閑話:祝言
人と同じ身長を持つからくり仕掛けの時計が、コツコツと時を刻む。
時計の動力は吊された錘。精密な部品と細かな仕掛けがなければ動作をしないそれを、個人で持つ者は限られている。
針の音を聞きながら、吊し布で遮られた窓の外を見つめて男は時を待つ。
そろそろか、それともまだまだか。
伝え聞く性格では、あまり早くはないだろうが。
「閣下」
部屋に入ってきた執事に呼ばれ、閣下と呼ばれた男が振り返る。
浅黒い肌。ふかふかに蓄えられた鼻の下の髭は歳を重ねるごとに白くなっており、斑な黒がもうほとんど消えていた。
「カラスが、宿を立ちました」
「そうか」
策は成っただろうか。執事の報告に応えつつ、ビャクダン大公は考える。
「一人だけか?」
「アリエルを連れているようです。しかし、他の者は」
執事はビャクダン大公の意図を汲んで首を横に振る。
他の者といっても、他の多くの者はこの際重要ではない。ビャクダン大公の考える『他の者』はルル・ザブロックただ一人であり、それ以外はどうでも良かった。
「カラスは追放の取り消しは求めておりません。ならば、ルル・ザブロックもカラスをこれから追っていくのではないでしょうか」
「何故だ?」
「騎獣を準備させているとも報告が来ております」
それはビャクダン家がザブロック家の警護のために用意した人間たちからの報告だ。
戦のために高騰しているハクを、探索ギルドを経由して一頭購った。探索ギルドでの発言力が高い探索者オトフシの力を使ったのだろうと推測していたが、そこは彼らにはどうでもいい。
しかし、ハクに餌をたらふく食わせ、水も多めに与えているのだという。明らかな長旅への備え。それは執事には、カラス以外の誰かの出立も予見させるものだ。
「……ならいいが」
ふう、とビャクダン大公はその報告に一息吐く。
まだまだ安心は出来ない。だがいい兆しだ。目下のビャクダン大公の目的に対しては。
「しかし……そこまでの警戒をすべき相手でしょうか?」
「お前は直接見ていないからそう言えるのだ」
呆れるまでもなく、実際にそうなのだろう、とビャクダン大公は思う。
誰も想像などしまい。あのお伽話に似た伝説の〈妖精〉アリエルが、心優しき乙女などではないことを。戦場を騒がせる〈狐砕き〉のカラスが、その力をエッセン王国に向けることに躊躇などないことを。
「もしもあの二人のどちらかがそのご気分を害したなら、即座にこの国が終わるだろう。ムジカルの脅威や聖教会の腐敗など取るに足らない些細なことだと皆が気付く」
だからその前に手を打つ必要があったのだ。
カラスとアリエルを、国外に出す。あの馬鹿王の手の届かない場所まで。
「私も迷ったのだ。このような手段を取るべきではないのではないか。あの者たちに襟を開き、懐柔するべく動くべきではなかったのだろうか、と」
カラスを呼び出し、またはザブロック邸まで出向き、きちんと話をするべきだったのかもしれない。
それも出来たのだ。ザブロック家は太師派であり、自分はその派閥の長。ザブロック家との付き合いを使い、彼らと交渉を行うくらいは。
だがその選択をビャクダン大公は取らなかった。
もしもビャクダン大公とカラスが接触したことが王家に知られ、そしてカラスがそれでも出て行った場合、その責任が全てビャクダン大公に押しつけられることになるかもしれない。
まさかとは思えない。あの王ならばそうする。ビャクダン大公にはそんな確信がある。
それに、カラスが話してわかる相手ならば良い。けれど、ビャクダン大公には彼らに対して明確な引け目があった。
もしかしたら、自分の言葉に彼らは聞く耳を持たないかもしれない。もしも会えば、明確な敵意の下にこちらを断罪しようとするかもしれない。
父と子は別の生き物だ。しかし、カラスは、アリエルはそうとは思わないかもしれない。
何せ我が馬鹿息子は、カラスに衆人の環視の中喧嘩を売ったのだ。
殺されるかもしれなかった、という報告までもある。ルル・ザブロックの介入がなければ、殺意を持って、カラスはその戦場を征した拳を振るっていたのだろうと。
「だが無理だ。お前も、直接会えばわかるだろう。私や陛下に御せる男ではない」
アリエルは火薬庫だ。そしてその息子であるカラスも。
それはビャクダン大公も謁見の間でたしかに感じたことだ。
火薬と同じよう、適切に取り扱えばいいのかもしれない。
