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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
年老いた国と若者たち

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閑話:再構築




 王城の使用人たち三人が、クスクスと笑い合う。声を潜め誰にも聞こえないように囁きあう彼らがいるのは、謁見の間の入り口、そこを見張れるごく遠くの物陰だった。


「あれがミルラ殿下の麾下の人?」

「びくびくしてる」


 見つめているのは入っていった人影四人。更に話題に上がるのは最も後ろを自信なさげに歩く金髪の男だ。

 着慣れぬ礼装を身に纏い、少女とも見える若い治療師の女性や、長身の銀髪男性の後ろをとぼとぼと付いていく。最も先頭にいる豪華な衣装を身に纏う女性は、やはり最も胸を張って大股に歩いて入っていったというのに。


 今日は王城での論功行賞の日。

 午前には追悼式を終え、これから大勢の人間たちが、この王城、謁見の間に出入りする。

 出入りの順は、彼らの階級の順、それに報奨の大きさを加味したもの。地位ある人間ほど早く、そして上げた功が大きいほどに早く呼ばれる。

 そしてそこで王の階の下にいる官が彼らの功績を称え、報奨を手元の目録から読み上げ、更に王から一言を貰う。その一連の流れが、これから繰り返されることとなるのだ。


 ミルラ王女は王族だ。彼女自身に何の官位がなくとも、貴族よりも優先される立場にある。

 ミルラ王女の得た功績はめざましい。正確には彼女の部下が挙げた功績ではあるが、それは全て彼女に献上されるのであれば彼女の功績として差し支えない。

 迫る竜を打ち払い友軍を救ったなど些細なこと。彼女が戦場に送り出した部下は多くの敵を打ち倒し、そして敵軍最大の戦力の一角を打ち崩した。

 ……もっとも、その部下の功績のうち半分以上は、既に王の策略によってふいにもなっているのだが。


 故に彼女は、イラインでの指揮を執ったダルウッド公爵や、前線での指揮官を務め自身も五英将を打ち倒したクロード・ベルレアンに次いで王に呼びだされた。

 王が隠しきれない苦い顔を玉座で浮かべていることに、満足をしながら。



「女子爵だって」

「へえ」


 謁見の間を盗み見ることが出来る高位の使用人は随時その情報を仲間へと流し、横や縦の繋がりを以てその情報は王城内へ広がっていく。

 そして中でも、ミルラ王女が得た報奨。現在、その話題への使用人の関心は高い。

「まあ当然だよね。王族だからって褒美をもらえないなんてありえないし」

「なんであんたが誇らしげなのよ」

 使用人の一人が囃し立てるように胸を張る。それを笑い飛ばして、別の使用人が溜め息をついた。


 笑い飛ばしはしたものの、わからないわけではない。

 この王城で以前事件があった。正確には事件があったらしい、ということは彼女たちにも伝わっている。

 エッセン王がミルラから報奨を取り上げようとし、その結果として部下である〈狐砕き〉カラス、それに〈大妖精〉アリエルが追放された件。正確には追放されたのはカラスただ一人ではあるが、結果として出ていくのであれば彼女らにとってはアリエルも追放されたようなものだ。

 噂を聞いた使用人の中には、許せない、と憤慨した者もいる。少なくとも、好意的に見る者はほぼおらず、誰しもがその噂に眉を顰めた。


 謁見の間で直接目にした者は少ない。そのためもあり、一応とばかりに、火消しの噂も流れたものだ。

 曰く、『ミルラ王女は王族であるからして、国家のために働くのは当然のこと。故に報奨など最初から出るはずもなく、本来ミルラ王女は自分から辞退するべきだった。それを王はわざわざ芝居を打って説得した』のだと。

 

