これからそのとき
「じゃれあいは済んだか?」
「あの真っ黒いのが俺を追い出したー!」
えぐっ、と泣き真似を繰り返しながら、外で叫ぶ声がする。
泣き真似は当然クロードだが。それに加えて、この女性の声は……テレーズか。
「話を通しておくと言ったのはお前だろうが」
まったくもう、と言葉を添えつつ、テレーズが扉の取っ手を握る。そして感じたのは、闘気、それに僕の魔力の手が溶かされる感覚。
するりと扉が開く。
木の扉だが、静かに満たされた闘気の光で僅かに輝いて見えた。
顔を見せたテレーズが申し訳なさそうに少しだけ微笑む。
「いや、クロードが失礼した。仲間内のものなのはわかった上で、『最後の機会だし、俺たちも参加させてもらうよう頼んでおいた!!』とクロードがな」
「頼んでおいた?」
「こ、これは、いらっしゃいませ!!」
駆け込むように店主が現れて頭を下げる。
客相手には過剰だろう深々としたお辞儀、帽子まで取って。
過剰だとは思ったが、貴族相手と考えればこれも当然なのかもしれない。……だが、貴族というのは彼らの普段着を見ても判別は難しい。
……なるほど、つまりこれは。
「ええと、相席でという注文だったのでしょうか!? これは失礼致しました!! お二人でのご予約かと……!」
「いや、俺も言葉が足らなかったのか、どこかで変わってしまったのかわからないが、仕方あるまい」
テレーズの脇の下から顔を見せるよう、平身低頭でクロードが顔を見せる。
「というわけだ、カラス殿。申し訳ない、こちらでこちらも予約を取らせてもらっている。店の営業の邪魔はしまいな?」
「なんとなく邪魔したくなりましたけど」
悪戯をし、誰かの背中越しににやりと笑う子供。そんなものを想像してしまい、僕は言う。
だがそれすらも笑い飛ばすように、クロードたちは店の中に足を踏み入れた。
「まあ恩に着せる気はないが、この戦時下で、個人で満足な食材を手に入れられる理由を一度考えてみるといいぞ」
「まさか」
「いやあ、レシッド殿に言われたときにはどうしようと思ったが。俺も俺で骨を折ったなぁ」
クロードが店主やササメの案内もなく隣の机の席に着き、頬杖をついてこちらを見る。
「特に子豚はなぁ…………この近くの農家じゃあ戦に備えて親豚を全部潰しているところも多かったから、大事な子豚を売ってもらうために俺からも一筆書いたりなぁ……」
「大分嫌な奴になってるからその辺でやめとけ」
クロードの向かいに座ったテレーズが、目を細めてクロードを咎める。
だが、色々とこの慰労会の裏で苦労してくれたのはなんとなくわかった。
「……どうぞ、この店は美味しいですよ」
「カラス殿が行きつけならば、だろうな、という感想しかないな」
ふはは、と笑うクロードに僕は心中で溜め息をつく。
なるほど。席が埋まっていなかったのは、彼らが予約していたから。
この空いた店の様子に貸し切りのよう、と思っていたが、それに近い状況だったわけだ。
テレーズがササメを呼び止める。
「すまないが料理を始めてくれ。あと、先に酒も」
「お前はやめとけ」
「大丈夫だ。なんだか今日はいける気がする」
…………。
…………?
