたりしたほうが美味しいんだろうけれども、それよりも急いで食べたかったから。
内臓はよく洗わないと美味しくないし、洗っても不味い個体のほうが多かったと思うけど、それもたしかその時は美味しく頂けたと思う。
とりあえず石の器で茹でて、塩をつけただけのものと、その前にちょっとくすねた豆醤で味付けしたものを食べて満腹になって、木の上に作ったねぐらで少しだけ昼寝もしたかな。
そしてその内に、昼も過ぎて、日も陰ってきた頃。少しだけ森が騒々しくなってきて僕は目を覚ました。
騒々しくなって、といっても物々しいものではない。
ただ、大人たちが数人、森に入ってきたのだ。それも叫ぶほどではないが大きな声で、誰かの名前を呼びながら。
結論から言えば、騒ぎは迷子だった。
あるときから子供の姿が見えなくなった親が、その内帰ってくるだろう、と楽観していたのが昼過ぎくらいまで。うちの子を見ていないか、と村内を探したのが夕方になるくらいまで。それから、森に入っていくのを見た、という話が上がったのが夕方くらいになってから。
僕は、その迷子を捜しに大人たちが森へ入ってきたのに気付いて目を覚ましたわけだ。
一度村の中へ入って、そんな経緯を確認した僕はすぐに察した。
『迷子』とは、あの時の子供たちだろう、と。
当時はまだ足跡や痕跡から動物を追うことも慣れてはいなかったから、昼前に見た子供たちを追うのは難しかったけれども、しかし僕には大人たち以上に彼らに関する情報があった。
何せ、僕は森の中を歩く子供たちを見ている。
どの辺りをどの方向に向かって歩いていたか、程度ではあるが、何の指標もないより探しやすい。
別に彼らに対する義理はなかったけれども、子供が何かしらの事故に遭うのは気分が悪い。そう思って僕も、彼らの捜索に密かに参加することにした。
僕の見た場所に戻って、彼らの見ていた方向を辿って、枝をくぐって木の根を越えて。途中で捕まえた蝗虫はおやつになった。
大人たちの呼ぶ声はどんどんと大きな声になっていて、もう僕が参加するときには怒鳴り声に近かったと思う。
それも、怒っているわけではないだろう。一番大きな声を出していたのは迷子になった子供の父親で、ただ多分必死に。
僕はその父親の声を背に、どんどんと森の奥に入っていった。
元々、僕の狩り場は開拓村の近くじゃない。
近くはねぐらにするのがせいぜいで、僕の痕跡を残したくなかったから狩りなんかは開拓村から離れたところでしていたはずだった。だからそもそも、そこで子供を見かけるのも珍しい話だったし、そこで僕も気にしていればよかった。
けれどもそんなことすら気にならないくらいの奥まで、僕は子供たちの痕跡を見逃すまいと目を凝らして追っていった。あの時みた衣装や靴の色、髪の毛の色まで思い出しつつ、頑張って。
もう日は完全に沈んで、月が昇った。
辺りはもう真っ暗闇。月の明かりだけが頼りで、そうなれば夜目が利かない人間たちにはもう移動も厳しいくらいになる。
狼の声や虫の声、それに風の音くらいで、もう周りには人間の発する音も届かない。どこかでまだ名前を呼ぶ声も微かに聞こえたかな。
でももう暗い中。
見えなくても木の根は相変わらず足を取るし、蜘蛛の巣だって見えない状態で顔にかかればとても驚く。その上ネルグの中には普通に人を食べられる大きさの蜘蛛もいるくらいだし。
とにかく正直、もう森の中は獣や虫の時間。灯りもなければ人間たちは行動不能な時間だった。
これはもう、望みは薄いだろうか、と僕は思った。
このネルグの中では、食料はいくらでも手に入る。少なくとも餓死はない。毒のあるものもあるから中毒死はするかもしれないけれども。
でもそれ以上に、この森の中で夜子供が取り残されるのは危険しかない。移動も出来ないし、そこかしこに人間を襲う獣がいる。魔物なんて当時その辺りで見たことはなかったけれども、でも獣は僕もよく見ていたし、そもそも僕の行動範囲外だったから何も安全の確証はなかった。
立ち止まれば、真っ暗な闇の中。
枝葉の隙間から月明かりがたまに見えるくらい。それも直接当たらなければ月光すらも肉眼ではよくわからないくらいの。
もう諦めるしかないのではないだろうか。
まだ子供たちに火を焚くような知識があれば、夜の闇の中でも見えたかもしれない。もしくは、泣き声を上げてくれでもしたら。親を呼んでくれさえしたら、僕の耳で捉えないことはなかったと思う。
でもその時は本当に何も手がかりがなくて、後日この辺りで狩りを繰り返して、どこかで服の切れ端や骨なんかの残骸を偶然見つけるしかないのではないだろうか、などとも思ってしまった頃。
ふと、僕は視界の中に光を見た。
きらりと光る風でもない。じんわりと、緑のような青いようなぼんやりとした光が茂みの中にぽつりと見えた。
何だろうか、と思うまでもなく僕はそこに駆け寄っていた。
虫が集る葉っぱを押しのけて、歩いていた蟻を踏まないようにしながらも。
光っているのは地面。まるで蛍か、後で見た蛍火雲の雪のような小さな光が一つあって、緩やかで微かに光っていた。
何だろう、と思いつつも僕はそこを見て、さらに不思議に思った。一つあったそれに気付いたからだろうか、顔を上げれば、地面に点々と同じように光があった。
一粒の真珠のような光が、一つ、もしくは複数が寄り集まるようにして、ぽつん、ぽつん、と。
それが何か、ということはわからなかったものの、僕はその間隔に何となく気がついた。気がついたは大袈裟かもしれない、変な思いつきがあった。
