拳の痛み
僕がその男を見て、最初に思ったこと。それは、デカいということだ。
扉をくぐるときも、身を屈めるまでは顔が見えない。そして、横幅も大きい。
2メートル半はあるだろう高身長に、くびれの無いでっぷりとした体。それは脂肪でそうなっているわけでは無く、半袖から見える腕から推測するに筋肉だろう。
あたかも太っているかのように見えるほど鍛え上げた体に、掴まれるまでテトラに気付かせなかった隠密能力。
もしかしたら、今酒場にいる傭兵団の中で一番の強者かも知れない。そんな気がした。
そして、一つ不思議なことがある。
「テトラさん、脱出しないんですか?」
テトラが、先程出した小さな炎以外抵抗らしい抵抗をしていない。振り払おうともがいているが、魔法を使えばいいのに。
「のん、気なこと、言ってないで助けて、よ!」
もがくテトラを、大男はニヤニヤして見つめていた。
「灼髪でも使えば……」
「自分も焼けちまうに、そんなこと出来ねーよー」
大男はそう言うと、空いた片手を振りかぶった。そして、握り拳に力を込めて、テトラを打擲しようとする。
「ほうれ、いっぱー」
「すいません、気付きませんでした」
僕は鉈を抜き払い、その左腕を一閃した。
「あ、あぁぁぁぁ!?」
大男の腕が飛ぶ。切断面から赤い血がドボドボと流れ出した。
右手の力も抜け、ストンとテトラが下ろされる。
降りたテトラは速かった。
振り向きざま、灼髪を振るう。しかしその炎は服を焼き肌を焦がすも、大事には到らなそうだった。
「ちぃ!」
テトラが大きな舌打ちをする。
魔法を使っても、あんまりダメージは与えられていないようだ。
僕の後ろまでテトラが退がる。持たれていた手首に、クッキリと跡が残っていた。
見た目、目の前で刀を構えている団長と、後ろで喚いている大男が頭一つ抜きんでて強い。他に戦闘員らしき者は三人ほど残ってはいるものの、大した脅威にはならない。
ライチの話でも、傭兵団の指揮を執っているのが会計のフェルメン、戦力の中心が団長と大男バルサーガという話だった。
それは、正しいらしい。
「じゃあ、これ以上の脅威は増えないってことで、確定ですね」
今この酒場では、八人の戦闘員がいる。残りは町長の邸宅へ詰めているらしい。早いところ、終わらせてしまおう。
「ア、アアアアアア!」
雄叫びを上げて、バルサーガが突進してくる。怒りからか痛みへの興奮からか、顔が真っ赤に染まっていた。
残った腕で、僕に掴みかかろうとしているのだろう。右手が僕に向けて迫る。
しかし、遅い。僕がその腕を掴めるほど。
「痛い思いをさせて、すいませんでした」
謝罪の言葉を吐きながら、その腕をいなす。
そして体勢が崩れ、下がったバルサーガの首目掛けて、僕は鉈を振り抜いた。
店内に目を戻す。
同時にかかってくればいいのに、団長と団員達は苦々しく僕らを見ていた。
「抵抗は……しますよね、それは」
降伏を呼びかけようとした僕の言葉を遮って、一人の団員が動いた。
倒れている椅子が蹴り飛ばされ、僕の視界を塞ぐ。
その椅子を腕で防げば、その団員は目前に迫ってきていた。
しかしその刀が僕の顔の横まで来たと思うと、何かに引きずられるようにその団員は後ろに下がった。いや、下げられた。
「降伏すれば、俺たちは助かるのかぁ?」
団員を片手で引きずった格好で、団長が僕に尋ねる。
その言葉を脳内で反芻しながら、僕は一瞬悩んだ。
抵抗せず、降伏した場合の処遇について。
だが、その悩みはすぐに打ち切られた。
悩むことなど無い。今回の目的は、町長戦力の壊滅。これからの街の正常な運営、そしてこれからのテトラの安全のために、彼らを逃すわけにはいかないのだ。