料理を頼み始めるクロードたちを尻目に、ふと僕は思う。見回せばこの店には、まだ開いた机がいくつもある。
そしてなんとなく変な予感がした。つまりあといくつかの机も……。
「我が輩には水だけでいいぞ」
「ああ、俺は何か蒸留したやつな」
「はい喜んでぇっ!」
クロードたちが入ってきてからしばらくして、続々と人がやってくる。
驚いたのはそれがアリエル様と、レシッドたち三人だったことだ。
「王都へ向かったんじゃなかったんですか」
「隊長殿が待ったをかけたのでな。我が輩は暇だからきた」
「俺も帰りたかったけどさ。だってお前からもらった金多かったし」
くい、と透明なグラスに入った褐色の酒を傾けて、レシッドが応える。
「それに治療師様が、最後の挨拶がしたいからって」
「ごめんなさい! まさかそんなお友達だけの会だったとは!!」
連れられてきたソラリックが、大分恐縮した様子で頭を下げる。
レシッドに僕が頼んだ内容。
『三人で食事がしたいから、店に金を渡して伝えておいてくれ』という……それだけ聞くとレシッドを召使いとでも思っているような偉そうな話だが、一応頼みが変な風に周りに伝わってしまったらしい。
レシッドは店主にまず予約というか準備の手配をお願いし、更に食材の手配のためにクロードに話を通した。その過程で、どこかで『三人で』という分が抜けてしまったようで。
いやどちらかというと、クロードがわざと、もしくはレシッドが『三人で』ではなく『三組で』としてしまったのだろう。……それが『三組』かはまだわからないけども。
「いやなんか、本当、すまんね」
「お店の方が謝ることではないですよ」
店主の謝罪に応えつつ、ね、と一応モスクたちに問いかける。
モスクとリコは、聖騎士という『貴族』二人の登場から、すっかり顔色を悪くしていたが。
アリエル様は叱るように僕の髪の毛を引く。
「いいじゃないのー、ご飯はみんなで食べた方が美味しいのよ!」
「時と場合によりますね。僕たちもうみんな主菜は食べてますし」
主菜の子豚は食べた。これから大勢での食事会となったとしても、食事の段階がばらばらだ。
正直、あまり口には出さないようにはしたいが、文句しかない。
「……いいじゃないの。これが最後かもしれないんだから」
アリエル様がボソリと呟いた言葉には、言い返すことが出来なかったけれども。
「俺はもちろんいいけど、リコさんは?」
「う、ああ、うん、俺も全然大丈夫だよ」
「…………二人がそう言うなら」
そして二人が本心でなくともそう言うのならば、それ以上の文句は僕には言えまい。
今度こそ隠さぬよう、溜め息をついた。
リコは僕を笑うように一口酒を飲む。
「代わりに、今度もっとみんなでいいもの食べようよ、話に聞く竜の肉とか」
「ああ、俺もそれ食べてみたいな。一番街いかないと食えないんですよね。お前多分食ったことあるだろ?」
「あるよ。料理したのとしてないの両方」
「そういえばカラス君の昔狩った竜って話だもんね」
「あんな固い肉食べられるのか?」
隣の机から、テレーズが話に入ってくる。傾けている杯は……匂いからして水か。クロードの方にも同じ物がある。クロードが我慢し、二人ともがまず食前酒の代わりに水を頼んだとみた。
「はい、……ええと……」
「……ああ、そういえば名乗ってなかったな。エッセン王国第七位聖騎士……と、これは無粋か。テレーズ・タレーランという。こっちはクロード・ベルレアン。ここまできてなんだが、邪魔して済まない」
「クロード・ベルレアンだ。よろしく」
「タレーラン様にベルレアン様……」
リコがおそらく名前を覚えるために、口の中で名前を復唱する。
だがそれを、テレーズはニコリと笑ってとりなす。
「今は任務外だから様はいらないよ。それにこんな場所で礼儀なんて求めないから、テレーズとでも呼んでくれ。カラス殿もな。前はそう呼んでくれていただろう」
「本来は聖騎士閣下、とつけるのが正式だぞ。そうせねば首を刎ねられても文句は言えん」
クツクツと笑い、コインを囓りながらスヴェンが割って入る。