その間隔は、子供の歩幅。
村の方向から、森の奥まで一直線に。
まるで足跡がそのまま光になったように、所々陰になりつつ、どこかに続いているように見えた。
元々僕が向かう方向とは少しだけずれた場所。本当はそういうときに方針を転換してはいけないのだろうと思うけれども、それでも何かの指標があるとないとは気分の面で大違いだ。
そのぼんやりとした光の列を辿るように僕は歩く。夜の闇の中で、目を凝らさなければ見えないほどの微かな光だった。
やがて、そこからほんの少しだけ歩いた所にあった大岩の陰で、子供は見つかった。
上部が張り出した屋根のようになっているその下の窪みで、昼寝をしていたらしい。
一度脱いだのか、服は裏返しになって靴も左右逆だったみたいだけれども、それ以外は枝に引っかけた切り傷くらいで大事なく。
「……よかったですね」
話が一区切りつき、僕が騎獣車の中を見回すと、ルルが小さくそう言った。
僕は頷く。本当にそうだと思う。あの時僕が見つけなければ子供は次の日までそこにいただろうし、次の日にも無事そこにいられたかどうかはわからない。
ともかくとして、何とか姿を隠したまま子供を誘導し、まだ捜索していた親に引き合わせたときは僕も安堵したものだ。
雨がパラパラと屋根を叩く。
アリエル様はいつの間にか車内の端の出っ張りの上で横になり、頬杖をついて僕の話を聞いていたらしい。
ただ機嫌良さそうに、パタパタと羽を動かしながら。
興味深げにオトフシは聞いていたようだが、彼女も窓枠に頬杖をついたまま眉を僅かに上げる。
「隠れ月夜茸か?」
「……そうだったと思います」
「…………?」
オトフシの言葉に僕は同意する。あの時はまだその名前は知らなかったが、きっとそうだったのだろうと思う。
ルルとサロメは何の話かわからないようで、首を傾げて僕の方を向いておそらく解説を求めた。
「月夜茸というのはお二人ともご存じでは?」
「いえ」
ルルは頷いたが、サロメは首を横に振る。僕はその声に応えて、サロメに特に向かってまた口を開いた。
「月夜茸という茸があるんです。かさが開くと何日か光り続ける茸が」
開いたかさの下のひだが緑色に発光する。このネルグにもいくらか生えているのを見かけたこともある。それ以外にも発光する茸はあるので、その一種としてではあるが。
「食べられませんよね?」
「そうですね。毒があるから、僕以外はおすすめできないかな」
ルルの補足も正しい。僕は食べたことがあるけれども、美味しいというわけでもなかったと思う。もちろん不味いわけでもないし、茸汁などに入っていれば美味しく食べられると思うけれども。もちろん、僕限定で。
「隠れ月夜茸はその変種……っていうのが定説ですけど、実際はどうだかわかりません。とにかく、そんな茸があるんです」
「指先よりも小さな、ごく小さい茸でな。普段は固い蕾のような形なのだが、動物などが踏みつけると、かさが開いてしばらく光を発する」
「はー」
ぽかん、と口を開けてサロメが感心の声を発する。
逆に、オトフシはつまらなそうに僕を見た。
「迷子が見つかったのはその群生地だったのだろう?」
「後から考えればそうだったと思います。確認したわけではありませんが」
多分そうなのだと思う。
その茸は、動物などが踏みつけるとかさを開いて発光する。発光は副産物で、おそらくはそこで開いて胞子を放出するのが目的なのだろう。近くに動物がいる環境になれば、上手いこと動物に付着し、生息域を広げてゆく。
僕が見たのはその光。
森の奥に入っていった子供が、歩いた足跡が光っていた、というもの。
風に巻かれたように、パラパラと小雨だった雨が一度、ざあ、と大きな音を立てて屋根を叩いた。
もうすぐ本降りになるだろう。そろそろ騎獣車を止めてどこかで雨宿りでもするべきだろうか。
どの程度で止めるべきだろう。そう尋ねるために、僕はアリエル様に目を向ける。
しかしアリエル様は、満足げに笑ってうんうんと頷いた。
「うん。まあまあ楽しかったわよ。でも最後の茸の話は余計だったわね」
「余計でしたか」
「そうね。オトフシちゃん減点一」
「な!?」
そして先ほどまでの落ち着き様はなんとやら、椅子から飛び上がらんばかりにオトフシの肩が跳ねる。
いつもと違う反応なのは、やはり相手がアリエル様だからか。
「し、しかし!?」
「不思議なものは不思議なものにしとかないと無粋なのよ。せっかく、きちんと――がいたのに」
アリエル様の言葉の一部が欠けて聞こえた。
まあ、僕の話はそのくらいでいいだろう。
「不思議だったのは」
最後に、と僕は口を開く。視線がまた僕に集まる。その中で、オトフシは何となく感謝するような視線だったのは珍しいことだ。
夕立のように雨が強くなってきた。もうアリエル様の意見を聞かずとも、騎獣に気遣って止めるべきだろう。
僕は視線を受け流すように外を見る。雨の中、空気が灰色がかって見えた。
近くに廃墟や建物はないが、木の隙間、空き地はありそうだ。そこで布を張って屋根を作ればいいだろうか。僕たちは騎獣車の中で。
「帰ってきたのは子供一人なんですよね。もう一人いたはずなんですが」
言いつつ僕は思い出す。岩陰で見つかったのは子供一人。子供を探していた両親も一組だけ。後になっても、誰か子供がいなくなった夫婦はいなかった。
そもそもに、あの日見た子供の顔は僕も知らなかった顔。
それは未だに、不思議なことだ。