丁重に丁寧に、火種を近づけぬよう慎重に。
しかしその適切な取り扱い方がわからない。
王というこの国の最高権力からの命令を聞かず、意図を汲んでもそれに逆らう。金を求めず、地位も権力も欲しがらず、しかし明確に何かの目的を持って動いている。
仮に息子ジュリアンとカラスの不仲が尾を引いていなかったとして、表面上、よろしくやることは出来るだろう。
だがそれも一時のこと。
利益のためではない。快不快で動く獣。それもその快不快は、『貴族』として生まれ育ったビャクダン大公には真に理解できるものではない。
理解しようと思えば出来るのかもしれない。しかし、どこかで出来なくなるかもしれないし、彼らに関してはその出来ない一回が致命的になるかもしれない。
自分なら出来る、という自信もビャクダン大公にはどこかにあった。
彼は太師。成年王族の教育と名代を受け持つ者。人心掌握や教導に長けるのは一族に伝わる教育の賜。
ジュリアンとのことにけじめをつけ、カラスやアリエルと上手くやる。そうしてその火薬庫を爆発させないまま、この国や自分たちのために使うということも出来るのではないかと。
だがビャクダン大公に責任が持てるのは、自身のことだけだ。
彼らをこの国に置いては、どこかで必ず爆発が起きる予感がある。聖教会の後ろ盾を得られるアリエルを、もしくはそのアリエルの庇護を得られる息子カラスを手に入れようと、誰かが無茶をし、または侮り手を出し火傷をする。
アリエルは聖騎士の鎮圧に対して、『行えば抵抗し黒焦げにする』と宣言した。
その言葉は真実だ。直接聞いたビャクダン大公はそう思う。アリエルはそれが出来る力を持ち、必要とあらば躊躇なくそれをやるだろう。
そしてそこに関わっているのがアリエルだと聞いた聖教会の信者は、聖騎士を、ひいてはエッセンを『被害者』としては扱うまい。
現状、今が最も『マシ』なのだ。
王が断罪などという馬鹿なことをしなければもっと良い選択肢があったかもしれない。いいや、いくらでもあっただろう、とビャクダン大公は考える。
カラスを追放などしなければ。アリエルとの仲を軽視しなければ。
褒賞など、ミルラ王女にいくらでも与えてやれば良かったのだ。
ビャクダン大公も、ミルラ王女の増長は憂慮している。仮に王城内での彼女の地位が上がり発言権が増せば、右も左もわからない彼女は誰にとっても邪魔な存在となるだろう。
だがその程度で済む。もっといえば、適当な領地を与えて中央から追いやってしまえばいい。彼女ならばその狭い『国』の中でよろしくやっただろう。
もちろんその点に関しては、後になってからいえることではない、とビャクダン大公も口を噤む。
しかし、謁見の後、三公や重鎮を集め王に相談されたときには耳を疑った。
『どこそこの令嬢との婚約をちらつかせ慰留しては』、『領土を与えて……』、『爵位を……』、と、おそらく全てカラスが突っぱねるであろう提案が口々に飛び交った。
挙げ句の果てに、『ムジカルの仕業と偽装して暗殺し、王城に来なかったことにする』などという不可能で馬鹿馬鹿しい提案までどこかの愚かな貴族から出る始末。
ビャクダン大公の提案『王が誠心誠意謝罪する』が、彼を除く満場一致で最も愚かだと断ぜられたのは思い出してもはらわたが煮えくり返る。
こんな国に置いておくわけにはいかない。もしも置いておけば、彼らとの関係は更に悪化する。どうにかして引き留めてしまえば、もはや取り返しがつかない事態になる。
ビャクダン大公はそう決意し、今回の行動に移したわけではあるが……。
「ザブロック女伯爵もお手柄だな。こちらの意を汲んでくれた。警戒心の強いカラスに直接話すわけにはいくまい」
それはビャクダン大公の勘だ。
ジュリアンとカラスとの決闘騒ぎの際、ビャクダン大公はカラスに関して集められるだけの資料を集めた。
その結果の推測。気難しいあのカラスの扱い方。
カラス本人に直接目的を話すのは、ビャクダン大公が貴族で、カラスから見れば『エッセン王国側』ということが障壁となる。彼はまともに話を聞く気がないだろう、とビャクダン大公は考える。
ならば、その周囲から動かせばいい。
周囲。それは、ルル・ザブロックの存在。
資料を見る限り、ビャクダン大公にはその名が光り輝いて見えた。