「貴方たちの救済は必須では無い。もしも逃がしたとしたら、復讐のためにテトラさんを襲う可能性もある」
「ガハハ! 俺ぁそんな面倒なことはしねえが、そういう奴もいるかもなぁ! ……だったら?」
楽しそうに、団長は同意する。その表情を見て確信する。これは命乞いでは無い。ただの再確認だ。
だからこそ、次に続く僕の言葉を待っているのだろう。
「皆殺しです」
僕の言葉を聞いて、団長は口の端を釣り上げた。
「じゃあ、抵抗しねえわけにはいかねえなぁ!」
そう言いつつ、構え直した団長の刀が霞む。
瞬時に届く、僕の元までの踏み込み。横に躱すと、鋭い突きが僕の鼻先を通り過ぎた。
一つ、二つと剣閃がきらめく。続くその勢いはどんどんと増していき、ついには横にあった長椅子の背もたれが細かく刻まれた。
「オラァ! どうしたあ! 皆殺しだろぉ!?」
甲高い風切り音を聞きながら、剣閃を躱しながら、僕も考えを巡らせる。
当たれば恐らく僕にも傷が付く威力の剣戟、それが間断なく繰り返されている。片手剣である以上もう片手は空いているのだが、そちらで何か投擲する可能性もある。
チラリとテトラの方を見た。先程の様子を見るに、テトラの援護が効果あるとも思えない。
厄介な刀だ。ならば、その武器から破壊してしまおう。
刀が振り切られた刹那、一瞬だけ動きが鈍る。
僕はそこを狙い、刃を根元から切断した。
ガラン、と音を立ててその刃が落ちる。それを見て、なお団長は笑った。
「フハッ、やっぱなぁ」
「やっぱり、何です?」
僕は聞き返す。その呟きの意図が読めなかった。
腕をだらりと下げて、団長は笑う。
「お前、人を殺したことがねえなぁ。今、やろうとすりゃあ俺の頭を飛ばせたはずだ、でも、やりたくなかった……違うかぁ?」
突然の指摘に、僕はドキリとした。
内心の動揺を悟らせないように、僕は言葉を返す。
「何をいきなり。ここに入ってから、もう三人殺していますが?」
「おう、理由がある奴をなぁ!」
内心歯噛みする。
求心力だけの、他はお粗末な団長だと思ったが、よく見ている。
確かに思い返してみれば、僕は先程から言い訳が出来る相手のみしか殺していない。
厄介と聞かされた会計以外、僕は襲いかかってくる敵しか殺していないのだ。
首を飛ばせばいいのに、僕は武器を壊すことを選択した。
その無意識の行動を言い当てられて、手が震えた。
クツクツと楽しそうに、団長は笑う。
「とんだ甘ちゃんだな! 強えには強えが、お前には覚悟がねえんだよぉ!」
「覚悟……覚悟ね……」
僕は、震える手を握りしめる。
「確かに、殺す、始末する、と言い続けていたのに、僕にはその自覚が足りなかったようです」
自分の手を汚すという自覚が。
僕の言葉を聞きながら、団長は身を屈めた。
「ハハッ!! そんなガキに、俺が殺されるわけにはいかねぇ!」
そして、飛びかかってくる。その手には、壊れていない三日月刀が握られていた。
先程首根っこを掴まれた団員の持ち物を拝借したのだろう。
その光景を、僕は冷えた頭で見ていた。
確かに、僕にはまだ覚悟が出来ていない。
きっとレイトンの言葉に、僕も感化されていたのだろう。だからだろう、いつからか、僕は始末する、排除すると簡単に考え始めた。
それが、人殺しだと言うことも忘れて。
でも、この考えは僕のものだ。
たしかに、レイトンの影響かも知れない。でも私兵達の始末を考えたのは僕で、そしてそれは必要なものだ。
覚悟が必要なのは、僕だ。そしてそれは、いつか必要になるものだ。
震えが止まる。拳に力がしっかりと入った。
だから、この団長に、僕が成長する材料になって貰おう。
「貴方のことは忘れるかもしれません。でも」