 だがその噂も、火に油を注いだ。

 使用人たちが常日頃から味わっている苦労。その苦労に対する『仕事ならば当然』という誰かの態度。それを刺激され、ミルラ王女に好意的な意見が多数上がるようになった。


「カラスさんだって本当はご褒美もらえたのにね」

「うん……」

 そして、ミルラ王女の評判が上がるにつれ、その件の彼の名も。


 更にどのような意図があったにしろ、この王城において、自分たちを気遣ってくれた彼ら。彼らと対比するように、それ以外の者の評価が下がっていく。

 殊に直接彼らを追い出した、王の名は。

 王は使用人たちの苦労を知らず、彼らの待遇は一向に良くなることはない。そんな絶望に近い事実と共に。不満のはけ口を得た彼らは、その思考の方向を変えていく。


「ミルラ王女殿下が王様になってくれたらいいのに」


 いつからか、そう囁く者が増えていた。

 願望が彼女らの目を曇らせる。

 人気だけでは何も出来ない。政治の素養もなく才覚もない彼女が国を統べることこそ、明確な間違いとも知らず。

 






「やめる?」

「ああ」


 聖騎士の使う練武場、雨天用の屋根の下で、三人の男女が思い思いに佇んでいた。

 青緑色の髪を括った精悍な男、クロードは、屈伸を繰り返すように柔軟を続ける。視線を向けられず、ただ同意の言葉だけを返されたフィエスタは、呆気にとられたように目を丸くした。


「どうして、こんなときに」

「こんな時だからこそ、ですな」

 ふふとクロードは笑い、ようやくフィエスタの顔を見る。表情豊かなクロードの顔は魅力を帯びていたが、フィエスタはそれに顰め面で返す。

 齢二百五十近い身ながらも、十代中盤、もしくは前半の少女にすら見えるフィエスタ。その顰め面は、クロードにとっては微笑ましくも見えるのだが。

 壁際にもう一人佇む男をちらりと見て、クロードはフィエスタに続けた。

「……聖教会が、戦時特約の解除を申し出たことはご存じでしょう」

「…………」

 フィエスタはその言葉を聞いて、喘ぐように黙る。

 そのことについては、噂程度だが彼女も知っている。


 この国と聖教会との間に結ばれた戦時特約。それは古い契約だ。

 古くは千年の昔からこの国の国体を保つため。当時の王、グレゴワール・エッセンが聖教会との間に結んだ契約。

 その戦時特約を結ばれた国は有事の際、聖教会の支援を受けることが出来る。災害時には救援活動に。戦争においては、彼らは自衛を除く戦闘に参加することはないものの、後方支援として傷痍兵の治療を行う。

