引き継ぎ
「カラス殿来たーっ!!」
長い袖付き外套の裾を揺らし、万歳して僕を迎える男がいた。仮設の軍司令室の木造の建物の中、大きな机の前に一人。
その態度が戦場に相応しくない、というのは彼の場合は正しくも責めるべきではないだろう。彼の部下も何人も死んでいるし、きっとそれをわかっていない男ではない。
ただ多分、陰鬱な雰囲気を作りたくなくて。そしてもう一つ、剣呑な雰囲気を引き受けるつもりで。
「そんなに喜ばなくても」
「いやいや喜ぶさ。ダルウッド公爵もこれで文句は言えまい。和平だこれで和平だ」
立ち上がり、机越しに飛びかかってきそうな雰囲気まで放つ。
クロードは長く鼻で息を吐いて、精悍な顔を僅かに綻ばせた。
もう二度と正式には入らないであろう王都を出て、休憩を取りつつまた約一日の旅程。
次の日の朝、僕はイラインに到着していた。
「団長、カラス殿にはまだ事情が……」
横で書類を整理していた聖騎士が、クロードに取りなすように言う。
クロードはその言葉に、あ、と今気付いたかのような大きな口を開けてから、気を取り直して僕へと向かってきた。
「そうだ、そうだったな。いや実は、今カラス殿が停戦合意の大きな障害というか関心事になっていてな」
「知っています。私とアリエル様が第三国として参加しろとのお達しでしょう」
「知っていたか」
感心したように眉を上げたクロードに、僕は頷く。
「グラーヴェとかいう奴から手紙が届いたもの」
「…………」
僕の横でぽろりと暴露したアリエル様には、何も言えなかったが。
咳払いはしないがそうするように、僕は視線を漂わせる。
「それをエッセン側が了承するかわからないので、私たちからも突いて促してほしいと」
「……その、さすがにそれは俺も上に報告しなけりゃいけないんだが。聞かなかったことにしていいか?」
「別に構いませんが」
その反応は仕方ない。
現在戦争中の敵国の誰かから、自陣営の誰かに手紙が届く。
調略や籠絡などの何らかの計略にしろ、何の後ろめたいところもない私信にしろ、そのような通信があったことはクロードたちはすぐに対処しなければなるまい。
ましてや敵国の王ともなれば、末端では対応できないだろう。
「まあ僕の所属ももうエッセンではなくなるので、あまり気にすることもないと思います」
「そうか……そうか? ん?」
一瞬納得した様子でクロードは頷いたが、更に一瞬後に首を傾げる。
そして少しだけ考えた後、ぎくりと身体を固めた。
「……どれだ?」
「どれ、とは?」
「俺は今最悪の想定をいくつかしている。俺はそのどれに対しての心構えをすればいいんだ?」
「さて、僕は心など読めないのでなんとも」
ふとアリエル様を見ると、アリエル様は笑みを浮かべていた。
ねー、と声を出さずに口だけで言い身体を傾げる。僕も思わず合わせて首を傾げた。
「まず、まずな? カラス殿がそのように楽しそうに笑っていることが気に掛かる」
「笑っていましたか?」
僕はクロードの言葉に顔に手をやる。笑っていた気もしないが、無意識にしてしまったのだろうか。
両手で頬を後ろに引くようにし、顔をほぐす。いけない、真面目な話の最中なのだから。
「次に、……エッセン所属でなくなるとはどういうことだ? ミルラ王女の隊だろう?」
「そのミルラ王女からのご命令です。私、ミルラ隊隊長のカラスはこれから速やかに隊員レシッドに隊長業務を引き継ぎ、離脱しろとのことです」
「え?」
「ベルレアン団長にはお世話になりました。おそらく今日中には隊長業務を終了、市井の人間に戻ります」
「いや、いや待て?」
下げた頭の頭上から声が飛ぶ。
顔を上げれば、クロードはこちらに手を伸ばしてきていた。
「まだ戦争中だぞ?」
「戦争中でも、です。そういう命令ですので仕方ありません」
無論、僕は残念でも何でもない。この戦争でやりたいことは大体達成できた。もうあとは、ルルやリコやモスクが犠牲にならなければ戦う意味もない。
「更に王陛下からは、終戦と同時に速やかにこのエッセンを離れ、二度とこの地を踏むなとの追放令を下されています」
「何やってんだあのジジイ!!」
