巣作り
「えぇ!!??」
サロメが驚き叫ぶ。ついでにティリーの侍女も声を出さずにじたばたと手足を動かした。
もちろん発端はルルの言葉で、その内容は先ほどの僕たちのことだ。
「なので、カラス様は私の婚約者、私はカラス様の婚約者となります」
えへへと言葉にならない笑い声を出しながら、ルルは僕の腕にそっと自分の手を重ねて示す。楽しそう、というか機嫌よさげな緩んだその顔は、正直ずっと見ていたい。
サロメは僕たちを見て大きく息を吸って、震えながら吐く。
やはり彼女も微笑んでいるのは、喜んでくれていると解釈して良いのだろう。
「……よかった、私はてっきり……」
「荷解きは手伝うよ」
「いえ! そんな!!」
にやにやとして静観気味に黙っているのは二人。サロメの言葉を遮り、そのうちの一人、ティリーが冗談のように笑いかけた。その視線はサロメと、そして部屋の隅にあった大きな荷物。
「荷解き?」
僕が尋ねると、サロメが誤魔化すように照れる。
「不要になってしまいました」
「いらない、と妾は言ったのだがな」
「サロメ君は旅支度をしてたんだよ。どうしてもビャクダン大公家から婿を迎えるならば、ルル君と一緒に家出するんだ、ってさ」
「はあ」
こんな短時間ではろくな準備は出来なかっただろうに。
僕も眺めたその荷は、今部屋の隅で自信なさげに肩を落としているように見えた。
「ありがとう、サロメ」
「いいえ、お嬢様のためだと思えば。それに……信じ切れなくて申し訳ありませんでした」
頭を軽く下げてサロメはルルに応える。
ルルはそれに小さく首を横に振って応えた。
「しかしまあ、ならこれからカラス殿のことは旦那様とお呼びすればいいのですか? それとも若様と?」
「今まで通りで大丈夫です。まだ結婚したわけでもありませんし」
「そうですよ。まだ、まだですからね!」
ルルが一歩踏み出すようにしてサロメに言いつける。何というか、……テンションが高い気がする。
「まだということもありますし、僕が偉くなるわけではありませんからね」
「そうなのかい?」
「はい」
僕は先ほどレグリスに聞いたこれからのことを思い出し、ぽつぽつとティリーたちに話す。オトフシは承知済みだろうが、黙って聞いていた。
僕はルルと結婚しても、この家を継ぐわけではない。
この家を継ぐのはあくまでもザブロック家の長女ルルで、僕はその婿というだけだ。
さらにそのルルも本当の意味で継ぐわけではない。継ぐためには王からザブロック女伯爵の爵位を継ぐ了承を得なくてはならないし、今まで通りならばそれも難しいから、と。
だからルルは男児を生め、とレグリスに言われて赤面していた……ということまではサロメたちに言わなくてもいいだろう。男児はレグリスからザブロック女伯爵を直接継いで、成人と共に正当なザブロック伯爵となる。
やはり貴族とはややこしい。
仮に僕とルルの間に息子が生まれたとしたら、その息子は生まれた時点で僕よりも身分が上になるのだ。
「なら、結婚式も?」
「はい。公的な大きなものは挙げられませんね」
通常、貴族同士の結婚ならば、関係各所の者を招いて盛大に行う。関係のある貴族や領地を持っているならば代官などを招いて。
しかしそれも出来ない。この結婚はどちらかというと公的なものではなく、私的なものだからだという。
感覚的には僕はルルの男妾に近いのだろう。内縁の夫。
ただ、アリエル様がいることで僕の対外的な地位が高いことでそう思われづらく、またルルの意向でそう呼ばないというだけで。
そして、ルルはそれでも満足げに。
「構いません。知らない方を大勢招かないだけで、式は挙げられますから」
僕の袖を掴んだ手に、また力が入る。
「だから、結婚するんです。私たち。だからまだ婚約でいいんですよね、カラス様」
「…………あの、それは」