 代わりに国家は、平時に聖教会の支援を行う。各街に教会を建設する際に補助を出し、その布教活動を妨害しない。


 エッセンが関わる戦争や災害において、今までその契約は滞りなく遵守されてきた。

 拒否権が発動されたのは僅かに一度、およそ三百年前。聖人である〈千尾皮〉ドゥミ・ソバージュ擁するミーティアへの侵略戦争のときのみである。


 エッセン王国の拡大に、そして維持にとても重要な契約。

 双方共が戦時特約を結んでいる場合はそう大きな影響はないものの、たとえばムジカルに対する防衛に際しては圧倒的な有利となっていた。



 その契約が打ち切られるかもしれない。そういう話がある。

 そうとだけクロードは言ったが、フィエスタはその言葉に酷く胸を締め付けられた。


「私のせい、ということですか」


 フィエスタには、契約を打ち切られる原因がわかっている。

 原因を知っている。他ならぬ自分が、そこに関わっているのだから。


「勇者の死はたしかに私のせいかもしれません。私があの場に残り、力を合わせていれば勇者は死なずに済んだかもしれない。けれど……」


 フィエスタのせいで聖教会の要人である勇者は死んだ。その結果、聖教会はエッセン王国に反感を持った。

 そして聖教会の支援を失うこの国に見切りをつけて、クロードは聖騎士団長を退陣し王城を去るのだ。


 罪悪感から被害妄想じみた思考が止めどなく押し寄せて、フィエスタは口早に弁解する。

 だがクロードは、その言葉を温かな笑みで止めた。

「勘違いなさるな。責めているわけではない」

「…………」

「聖教会の申し出は、勇者の死もあるでしょうが、それよりももっと大きな要因がある。ジュラ王城治療師長が罷免されたのもその一環でしょうな」

「例の追放騒動……」

 うん、とクロードは頷いた。

 公的に認められているわけではないものの、既に漏れた噂に周知の事実だ。〈大妖精〉アリエルの息子をこの国は追放し、そしてそれに伴いアリエルもこの国から出ていった。

 アリエル降臨の報を受けた聖教会の本国は、アリエルの招聘をいち早くこの国に呼びかけていたにも関わらず。


「……では、何故」

 自分のせいではない。自分のせいであっても、その責任は半分程度だ。安堵することもない情報だが、それでも僅かにそう安堵し、フィエスタは唾を飲んだ。

「とっかかりが必要なのですよ」


 柔軟体操を終えて、クロードがぴょんと跳ぶ。しなやかな筋肉はうねるようにその衝撃を吸収し、大柄な体格にもかかわらず軽やかだった。

「そうは言っても、勇者の死も大きな要因だ。故に、その勇者の死は、俺の責任だったことで話をつけることに決まった」

「え……?」

「勇者の死は、指揮官である俺の采配の失敗だ。その俺が責任を取って辞職することで、聖教会に対する申し開きを立てる……のはどうか、と陛下に奏上したら、悩んでいたが了承してくれたよ」


「……なっ……」

 フィエスタが小さく叫び声を上げた。

「馬鹿か!? いや、馬鹿ですか、貴方は! どう考えても責任は私にあるでしょう!? それに、やめて責任なんか取れるはずが……」

「いやそうなんだよな。冷静に考えると、何でやめることで責任を取れるのかわからん」

 

 うん? とクロードも首を傾げた。

 クロードも常々思っていることだ。失敗したのならば、その地位のままその失敗を取り返させることが責任を取ることだ、と思いつつも。

 

「まあ、無論、昨今のカラス殿追放の噂もある。カラス殿に続いて戦場の英雄たるこの俺まで戦場のことで罷免するわけにはいかないから、対外的には無関係な辞職だよ」

 申し開きを立てるのは聖教会に対してのみ。それ以外には、自分は自分勝手な辞職をするだけだ。……最も、噂というものまで止めることは出来ないのだが。


「……だから、あとは、任せました」

 クロードは改めて、壁際に佇む男を見る。彫像のように微動だにしなかった細身の男は、身じろぎをしてようやく生気を取り戻したかのように動き出す。

「厳しいな」

 低く重々しい声だった。

 そして、吐かれた言葉は心意気や心証などの精神論ではない。単なる、事実文だ。

「エーミール・マグナに、リヒャルト・パーセル。その二人がいれば、万難恐るるに足らずでしょう」


 エーミールはここにはいない。五英将を撃退したことで論功行賞の対象ともなっているはずの彼は、未だにミールマンに留まっている。

 故に、クロードは二人の名を上げたが指しているのは目の前にいるただ一人。


 鋼のような男だった。黒い髪、大きな目、容姿は『男らしい』という形容詞が似合う無骨なもの。

 細身の体は硬く締まった金剛石のように磨き上げられ、無駄な肉は一つもない。

 大柄なクロードよりも一回り小さい肉体は、何故だか見るものにその『密度』と閉じ込められた熱量を想像させる。


 しかし余人が彼を目にしたとき、一番に目を引くのはその左の腕だろう。

 派手な特徴があるわけではない。何かしらの装飾が施されているわけでもない。

 ただ、何もないのだ。

 その左の腕は、肘から先が。


 左腕、中身のない袖が力なく垂れる。

 百年以上前、かつて戦場で失ったその腕は、彼の喫した最後の敗北の証。

 〈隻竜〉リヒャルト・パーセル。聖騎士のうち最強とされる、第一位聖騎士団長である。



「お前が抜けた穴は大きい。それは誰にも埋めることなど出来ないだろう」

「それは次に台頭する流派次第ですな。水天流も変わらず残ることでしょうが」


 しかし、厳しい。リヒャルトの言葉もクロードは重々承知だ。

 クロードは水天流槍術宗家の掌門。その彼がいることにより、聖騎士団員は水天流の門下生が多数となっている。

 特に彼が団長を務める第二位聖騎士団などは顕著だが、それ以外の団にも多い。

 縁故採用や贔屓などではない。それは掌門が聖騎士団長を務めていることにより、水天流門下生に聖騎士を目指す若者が多いという理由からだ。


 そしてその求心力は、クロードが辞めてしまえば途端に落ちる。

 高給、名誉、それに騎士爵待遇という地位。聖騎士という職務上の待遇に魅力を感じている者たちは残るだろう。けれどもクロードを慕い、己を鍛えるために集った求道者は、じきに散っていくことだろう。