反射的だろう。クロードが叫ぶ。
驚いたように室内にいた二人の聖騎士が固まったが、一番まずいと思ったのは一瞬で汗を噴き出したクロードではないだろうか。
「…………」
「……ああ、あの異端認定のせいか? そういえばあれはどうなったんだ? カラス殿が処刑もされていない以上死罪にはなっていないんだろうが……なっていないんだよな? 俺はそれも怖いんだ」
誤魔化すように、話題を変えようとクロードは笑うが、空気は変わらない。
団員たちはおそらく聞かなかったことにしようと、先ほど目を通していたはずの書類を殊更に引っ張り出して小声でそれを音読していた。
「異端認定はアリエル様のお陰で、ジュラ王城治療師様に無事『勘違い』だと認定して頂けました」
実際は知らないが、そういうことだろう。
今頃王城に到着したパタラが、偽報を届けたと処罰でも受けているのではないだろうか。その辺りは興味ないし調べる気もないけれども。
「……では、何故?」
「僕を取り押さえようとした聖騎士団長様に抵抗した罪と、王陛下への不敬罪ですね」
「謝ったら許してやるなんて言われてたけど、こいつ謝んなかったのよ」
「ええぇ……」
キリッとした眉を曲げて、クロードがストンと腰を下ろす。
手を組み、俯くようにして額に当てる。
何かに悩むようにクロードは動きを止めて、恐る恐ると口を開いた。
「つまり、……ムジカルにつくとか、そういうことじゃなくて、カラス殿はエッセン王国から追放されたのだな?」
「そうですね。追放令ですから」
さっきからそう言ってるのに。そこまでは言わずに、僕は返す。
「城は…………残っているか?」
心配なのはそれか。
「残っていますよ」
「そうか、それは不幸中の幸いだな」
はは、とクロードは無理矢理笑い、その笑い声は静かになった部屋にやけに響いた。
どこかへお出かけになられていたアリエル様が戻ってきた。そうクロードによって大々的に発表された報は、イラインをすぐに駆け巡ったらしい。
ダルウッド公爵は僕たちの不在を根拠に条件の修正を求めていたが、ムジカル側が折れなかったのだとか。
そしてそのクロードによる公式の報告と、更にクロード伝いに伝わる僕たちの合意で、ダルウッド公爵も納得するだろう、という話だった。
僕もその言葉にほっと胸を撫で下ろす。
アリエル様の言葉がなければ渋っていたかもしれない。それにより、講和までの日付が伸びていたかもしれない、と。
「戦わなくていいんだな? 戦わなくていいんだな!?」
「そうですね」
与えられた宿に揃っていたミルラ隊の隊員に向けて、僕はミルラからの指示を話した。
やはり一番驚いていたというか動揺していたのはレシッドだった。
「というわけで、隊長業務よろしくお願いします。何にもすることはありませんけど。ミルラ王女殿下には既にレシッドさんのことは伝えてありますので」
「よっしゃ帰るぞソラリック治療師さんよ。こんな戦場最前線にいられるかよ、俺たちは安全な後方に引っ込むぞ」
レシッドは座っていた寝台から、浮き立つ身体を跳ねさせるようにして拳を握りしめる。
動揺と同時に、かなりの乗り気だった。
レシッドにとっては大分よい報だったらしい。彼はソラリックを伴い、これで王都に向かう。ソラリックの警護も兼ねているし、戦闘を行うことは無いとはいいきれないが、それはムジカル兵相手ではあるまい。
少なくとも王都はここよりも安全だ。
レシッドの座る寝台に俯せに横たわっていたスヴェンは、退屈そうにあくびをする。
「我が輩はどうするのだ?」
「僕からの要請は終わりました。スヴェンさんはここで自由の身となりますが、王女殿下からも報酬がありますので、そちらを受け取って頂ける気があればレシッドさんたちと共に行動をお願いします」
「心得た」
スヴェンはぱたぱたと膝から下をばたつかせて了承を返す。
「青生生魂の塊も用意して貰っていますが、鉄貨での支払いも出来るそうなのでその辺りはそちらで相談してください」
「気が利くな」
そして僕の言葉に、少しだけ最後の声の調子が上がった。
「ソラリック様は聞いていたとおり、レシッドさんについて王都への帰還を」