「僕と婚約してください、って、フフ、フフフ」
くすくすとルルが笑う。その度に綻ぶ頬はとても可愛らしいが、その言葉はなんとなくやめて欲しい。
「あの、……なにか?」
サロメがおずおずと疑問を呈する。それに答えつつ、ルルに同調するようにアリエル様も笑った。
「こいつプロポーズの言葉間違ってんのよ。僕と結婚してください、でいいのにね」
「…………」
「婚約してください、って遠回りすぎ」
「……慣れてないので」
「慣れてたら困るわよ」
笑みを絶やさずアリエル様は僕の言葉を笑い飛ばす。
正直仕方ないと思う。準備もなく、唐突にこのプロポーズの場は設けられたのだ。それに、咄嗟に吐いた言葉にしては上等だったのではないだろうか。
そして哄笑を止め、アリエル様は机の上に背もたれ付きの椅子を出現させて、よじ登るように座る。
「じゃあ考えるべきはこれからよ。あんたとルルちゃん、どこに住むかって問題ね」
「ここじゃあ駄目なのかい?」
「駄目ですね。僕は追放令を受けてますので」
ここザブロック邸に住むのなら、まずは最低限、追放令を解かせないといけない。
しかしそのためにはあの王様とまた話さねばならず、そして僕は弱みを見せることになる。あの王様に頭を下げて頼み込む。仮にそれだけで話が済むとしても、それは正直やりたくない。ルルが僕にそれを望まない限りは。
「レグリス様の出した条件は、ルル様の安全が確保されること、とのことです」
先ほどレグリスらと話した限りでは、ルルがここから移動することは構わないらしい。仮に国外に出ようとも、お前なら守れるだろう? とやや脅しのような文句と共に宣告された。
もっとも、ルルはここ、僕は国外、と離れて暮らしても構わないらしい。しかしその場合は、結婚する意味がないわね、とストナからはちくちくと言われた。
「心当たりは?」
オトフシが楽しそうに口を出す。
心当たりはと言われても、むしろいくつもあるのでどこがいいか決めかねているのだが。
「どこがいいですかね。国外に出るとして、リドニック、ミーティア辺りが僕の中では有力候補になりますが」
「ミーティアは鎖国してるんだろう?」
「鎖国してますけど、私は永久通行権を持っているので自由に入れます」
ティリーの問いに僕は端的に答える。
どこかにまだ取っておいてあるはずだ。アントルの手形が捺されたまさしく通行手形。どこかに、といっても僕の荷物は鞄一つ分しかないのでそこを探ればあるのだが。
「しかし、お前やアリエル様以外には向かない国だと聞くが」
「はい」
オトフシの言葉に僕は素直に頷いた。懸念はそこだ。
ミーティアは何と言ったらいいのかわからないが、動物たちの特性を強く持った人間たちが暮らす国。通貨も整えられておらず、物々交換が主。それも交換されるのは団栗などの野趣溢れる素材に、腰蓑などの原始的な衣装などだ。
正直、僕やアリエル様は快適でもルルの生活の基盤は整えづらい。
「なのでまあ、住むとしたらリドニックでしょうか。あそこならば寒さや雪への対策以外は、あまりエッセンとは変わらず……そんなにエッセンとも変わらず……ちょっとエッセンと変わるだけで済むので」
「随分と違うらしいな」
言い淀む僕をオトフシが笑い飛ばす。しかし、どう言えばいいかはわからないが、やはりこのエッセン王国と同じような暮らしではないだろう。
「やはり文化が違いますので」
雪国での生活。夏でも寒さに凍え、冬場の外では口すら開けなくなるような気候故の勝手の違い。外に出なければあまり変わらないと言いたいところではあるが、やはり。
そして、考えてみればそもそも。
僕は隣に立つルルに目を向ける。
「……やっぱり、エッセンがいいですかね」
彼女はこの国の貴族だ。この国で生まれ育った普通の人間。