どういうわけか、カラスはルル・ザブロックにご執心だった。金にも地位にも名声にも興味を持たないようなあの男が、彼女に。
ならばもしも彼女に何かがあれば。
何かがある兆候が見られれば。
そんな中、役に立ったのは馬鹿息子の存在だ。
これも僥倖、とビャクダン大公は初めて息子を褒めてやりたい気分だった。
カラスと自分の仲を深める邪魔にはなる。しかしそれは同じように、カラスと自分を引き離す用途には使えるのだ。
このままこの国にルル・ザブロックを置いておけば、自分の息子などと結婚することになる。勿論それも不可能だ。決闘中の家だ。そもそも、子供同士の結婚など出来ようはずがない。
だが、同じような婚約話は他にも上がる。そう示すのには充分な駒。
ルル・ザブロックも、今のビャクダン大公には火薬玉への導火線にしか見えない。
彼女の身に何かがあれば、カラスは彼女のためにこの王都にも話に聞く光の矢を雨のように降らすだろう。
カラスをこの王国から排除するだけでは足りない。
ルル・ザブロックも一緒に。どこか遠くに行ってほしい。
賭けだった。
ここでカラスを怒らせてしまえば本末転倒だ。そうならないよう、節度を保ち、決して事を荒立てないように気を遣った。
ザブロック女伯爵にも礼儀を胸に、無理を通さぬよう丁寧に。万が一にも太師派陣営の誰かと結婚しないよう、逃げ道を潰さずに。
かくして二つの火薬庫は、導火線ごと出て行くだろう。
伝え聞くカラスの性格ならば、このまま王が追放令を取り消さずにいれば確実に。
「二人一緒に駆け落ちでもしてくれればと思ったが、そこまでは望みすぎだったようだ」
「どこかで落ち合うのでしょうか?」
「だろうと思う」
大公家からの縁談すら断る理由。必ずあるはずだ。まさか、主家からの好条件のそれを断りつつも、温々とその娘の身柄を放置はしまい。……もしも違ったら、その時はその時だ。
「監視には目を離すなと伝えておいてくれ。ジュリアンの捜索に回している連中も使っていい。ルル・ザブロックに万が一にも危険がないよう、国外に出るまでは」
老執事は、御意、と返して部屋を出ていく。
その音を背後にまた窓の吊し布の先を見て、ビャクダン大公は溜め息をついた。一つの問題が片付きそうで、またこれから起こる問題に悩むように。
これからこの国は大変だろう。
具体的に、衝撃的で突発的な何かがあるわけではない。だが聖教会からの抗議は確実に届くだろうし、それにより民心も離れてしまうかもしれない。
じわじわと真綿で首を絞められるように、苦しい状況になってゆく。そんな予感がする。
妖精二人を追い出した。その結果、そのことについてよりももっと大きな何かがこの国から消えていく気がする。
国は荒れることすらしない。ただ衰えていくだろう。このままでは。
「陛下では力不足としか思えぬ。禅譲を急かすか」
禅譲し、カラスに対し恩赦を出す……というのも聖教会向けの方策としては一つ有効かもしれない。
もっとも、禅譲させたところで、その後継者が彼よりも優秀というわけでもないのだが。
そして自分がそれを奏上した場合、頑なに拒むだろう。大公からの奏上。つまり、受け入れた場合は王が太師派に与したようにも見えるという理由で。
「部下の言葉を聞けぬというのも大変ですな、陛下」
今ここにいない王の顔を思い浮かべてビャクダン大公は溜め息をまたついた。
今のこの国は、派閥に支配されている。エッセン王は誰の肩入れも出来ない。肩入れされた派閥が力を増し、専横するのが目に見えているからだ。
エッセン王は長い歴史の間、あるときからずっとそうしてきた。王家も貴族も民も、そのどれもに突出した力を持たせぬよう、均衡を取るように騙し騙しやってきた。植木鉢の植物の手入れをするように、伸びすぎた葉を切り、はみ出しそうな枝を紐で曲げて。
そのやり方ではいずれは限界が来る。そう予感する誰かが今までに何人もいたにもかかわらず。
そして来てしまった。
王家でも貴族でも民でもない、力を持つ誰か。植木鉢に落ちた聖教会という本来別の鉢の種。その雑草が首を絞めるように。
これで幹は『絞められる』。
その時残る太い枝が、次の幹になるのはきっと容易い。
それから数日後、ビャクダン大公の下に、ルルとカラスの結婚の報が届く。
ザブロック家から関係筋にだけ届けられたその報に、ビャクダン大公は『おめでとう』と心からの祝言を呟いた。