それもそうだとは思うが、しかしそういう立場を持ってこられると、こちらとしても強い。
僕は二人の友人を指し示しつつ声を上げる。
「では私から紹介しますね。そちらがリコ、こちらがモスク。二人とも私の幼馴染みです」
つまり、この二人に何かしらの危機が迫れば、僕の機嫌が悪くなる。それはクロードには既に伝わっていることだとも思うけれども。
ついでに、と僕は更に隣の机を指さす。
「僕と同じ探索者の、スヴェン・ベンディクス・ニールグラントさん。それに、レシッドさん……はモスクは知っていますね」
「おう」
モスクは小さく応える。リコは、また口の中で名前を繰り返した。
「あと、そちらの治療師がソラリックさん。……えっと」
「コルネア・ソラリックです」
少しだけ椅子を引き、体をこちらに向けて、ぺことソラリックが頭を下げる。僕が名前をふと思い出しかねて、言い淀んだのを察したのだろう。
何故だか少し申し訳なくなった。
「それで、あの固い竜の肉をどうやって?」
「ああ、はい、その何年か前からイラインの一番街で食べられているんです。昔カラス君が殺した竜の肉が、凍ったまま今でも出回っているらしくて。その、俺も食べたことはないので、料理法までは」
辿々しくリコが答える。
「血無しの肉だったか。角煮のようだった、と俺も食べた奴に聞いたことはあるんだが……」
クロードも知っていたのだろう。
塩漬けの鱒の内臓を食べつつ言うが、曖昧だった。
「冷煮込みですね。茹でて冷まして、というのを何度も何日も繰り返すそうです」
つまりやはり、食べたことがあるのは僕だけなのだろう。
だが僕としても細かな情報は持っていない。ただ、美味しかった、というだけで。
「茹でるだけ? あの肉がそれだけで食えるようになるとは俄に信じがたいが」
「タレーラン……テレーズ殿も食べたことがおありで?」
「ああ。昔、……地竜だったかな? 生肉を手に入れてな。家畜の餌で誰も食えないと言っていたんだが、ものの試しに食べてみたことがある。火は通らんし、文字通り歯が立たなかった覚えがあるよ」
「ですよね」
なんとなくテレーズに親近感が湧く。
そういうことをするのは、僕だけだと思っていたが。
「あれもなかなか乙なもんよ?」
そして、その話にアリエル様が入るとも思わなかったが。
「生の状態で食べられる方法があるんですか?」
「ちょっとコツがいるんだけどね。水竜は水分が多いからわりかし簡単よ。吸うの」
「吸う、というのは水分を?」
「舌を使わないからあんたたちには味気ないかもしんないけどね」
んー、と悩みつつ、アリエル様は僕の前の皿に残っていたあった香り付けの葉っぱに指を触れる。次の瞬間、青々しかった笹の葉のような葉は、干からびるように萎れた。
そしてアリエル様は、自分のお腹をぽんと叩く。
「あたしもたまには野菜も食べないと」
「……なんというか、私どもには真似できませんな」
白い歯を見せつつテレーズは言う。そして凍った刺身を口に運んで「これ美味い」と呟いていた。
テレーズの言葉に、興味深げにクロードも刺身を食べる。それから恨めしげにレシッドやソラリック、僕らの前に置かれた酒をちらりと見たのはまあそういうことだろう。
それからクロードが僕に向けて口を開く。
「イラインには血無しの肉を食わせる店は多いのか?」
「どうでしょう。昔私が行った店の料理長が料理法を開発したそうなので、広めてなければ一件ですけど」
と思い出しつつ言って、言いながら考える。
よく考えたらあれはオルガさんの実家の出している店の一つだ。支店もあるかもしれないし、他の店にも広まっていておかしくはない。
それに、またあれから三年以上経っている。一番街でしか食べられないとはさっき聞いたが、他の人間が新たな料理法を作り上げていてもいい時間だろう。
そういうものは僕よりも彼らの方が詳しい。
モスクたちに目を向けると、彼らは首を横に振った。
「食える店ならいくつかあるよ。っつっても、味はやっぱバラツキがあんな」