僕やアリエル様のようなどこでも暮らせるような生物とは違う。森に入って屋根のない草むらで寝ることも、孤島ですり切れた衣装を着ていることも出来ないだろう人間だ。
ミーティアでもそうだが、貴族制度が消えたリドニックには『貴族』はいない。彼女にとってはまた環境を変えることになる。
「どこでも大丈夫です!」
だが強くルルは笑顔で言い切る。
僕はその笑顔に頼もしさと嬉しさを覚える……が。
それと同時に、なんとなく不安さを覚えた。
僕はアリエル様の方を向く。腕を組んで足を組んで、偉そうに僕たちを眺めている小さな女性を。
「……やっぱり、またゆっくり考えさせてもらえませんか。こればっかりは」
「なんでよ」
「二人で話して決めたいじゃないですか? こんな急いでではなくて」
今急いで決めると何か失敗しそうな気がする。
後になって、『ああすればよかった』『こうすればよかった』が大量に出てくる気がする。僕からも、そしてルルからも。
「でもどうするのよ。あんたこのまま国を出てくことになるけど。ここで決めないとルルちゃんと会う機会なくなっちゃうけど?」
「連れてくわけにはいきませんしね」
僕は口元に手を当てて悩む。
そうだ。それもあった。
追放令、地味に僕を困らせる問題だ。僕が意地を捨てれば解決しそうなことだということも含めて。
レグリスたちと話した中には、イラインに一緒に連れて行く、という案もあった。それを挙げたのは、先ほどのアリエル様だったが。
だがそれは僕が反対だ。
既に和平の協議中とはいえ、イラインは未だ戦時中の最前線だ。敵兵が訪れることもあるだろう。
治安も良いとはいえない。アリエル様がいて、また僕が守りますと言い切ろうとしても言い切れないくらいの。……主に、あの街の民度の問題で。
悩んでいた僕。
「お前も妾たちを忘れているな」
しかし、オトフシがそう声を上げて、場の雰囲気が一瞬明るくなった気がした。
「何を?」
「お前の仕事の終わりの目処が立ち次第、イライン近くで落ち合えばいい。ルル様は妾が警護し、イライン近くの街で待機する。もしも戦線がこれから押し下がるようなら逃げる。それならばお前も文句はあるまい?」
「しかし行き先も決まらずにこの家を出て行くというのは……」
なるほど、とは思った。
けれどもその問題がある。安全を前提にした移住までは認めた。しかし、行き先もわからない旅にルルを巻き込むのはレグリスは認めるだろうか。それこそ駆け落ちや拉致に近い。
それにルルの場合、僕たちとは違って荷物がいる。本や衣装など、様々なものを。それをどこかへ運び込む、というのならばまだしも、馬車などで持ち歩く、ともなればそれなりの労力が掛かる。
「……領地もない、定職もない、根無し草のお前と婚姻を結ぶとはそういうことだ。納得ずくで結んだ以上、逐一報告さえしておけばそう問題ではない、と妾は思うがな」
「まあ、僕のせいですか」
僕は渋い顔を隠せなかった。
これから何かしらの形で苦労をさせるということに関しては、やはり僕のせいだろう。
僕がどこかにきちんとした住処を作っていれば。住処を手放さなければ。また、探索者などというその日暮らしではなく定職を持っていれば。
やはり自覚する。
僕は結婚などしてはいけない。正確には、そういうことに向いていないのだ。
そしてだからといって、もう投げ出すわけにはいかない。
オトフシが僕の顔を見てにやにやと笑う。
「覚悟しておけ、結婚とはそういうことだ。お前は今までのような野放図は出来ん。家族の人生に責任を持って、家族内での自分の役割を自覚し全うしなければいけない。これはルル様にもいえることですが」
ふとオトフシは視線をルルに向ける。その視線にルルは「ぅ」と小さく声を上げて怯む。
「わかっています」
けれどもまた小さく、オトフシに向けてそう言い返した。