「でも……」
僕が目を向けた先、ソラリックは言い淀む。
その『でも』は何故だかわかっているつもりだ。そしてそれは心配は無い、といいたいが、まああまり心配は無いのは確かだと思う。
「タレーラン閣下の救護待機に関しては私が引き継ぎます。私というよりもアリエル様ですが」
「任せときなさい」
胸を張ったアリエル様にソラリックは言い返せまい。
彼女の抱える目下の問題。それは、今この宿でも隣の部屋にいるテレーズのことだ。
ここしばらく帯同していたソラリックの話では、あれから倒れた様子はないようだが、たまに胸の痛みと息苦しさは覚えるらしい。
それでソラリックが離れた途端に心臓が止まれば一大事だし、僕も後味が悪い。
だが僕がこの街にいる限りはアリエル様がテレーズの側にいるのとほとんど同義だ。
むしろ僕よりも心強くはあるだろう。もうあまり問題はないとはいえ、聖教会の目がある。僕であれば無意識に躊躇し、命取りとなりうる一瞬の遅れを生む恐れもあるが、アリエル様はそうではない。
アリエル様への不安を口にするようでもなく、しかしソラリックは身を縮まらせるように肩をすくめる。
「その、それもあるんですが……」
「何ですか?」
目を逸らしたソラリックが、うざったくなったように水色の髪を耳にかけた。
「もうちょっとカラスさんたちについていきたかったなぁって」
「それはどういう意味で?」
ずい、とアリエル様が僕とソラリックの視線の間に身体を挟む。
「ええっと……その……べ、勉強……勉強がしたかったっていう意味で?」
辿々しくソラリックが答える。その合間に、僕の方をちらちらと見ながら。
アリエル様は僕を振り返り、ふんと鼻を鳴らす。
「ならいいのよ。こいつ今新婚なんだから、紛らわしいことはよして頂戴ね」
「ええ!?」
「まじかよ」
「ほう」
王都にいる間に何してたんだ、とレシッドは呟きつつ僕を怪訝な目で見る。
僕はアリエル様に向けて、溜め息をついた。
「まだ結婚してませんし、紛らわしくもないとは思いますが」
「決まったようなもんでしょ。それにあんたも油断しない、こういうところに狼がいるんだからね」
「……まあ、何かしら注意するところは増えていると思いますが」
黙った三人に向けて僕はコホンと咳払いをする。
「そういうわけで、私事ですがとある女性の家に婿に入ることになりました。至らないところがあるとは思いますが、ご指導? ご鞭撻のほど? をよろしくお願いします?」
頭を下げたが、誰もリアクションをしてくれない。
「何で疑問形なのよ」
「ここにいる誰もご結婚されていないじゃないですか」
実際には知らないが、多分そうではないだろうか。
この三人とはそれなりに話したが、相手がいる素振りを見せたことはない。レシッドに至っては、たしか狙っていた相手に振られたばかり。それ以前に仮に相手がいればあんなに酒場で遊び回ってはいられまい。
「……たしかに俺も経験は無いから偉そうなことはいえないんだけどさ」
ぽつりとレシッドが呟く。目を閉じて、優しげに微笑みながら。
「でもなんというか、お前も多分指輪とかしておいた方がいいと思うぞ。相手がいるってわかるように。お前の場合」
「指輪ですか」
結婚を約束した相手に髪飾りや指輪などの装飾品を贈るのは、このエッセンを含めた多くの国での習慣だ。そうしない者も大勢いるし、そもそもそういう文化を持てるのがこの国では富裕層以上ということもあり、あまり一般化もされていないが。
ルルはこの国の人間。たしかに、そうしたことをした方がいいだろう。
なるほど。
指導を受けてしまった。僕の判断ミスだ。反省しなければ。
「いずれはしたいくらいには思っていますが、何故ですか?」
「勘」
「おめでとうございますっ!」
レシッドの言葉に被せるように、固まっていたソラリックが大きな声で寿いでくれる。
少しだけ驚いた僕は一瞬返せなかったが、すぐに気を取り戻す。
「ありがとうございます」
そう答えた僕に返されたのは、レシッドの苦笑と、スヴェンのあくび一つだった。
次回あの人が再登場