答えたのはレシッド。片腕を背もたれに回しつつ、わりと不遜な態度で。
「ほう、そうなのか」
「ユスティティア商会の店なら外れはないし、その辺探せばいいんじゃないっすか」
「覚えておこう。……ユスティティア、か」
興味深げにクロードは頷く。それからまた、名前を呟くときに僕をちらりと見た視線は、……どこかでルル・ザブロックの王城滞在時の城側の担当者を知ることもあっただろう。覚えていたか。
だがクロードはそれ以上何も言わず、明るくテレーズを見る。
「今回は無理だが、また一緒にイラインまで食いに来ようか? 奢るぞ」
「……まあ、いつかな」
テレーズはクロードの言葉に、水を飲みつつ答えた。
それから、料理の変更と共に軽い席替えがあった。
料理の変更は、本格的なコース料理から宴席料理への切り替え。もうほとんど食事を終えた僕たちへ向けて、皆でつまめる大皿料理に種類が変わった。
席替えは座る場所を変えただけではない。机の位置を変えたのだ。簡単に言えば、軽い木のテーブルを移動させ、机をくっつけて大きな机に並べ直した。
僕たちが机とその間の隙間ごしに何度も話していることを受け、「まどろっこしいですよっ」とササメが提案し、それを受けたリコの「いいかもね」の言葉で。
「それでこいつな、こいつはなぁ、わらしに負けた言い訳をわたしにむけてなぁ!!」
「は、はあ……」
僕の斜め前にテレーズが来た。そして、こういう場所でのテレーズは、やはり前と同じになるのだろう。そのテレーズの向かい、僕の横にいるクロードが頭を抑えて呻いていた。
酒臭くないのに、彼女から酒の匂いがする気がする。
どういう話題からなのかはわからないが、クロードの幼少期の話に花を咲かせていた。一人で。
僕の横、クロードの反対にいるリコは困ったように眉を下げつつ、うんうんと頷いて聞いている。それに気分を良くしているのだろう、テレーズは止まる様子がない。
彼女だけに任せておけず、僕も合いの手を少しだけ入れる。
「……幼い日にはクロード殿はテレーズ殿に勝てなかったとお聞きしましたね」
「そうなんだよこいつ、でも俺は負けてないって何度も言うんだよ」
明るく、口をすぼませるような『きゅきゅきゅ』という感じの独特の笑い。赤ら顔。……これが酔っていないとは思えない。
話題に上がっているクロードは、素知らぬ顔で焼き浸しのような丸の魚を小刀と三叉で綺麗に捌きつつ舌鼓を打っていたが。
「いやしかし、こいつは美味いな! リドニック料理というのも侮れん」
「逃げないでくださいよ」
連れてきた責任を取れ、と僕は言うが、クロードは気にしない素振りで魚を口に運ぶ。その魚は僕も先ほど食べた。リドニック料理らしく酸味はあるが、梅か何かでつけてあるようでじんわりと舌を刺激するものだった。
「仕方ないだろう。ああなったテレーズは止められん」
「でも素面ですよ」
「それは俺も未だに信じられん」
わはは、と笑いつつ、テレーズが隣にいるモスクの肩をばんばんと叩く。助けを求めるような視線をモスクは僕やレシッドに向ける。しかし僕が何かをする前に、レシッドがテレーズにモスクを挟んで何かを話しかけて、矛先を変えてくれていた。
「……で、やめるんですか?」
「…………そうだな」
僕は視線は前に向けたまま。先ほど僕が頼んだ麦の酒をクロードに向けて押し出しつつ尋ねる。
クロードは酒を受け取り、水のグラスを押しのけつつ静かにそれを口に含んだ。
「なんでわかったんだ?」
「だって、先ほど言ってたじゃないですか。テレーズ殿に向け、『一緒に来よう』って。聖騎士団長なんて、揃って休暇を取れるほど暇じゃないでしょうに」
「お前はたまに聡いときがあるな」
「そんな感じのことをテレーズ殿にも言われました」
もっとも、そうなるとテレーズ側の休暇問題もある。
テレーズの団は、今回の戦争で壊滅した。ならばテレーズがまた聖騎士団長としてやっていくならば団の再編をしなければならず、彼女が団長位に残るとしても彼女はしばらく休暇など取れないくらいに忙しい。
……いや、逆だろうか?