 迷惑をかける。それはクロードもわかっていた。

 十七ある聖騎士団のうち、今回の戦争で五つの聖騎士団がほぼ全滅した。聖騎士団は一団おおよそ二十五名前後であるため、およそ百二十五人が戦死したことになる。

 再編するならばまた同じ程度の補充が必要だが、聖騎士団に入団できるほどの手練れはそうそう集まるものではない。

 更にそこから、今回クロードがいなくなることにより、欠員が増える。


 聖騎士団は王の私兵。かつ、この国の騎士団の上に立つ最高戦力だ。

 その屋台骨が緩んでいく。エッセンの周囲とて、未だ燻る火種があるというのに。


「……西方は、どうでしょう」

「未だ」


 短い単語で応えて、リヒャルトは首を横に振る。

 東側は半ば安定しているエッセンではあるが、隣接している小国が多い西側は、その均衡は未だ危うい。

 聖教会の本国は西にある。故にその影響力が西側ほど強く、ほとんどの国々が聖教会との戦時特約を結んでいる。

 一度戦争が起きれば、双方の傷ついた兵たちが即座に復活し戦線へと戻る泥仕合が展開される。それを避けるため、戦争が起こること自体は稀ではある。稀ではあるが、政略結婚や同盟による政治力学の複雑さ故に、気が抜けないのも事実だった。


 平時リヒャルトが、長期間西方を離れられないのはそれが理由だ。

 彼は各国に対する牽制。魔法使いならずとも、単騎で戦場を制圧できる男。彼がいることにより、泥仕合はない。エッセンに敵対した小国は、ごく短期間で泥仕合なく彼という銀の槌で一度に潰されることとなる。

 彼が今回の戦争に参加していれば。クロードは、内心何度もそう口にしていた。



 クロードがゆるりと歩み、木剣を手に取る。

 中に鉄の棒が挿入され補強された上等なもので、その重みや重心は実際の剣と同等である。

 刃先を握り、リヒャルトに差し出す。リヒャルトは右腕でそれを受け取ると、顎で挟み握りを調節した。

「取り決めは」

「上欄試合と同じ」

 もう一本。リヒャルトに応えつつクロードは木製の棍を手に取る。柄はやはり鉄の補強があり、先は干した木の実により丸みを帯び、貫けぬよう安全なものとなっている。


 互いに向かい合った両雄に、見分役として呼ばれたフィエスタは唾を飲んだ。

 天下無双の槍の使い手、クロード・ベルレアン。エッセン王国最強の剣士リヒャルト・パーセル。その両雄が持つ武器は木剣と木槍ではあるが、彼らが持つことでその模造武器は凶器となり、剣は肉を断ち槍は肉を穿つ。

 堪らぬ緊張感に汗すら垂れる。

 

 七年に一度程度行われ、聖騎士団の序列を決める上欄試合。

 第三位までは別格だ、というのは聖騎士団長の中でも暗黙の了解だった。その第一位と第二位の試合は、いつも聖騎士団長たちすらも見とれるもの。


 もったいない、とフィエスタは思った。

 こんな誰も見ていない場で。



 構えたリヒャルトに槍を向け、低く構えたクロードの顔にも滴る汗。

(最後の機会だからとせがんでみたが……やはり自信をなくすものだ)

 正眼の構えを取ったリヒャルトの左の腕はない。しかし、その残った右の腕はクロードの片腕に倍する以上の働きを持ち、そして隻腕の剣術は諸手の槍術に劣るものではない。

 向かい合っただけで、クロードはそれをひしひしと感じる。

 喉元に当てられた刃の感触を思い起こさせる。今まさに自分は、獅子の口の中にいるのだと。


(しかしこうやっていても埒が……っ!!)