確かに速い剣閃だ。しかし、僕には隙だらけだ。
刀を躱しながら踏み込み、団長の懐に入る。
「貴方を殺した手の感触は、一生忘れないと誓いましょう」
そして鉈でも脚でも無く、その拳で団長の頭を撃ち抜く。
団長の断末魔の顔は、不敵な笑顔だった。
「さて、酒場の戦力は掃討完了! 残る二人は町長宅ですね」
残りも処理して、テトラにそう呼びかける。
テトラは伸びをする僕の姿を、複雑な表情で見ていた。
「……ごめん」
「何を謝っているかは知りませんが、多分気にしないでいいと思いますよ」
僕は出来る限り平然と答えた。
多分、テトラは僕に殺人を犯させたことを謝っているのだろう。
だが、それは不必要なものだ。
第一僕は、昨日の時点で殺人を犯している。
人を殺す覚悟、その時系列が狂ってしまっただけで、あとは何の問題も無い。
それに、テトラもレイトンも平然と人を殺しているのだ。
僕の初体験だったからといって、特別視する必要も無い。
「行きましょう」
「ええ……」
だから、テトラが気にする必要は、一切無いのだ。
「あ、もう一つありましたね」
「あー、こいつらね……」
僕が気付いて声を上げると、テトラも今気がついたかのように同意した。
壁際でへたり込む、先程食堂にいたソールと、長椅子の上で未だに固まっている、団長に侍っていた女性。
女性の方は商売女らしい。テトラに任せる。
僕は、ソールの方だ。
「ソールさんでしたっけ。ライチさんの旦那さん」
僕が声を上げると、弾かれるように立ち上がった。
「ラ、ライチの敵を……!」
そして床の小剣を拾い上げると、震える手でこちらを牽制する。
「心配しなくても、さっきの宿屋で待ってますよ、彼女」
「だ、団長が負けたか、からって……え?」
「一応、見逃すと言ってしまいましたからね。無事です」
今までの様子から見ても、彼らは闘気を纏うことすら出来ない。戦えないのだ。
そして成長期を過ぎると、闘気を身につけることは難しい。
つまり事実上、彼らがこれから力を付けることは出来ない。
彼ら自身での復讐は出来ないのだ。
だから、生かしておいても構わない。
「団の存続とかより、貴方のことを心配してたみたいですから、早く帰ってあげてください。そして、早急に街を出て真っ当に生きてください」
「お、俺は……!」
「もちろん、次に向かってきたら、事情の如何を問わず殺しますので」
彼ら自身での復讐は出来なくとも、誰かに依頼することはあり得る。だから、復讐心を僅かでも削いでおく。
二の句を次がせず、僕は脅した。もうこの脅しが僕の中で有効になった。
そして効果はあったらしい。
笑顔でそう言うと、ソールは黙って宿へ走って行った。
「見逃すってのはちょっと意外だったわ。もう、普通に……」
「殺せるから殺す、と思いましたか? しませんよ?」
僕はそう言い切った。
僕は快楽殺人鬼では無い。ここに到ってまだ、無駄な殺しはしたくない。
それに、取引の言葉は裏切らない。それは、石ころ屋に育てられた僕の矜恃だ。
「何で?」
「秘密です。レイトンさんにでも聞いてください」
用事は終わりだ。僕は、酒場を出ようと一歩踏み出した。
そのとき、怪我も何も無いはずの手の痺れを感じて、ふと振り返る。
奥に転がっている、先程頭を砕いた男を見て、胸にジワリと痛みが走った。
僕がこの手で殺した。
だが男を見て、憐憫の情が浮かぶ。魚や虫を殺しても、あまり感じられないこの感情。
この感情がある間は、きっと僕は大丈夫だ。
何が大丈夫なのか。この感情が無くなったらどうなるのか。
それはわからないが、とにかく、まだ大丈夫なのだ。
一人で何かを納得する。
酒場を出る僕の足は、何故か少し軽い気がした。