「テレーズ殿もしばらく暇になったり?」
「そうだな。しばらく団の活動は凍結される。あいつくらいになると、他の団への編入もないだろう。しばらくは休暇だよ……やめなければ」
幅の広い杯の酒を飲み干すように傾けて、クロードは言う。
含みのある言葉。それはつまり、彼女も。
「だから俺もあいつも誘おうと思うんだよ。あいつはよく戦ってくれた。だが、今回のことで責任を取らされもするだろう。団が壊滅した責任、敗北した責任、どれだけよく戦おうとも、王陛下は許しはしまい。何かしらの処罰がある」
「でしょうね」
僕も李の酒を口に含み同意する。
「今回のことで痛感した……俺は向いてない。それに、あいつに危ない目に遭って欲しくないんだな」
「そうかそうか、君があの縄張りをな、すごいな、私たちの安全を守ってくれるのは君たちのような者だ! 感謝してるぞ感謝!!」
クロードが目を向けた先には、顔を赤くして呂律の回らないテレーズ。
モスクに矛先が戻り、モスクは「どもっす」と小さく呟きながら、叩かれた肩の痛みに目を白黒とさせていた。
「慰労会の邪魔をしてすまんな。だが俺はお前よりもあいつを優先した。こんな会でもないと、あいつは酒を……飲んだ気にすらなれないからさ」
「やっぱり気にされてますかね」
「酒は憂さを晴らす玉箒、だがあいつは飲めないからな」
返答に代えた言葉は答えになっていない。僕から見ても、そんな素振りは見えなかったが、だがきっと幼馴染みの彼には見えているのだろう。幼馴染みだからかどうかはわからないけれど。
しかし、じゃあ。
「では、そろそろ『その時』が来るわけですね」
「その時?」
「以前クロード殿が僕に言った話です。退役したら、その後のことをようやく話せると」
からかうように僕はクロードの顔を下から覗き込む。だがそこから目を逸らすよう、クロードは酒を飲み干してそっぽを向く。
「カラス殿の上目遣いは、こう、何かくるからやめてくれ」
「何か誤魔化してますね?」
「…………」
以前クロードから聞いた話だ。
聖騎士たちは、クロードとテレーズをくっつけようとする者が多いと。だから食事会などで、部下たちが結託して彼らを二人きりにしようとすることが多いのだと。
そして今の立場では、その類いの話は進めづらいからやめて欲しいのだと。
「……そう、だな……」
空になった酒の杯を置いて、クロードは前を見つめる。
目は細まり、愛おしむように。唇は微かに緩み、これからの期待をするように。
その先には、軽く杯を傾けるテレーズ。
まあその話は進めてくれなくてもいい。
僕は唐揚げを丸ごと口の中に入れて噛み砕く。
僕はそれを外野から口出ししたいだけだ。僕の婚約に関して、勝手に賭けをしてくれた二人の恋路をからかいたいだけだ。
どうなることやら。その結末を僕が見ることは出来ないと思うが、それでも……。
そう思い、見ていたクロードの目が丸くなる。
ふと、その先を見れば、テレーズ。いやまあ、先ほどから見ていたし、それは変わらないのだが、どこか驚くようなことでも……。
あったか、と僕が思う間もなく、僕も匂いで『それ』に気がつく。
テレーズが何かを不思議に思うように、静かに酒の杯を置く。
途端に、彼女は椅子から崩れ落ちる。横にいたソラリックに凭れるように、その白緑の長い髪の毛を広げながら。
「え?」
「ちょっと!?」
ソラリックとアリエル様が驚く。横にいたモスクも、慌ててぶつからないように椅子をずらす。
まるで眠るように目を閉じて、力なく床にまで落ちた彼女を見て、その場にいる誰もが……スヴェン以外が慌てるように注目した。
ソラリックが、助けを求めるように僕を見る。
僕は何も反応できずに、その落ちていく様を見ていたが。
「タレーラン閣下!? 閣下!?」
しゃがみ込んだソラリックがテレーズの肩を揺する。その仕草に、まずいかと僕も思った。
彼女の心臓はまだ本調子ではない。
ちょっとしたきっかけで動きが不規則になることもあるだろうし、止まることもあるかもしれない。
まずいか。まだ要経過観察くらいに捉えていたほうがいいのだろうか。
……と、思ったのだけれども。
けれども、違うらしい。
聞こえてくるのは静かな寝息。
僕も一応は席を立ち、机を回って床に倒れたテレーズの下へと駆け寄る。
そんな僕に、ソラリックは首を横に振った。
「……その、……寝てるだけみたいです……」
何で? と戸惑うように、ソラリックが小さく言う。
僕は頷き、クロードに目を向けた。拍子抜けしたような彼に。
紛らわしい、とクロードは顔を両手で押さえてぽつりと呟く。
しばらくは禁飲み会ですね、と僕が言うと、静かに頷いていた。