 正面から、上段から、素直に振り切られたリヒャルトの剣。

 クロードはそれを間一髪横に避けて躱す。眩まし(フェイント)もなく、何の工夫もないはずの基本の振りが、単なる必殺の一撃となってクロードを襲っていた。


 クロードを追うように横薙ぎの一撃が走る。

 磨き上げられた必殺の剣技にかろうじてクロードが槍を合わせれば、練武場に甲高い音が響き渡った。


「惜しいな」


 ぽつりとリヒャルトが小さく呟いた。

 本当に惜しいと思っていた。自身の剣を二度までも凌いだ目の前の豪傑に。

 リヒャルトの言葉を無視して放たれるクロードの槍もまた必殺。それをリヒャルトは弾いて躱す。互いに必殺の技の応酬を続け、結ばれる武器に、互いの心中が見えた気がした。


 惜しい。リヒャルトはそう思う。

 今回の聖騎士団の壊滅。それをクロードの失策だと囁く者たちがいる。

 だが違うのだろう。失策というのであれば、彼に采配をさせ、最前線に出さなかったことこそが失策だ。


 彼が王国騎士団から去ることは、多大な損失となる。

 自身やエーミールと同じ高みに立つ彼を失うのは、この国の三分の一の戦力を失ったと言っても過言ではないとまでリヒャルトは思う。

 屋台骨は緩んでいく。聖教会の庇護を失い、戦力を失い、王の求心力も下がっていくこの国は。



 剣と槍を打ち合わせる度、カン、とどこかが割れたような鈍い音が響く。

 その度に二人は言葉なく語り合う。今までの鍛錬や、生き方をぶつけ合うように。


 そして、二人共が、気付いていた。

 いつもの上欄試合と様子が違うことに。


(届く……届け!!)

 

 弾いたリヒャルトの剣が戻るまでの間に、クロードが槍を喉元に突きつけるようにして伸ばす。仮に当たれば、上欄試合とはいえそこで試合が終わるもの。

 だがリヒャルトは身体を捻って躱す。そのクロードの速さに驚愕しながらも。


 もとより、常人には見えない速さの攻撃の応酬だ。けれども離れた場所から見ているフィエスタすらも理解が追いつかない速さで、めまぐるしく攻守が入れ替わる。

 リヒャルトは驚きつつ剣で槍を払う。強いとは思っていた。この王国で自身と肩を並べられる二人のうち一人。だがそれでも、クロード・ベルレアンとは、これほどの強さだっただろうか。


 抑えようとした剣が押し込まれる。

 弾こうとした槍が弾けない。


 久しく感じたことのない白熱。緊張。ようやくリヒャルトの額に汗が浮かんだ。



(やっぱり、……重たかったんだな)


 自身がいつもよりも鋭く早く動けている。それを知り、やはりとクロードは納得する。

 邪魔があったのだ。いつもの自分には。

 気負いがあったと言えば格好がいいのではないだろうか。王の前で、皆の前で、格好つけようと無駄な力が入っていた。たまの息抜きはあったものの、公務中は聖騎士たらんと背筋を伸ばし、模範となるよう言動を慎んだ。


 だが、聖騎士を辞めると思えば。

 もう取り繕わなくてもいいと思えば。

 これが最後ならと思えば。



 ぐ、と足下に力を込めたクロードに対し、リヒャルトは牽制(必殺)の突きを放つ。

 しかしそこで目を疑った。

 クロードは踏み出した、ようにリヒャルトの目には見えていた。事実、クロードはリヒャルトに近付くよう移動をしていた。

 その胸を突くよう、剣を突き出したはずだ。当たったはずだ。

 だがその手応えはなく、更には。


「っ……!!」

 クロードがリヒャルトの背後に回る。まるでリヒャルトをすり抜けたように。括った長い髪を翻し、槍を携え軽やかに。

 〈涼風〉クロード・ベルレアンが修める水天流槍術。そのうち、常に足を止めず相手を攪乱する風林の型の境地。

 それは不思議なものでもたいそうなものでもない。魔法ではない技術の結晶。ただ、思うがままに動くだけだ。自身を襲う攻撃をすり抜けるよう、自由に。


(実戦で、こいつ相手に、出来るとは、な!!)