じゃあそうしよう、ととりあえずの話がまとまる。
ここ王都からイラインまでは、騎獣車を使って急げば五日程度。僕とアリエル様が強引に連れて行ってもいいが、彼女の場合は準備がある。まだ余裕もあるし、急がず後からゆっくりと来る。
僕は予定を変更し、明日ここを発つ。急ぎレシッドたちへの引き継ぎを終えて、出来れば宿の準備など、ルルのための安全確保をしておきたい。
「どこに住むか。そんなことでまず悩まなくてはいけないなんて、やっぱり結婚っていうのは大変だねぇ」
「こればかりは私のせいもあるので、申し訳ないです」
「いえ、そんなこと!」
ティリーの言葉に、ルルの方を向いて同意する。
こんな簡単に決めたくなかったというのも本音だ。僕はいい、が、普通の人間が生活拠点を移すのはとても大変なことだと思う。
その拠点の準備すら出来ていない今、やはり僕と結婚して幸せになれるとは思えない。
鳥たちですら巣を作ってから番を作ろうと申し込むのに。
では、とまた思い思いに動き始めた僕たち。
まずは今夜の晩餐会だ。ディアーヌたちもそろそろ到着するだろうし。
だが動かない。僕の袖をそっと摘まむように残ったルルは。
俯くように、思案するように床の一点を見つめていた。
「……どうされましたか?」
「私……結婚出来るんですよね」
「はい」
僕は首を傾げつつ、同意を返す。
そう決まった。僕が申し込んで、ルルがそれを受けてくれた。なら、そうなるはずだ。
僕はそうする。
先ほどまでの興奮具合から一転して落ち着いたようだったが、ルルは少しだけ頬を赤くし、また唇をむにむにと動かす。
「その、何か今になって、凄く嬉しいというか、なんか、……現実感がないというか」
「現実ですよ」
「そうなんですけど、……あの、ですね、カラス様は、昔から夢で、その……王子様と思ってた人というか……」
「王子様?」
少しだけ気恥ずかしい単語なのだが。僕がそう言われていると考えると、少しだけ否定したいくらいの。
「あ、じゃなくて、思い出したんです。覚えてらっしゃるかどうかわからないんですけど、……、あ、後で話しましょう、これは、後で!!」
誤魔化し、ふぅー、と息を吐いて、ルルは一度こちらを見てまた目を逸らした。
「これから、その、よろしくお願いします」
「……こちらこそ末永くよろしくお願いします」
僕も恥ずかしさに変な言葉になってしまったが、おあいこだろう。多分。
そう信じ、僕は頭を下げた。
「よろしく、か。失敗出来んな、カラス」
「……何をですか?」
オトフシが横合いから僕の肩を叩く。囃し立てるような顔は、固まってしまったかのようだった。
嫌らしい笑みを浮かべつつ、オトフシは肩に乗せた手に力を入れる。
「決まっているだろう。貴族の結婚で、ルル様がまず頑張らなければいけないことだ」
「何を?」
「わからんなら、妾直々に手解きをしてやろうか。初夜の失敗は後に響くぞ」
すす、と肩から背中にオトフシの手が回る。その手の動きの艶めかしさに、一瞬遅れて僕はその意味に気がついた。
またいつものようにからかっているのだろう。
僕はそのオトフシの手を外そうと、身を翻しつつその手を取ろうとする。
だが一瞬早く、僕とオトフシの身体の隙間に両手を滑り込ませ、オトフシの手を取る手があった。
「……わ……」
先ほどまで話していたルルの細い腕だが。
「私のですから!!」
叫び声に似た大声。
部屋が静まりかえる。
その中で、慌てたようにアリエル様が苦笑いをしながら、食べていたクッキーを口から外した。
「さすがにまだ気が早いわよ」
住処も決めてないのに子供なんか作れるわけがない。そう言外に表情だけで告げる。
オトフシも、残念、と鼻で笑いつつ僕から身を離す。
「ぁ……」
ルルは、ひどく赤面した。