 クロードも驚いていた。表演などでの経験はある。格下相手に遊び半分で使ったこともある。

 しかし実戦で、明確な格上相手に、それをやる。

 彼にとっても初体験の事態だった。


 反応が遅れたリヒャルトは、振り返りつつ剣をクロードに向ける。

 だが、間に合うと思った。この無防備な首筋に向け、槍を突き立てれば勝利できる。クロードはそう確信した。


 その槍を、下からリヒャルトが蹴り飛ばすまでは。



 リヒャルトの追撃はなかった。

 驚愕と落胆を出さぬよう表情を制御しつつ、クロードが跳んで下がる。

 痺れが残る腕に、力を込め直しながら。


 リヒャルトも、剣を振りかぶるようにして腕に力を込める。

 闘気が木剣を白く覆う。

 その様を見つめるクロードには、リヒャルトの右上半身が膨らんだように見えた。


「……実際にすり抜けているわけではない。俺の攻撃を恐れない最小限の動きが、そう見せているだけだろう」


 無表情のまま呟かれた分析するような言葉。その落ち着き払った言葉に、クロードは、『ああ』と内心呟いた。


 無造作にリヒャルトは剣を振り下ろす。

 その剣が振り下ろされ始めたところから、クロードの目にはその剣は見えなくなり。



 パン、と鋭い音が響く。

 リヒャルトを中心に、練武場の石の床が砕かれるようにひび割れる。咄嗟に闘気で保護し、防御姿勢を取ったフィエスタすらも、身体全体に大きな槌を振り下ろされたかのような痛みを覚えた。


 リヒャルトは特別なことをしていない。ただ、力を入れて剣を振り下ろしただけだ。ただその剣が、音の壁をいくつも超えて、周囲に衝撃を放っただけだ。

 『隙間がなければ避けられまい』という、無言の伝言と共に。


「さあ、今一度」

「本当に、自信をなくしますな」


 槍を振り回し、衝撃を放つ程度ならばクロードも出来る。

 だがそれは正しい姿勢を取り、気合いを入れて行う『技』である。決してそれは、通常の振りで軽々しく行うものではない。


 それでも、クロードは構えて思う。

 身体が軽い。腕が軽い。全身を覆っていた鉛が溶けたように。


 衝撃波を放ちつつ迫る攻撃をいなし、躱し、クロードも返す。

 それが出来る今ならば、勝てるかもしれない。この百年、勝てなかった相手に。


 やはり向いていなかったのだ。人を率いることなど。

 そして手放したならば、自分は更に力を手に入れる。クロードはそう確信していた。

 何せ、目の前にも一人いる。片腕を失い、引き替えのようにこの国最強の称号を手に入れた男。失うことを力に変えた男。

 ならば、自分はこれからどうなるのだろう。

 水天流掌門という立場すら、クロードにとっては錘となっていた。双肩に掛かる数万の弟子たちの人生。次代へと譲り、いずれそれを手放せたら、またきっと自分は強くなれる。

 無邪気にクロードはそう感じ、また一歩踏み出すべく足に力を込めた。



 互いに力一杯、全身全霊の力を込めて剣と槍を結び合う。

 もはや模擬武器などということは関係ない。互いに当たれば大怪我、悪ければ死を覚悟するような真剣なもの。

 ただ、互いに武器をぶつける度、視線を交わす度、言葉を交わしている気がした。

 この国を頼む、というクロードの言葉と、任せろ、というリヒャルトの言葉。

 

 その言葉はやがて文句の言い合いに発展したものの延々と続く。

 それからやがてフィエスタの手で止められたときには。


「……やってしまいましたな……」

「…………」


 練武場の屋根は半壊。石の床は全て砂利へと化す。

 賠償は三人で折半か、とクロードは言い、フィエスタは小声で悪態をつく。


 いくつもの痣や擦り傷を作り、それでもクロードは、清々しく笑っていた。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] カラスよりもリヒャルトの方が強いんでしたっけ? [一言] 最高の作品ありがとうございます。
[気になる点] クロードですら騎士として100年くらい勤めてそうだから勤続年数的には人の一生くらい長いし辞めるにしても十分働いたよね。笑 [一言] クロードなりの別れの儀式か。 それはそれとして…
[一言] 立つ鳥跡を濁さず粉砕す
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